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銀花、煌めく  作者: 森戸玲有
一章
2/57

壱 【後宮の学司】

◆◆◆


 花影の私室がある図書塔の一階が妃候補たちの学びの場であった。

 後宮に隣接している八之宮で起居している娘達は、毎朝朱塗りの回廊を抜けて、白一色が支配している広大な一室にやって来る。

 各地から集められた選りすぐりの娘達だ。

 ここで九十日間の礼儀作法と教養を身に着け、学司の採点によって、振り分けられて、順位づけがなされた上で、王の妃として後宮に送り込まれる。

 王に世継ぎが誕生していたのなら、ここまで定期的に妃を募る必要もないのだろうが、残念ながら即位して三年……。

 妃の懐妊については、花影は噂でも聞いたことがなかった。


「早く、席に就いてください!」


 朝が早いせいか、ゆったりと移動している数人の娘達に、声を枯らして訴えているのは、十三歳の丁李ていりだ。

 背が低いので、ぴょんぴょん跳ねながら、娘たちを誘導している。

 出来れば、花影も手伝いたいのだが、補助的なことは、すべて学司のお付きの待女がこなし、学司は余計な手出しをせず、教卓の前で娘達が着座するまで待っていることが古くから作法とされていた。

 かつては、丁李がしていることと同じことを花影が行っていた。


(母様と同じことをするようになるなんてね……)


 母、流月りゅうげつと同じように顔を紗で隠し、着物は黒一色の異様な風体で、講義を行う。

 娘たちは代替わりしたことも知りはしない。

 学司、唯 流月は幼い頃に傷を負って、顔を紗で隠している。

 ……そういう話になっている。

 最初の講義で、簡単に丁李から説明されていて、それ以上の言及は禁じていた。

 たった一言である。

 当初はいつバレるのではないかという恐怖心と、緊張感がいつもあったが、指導も三度目になると、だいぶ、余裕が出てきた。

 どんなに異様な風体でも、話しかけることが禁とされているのなら、娘たちにとって、花影など、どうでも良い存在なのだ。


(私はあくまで通過点ってことよね……)


 きっと母も同じ心境だったに違いない。

 花影は、紗の隙間から窺える範囲で、淡々と彼女たちを観察していた。

 今回は特に個性的な娘たちが揃っていて、はたから見てると、面白味があった。

 自由席となっているが、我こそはと勇んでいる者は、前列の席に座るのが特徴であるが、今回は……


「では、私はここに……」


 すっと前に座る。

 一際目立つ、長身の娘。

 怜悧な切れ長の瞳を、眠そうに瞬かせながら、前の席に腰を落ち着かせたのは、そう 珠水しゅすいだ。

 長い黒髪は、いつも通り、きつく一つに結ばれていた。

 飾り気のない水色の深衣に、長い青色の上着を羽織っている。

 実家の宗家は、大司天だいしてん

 この国の土木工事と刑吏を束ねる三公の一つ。名門の家柄だ。


(宋家が真ん中ってことは……)


 大体の並びが想像ついた花影は、素顔が見えないことを良いことに、少し笑ってしまった。

 ――案の定


「では、わたくしは、こちらで」


 一番後ろで、自らの存在感を誇示しながら、せん 小鈴しょうりんが大仰に袖を振って、備え付けの簡素な椅子の端に、腰を下ろした。

 花柄模様の派手な着物は、今の流行りの寛いだ襟をしていて、胸の谷間がよく見えた。

 髪もまた今日は、一段と高く盛ったようだ。

 金色の簪が幾重にも挿してあって、重そうである。年齢は十四歳という話を、どこかで耳にしたことがあった。

 丁李とそんなに変わらないのに、身体の成長は著しいようだ。


(朝早くから、ご苦労なことだわ)


 化粧もばっちりだ。一体、準備時間にどれくらいかかるのか……。

 火鉢を四か所に用意はしているが、隙間風は当然の古い一間だ。

 後列でその格好は、きっと寒いに違いない。

 ちなみに、小鈴は現在の正妃、明鈴めいりんの妹であり、実家の浅家は、三公のおびと

 政治の実権を、ほぼ掌握している大司政だいしせいせん 泰全たいぜんの二番目の娘だ。

 王の寵愛は深いものの、子供を授かることが出来ない明鈴にとって、妹を入宮させることは、苦肉の策だったのかもしれない。

 四つ設けられている妃の階級で、正妃に次ぐ、最高位の正一品せいいっぴん候補として注目されているのが、珠水と小鈴。

 見た目も正反対な二人だった。


(それにしても……)


 二人の反応や席順は、いつも通りだったが、他の妃候補たちが、一様にそわそわしている。

 別に、王が訪ねて来るわけでもないし、一体これは何事なのか……。

 花影がぼんやりしているのを感づいたのか、丁李が耳元で囁いた。


「実は……夕方から、陛下が直々に芸人を呼んで、光和殿で宴を開くそうなんですよ。朝早くから、芸人さんたちが準備をしているらしいので、皆さん、気になるみたいで」

「…………はあ、なるほど」


 何処から情報を掴んだのか知らないが、納得だった。


(多分、みんな招待はされないんだろうけど……)


 残念ながら、国王が宴に招くのは、現在の妃と妃付きの侍女くらいのものだ。

 数百人もの妃候補の娘たちを、招いていたら、支度も含めて大変なことになってしまう。


(まあ……あの王様なら、意味不明なことも、やりかねないけどね)


 国王、けい 玄瑞げんずいは、先代国王のけい 紫陽しようの実弟で、紫陽が若くして、突然この世を去った為、急きょ、即位することになった人物だ。

 想定外だった玉座は、彼を狂わせ、毎日、遊興三昧の日々を送っている。

 政治は、ほとんど大司政の浅氏が行っている状況であった。

 そんな男の妻になるために、勉強に励まなければならないなんて、皮肉なものだ。


 もっとも、学司の講義といっても、あらかじめ娘たちに教書を読ませた上で、試験を繰り返し、宿題を与えているだけのことなので、良家の子女は、お付きの侍女が励めば、特に頑張らなくても、どうにかなってしまうものなのだが……。


 …………学司は緊急事態を除いて、娘たちに直接語りかけることをしてはいけない。


 それが、ずっと昔に定められた掟だった。


 現在の学司は花影で女であるが、学司は男性が勤める場合もあり、未婚の娘が男と直接口を利く機会を設けてはならないと、過去の王が命じたという話だ。


 結局、この九十日間は、妃としての教養を身に着ける時間とされているが、最初から上位の妃は決まっているのだから、単純に彼女たちの身辺整理の期間を設けているに過ぎないということなのだ。


(だから、講義なんてしても、しなくても良いのだろうけど……)


 しかし、それが、花影の仕事なのだ。


 たんたん……と、手にしていた笏で教卓を叩いた花影は、講義の始まりを音で告げる。


 すでに、丁李には、薄紙を配布させている。

 各々、墨と硯と筆は持参しているので、試験形式となることは、何の問題もない。


「今日は詩作の講義です。皆さんで、春を題材にした詩を作って下さい」


 丁李が声を張り上げた。

 今日の講義内容を、宮中作法から詩作に変更したのは、今朝、母の遺品を発見したからだ。


(…………銀花……か)


 やはり、ひっかかる。

 出来ることなら、王の在所、光和殿に通じる橋の横に咲いている花を、直接鑑賞したかったが、場所が場所だ。

 宴の中心地に、学司とはいえ、おいそれと立ち入るわけにはいかないだろう。


 しかし……。


 その日、花影は王宮に来て初めて光和殿に行くことになってしまった。


 ―――どういうわけか、宴に招待されてしまったのだ。

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