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銀花、煌めく  作者: 森戸玲有
四章
26/57

伍 【確信】

◆◆◆


 ――翌日。

 花影は、昨日凌星の正体について話した人間全員と、新たに千李を加えて納屋に呼んだ。

 今回こそは、個別に話しているより、まとめた方が早いと、花影は判断したのだ。

 昨日から、丁李も小鈴も個別に花影と話したい様子だったが、すべて今日に話すと先送りした。

 千李には、誰も事情を話していないようだったが、何となく察したのだろう。

 緊張した面持ちで、花影を凝視している。

 ごくりと丁李が息を呑んだのを合図に、花影は一晩考えて決めた自分の考えを告げた。


「……私は、凌星殿と王宮に行きます」


 ――一言。

 最初に決定的な言葉を発した為、全員すぐには反応がなく、しばらく固まっているだけだった。

 微妙な沈黙を破ったのは、凌星だった。


「なあ、本当に来てくれるのか? そう言って、途中で帰ったりとか……」

「まるで、子供ですね。めちゃくちゃな要求を押し付けて来たのは、貴方ではないですか。河の氾濫については一刻を争う状態のようですから。私如きでどうにかなるかは分かりませんが、貴方が王宮に行くことで、出来ることは大きいと思うんですよ」

「…………へえ。それなら、別に良いんだけど」


 凌星の澄んだ眼差しが、一途に花影に向けられていた。

 彼は単純に花影のことを訝しく感じているだけだ。


(分かっているのに……)


 花影の鼓動は、理性とは真逆に速くなる。

 そんな自分が恥ずかしくて、嫌だった。


「と、ともかく、顛河のことも気になりますし、支度が出来次第、私は凌星殿と一緒に王宮に行きます。小鈴殿は、浅氏の領地、県に帰れるように手配を……」

「あっ、その件なら、お任せて下さい」


 珠水が、講義の時のように、小さく手を挙げた。


「当家は今のところ、中立です。先日彼女は、一人で外に出たら、死ぬだの騒いでいましたので、こちらの方で護衛して、彼女を無事に大司政のもとに送り届けましょう。浅氏に恩を売ることが出来ますから、こちらは大歓迎ですよ。本当はもっと早くそうしようと思っていたのですが、こちらの方に止められていましてね」

「それ、言わなくてもいいことだよな?」


 凌星が背後の珠水を振り返る。

 しかし、彼女のすぐ隣に座っている小鈴が身体を震わせていることに気づいて、彼は苦笑しながら、花影に視線を戻してきた。


「小鈴殿、どうしたのです?」


 渋々、花影は小鈴に尋ねる。

 小鈴は上目遣いで、花影を睨んでいた。


「勝手に決めないでって、いつも言っているじゃないの」

「……はい?」


 花影には、まるで理解できない。


「なぜ……? 貴方は安心のできる両親のもとに戻りたくないのですか? こんなに良い機会、またとないじゃないですか?」


 だが、小鈴は頬を膨らませるばかりだ。

 相変わらず、よく分からない娘だった。

 彼女が反抗することなど、思いつきもしなかった花影には、小鈴の複雑な心理状態がさっぱり分からない。

 けれど、一番近くにいて、理解しているつもりだった丁李の気持ちも、花影は分かっていなかったらしい。


「…………先生? まさか、私を見捨てるつもりなんですか?」

「はっ?」


 ふと横を見遣ると、花影の傍らに座っていた丁李が漆黒の双眸を潤ませていた。


「どうしたんです? 丁李」


 幼いころから、丁李の面倒は見てきたが、こんなことは、初めてだった。


「凌星さんと、二人で王宮に行くと、先生は仰いました」

「ええ、そうですよ。私は……渋々ですけどね。凌星殿と王宮に行って、顛河の氾濫について調べなければなりません。一応、作れるだけ薬を作っておきますから、もし、慈念さんの娘さんの薬代が足りない時は、それを売って、多少お金にするように、話して下さいね」

「そのくらいなら、母にだって出来ますよ」

「……丁李」

「私は、先生と一緒に行きます」


 必死な形相で、丁李が花影の漆黒の衣の袖をつかんだ。

 この子はずっと昔から、花影を姉のように慕ってくれていた。

 もしも、それほど危険がないと分かっていたのなら、これほどまでに花影について来ようともしなかったはずた。

 本能的に、花影の身に危険があることを、察知している。

 花影が王宮に赴く理由が、顛河の氾濫以外にあることにも、気づいているのだ。


「しかし、丁李。私はもう決めましたから」


 花影は揺らぎなく答える。

 危険があるのなら、尚更丁李を巻き込むことはできない。

 決断は、絶対だったはずだ。

 けれど、思わぬところから、丁李を擁護する声があがった。


「あの……花影さん」


 後ろに座していた千李が、小声で話しかけてきた。


「私なら、一人でも大丈夫ですよ」

「千李さん?」


 丁李の肩に手を置いて、千李はいつもの如く、淡い笑みを浮かべている。


(…………どうして?)


 その姿に、花影が感じる違和感は、一層強まった。

 そして、疑念も……。


「この子で、役に立つか分かりませんが、体力と根性はあると思います。私はそれこそ、お金なんていりませんから。どうか、丁李を連れていってくれませんか?」 

「貴方は……」


 おかしな人だ。

 丁李は、大事な一人娘ではないのか……。

 今の王宮が安全な場所でないと分かっているのなら、それこそ、絶対に娘を差し出してはいけないのだ。

 それなのに、千李は何の躊躇いも見せなかった。

 答えは簡単だ。


 ――彼女は、花影のために、丁李を送りだそうとしているのだ。


「なあ……先生。いっそ……」

「いいえ」


 私情で介入しようとしている凌星を、花影は一蹴した。


「丁李……それに、千李さん。私が王宮に行ってしまったら、なかなか戻って来ることは出来ないと思うのです。万が一、顛河が氾濫したとき、ここも無事ではないかもしれません。千李さんだけでは心配です。二人は一緒にいて下さい。私は、これを譲るつもりはありません」

「先生は、どうして、そんなに頑固なんですか?」

「今回ばかりは、聞き入れて下さい。ね?」


 大丈夫という意味合いで、何度か頷いてみせたが、丁李はとうとう泣き出してしまった。

 それをまた、挑発するように、小鈴がせせら笑っている。


「あらあら。大好きな先生に見捨てられて、泣いちゃって。かわいそうに。でも、このエスティア人だって、息巻いて王宮に行くと言ったって、河の氾濫を……。一介の学司風情が……しかも、蛮国の人間なんかに、どうにかできるものでもないでしょう? 余計なことに手を出さず、逃げる算段をしていた方が良いんじゃないの? 今から考えを……」


 ――と、そこで、ばちんと音を立てて、丁李の平手が小鈴の頬に炸裂した。


「…………こらっ! 丁李っ!」


 瞬時に、千李が丁李を取り押さえる。


(ああ……何で、こんなことに……?)


 めちゃくちゃだ。

 丁李も、最後まで小鈴の話を聞いていたら、決して、花影を馬鹿にしたわけではないことが分かったかもしれないのに……。 

 ぶたれたこと自体、生まれて初めてだったらしい。

 小鈴は赤くなった右頬を押さえて、呆然となっていた。


「あっ、貴方なんかに何が分かるのです? いつも他人任せで、文句を垂れ流しているだけの良家の子女なんかに! 貴方がしていることは、依存先を実家から国王に変えようとしているだけじゃないですか」

「もういいでしょう。丁李。おとなしくして……」

「いいんだよ」


 立ち上がって諌めようとした花影の袖を凌星が掴んで、首を横に振っていた。


「言わせてあげなきゃ……」

「凌星殿?」


 大人びた顔で、こちらを見返す凌星に、花影は身じろぎできなくなってしまった。

 丁李は泣きながら、叫んだ。


「先生は、学ばなければ生きていけなかったんです。小さい頃から一人でずっとあの薄暗い図書搭で、小さく身を潜ませて生きてきたのです。私のことは構いません! でも、先生のことを侮辱したら、絶対に許しませんから!!」

「……な、何よ。本当のことでしょうが!」


 ようやく、我に戻った小鈴が態勢を整えて、立ち上がった。

 鼻息荒く、丁李に掴みかからんとしたところで、今度は珠水が間に立っていた。


「何よ。宋 珠水! 邪魔よ! どきなさい!!」

「……嫌ですよ。貴方も浅氏の娘なら、これ以上、面倒事を起こさないでください」

「はっ、何よ! いかにも自分は正しいって顔しちゃって。そういう貴方の澄ましたところ、わたくし、前から気に入らなかったのよ!」

「小鈴殿。私は澄ましているのではなく、ただ、あきれているだけです」


 珠水は、相変わらずの無表情で淡々と言い放った。


「これが、あの大司政、浅 泰全の娘だと思うと、いつも私は貴方を憐れんでいました」

「あっ! 貴方も、私を馬鹿にするつもり?」

「いいえ。本当のことを伝えただけです。貴方は余計なことは一切考えず、ただ、ひたすら王の寵愛を得ることだけを考えるように、育てられたのでしょうね。他に生き方を知らずに、可哀想に……。しかし、今までならともかく、これからの時代、それが通用するんでしょうかね?」


 彼女の視線の先に、凌星があった。

 小鈴も、そのことに気づいている。

 気まずそうに、小鈴が横を向いたところで、凌星が迷惑そうに前髪を掻き分けた。


「おいおい、勝手にそっちの喧嘩を、俺に振るなよな。まだ、俺は何も宣言していないんだからな」


 その言葉が、再び沈黙を呼び込んだ。

 辺りが落ち着きを取り戻したところで、嗚咽を堪えていた丁李が、納屋の外に駆けだした。


「あっ……ちょっと、待って!」

  

 花影が手を差し出して追いかけようとした矢先に、今度は小鈴が外に出て行ってしまった。


「…………まったく、どうして?」


 立ち上がって、疲労困憊で腰に手を当てた花影を珠水が覗き込んでいた。


「先生も、子供のお守りまでしなくちゃならないなんて、大変ですね。特に、ここに大きな子供がいますから。疲労感は半端ないでしょう?」

「いや……その」


 まあ、凌星に限っては、無駄に心拍数を上げられている分、疲労はしているのかもしれない。

 戸惑う花影の心情を知ってか知らずか……


「はいはい、どうせ俺は大きな子供ですよ」


 言い返しながら、凌星が身体を起こして、すたすた歩き始めた。


「小鈴が癇癪かんしゃく起こすのはいつものことだけど、丁李は深刻そうだから、ちょっと様子を見て来るよ。……元々、俺のせいでもあるしさ」

「いえ、貴方にそんなことは……。丁李は私の妹のような子です。私が行って……」

「いいや、だからこそ、先生と千李さんは、ここにいた方が良い。赤の他人の俺だから、言えることってのもあるだろう?」

「…………しかし」


 花影が千李と顔を合わせると、凌星が引き戸を開ける手を止めて、笑いながら振り返った。


「それにしても、先生って、愛されているな」

「はっ?」

「丁李も千李さんも、まるで、本当の家族みたいだ」


 ……………………家族?


 多分、彼にとっては、単純な思いつきで、発言しただけのこと。

 他意はない。

 けれど、その波紋はじわりと広がり、絶対となった。


 締め切った納屋の中。


 微妙な緊張が漂う中で、何かを察した珠水が「では、私はこれで……」と言い残して、去って行った。


「…………千李さん」


 花影がそっと声を掛けたら、彼女はびくりと震えた。

 まるで、待っていたかのような、けれど、怯えているような……その気配。

 その感情の機微を手に取るように感じながら、花影はすっと目を細めた。


「今少し、お話があります。お付き合い頂けますか?」


 拒否する権限などないとでも言うように、千李は深く首肯したのだった。

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