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銀花、煌めく  作者: 森戸玲有
四章
30/57

玖 【凌星の実母】

◆◆◆


 一度も足を踏み入れたことがない、順和殿を懐かしく感じてしまうくらい、花影の王宮生活は長かったらしい。


 朝議を行う場は、広くて何もない所。

 寒々しい空間だ。

 けれど、その天井には、冷たい世界を火炎で溶かす、真紅の不死鳥が一面に描かれている。

 

(……そうだったわね)


 それを花影に教えてくれたのは、流月だった。

 自分だって、図書搭と後宮以外足を踏み入れたことがなかったのに、柳 周庵の知識なのだろうかと、花影は幼心に思っていたのだ。


「……まあ、とりあえずお二人共、お疲れだろうし、まず美味しい茶菓子を、雪己に用意させて、一休みしましょうか。……君も、その頭巾を取ったらどうかな? 暑いでしょう?」


 着席後、烈山は花影の左隣の席で、わざとらしく浮かれていた。

 笑うと出来る目尻の皺が武人とは思えないような、人の好さを醸し出している。

 ――しかし、彼が他の誰より腹黒だということを、花影はよく知っていた。


「ご心配には及びません。これが私ですから」

「なんか、そういう強情なところ、母君とよく似ているよ」

「完全に、皮肉ですよね?」

「…………君はすべてを、知っているんだね」


 結局、烈山は花影がどの程度、事を知っているのか、見極めたかったのだろう。

 もし、何も知らないと芝居を打ったら、すべて烈山が話してくれるのだろうか……。

 いや、むしろ誰かにすべてを語られることの方が辛いはずだ。

 だったら、自分の口ですべてぶちまけてしまった方が楽なのではないか。


「凌星様が、感じていらっしゃるように、貴方様のお母様と、私の出生に関しては、すべて繋がっております」

「先生、だから、もういいって……」

「私の実の母親は、唯 流月ではありません」


 花影は右隣にいる凌星に、向き直った。 

 凌星は、目を丸くしている。

 至近距離でいながら、彼といて、動揺することなく話せたのは、頭巾のおかげだった。


「……そうなのか」

「これを話せば、貴方様にもすべてが見えてくるはずです」

 

 花影だって、つい最近まで流月が実母であることを、微塵も疑っていなかった。

 ずっと自分の世界は、何も変わらないと思っていた。

 良くも悪くも……。


 でも、変わってしまった。


 ――後宮を、出てからだ。


 花影の積み上げてきたものは、すべて形を変えて、崩れてしまったのだ。

 

「ご存知ですか? 千李さんの最初の旦那様は、エスティアとの混血児でした」

「……知ってる。本人から聞いた」

「そう……。だから、私の血縁上の母は千李さんなんですよ。丁李は腹違いの妹になります」

「あんたそれ、いつ知ったんだ? 少なくとも最初のうちには、そんな素振りなかった」

「貴方が彼女たちと家族みたいだと言うので、変だと思いました」

「おい、俺のせいかよ?」

「いいえ。決定的なのは、その言葉ですが、遅かれ早かれ、あの生活を続けていたら、気づいていたでしょう。長く一緒に暮らしていれば、おかしな点にも気づきます。彼女の無償の愛情は、私にとっては、怖いくらいでした」

「…………先生」


 凌星が眉間に皺を寄せて、苦悶の表情を浮かべている。

 花影は、平気だ。

 惨めになるのではと、想定していたけど、自分でも意外なくらい、大丈夫だった。

 何も感じていないのに、どうして彼が辛そうなんだろう?


 ――……先日。


 千李の泣き顔を目の当たりにしながら、花影は眉一つ動かせなかった。

 冷静に、淡々と受け入れたはずの真実だが、時間が経つにつれ、花影の中で重くなっていくような気がしていた。


 だから、少しだけ逡巡したけれど……。

 こういった機会を早く迎えたことは、かえって良かったのかもしれない。


「貴方も、私が千李さんと話したことを、ご存知だったのでしょう。彼女がすべて教えてくれました。夫が亡くなり、たった独りで、エスティアの血を色濃く継いでいる私を育てなくてはならなかった時……。悩んでいた丁李さんに、流月は取引を持ちかけたそうです。…………子供を自分に預けてくれたら、大金を支払うと」


 烈山が何か言いたげにしていたが、結局介入を諦めて、腕組みをしていた。

 この男は、その辺りの事情を、知っているのかもしれない。

 一方、伯豹は素知らぬ顔だ。

 きっと、どうだって良いのだろう。

 そして、雪己は花影と同じ、無表情を貫いていた。


「つまり私は……金で買われたのです」 


 花影は、目を瞑った。

 凌星には、きっとこの表情も見えないだろう。

 ――それが良かった。


「………ある御方の影となるように、私は三歳の時に、流月に引き取られて、図書の塔で育てられたのですよ」

「ある御方って……?」


 凌星が自らの口元を押さえた。

 何を驚くことがあるのだろう。

 彼だって、おぼろげには、分かっていたはずなのに……。


「……で、でも、俺の見た目は、まるきり光西人だし?」

「凌星様。以前も、お話した通り、エスティア人との混血でも見た目が光西人と変わらない人もいます。貴方様は、先代国王と瓜二つだという話です。光西の王族は、過去近親婚を繰り返していました。王族の血の方が色濃く出ても不思議はありません。……だけど、それは、貴方が成長するまで、分からないことでした」

「……しっ、しかし、それだけで、王宮を出なきゃいけない理由なんて……?」

「大きな理由があったんですよ」


 烈山が口を挟んできた。


「先々代の国王の后……つまり、慧 紫陽様の御母上は、瓏国の姫君でした。元々、保守的な王宮内で、一層エスティア系を排除する傾向が強まっていた頃です。当時、紫陽様はお若く、世継ぎなどいくらでも出来ると、大后様は思い込んでおられた。あの御方にとって、エスティア系の太子など、絶対に存在してはならなかったのです」


 そう。

 太子なら、危険が大きい。

 仮に、王宮で育つことが出来たとしても、世継ぎが生まれた時点でどうなるか分からない。


 ――だが、もしも、姫君であったのなら?


 光西において、女王が即位する可能性は極めて少ない。

 目立たず、ひっそり生きることを約束すれば、生き延びることが出来るのではないか……。


 …………だから、唯 流月は一世一代の嘘を吐いた。


 そして、花影は彼女の『娘』になったのだ。


「私は紫陽様とは、不思議とお話する機会が多くてね。貴方様のこと、どんな形でも、生きてくれたら良い…と申されていました」

「どんな形でもってさ……そんな」


 凌星が、花影を見つめている。

 彼が罪悪感など、抱く必要なんてないのに……。


「……つまり。ここにいる俺以外は、最初から知っていて、ずっと俺に黙っていたということか?」

「人聞きの悪い。その時機をうかがっていただけですって。事実を伝えることで、貴方の判断が狂ってはいけないと思ったのです。いずれにしても、貴方は私を見捨てずに、王宮に来ることは分かっていましたから」

「うぬぼれるなよ。おっさん」


 どんと、凌星が円卓を叩いたものの、烈山は涼しい顔のままだった。


「まあ……結果的には、これで良かった。花影さんは、貴方の力になってくれた。私は彼女にも会って、そのことを話そうと思っていたので……。貴方様が自力で彼女を捜し出して下さって、助かりましたよ」

「違う。俺が先生に会ったのは、偶然だった」


 ………………偶然。


「違いますよ。凌星様」


 きっと、彼は本能的に、学司であった流月の面影を追っていたのだ。


 ――そして、あの日、図書塔にいた花影と出会った。


「運命だと……。凌星様は、そう仰ったはずです。あの時、私には貴方の言葉の意味がまったく分かりませんでしたが、今は私も、それが正しいと思います」

「…………そんな運命…………嫌だ」


 凌星が懐から、布で包んでいた簪を取り出した。

 赤い房がゆらゆらと揺れる。

 小さな窓から差し込む光が、金色の簪を一際輝かせていた。


「俺の母親は…………唯 流月」


 静まり返った室内に、凌星の声だけが響き渡った。

 誰も否定しない。


「光陰流星如 銀花明々為……。流……星か」


 凌星は苦い笑みを浮かべて、唇を噛んだ。


 ――流れる星……。

 それが、流月と凌星のことだと、彼は知ったのだろうか。

 

 確かに、その詩は慧 紫陽……最期の恋文だった。

 

 ……けれど。

 決してそれだけでないことも、花影は密かに気づいていた。

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