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銀花、煌めく  作者: 森戸玲有
四章
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弐 【疑惑】

◆◆◆


 ……熱が下がらなかった三日間。


 花影は、千李に養育されていた頃の記憶を、おぼろげに思い出していた。

 彼女は、溢れるばかりの愛情で、花影を包んでくれていた。

 たまに熱を出した日は、付き切りで看病してくれて、小さかった花影は千李のことを、実母のように『お母さん』と呼んでいた。

 その時のことがあるから、彼女はいまだに我が子のように、花影を心配してくれるのだろうか……?


「本当に、もう大丈夫なんですか?」

「ええ。もうすっかり良くなりました。千李さんと、丁李のおかげです」


 花影の身体にかけられた毛布の数が、二枚も増えている。

 千李の配慮だろう。

 この親子には、一生頭が上がりそうもない。


「でも、花影さん。いくら良くなったと思っても、あと数日は休んでいなければ駄目ですよ。風邪は病み上がりが一番怖いんですからね……」


 あと数日という言葉に、花影は過敏に反応した。

 顛河のことだって、半端な状態なのに、寝たきりでなんかいられない。


「もう大丈夫ですって。そんなに寝てられませんよ」

「でも、凌星さんとは、いまだに会うことを嫌がっているじゃないですか」

「それは…………」


 どうしてなのか?


 ………………抱きしめられた。


 たった、それだけのことで、花影は動揺している。

 彼は単純に熱が出た花影を介抱していただけなのに…………。


(その程度のことで、私、何でこんなに意識してるんだろ)


 彼には聞きたいことが山ほどあるのに、合わせる顔がないのだ。

 こんなにも弱い自分を、花影は誰にも知られたくなかった。

 

「まあ、仲が良いことは、いいことですけど……」

「そういうのとは、違いますって」

「本当は会いたいんでしょう。会って差し上げたら良いではないですか」


 千李は、たまにぐさっと刺さることを指摘する。

 そして、押し黙ってしまう花影に、彼女は目尻に皺を刻んで、親しみを滲ませながら微笑むのだ。


「まあまあ、凌星さんのことは、ともかく。貴方は、この機にちゃんと休んだ方が良いんですよ。他のことは気にしないで、寝ていてください」

「……しかし、今の私には、貴方にお返しするものが、何もありません」

「私はお金なんていらないって、お話ししましたよね?」


 気安く言いながら、千李は特製の木の実入りの粥を、花影に手渡した。

 茶碗から立ち昇る湯気が優しかった。

 かえって毒になりそうなほどに…………。


「無償というわけには、いきませんって」

「花影さんは、強情ですね。いらないって言っていますのに」


 肩をすくめる千李が纏っている浅黄色の深衣。

 目立たないが、ところどころに継ぎ接ぎをしていることに、花影は気づいていた。


「それに、花影さん、無償なんかじゃないんですよ。流月さんも、貴方も毎月私に送金してくれました。貴方には絶対にいらないって伝えたのに、それでも、毎回、お金を送ってくれましたよね。私は、それで充分」

「送ったお金は、私達の生活費ではありません。千李さんに対する慰謝料ですから」

「やめてくださいって」

 

 千李の最初の夫は、流月が暴漢に絡まれているのを助けようとして、命を落としたのだと、聞いていた。

 その人は、母とは幼馴染で、共にエスティアとの混血児だったということも……。

 だから、流月は千李のもとにやって来ると、その都度、金を渡していた。

 流月が亡くなってからは、花影がそれを引き継いでいた。

 母の時代ほど、お金も出せていないし、丁李の給金だって、ほぼ無償に等しいのに……。


(どうして、この人はここまで私に良くしてくれるんだろう?)


 最初の夫がエスティア系だったことに対しての親近感……なのか。


「私はね、元々、賑やかなことが好きなんです。生計だって、裁縫の内職と、近くで野菜を育てていますから、困ることはないんです。花影さんさえ良ければ、ずっと三人で一緒に暮らすことだって……」

「待ってください。それは、さすがに……」


 花影が顔をひきつらせていると、千李はこちらの戸惑いを見越して、いつもの明るい調子で「冷めないうちに、早く食べて下さい」と促してきた。

 確かに、冷めてしまっては申し訳ない。

 花影が急いで粥を口に運んでいる間、千李は独り言のように、隣で喋り続けた。


「貴方は立派にお育ちになった。正直、流月さんは、貴方に対して、少々厳し過ぎないかと思ってはおりましたけど……」

「そんなことはありませんよ」


 食べ終わった花影は、彼女の話にうなずいた。


「母は王宮で学司として生きていく厳しさを、私に教えたかったんでしょうから」

「…………でも、私は貴方が学司を継ぐ必要があったとは思えません」

「そう……ですか?」


 口調に棘のようなものを感じて、花影は粥から視線を上げる。


「千李さん?」 

「ああ、ごめんなさい。いえ、王宮って怖いところだって聞いていたから。今は丁李も働いているし、そんな気持ちはないんですけどね」


 いつもの柔和な面持ちを取り戻した千李は、花影の手から空になった茶碗を自然に取り上げた。


「すいません。余計なことを」

「いえ、別に。そんな……」


 むしろ、初めて彼女の本音を聞いたようだった。

 古い付き合いではあったが、こんなに長く生活を共にしたことはなかった。

 よく見知っている人物でも、ずっと一緒にいると、分からないものも見えてくる。


(何か、おかしい……)


 今まで、そういうことだと、考えもせずに受け流してきた何か?

 重要な見落としが、千李と自分の間にあるような気がしてならなかった。


(また変なことに勝手に気づくなって、凌星殿に言われてしまいそうだけど……)


 気になってしまうのだから、仕様がない。


「千李さん、私はどうして三歳までここで暮らしていたのでしょうか?」

「急にどうしたんです? 後宮に赤子を連れて行けないと、流月さんが私に預けて行ったんですよ」

「私……あの頃、貴方のことを『お母さん』って呼んでいませんでしたか?」

「貴方は、私によく懐いてくれました」

「ええ、懐いて……いましたよね」


 その……歯に何か挟まったような、物言いが引っかかる。

 花影はエスティア人の特徴を色濃く引いていたから、流月と親子だと信じて疑わなかったが……。


(私、本当に母様の子なのかしら?)


 物思いに沈む花影に、千李は不自然なくらい慌てて、話題を変えた。


「その、実は……近所の人から聞いたんですけどね。今朝、陶って人が陛下の罪状を責めるような……果たし状みたいなのを、みんなが集まる場所に、掲示したみたいで……」

「弾劾状……ですか?」

「そうそう、それを至るところに、立て札で……」

「そう……ですか……」


 頭が痛い。


 ……いよいよ、陶大将軍が動き出したのだ。


 また厄介事が増えてしまった。


「それで、先の国王陛下のことについても触れていたらしくて」

「先の国王って……?」


 ………………けい 紫陽しようか。

 最近よく耳にする御名だ。


(陶大将軍も先代国王の死は、暗殺だと思っているってこと……?)


 しかし、千李の話は、花影の想像した内容とは、まったく異なっていた。


「なんでも、先の国王陛下には御子がいらしたそうでしてね」

「はっ?」

「その御子こそが、正当な王なのだと……。花影さん、そんな噂話、聞いたことありますか?」

「いいえ、まったく……」


 どうして、そんな重要なことを、花影は知らないのだろう。

 まるで、その手の噂話が一切、花影のもとには入って来ないよう、操作でもされたように………。


(弾劾文。……有効な手だわ)


 陶大将軍は、いきなりの謀反に戸惑っている人心に、自らの正当性を訴えようとしている。

 でも、目的はそれだけではなかったのではないか?


 …………もしも、特定の人物にあてた手紙の意味も含んでいたのなら?


「やはり…………」


 高熱で滞っていた思考が、一気に花影の脳内を駆け巡った。

 思考に気を取られ、前のめりになった途端、肩にかけていた羽織がはらりと布団に落ちた。


「花影さん、羽織落ちましたよ。また、そんな顔して……」

「ああ、すいません。またぼうっとしちゃって」

「心ここにあらずな顔ですよ。どこかに、駆け足で行っちゃいそうな……」


 千李が羽織を拾って、花影の肩にかけてくれた。ついでに、ぽんぽんと両肩を叩いてくれる。

 その親しい距離が、遠い思い出の蓋をあけて、花影を揺さぶるのだ。


「もし、先代国王に御子がいらっしゃるとしたら、私と歳は近いでしょうね」

「王宮の…………先代国王の御落胤……ですか」

「気になりますか?」

「まあ、私も光西の人間ですからね」


 千李の暗い声音。


(違うな…………) 


 彼女の気にしているのは、政情不安ではない。

 もっと違う何かだ。

 心の内を探るつもりで、千李を凝視すると、視界の隅に花影の使っていた文机が映った。

 綺麗に片付いている。


「あっ…………」

「どうしました?」

「そういえば、千李さん。倒れた時に、私が書き散らかしていた紙類は何処に……?」

「えっ、何のことですか? 丁李と私が来た時には、片付いていましたよ」


 千李は、きょとんとしていた。

 ――……ということは?


「凌星殿は、今どこでしょう?」


 千李や丁李なら、ともかく彼が持って行ったとしたら、一大事だ。


 私的な思いなど、どうでも良い。


 …………どうしても、彼には会わなければならないようだった。

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