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銀花、煌めく  作者: 森戸玲有
四章
27/57

陸 【小鈴の告白】

◆◆◆


 千李との話し合いが終わり、丁李と顔を合わせた時、彼女はいつもの聞き分けの良い妹分に戻っていた。

 凌星は一体、どんな妖術を使ったのか……。

 小鈴だけが、食卓に姿を現さなかったものの、それもいつものことで、皆で何ごともなかったかのように夕食を囲み、花影は疲労感に沈みながら、納屋に戻った。


 行くと言ったのなら、早い方が良い。


 病み上がりの体調を無視して、花影はありったけの材料で薬を作り、準備を整えていった。

 少しだけ休もうかと、着替えを終えたところで、外から声が掛かった。


「…………ちょっと、話したいことがあるんだけど」

「小鈴殿?」


 寝間着の上に、綿入りの上着を羽織ってから、静かに戸を開ける。

 納屋から向かってすぐ横の馬小屋に明かりはなく、人気はなかった。


(凌星殿は、眠ったのかしら?)


 凌星のやんごとない身分を知った二人は、彼の寝所を変えようとしたが、彼は頑として受け付けなかったのだ。


(こんな夜更けに、何処かに行ったのかしらね……)


 そんなことを考えながら、小鈴に燭台の灯を近づけると、彼女は腫れた頬を撫でながら、気恥ずかしそうに横を向いてしまった。


「べっ、別に、寝てたのならいいのよ」

「今更ですよね」


 花影は散らかしていた薬の材料を仕舞うと、小鈴を室内に招いた。

 花影のまとめた荷物を一瞥した小鈴は「本気なのね」と小さく呟いた。

 それこそ、今更の台詞であった。


「一体、どうしたのです?」


 小鈴は装いは、昼間と同じだ。

 つまり、今まで眠っていなかったということだ。


「もしかして、丁李のことで、落ち込んでいましたか?」

「嫌だわ。落ち込んでなんかないわよ。わたくし、悪くないもの」

「…………そうですか」


 …………どうやら、相当落ち込んでいるようだ。

 しかも、それから、らしくなく、黙り込んでしまったので、花影は困ってしまった。


(話があると言われたのは、私なんだけどな……)


 とはいえ、このまま無言で向かい合っていても、仕方ない。


「えーっと、小鈴殿。今回の件は、貴方が悪くない……とは申しませんが、ここに来てから、貴方は貴方なりに、色々と学ばれたと思います」

「浅氏の横暴を、学んだってこと?」

「あれ? 貴方は彼らの言い分を、信じないのではなかったのですか?」

「嫌味? もはや、信じるとか、信じないとかの問題じゃないわ。わたくしだって、色々見たし、聞いたもの……」


 凌星は、小鈴が一人でここを抜け出して、慈念と家族のもとに行っていたことを話していたが……。

 彼女なりに、すべてが真実であることに気づいてしまったのかもしれない。


「ですが、小鈴殿、浅氏がうんと悪いということではないのですよ。浅 泰全様の性格はともかく、優れた為政者の面もあります。特に、エスティア系の人間に関しては、浅氏の治めている呂県では、手厚い保障などもしているんですから」

「…………まあ、全部、お金のためでしょうけどね」

「貴方、一体どうしたんですか?」


 いつも強気な小鈴が弱音を吐いていることが信じられない。

 花影の眠気は、完全に飛んでしまった。

 下を向いていた小鈴は、ようやく顔を上げた。


「ねえ、これから、陶大将軍のところに行って、貴方はどうするわけ?」

「はっ?」

「貴方は、陶大将軍につこうって言うの?」


 いきなり、真正面から問いかけられて、花影は驚いた。

 どうやら、話したいこととは、そのことだったらしい。


「いえ、別に。そんなこと、思ってもいないですよ。私は、ただ今後の水害ことについて、真剣になってくれる権力者の方と知り合いたいだけです。残念ながら、浅氏の方とは無理そうですから」

「……でしょうね」

「本当……。今日は、やけに物分りが良いですね」


 口調の中に、微かな侮蔑の響きがあったのは、聞違いではなかった。

 今夜の小鈴は、いつもと様子が違う。

 少女らしい、憂いが垣間見えていた。


「わたくし、本当は……あの親子に、浅氏がしたことを指摘された時、とっさに違うと言ったけど、きっとそうだろうって、分かっていたの。でも、父様からは証拠がなければ、絶対に認めるなって、いつも言われていたから」

「……まあ、浅氏らしい教えというか……何というか」

「だから、きっと……父様に河の氾濫のことを伝えても、陶大将軍に付け込む手が増えたとしか思わないでしょう。自分優先に物事を考える。…………それがね……わたくし、当然だと、思っていたの。みんなの言う通りよ。わたくしには、それが絶対だった。王の妃になって、子供を生む。それしかなかったの」


 淡い橙色の灯りが、小鈴の横顔を照らしていた。

 いつもの派手な化粧はない。

 意思の強そうな瞳は、自然体で輝いていた。


(彼女も、少しずつだけど、成長しているのか……)


 今はもう、我儘なだけの子供ではない。

 誤解されやすいが、しっかり、自分の目で見聞きしたことを、信じようとしている。

 今日は、みんなに責められてしまって、少しだけ可哀相だった。


「小鈴殿。それがおかしなことだと、貴方が気づけたのなら、素晴らしいことだと思います」

「そうかしら……。わたくしは不愉快だわ」

「どうして?」

「だって、貴方のせいだわ」

「………………私の?」


 また意味不明なことになってきた。


「本当に、そうよ。貴方が自分のことより、人のことばかり気にするから、わたくしも、気になるようになってしまったのよ。わたくし、こんなふうに、なりたくなかったわ」

「えー……っと。成長したんだなって、私、密かに感動していたのですが」


 ……おそらく、照れ隠しだ。

 素直になれないのが小鈴の特徴なのだから……。


(ここは、私が大人にならないと……)


 けれど、続く小鈴の言葉に、花影の余裕は木端微塵に吹き飛んだ。


「どうせ、今回だって、あの男女……でなく、凌星……様に言い含められて、王宮に行くんでしょう。…………まったく、いくら恋仲だからって……」

「…………貴方、何を口走っているのですか?」


 せっかく、殊勝な態度に感心していたのに……。

 小鈴は、聞き流してしまいそうなほど、当然のように語っていた。


「別にいいのよ。そんな、隠さなくったって……。貴方たちを見ていれば、分かるわ」

「いや、隠すも何も……。私は」


 …………そうだった。

 小鈴は風邪で花影が倒れた際、介抱していた凌星の姿を目撃していたのだった。

 誤解されるのも無理はない……のか?


「平気よ。わたくし、ちゃんと分かっているから。あれは見た目だけは、良いし。惹かれるのも無理ないわ。でも、残念ながら、万が一の可能性で、凌星……様が王位に就いたとしても、貴方が妃になることは絶対に不可能だから、そこのところ、分かっているのかと思ったのよ」

「…………ですから、何もかも、誤解ですって。私のような人間が、そのような野心を持っていると思われること自体、心外です」

「貴方、とことん、素直じゃないわね。いい? 貴方の愛しい男は、さっき宋 珠水と連れだって、どっか行っちゃったわよ。だから、変に期待しない方が良いって、忠告しに来たわけ」

「…………珠水殿と一緒に?」

「そうよ」


 そうか……。

 この時間に、二人で出かけたのか……。

 以前から、彼らの間には立ち入れない空気があったが、そういう関係だとしたら、花影は申し訳ないことをしているかもしれない。


「だから、あの……凌星……様には、とっとと王宮に行ってもらって、貴方は……」

「分かりました」


 花影は腕組みをして、深く頷いた。


「貴方の支離滅裂な言動。小鈴殿、貴方は、この生活を壊したくなかったのですね?」

「……はっ!?」


 驚いた小鈴は、後ろに仰け反ってしまった。


「何言っているのよ。わたくしが、こんな生活、気に入っているわけないでしょう?」

「しかし、ご実家のことを知るにつれて、貴方は戻ることが嫌になってきた。……そもそも、一人で出歩けるほどに、私達は貴方を放置していました。本当に帰りたいと望んでいたら、私などに伺いを立てず、浅氏と連絡を取って、すぐにでも帰ろうとしたはずですよね?」

「違うわ。柳おじさまの言いつけを破りたくないから……わたくしは」

「柳先生と貴方が、そんなに仲が良いとは思えませんでしたよ」


 花影が指摘すると、小鈴は唇を尖らせた。

 変なところで、素直なのだ。


「柳先生の狙いは、貴方を逃がしたかったことと、もう一つ他にあるのかもしれません。私は顛河のこと以外に、それについても知りたいから、王宮に行くのです。これは、最早覆すことは出来ません」

「そんなこと、知ってどうするのよ?」

「さあ、どうするのでしょう。私にもまだ分かりません」

「馬鹿ね。……あいつのためなんでしょう」

「だから、それ違いますから」


 反駁しているのに、小鈴は完全に無視していた。


「いいわよ。もう……。忠告しようと思ったけど、無駄なんだって分かったわ。恋は盲目なんでしょうよ」

「小鈴殿」


 何がどうして、そうなっているのか。

 けれど、小鈴の言うことを、花影は全部否定できないのだ。

 花影の憶測が事実と証明できた時……。

 凌星の立場は、確固たるものになる。

 結局、小鈴の言う通りなのかもしれない。

 花影は凌星を、どうにかしたいのだろう。


 ………………あの人の遺志を、継ぐつもりなのだ。


「ところで、小鈴殿。丁李にはきちんと、謝ったのですか?」

「何よ。急に?」

「どっちなんですか?」

「この家自体が、針のむしろなのよ。逃げることなんてできるはずがないじゃない」


 つまり、渋々だが、謝罪したということだ。

 もっとも、頑固な小鈴は自分に非がないと分かっていたら、絶対に謝罪なんてしないだろうから、このことに関しても罪悪感は持っていたはずだ。 


(見事なくらい、捻くれているな……)


 思ってもいないことを、口にしてしまうのは、周囲の反応を試しているからだ。

 それが分かれば、可愛らしい娘……なのかもしれない。


「貴方はとことん、分かりづらい人ですね」

「……だから、お互い様でしょ」

「丁李には謝ったとのことですし、貴方が本気でここにいたいのなら、私は方々に掛け合っても、良いのですよ」


 宋氏に身の保証を頼んで、小鈴をここに置いてもらう。

 珠水なら、協力してくれるのではないだろうか……。

 そんなことを思案していた花影だったが、小鈴の切り替えは、意外なほど早かった。


「馬鹿言わないで。帰るわよ。わたくし」

「えっ?」

「ここで居候しているより、わたくしにも、何かできることの一つはあるでしょう。余計なことは、しないでちょうだい」

「どうしたんです。今まで嫌がっていたじゃないですか?」

「考えが変わったのよ。それに、宋 珠水に借りを作るのだけは、絶対に嫌」


 さすがだ。

 そういうことに関してだけ、勘働きが良いらしい。


「大体、貴方は人のことで働きすぎなのよ。毎日夜なべして、薬作ったり、一人で勝手に河の氾濫なんて気づいて倒れたり……。気の遣いすぎ。そういう馬鹿なところ、大嫌いだったけど……本当は悪くないと、思っていたわ」

「…………良いのか悪いのか、意味不明ですね」


 げんなりした声音で答えると、小鈴がにっこり笑っていた。

 いつもの高慢さの欠片もない。

 優しい表情をしていた。


「だからね、貴方に餞別代わりに教えてあげる」

「何を……です?」

「ほら、凌星……様のお顔。わたくし、思い出したのよ。あの御顔、先代の紫陽様に瓜二つだわ。わたくし、紫陽様のご尊顔を間近で拝したことがあるの」

「紫陽様と、凌星殿は似ていらっしゃると?」

「もちろん、男装した姿よ。女装だったら、怖いでしょ」

「…………もちろんです」

「貴方が、知りたがっていたことよ」


 袖を引っ張られた花影は、彼女に促されるまま耳を傾けた。

 小鈴は花影の耳元で、か細く囁く。


「……わたくしに、詩を書いた短冊を、欄干の下の銀花に結ぶよう命じられたのは、亡くなられる少し前の……先の国王陛下……紫陽様よ」


 ………………まさしく、それは花影の想像していた通りの答えだった。

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