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銀花、煌めく  作者: 森戸玲有
四章
24/57

参 【凌星の正体】

◆◆◆


「あら? 派手に体を壊して、病み上がりのくせに、随分と元気そうじゃないの?」


 気が付くと、小鈴が狭い納屋の中央を尊大に陣取っていた。

 彼女の横で、それに白い目を送っている丁李と、困惑している凌星がいる。

 ――そして。


「ご無沙汰しております。先生」


 さらさらの黒髪を無造作に一つに束ねている、中性的な少女。

 若草色の深衣に綿入りの深緑の羽織姿は、赤系統の色を好む小鈴と対照的に、少年のように凛々しかった。

 そう 珠水しゅすい

 あの日別れて以来、姿を見せなかった彼女が違和感なく、凌星の後ろに控えていた。


「……珠水殿は、私の顔を見ても、まったく驚いていないようですが?」

「ええ。王宮から逃げ出した夜の日に、お顔と髪色のことは、確認してましたから」


 分かっていて、素知らぬふりをしていたとは、恐ろしい。

 彼女の吐いた虚言の数々を、丁寧に暴いていっても、良いのだが……。

 しかし、今はそれどころではない。


「凌星殿、私は貴方が外出から戻り次第、二人で話がしたいと、千李さんに伝えたはずですが?」

「仕方ないだろ。みんな、ついて来ちゃったんだから。特に、小鈴なんか珠水殿の顔を見た途端、同席させろと奇声をあげやがって大変だったんだ」

「それは大変でしたが、人数が多いと、話がなかなか進みません」

「奇声って何よ!」

「奇声ですよね」


 花影が的確に指摘すると、凌星が薄ら笑いを浮かべていた。


「あのさ、先生。突っ込むところ、そこなわけ?」


 小鈴よりも前に出て、花影と向かい合うように座った凌星は、初めて会った時のように、後ろに手をついて楽な胡坐をかいた。

 端正な面立ちに、きりっとした眉、薄い唇。男性にしては撫で肩だけど、筋肉質な腕をしている。


(いけない、いけない)


 感触まで思い出してしまい、花影は自己嫌悪に陥った。

 どうしても、あの夜のことがチラついてしまい、集中できない。


「あ、貴方には、お仲間がいらしたようですから、それが珠水殿だったとしても、何ら驚きはありません」

「ちょっと待って。そこは、驚きなさいよ!」

「えっ?」


 なぜか、小鈴に叱られてしまった。

 病み上がりの身体だからこそ、彼女の声は激しすぎる。

 花影が目を回していることも放置して、彼女は激情をまき散らし続けた。


「一旦別れたふりをして、わたくしのことを探っていたのよ。……で、この男女は陶大将軍の縁者か何かなのよ! 酷いと思わないの」

「酷いもなにも、大体、分かっていましたから……」

「何ですって!?」


 大口をあんぐり開けたまま、硬直している小鈴を押しのけるような形で、丁李が割って入ってきた。


「先生は、気づいてらっしゃったんですか?」

「ええ。何となくだったので、貴方たちにはまだ伝えていませんでしたが」

「では、先生。路上で薬を売った際に、凌星さんと接触をはかっていたのは……?」

「じゃあ! 貴方、あれが偉 伯豹だって、知っていたわけ……!?」

「えっ? 偉……氏だったんですか。すいません。それは知りませんでした」


 まさか、大司尉だったとは……。

 図書塔に好んで訪れていた陶大将軍が珍しいのだ。

 軍部の人間の顔など、花影は知らない。

 だから、浅氏の娘である小鈴の言い分は正しいのだろう。


(それにしても、よりにもよって……)


 凌星が大物であることは、分かっていたが、今回の首謀者自らが凌星に接触を持っていたとは、恐ろしかった。


「三公の一、大司尉自らがわざわざいらっしゃるとは」


 大将軍、大司尉がこの場所を知っているということだ。

 いざとなったら、殺されても仕方ない、究極に危険な状態に花影たちは置かれているのだ。

 こんなことになるのなら、あのまま、後宮にいた方が良かったのではないか?

 少なくとも、千李を巻き込まずに済んだはずだ。


「ほら、やっぱり、見つかっちゃってるじゃないですか。しかも、大司尉になんて……」

「うっさいな」


 凌星は珠水に言い返していたが、その眼差しは、ひたと花影に向けられていた。

 意図して見つめられていることに気づいてしまうと、謎の動悸で息苦しくなる。

 思った以上に、彼と目が合わせられないことに、花影は愕然としていた。


「……ということは、わたくしの居場所はすでに、大司尉、大将軍に知られているってことでしょう。今すぐ投降しろってこと?」

「大丈夫ですよ。小鈴殿」


 珠水がにっこり笑顔で、淡泊に言った。


「大司尉も、大将軍も貴方のことなど、微塵も気に掛けてないみたいです。誰も手を出して来ないでしょうから、今すぐ、ご両親のもとに帰っても、何ら問題はないです」

「あのね、貴方……。そんなこと言って、一人になった途端、殺されかかったら、どうするのよ!」

「平気、平気。ここにいたって、丁李の目を盗んで、一人で出歩いたじゃないか。大丈夫だろ?」


 凌星が首を回しながら、悠然と答えた。


「……小鈴殿、私の目を盗んで、一人で出歩いていたんですか?」


 丁李が呆然と問いかけた。

 花影がじろりと睨むと、みるみる小鈴の顔は真っ赤になっていった。


「ただ……お腹がすいたから、市場の方に行っただけよ」

「いいや。何だかんだで、例の家族のことを気にしていたらしい。市場に様子を見に行って、その足で色々と浅氏に関しての情報を聞き出していたみたいだな」

「な、何で、貴方が知っているのよ!」

「知ってるさ。慈念のおっさんに、仕事を斡旋したのは俺だからな。ちょくちょく、様子は見に行っているんだ」

「覗き見していたのね。いやらしい」

「悪態ついても、駄目ですよ。小鈴殿。こんなに私たちが警戒していたのに、一人で出歩いた貴方に非があります」


 花影が真顔で説教すると、小鈴は立ち上がって、怒鳴りつけてきた。


「はっ! 貴方が軟弱に倒れるから、いけないんでしょう! みんな貴方の看病ばっかりで、わたくしの世話を怠ったから!」

「なっ!? 何で、貴方の世話を私たちが好きこのんで、しなきゃならないんですか!?」


 丁李も小鈴に対抗するように、声を張り上げた。

 この二人、年齢が近いせいか、本当に喧嘩っ早くて、困ってしまう。


「まあまあ……丁李。そのあたりで。一応……それでも、小鈴殿は無事だったんですから」

「でも、先生!」

「ともかく! その話は後で。私は凌星殿に返してもらいたいものがあったので、ここに呼んだんです」


 ぴしゃりと花影が言い放つと、渋々ながら二人は静かになり、皆の視線が一斉に凌星へと移動した。

 凌星は想定していたのだろう、平然と頬を掻いていた。


「別に、あの書きつけ返しても良いけどさ。これ……あんた一人でどうにかなる問題でもないだろ?」

「…………凌星殿」


 珠水を連れてきたところから、手遅れなのは、気づいていたが……。


(調べたんだな……)


 彼ならそうするだろうと、分かってはいた。


「あれらの書きつけは、あくまでも私の記憶の中を留めただけですよ。別に必ずしも、そうなるということではありません」

「それでも、もし本当に起こったら、一大事じゃないか。だから、俺は嫌々ながら、宋家に話を通したんだよ」

「大騒ぎは良くありませんよ。まだ起こると決まったわけでもないのに……」

「先生、恐れながら、起こってからでは、遅いのです。貴方もそう思ったはずでしょう。これは国家規模の話なんですよ」

「珠水殿……」


 鋭い。

 実際、そう思っていた花影は、黙り込むしかなかった。


「ちょっ、ちょっと三人して何? どういうことよ?」


 話題に置いてけぼりの小鈴が珠水と花影の二人を見比べて、おろおろしていた。

 珠水は小鈴を無視して、花影に向かって語り始めた。


「先生。貴方もご存知のとおり、私の父は国の土木工事の最高責任者である大司天です。治水に関しても、資料だけは山程扱っています。現存する資料と先生の記録を見比べましたところ……色々、確認することが出来ました」

「……やはり、今年は危うい気配があるのですね?」

「はい」

「どういうことですか?」


 今度は、堪りかねた丁李が、花影に訊いてきた。

 大切な妹分に黙っているわけにはいかない。

 花影は努めて冷静に説明した。


「丁李。実は、まだ確定ではありませんが、もしかしたら、秋に顛河が大氾濫するかもしれないのです」

「…………え、あの? ……あの、顛河がですか?」

「はい」


 まったく、実感がわかないのだろう。

 丁李は、大きな双眸を瞬かせている。

 当然だ。花影とて、よくわからないのだから。

 ここ五十年ばかり、大洪水は発生していない。当時の事情を知る人は、五十歳以上に限られている。


「つまり、ここは戦場になるのが早いか、水害に遭うのが早いかってこと?」


 こういう時だけ、小鈴は的を射たことを言うのだ。

 凌星が思案顔で、腕組みをした。


「いや、戦争は人間の力で、回避することも出来るけど、天災はどうにもならないからな。水害対策が急務だろう。一応、川沿いに土手は築いてあるから、あそこを補強して、新たに堤を作ったりすれば、防げるんじゃないか?」

「簡単に言わないでくださいよ。凌星殿。それを実行するには、権力、財力、労力すべてが必要になります」

「先生は、無理だと言うのか?」

「独断で国家予算を好き勝手できるような人間が陣頭指揮を執るのなら、出来ないことはないでしょうけど」


 含みを持たせて答えると、凌星は初めて花影から目を逸らした。


「えーっと、ほら……じゃあ……さ。小鈴にお父様に喧嘩はやめてって泣きついてもらって、玄瑞と休戦しよう。金銭面の支援を訴えて、水害に備える手筈を整えたのなら……」

「ふざけてるの? どうして、わたくしがそんな惨めなことをしなきゃならないのよ?」

「別に惨めでもいいじゃないか。水害で沢山の犠牲が出るかもしれないんだ。戦は為政者同士で勝手にすれば良いけど、普通の人が大勢死ぬのは理不尽だろ。あんただって、一応良心は持っているようだし、一肌脱いでくたれって」

「それを言うのなら、貴方のほうじゃないですか、凌星殿。……何を、逃げているのです?」

「……先生」

 

 凌星の目は、みるみる大きく見開き、やがて、苦笑いに変わった。

 その横顔の輪郭を、花影は記憶に遠い面影に重ねる。

 初めて会った時から、凌星のことを懐かしいと思っていた。

 その答えを、既に花影は見つけていた。


「凌星殿。もはや、貴方の正体を隠したままで、話は進みません。だから、二人で話をしたいと伝えたのに、皆連れて来るのですから……」

「はいはい。すいませんでしたって……。でも、どうせ小鈴にも怪しまれてるし、もういいから」


 「どうぞ、先生……」と、凌星が疲れた声音で突き放す。

 本当は、まだ少し……迷っていた。

 彼の正体を暴くということは、今の生活という魔法を解いてしまうことなのだ。

 だから、凌星も自分からそれを話したくないと、花影に弱音を吐いていた。


 …………でも、もう。

 時間切れじゃないか。


「貴方こそが今回の叛乱の主役。先代国王、けい 紫陽しよう様の御落胤。……そうなのでしょう?」

「……………まあ、普通、バレるよな」


 凌星は拍子抜けするほど、あっさりと認めたのだった。

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