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銀花、煌めく  作者: 森戸玲有
四章
22/57

壱 【図書塔にて】

◆◆◆


「静かじゃの……」

「そうですね。今年は暖かく、穏やかな日が続いていますよ」


 昼下がりの王宮・図書搭の一室。

 乱雑に積み重なった蔵書の隙間から、差し込む一筋の光。

 その明かりを背にして、烈山れつざんの前に座っている白髭の老人、りゅう 周庵しゅうあんは、過去三代の王に仕えてきた生ける歴史のような人だった。

 幾多の修羅場を乗り越えて来ただろう周庵は、この緊急事態においても、黒檀の机に用意した温かな茶を、安閑と啜っている。


(まあ、私も似たようなものか……)


 鎧を身に着けていないどころか、真っ昼間から、軽装姿で老人と茶菓子を囲んでいるのだ。

 士気が下がるようなことをしているのは、自覚していた。


「先生。ちなみに、お加減はもう宜しいのですか?」


 周庵とは、時間を割いて話したいと長い間、打診していたが、具合が悪いと言われて、断られ続けていた。

 もちろん、強引に会うことも出来たが、元々面倒臭がりな烈山だ。

 それなら、別日で良いと引き延ばしていたら、月日があっという間に経過してしまったのだった。


(仮病だろうとは思っていたけど、やっぱりだったか……)


 周庵は、元気そうだ。

 茶を飲み干した後、油で揚げた米粉の菓子を、美味しそうに頬張っている。


「加減も何もなあ……。元々、私は健康が取り柄じゃった」

「やっぱり」

「あんた方のせいじゃぞ。派手なことをやるから、私も疲れてしまったのじゃ。止むを得ず、叛乱するにしろ、もう少し、穏便に出来なかったかの?」

「穏便にやったら、私たちが死んじゃいますからね」


 烈山も周庵に合わせて、ゆったりと話した。


「どうせ、エスティアに送られて死ぬのなら、こちらで死ぬのも同じ……ということか?」

「その理由が半分……」

「残り半分は?」

「貴方の方が、よくご存知でしょうに?」


 やんわり探ったつもりだったが、その手には乗らないらしい。

 周庵が黙ると、一瞬で森閑に陥った。

 耳を澄ませば、小鳥のさえずりが聞こえてくる。

 確かに、春を感じる、麗かな日だった。


「……それにしても、さすが穏健派と呼ばれる烈山殿じゃな」

「えっ?」

「後宮の妃、八之宮の妃候補の娘達を無傷で実家に帰し、官吏の役職も、浅氏派か否かで、排斥するようなことをしなかった」

「私は本来、平和主義でしてね」

「王宮の機能をそのままに残して、丸ごと誰かに譲ろうとしているのかの?」

「事を荒立てれば、瓏にもエスティアにも睨まれます」

「…………残念ながら、あの者は王を継げんよ」


 多分、止むを得ずだろう。

 周庵が核心をついてきた。

 その話をしなければ、烈山との話が終わらないと悟ったようだ。

 つまり、その者の存在を、象徴として戦おうとしている、こちらの敗北を指摘しようとしているのだ。

 しかし、烈山にはまるで意味を為さない言葉だった。

 ――逆に、周庵の思惑を知る、決定的な一言になった。


「あの者とは、誰でしょうかね?」


 安閑と構えていた烈山の目が鋭く光る。


「貴方がずっと……隠していた者のことですか?」

「何が言いたいのかの?」

「老いとは恐ろしいことですね」


 自らの白髪交じりの頭髪を撫でつけながら、烈山は同情的に目を細めた。

 図書搭の主は、年を取りすぎたのだ。

 先代国王は、この老人のことを決して疎かにしなかった。

 しかし、今の国王は違っていた。

 玄瑞は、元々、警戒心の強い人間である。

 浅氏に口止めしたのなら、この老人が何も知らないのも、無理はなかった。


「あの夜、光和殿での宴が何の目的で催されたのか、貴方はご存知なかった?」

「それは……どういう?」


 白い眉を顰めた周庵の前に、首尾よく現れたのは息子、雪己せっきだった。


「これを……」


 まるで、この時を待ち構えていたかのように、作成したばかりの『玄瑞に対する弾劾文』を、周庵に手渡す。


「あの、雪己?」


 息子の乱入を予想していなかった烈山は、不機嫌に腕を組んだ。


「いきなりやって来て、何だ。柳先生に失礼じゃないか?」

「ああ、久しぶりです。父上。仕事をまったくせずに、午後のお茶会を楽しんでいるようで、なによりです。その、仕事をまったくしない人が、仕事の話をしに来た私に、説教ですか?」


 ああ……。

 笑顔に殺意も混じっていて、毒々しさが倍増している。

 しかし……だ。

 息子の迫力には、負けられない。

 烈山も、父親として言わなければならないことがあった。


「なあ、雪己。私としては、この弾劾文、もう少し、言い方を工夫しても良かったような気がするんだけど?」

「おや? 不服ですか? 内容に関しては、私に一任されたはずです。今更、文句を申されても困ります。それに、もとはと言えば、貴方がきちんと、あの方に説明しないから、いけないんです。もっと早く説明しておくべきだった。違いますか?」

「…………私が悪かったよ」


 こちらが説教したつもりが、逆に言い含められてしまうから、困りものだった。


(……やっぱり、全部、話すんじゃなかったな)


 あの方に、説明するより早く、息子に真実を話してしまったのは、失敗だった。

 ……だが、今後の対策にはなるはずだ。

 多分だが……。


「これは…………その、本当に?」


 雪己の文を読み終えた周庵は、焦点の定まらない視線のまま、痩躯を小刻みに震わせていた。

 軽く頷き返してやると、周庵はみるみる顔面を蒼くしていった。


「私は、失礼する」

「お待ち下さい。貴方にはまだお聞きしたいことがあります」

「どうせ、ろくなことじゃないんじゃろう?」

「私にとっては、大切なことですよ……」


 これからが、本番なのだ。


 ……周庵を味方につける必要がある。


 たとえ、烈山にとって耐え難いことでも、真実を上塗りして、清濁飲み込んだ上で、この老人を受け入れなければならないのだ。


(あの方を、盛り立てていきたいのなら……)


 …………だが。

 今回は、仮病ではない。

 ふらふら、足元がおぼつかない周庵は、本当に気分が悪そうだった。


「………………流月……か」


 捨て台詞のように呟く。

 

「私を、騙したんじゃな」

「唯 流月と、その子供、花影のこと、先代国王の時代は、何かと理由をつけて、私もよくここに見に来ておりました。本当にね、あの二人が心配だったんですよ」


 とどめを刺したつもりはない。

 けれど、周庵にとっては、体調に異常をきたすほど、衝撃的だったらしい。

 結局、雪己が安全確保のために、呼びだした従者に抱えられて、周庵は逃げるように、部屋から出て行った。

 寝所は、上の階だ。

 すぐに休むことは、可能だろう。


「あの、ジイさん。また話す機会が先になっちゃったね。困ったもんだ」

「父上……」


 周庵の退場を見届けた後、雪己は顔つきを改めて呼びかけてきた。


「ここまでしたら、あの方を力づくでも連れ戻さなければなりません」

「あー…………だから、あの方のことを、弾劾文なんかに、書くのはやめておけと、私は言いたかったわけだけど」


 丸机の上に残された雪己作の『弾劾文』を見下ろしながら、烈山は重苦しい溜息を落とした。 

 その仰々しい文は大量に刷ったうえで、今朝早く、所定の場所に掲示してしまった。


 ――あの方は、いまだ帰って来ない。


 幾日か経ったら、見るに見かねて、自ら渋々やって来るかと期待していたのだが、そういうこともなさそうだ。

 やはり、自分に黙って勝手に事を起こした烈山を怒っているのだろう。


(宴席で剣を突き立ててまで、私を諌めてくれたのにな……)


 仕方ないのだと、烈山は諦めていた。

 私的都合で動いたのは、陶家だ。あの人は巻き込まれたに過ぎない。

 しかし、烈山はどう転んだところで、あの方は王宮ここに来るしかないと思っている。


「ほらさ、もう少しだけ待って差し上げても、良いんじゃないかな……」

「父上のやり方を実行していたら、こちらの出方も決められないんですよ」

「……お前、怒りすぎじゃないか?」

「あの方は、生き方が適当すぎるんですよ」

「怖いなあ……」


 雪己にとって、あの方は幼馴染みでもある。

 家族同然の付き合いだからこそ、烈山には分からない思いがあるようだ。


「先般、ご報告したとおり、あの方の居場所はすでに掴んでおります。やはり、私が直接行って、連れて……」

「それは駄目」

「しかし!」

「絶対にいけないよ。雪己」

「なぜです?」

「お前はあの方から、一生、自分は我々に担がれたんだと、恨み言を聞きたいのかい?」

「もちろん!」

「はっ?」

「私は最初から、そのつもりでしたよ」


 あっけらかんとした答えの中に、息子の覚悟を見てしまい、烈山は思わず笑ってしまった。

 雪己を止めたいのなら、自分の本音を語るしかないようだ。


「お前が良くても、それだと、我々は浅氏と同じになってしまうじゃないか。私はそれだけは避けたい」

「父上らしい理想論ですね」


 雪己の考えにはないものの、烈山の言わんとしたいことだけは察したらしい。


「あの方には、どうしてもご自身で決めて頂きたいと?」

「まあね」

「しかし、あの方は、なにを血迷ったのか、浅氏の娘などとも、一緒にいるんですよ」

「へえ」

「なんですか。その反応?」

「別にどうでもいいよ。彼女を人質に取ったところで、意味なんてない。浅家はいざとなれば、彼女を切り捨てるさ。むしろ実家に帰ってくれた方が、貸しにもなる」

「それが、大司尉殿に通用するかどうか……」

「でも、あの方は、大司尉殿に『あと少ししたら、必ず』って仰ったんだろ?」

「ええ、確かに。あの方は、そう仰ったそうですね。しかし『王宮に行く』とは仰っていません。……ともかく、父上は甘すぎるのです」


 興がそがれたらしい雪己は、分厚い紙の束と睨めっこしながら、答えた。


「それを言うのなら、お前もだろう?」


 実際、親子共々、甘いのだ。

 父親の意見など、覆そうと思えば、いつでも出来るはずなのに、それをしないのは、この息子もまたお人好しだからだ。


「父上には不評の弾劾文ですが、私の目論見通り、反応は大きくなりそうですよ。先代国王に近しい人間であれば、彼女とその子供については想像もついているでしょうから……」

「何にしても、これ以上の面倒事は嫌だな。疲れたし、今日はもう休もうか……」

「究極な面倒ごとを起こしたくせに、なにを言いますか。これから大司天殿がお見えになりますよ」

「大司天……。あの……そう 飛水ひすい殿が?」


 雪己の口から出た、意外な人物の名前に、烈山は目を見張った。

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