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銀花、煌めく  作者: 森戸玲有
四章
29/57

捌 【花影の気持ちを知るには……】

◆◆◆


『おかしいですね……。先生らしくない』


 王宮行きを決意した日の夜、珠水は凌星にそう言った。

 彼女は、凌星の疑惑を一言に集約してくれてた。

 ……花影が何の抵抗も見せずに、凌星と王宮に行く。

 しかも、即日に結論を出したことに珠水も不審を抱いているようだった。


『先生、河の氾濫以外に、王宮に行かないといけない事情が出来たんじゃないですか?』


 おそらく……と、凌星は返した。


(俺の出生のことだ) 


 彼女の持っている知識と、最近何かの情報が結びついたのだ。


 ――そして、彼女なりに、王宮でやらなければならないことに気づいた。


 そうでなければ、あれだけ心配している妹分の丁李を置いて出ようとは思わないだろう。


(丁李は、本当に花影あのひとを心配していた……) 


 小鈴と諍いを起こした丁李を慰めに行ったつもりが、凌星は花影の幼いころからの苦労話を聞くことになった。

 延々と花影のことを語った最後に丁李は深々と凌星に頭を下げたのだった。


『どうか、先生のこと……お願いします。あの人は、すぐに独りになろうとしますから』


 そういう彼女の悪い癖を、凌星も見抜いていた。

 安請け合いなんて、できない。

 凌星は、十分な間を置いてから、真摯に花影を護ると丁李に約束した。

 『護る』と誓ったのだ。


 ………なのに、花影は相変わらず遠い。


(恐れているのか……?)


 銀花の謎……。

 真実に辿りつくことが、怖いなんて、以前の凌星は思ってもいなかった。

 花影は『協力する』と請け負ってくれた。

 彼女が感づいていて、凌星に気安く話せる内容だったら、秘密になんてしないだろう。

 やはり、彼女もこの件に関わっているのだ。


(…………多分)


 凌星にも、心当たりがあった。

 自分の母親が、太子の生母でありながら、側妃にすらなれなかった理由を、消去法で辿って行けば……。


(いや、でも……?) 


 もし、そうだとすると、辻褄が合わない部分が出てくる。

 花影は、そのことに関しても、答えを出しているのだろうか。


  二人きりになれば……?

 こちらが本音を話したのなら……?


 花影が、何かを告白してくれるのではないかと、考えていた。


 もちろん、真実は知りたい。

 でも、花影が話したくないのなら、無理強いするつもりはなかった。

 ただ……彼女がそれを話せない理由だけを知りたかった。


 凌星が今、知りたいのは花影のことだった。


(俺は、どうしたらいい?)


 あれだけ迫っても、花影は自分を隠してしまう。

 まるで、冷たい氷だ。

 いっそ、彼女を組み敷いてみたら、本当の姿が分かるのだろうか?

 そんな不埒な考えを抱いて、実行したい衝動を堪えている自分は、絶対に光西の主になどなれるはずがないのだ。



 ………………それなのに。


 雪己が手配していた豪奢な馬車で、とうとう連れて来られてしまった。

 光西の要。紅の王宮。

 赤煉瓦の建物が、大小百以上は連なっている。

 住まいというより、一つの都市を形成していることを、何度か足を踏み入れたことのある凌星は知っていた。

 東西南北、四つに配置された門の中で正門。朱塗りの正華しょうか門を通り抜けることが出来るのは国王のみだと、そう聞かされていた神聖で巨大な御門を開放して、彼らは凌星を、絢爛豪華な檻に招き入れた。

 派手なお披露目にされてしまったことを、実感したのは、光和殿に続く大道に配備された大勢の兵士たちが、一堂に膝を折って凌星を出迎えている様を目の当たりにしてしまったからだろう。


(一体、何てことをしてくれたんだ?)


 これでは、凌星が身動きできなくなってしまうではないか……。


 …………国主なんて、柄じゃない。


 再三、言っているのに、幼馴染の雪己は聞き入れない。


(こんな大掛かりな嫌がらせを、しやがって……)


 大方、共犯は珠水だろうが……。

 しかし、何より花影が当然の出迎えのような顔をしているのが、気に入らなかった。


「おかえりなさい。お待ちしておりましたよ」

「…………ここは、俺の家じゃないからな」


 あの夜以来、久しぶりに会った烈山は、叛乱の首謀者なんて割に合わないことをしでかしたくせに、さっぱりした顔をしていた。


(きっと、王宮を乗っ取たら、あとは俺や雪己に丸投げするつもりだったんだろう)


 その証拠に、王宮の主に収まっているはずの烈山は、国王以外が座ることのできない緋色の玉座を背にして、凌星に対して膝を折って拱手していた。


 形だけは、立派な臣下の礼だ。


 そして、その横には、しれっと同じことをしている大司尉の伯豹はくひょうも続いている。

 烈山は質素な枯葉色、伯豹も浅黄色の地味な色彩であったが、衣と裳の色を綺麗に合わせた重ねで、黒帽を被り、新品の沓を履いていた。

 二人共、わざとらしいほど、重そうな礼服姿であった。


「遅かったですね。凌星坊ちゃん。俺は『いずれ』っていうのは、こんなに時間のかかることだと学習しましたよ」


 伯豹は名前の通り、豹のような目で凄んでいた。口調は軽いが、怒っていることは明白だ。殺気が半端ない。

 細身の烈山に対して、伯豹は大柄で堂々たる体躯をしている分、威圧感で息苦しくなる。

 もし、伯豹と古くからの知り合いでなかったら、凌星も竦み上がっていただろう。


「説教目的なら、俺、出ていくからな」

「嫌ですねえ。坊ちゃんは……。貴方は自分から檻に飛びこんできたんですよ。出るときは、命を落とした時に限ります」

「俺を殺す気か?」

「言ってみただけですよ」


 伯豹は完全に、る気の目をしていた。

 こんな怪物だらけのところに、花影を招待するつもりなんてない。

 後ろを向けば、頭巾の下でも彼女が身を竦ませていることが分かった。


「……とりあえず、皆様で積もる話もあるでしようから、私は席を外して……」

「先生。待ってくれ。俺も行く」

「貴方が行って、どうするんです?」


 烈山が、もっともなことを突っ込んできた。


「凌星……様」


 花影は、機嫌が悪いときほど低姿勢だ。

 柔らかい声音の中に、明らかな毒がこもっていた。


「こちらに来るまでにも、私がいるせいで、悪目立ちしてしまいました。いらぬ誤解を生まない為にも、下々の者として、私を扱い下さい。とりあえず、私は学司ですから。上役である、柳学司長とお会いできれば、それで良いのです」

「あー。その件ですが、花影さん」


 即座に反応したのは、花影より更に後ろに控えていた雪己だった。


「柳学司長に関してなのですが、残念ながら、体調を崩して寝込んでおられます。あの弾劾文を掲示した日から、会話もままならない状態なのです」

「………………そう……なのですか」

「ええ……。突然のことでしてね、こちらも困っているのですよ」


 含みのある言葉に、うつむき考え込んでいる花影を盗み見していると、烈山が武人とは思えない紳士的な物腰で、花影のもとに向かっていた。


「お久しぶりですね。花影さん」

「ええ、ご無沙汰しております。陶大将軍。それと、偉大司尉は二回目でしたね。その節は、色々とご教示頂きまして」

「ああ、お前か。あの時は失礼したな。つい面白くなって、からかってしまったよ」

「……はあ」

「このおっさん、嘘だか、本気だ分からないから、厄介なんだよ」 

「お二人は、親しい仲なんですね」


 頭巾を取らなくても、花影が呆然としていることが分かる。

 さっさと、この場から花影を連れて逃げ出したい……が、彼女を逃すつもりもまた、烈山にはないようだった。


「唯 花影さん。私は貴方とも積もる話をしたいんですよ。貴方とは図書塔で、たまに顔は合わせていたけれど、話したことは、ほとんどなかったじゃないですか」

「…………そうでしたけど」


 烈山は椅子を引いて、花影に座るように促した。

 大きな円卓には、五つの椅子が設けられていた。

 この状況を、花影は真剣に観察しているようだった。


「……卓と椅子、よく運べましたね。ここは順和殿ですよね。朝議を開く神聖な場所です。家具の一切はないと聞いておりました」


 遥かに高い天井を仰ぎながら、花影は呟いた。

 確かに、広い空間に、ぽつんと置かれている円卓と椅子は、元々あったものとは思えなかった。


「ほう。素晴らしい洞察力だね。花影さん。一度、皆で話し合うには、機密性の高い場所が良いと思ったんだ」

「…………私も含めて……ですか」


 烈山に向けた意味深な一言は、冷たい空気の中に、溶けてしまった。


「再会した早々、気が早いのでは? 陶大将軍」


 花影の頭巾が、前後にゆらゆら揺れていた。

 様子がおかしい。

 その表情を知りたくて、手を伸ばしたら、間に烈山が入りこんでしまった。


「せっかちなのは、息子の雪己なんだが……まあ、君とそこの御方が出会ったことを聞いた時点で、こうしようとは考えていたかな」 

「…………凌星様。御着席を」


 弱々しい、しかし、真摯な口調で花影は凌星を誘った。


「一体、どうしたんだよ。改まって」

「主役が着席しなければ、永遠に終わりませんから」


 静かな迫力に促されるままに、凌星は嫌々、黒壇の椅子に腰をかけた。


「先生、もしかして……?」

「陶大将軍の御意向です。貴方様の出生に関すること。…………ずっと、お知りになりたかったのでしよう?」

「ああ。……でも」


 …………すべて、知ってしまったら、花影は離れて行ってしまうのだろう。


 それだけは、嫌なのだ。


 彼女の丁重な声の中に潜む感情の波を、凌星は必死に掴もうとしていた。

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