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銀花、煌めく  作者: 森戸玲有
三章
19/57

肆 【徹夜】

◆◆◆


 千李の家に戻った花影は、夕餉のすぐ後に、凌星と共に小鈴の部屋に押しかけた。

 庶民の家の一室に、卓や椅子などあるはずもないが、寒さをしのぐために欠かせない、羊毛の絨毯だけは、主寝室には敷かれている。

 その絨毯の上で、三人は火鉢を囲むように、膝を付き合わせて向かい合った。

 小鈴は部屋に通したことを、心底後悔しているようで、溜息ばかりを零していた。


「今更、あの時の課題の話? そんなにわたくしの書いた詩が素晴らしかったということかしら?」

「いえ、まったく」


 花影は、真顔で断言した。

 その素早い答えの方に、小鈴は絶句していた。


「ただ、小鈴殿が書いた詩の状況を詳しく教えて欲しいだけなのです」

「状況……?」

「ほら、小さい頃に家人に頼まれたって話だけど、それって王宮とかだったりしないか?」

「なぜ、わたくしが王宮に?」

「浅氏なら……後宮まで入ることも可能だろう?」


 彼女の姉は、王の妃だ。

 小鈴が子供の頃は、先代国王の妃だったはずだが、大司政の浅 泰全たいぜんの力を持ってすれば、子供の一人くらい、王宮に出入りすることくらい可能だ。

 だが、小鈴は長い髪を自分でいじりながら、無気力に答えるばかりだった。


「……さあ、分からないわ。銀花の枝に文を巻きつけたのまでは覚えているけれど、それ以上は覚えてないわよ」

「そんな曖昧な記憶を元に、貴方は詩作をしたのですか?」


 他意はなかったつもりだが、花影が口にすると皮肉っぽくなるらしい。

 小鈴は頬を膨らませた。


「私はただ、月の下で銀花の枝に短冊を巻いたって、なんか幻想的で美しい場面だって、思っただけ。だから、詩にしたの。それを読み取れない、貴方が学司失格じゃないの!?」

「しかし、その情感を連想させるような描写が一切ないので、読み取りようがありません」

「はあっ? 本当、腹立つわね。せっかく今日は助けてあげたのに。貴方のその態度といったら……!」

「だけどさ。誰に頼まれたのかも、場所が何処だったのかも、覚えていないことを、講義の課題の詩の題材にするって、逆におかしい感じがするけれど?」


 顎を擦りながら、凌星がさりげなく問うた。彼の方こそ、確信的な皮肉だろう。


「それは……」


 しん……と、沈黙が広がりきった頃合いに、丁李が茶を持ってきた。


「お困りのようでしたら、自白したくなるお薬を茶に混ぜることくらいならできますが?」


 あまりに素晴らしい笑顔で言い放ったものだから、みるみる小鈴が青くなっていった。


「貴方たち、わたくしを脅しているの?」

「相変わらず、偏狭な物の見方しかできないんですね」


 皆に茶を配りながら、丁李が小馬鹿にしたように、鼻を鳴らした。


「いいですか、小鈴殿。先生も私も実質、仕事を失くしてしまったようなものですし、いつ内戦になるかもしれません。貴方のわがままを聞いて、必死に匿ってあげたところで、私たちに何の利点があるのですか?」

「必ず浅氏は、都に戻って来るわ……。その時になったら……」

「その保証は? 時期はいつです?」

「それは………………」

「あのさ……。小鈴」


 凌星が澄まし顔で話に入ってきた。


「あんたは信じないかもしれないけど、公雲こううんの家族のように、浅氏の私兵に住む場所と仕事を奪われた人達は結構な数、存在しているんだよ。我が物顔で都に戻ってきたところで、誰も支持しないと思うけどね。俺は」

「……だから、一体何者なのよ。貴方?」

「分からないか? 俺はあんたの身の安全を、陰ながら護ってやっているんだよ。もう少しこちらに協力してくれてもいいだろう?」

「……だっ、だから、詩に詠った『銀花』は、王宮よ。おうきゅう! これでいいんでしょ?」

「やっぱり、あれか」


 予想通り辿りついた答えに、凌星は満足そうに、うなずいた。


「小鈴。俺の調査結果によると、王宮で銀花が咲いている場所は、光和殿と図書搭を繋ぐ橋の欄干の下以外ないんだ」

「はっ? 貴方が、どうしてそんなこと知っているのよ?」

「色々調べていたからな。ちなみに、浅氏の本宅に、銀花が植わってないのも知っている」

「そうなんですか!?」


 さすがに、それには花影も驚愕した。

 …………しかし、小鈴は顔を真っ赤にすると、まったく見当違いの方向に反応を示した。


「凌星、貴方……。そんなに、わたくしに興味があったの?」

「いや、あんたには、まったく興味なかったな」


 あっさり否定した凌星は、続きを素っ気なく尋ねた。


「……小鈴。その短冊って、密書とかじゃないよな?」

「はっ? そんなはずないでしょ。大体、そんな大変なものだったら、詩にしないわよ」

「まあな。それもそうだ」

「とにかく、わたくし疲れたから、早く眠りたいの! 出て行ってちょうだい!」

「えっ、あっ……ちょっと。小鈴殿!」

「出て行って!!」


 いつも以上の激しい剣幕に、小鈴によって部屋から追い出された三人は、各々物思いに沈黙した。

 怪しい……が、小鈴の態度はいつもああいう感じのような気もしないでもない。


「……っくしゅん」


 そこで、一つ花影がくしゃみをして、凌星と丁李は花影の方を向いた。


「先生、お体、冷えたんじゃないですか? 大丈夫ですか?」

「大丈夫ですよ。ちょっと鼻がむずむずした程度です」

「もしかして、俺が寒いところに連れて行ったせいなんじゃ?」

「関係ないですって」

「早く休まれた方が……」

「ええ、でも、まだ……」


 ……まだやらなければならないことがある。

 しかし、身体が怠いのは事実だった。

 慣れない格好で、夕刻まで外にいたのがいけなかったのだろう。

 休憩時間は、設けた方が良い。


「そうですね。私も今日は早く休みます。また明日にでも、詳しく」


 そう言い置くと、花影は一人納屋に引っ込んだ。

 室内に入ると、すでに火鉢の中で、炭が赤々と燃えていた。


(丁李? いや……千李さんか)


 何かと細かい配慮をしてくれるのが嬉しい。

 有難いけど……。


 ――でも、甘えすぎだ。


(早く小鈴殿を実家に届けて、ここを出なきゃ。千李さんに、今までお世話になった分のお金を渡さなきゃ駄目だわ)


 分かっているのに、なかなか決心できない。


「ああ、そうだったわ」


 ――顛河てんかわのこともあった。


 今日、目の当たりにした河の光景に、花影は嫌な予感を感じていた。


(確か、百年前の王の側近の日記に、顛河の増水について触れた箇所があったはず。それと、二百年前の学者の記録にも……)


 こんなこと考えている暇はないと分かっていても、閃いてしまえば、いても立ってもいられなくなる。

 小さい頃から、図書塔で暮らしていた花影にとって、本の内容を丸々暗記することは、趣味のようなものだ。

 知識だけなら、いくらでも湧いてきた。


(あの河のこと。……水位のことや、雨量のことで書かれた本の内容は……?) 


 手繰り寄せた記憶を拾って、浮かぶ限り、一つ一つ、紙にしたため…………。

 そして。


「やっぱり……」


 共通しているのは、神名山脈の雪解け水で顛河の川の水位が上昇し、秋の長雨によって、氾濫を起こすことがあることだ。

 光西は毎年晩秋、十日ほど雨が降り続く『神雨しんう』と呼ばれる時期がある。

 過去の苦い経験から、土手は築かれてはいるが、場合によっては王都も水に浸かる。近隣の住居は流される危険性が高いだろう。


「でも、これだけじゃ……何の確証もない」


 官吏の私的な日記や、当時の文学などから今年のような気候は、河の増水に注意しなければならないと、憶測を述べることは可能だ。


 しかし、問題は洪水の具体的な可能性と、もしもの時の対策なのだ。


(さっぱり掴めないわ……)


 当時の雨水の記録や、川の水位に関しての情報を王宮で読むことができれば良いのだが……。


「杞憂なら良いのだけど……」


 もしも、一度ひとたび洪水が起こってしまったら、取り返しがつかない。

 けれど、だからといって、花影一人ではどうすることも出来ないのだ。

 結局、花影には知識だけしかなくて、具体策までには及ばない。


「…………くっしゅん」


 思い出したかのように、くしゃみが出て、身体が震えた。

 火鉢の炭は、とっくに燃え尽きていて、燻っていた炎は消えていた。

 気が付けば、蝋燭の灯より、周囲の方が明るくなっている。

 文机の周辺には、花影が書き散らかした紙が雪のように積もっていた。


(ああ、私……また徹夜してしまったの)


 ずっと同じ姿勢でいたせいか、体の節々が痛んだ。

 喉が渇くので、水でも貰ってこようかと、立ち上がった瞬間に扉の外から、声をかけられた。


「…………おい」


 くぐもった小声でも、誰なのかは、すぐに分かった。


「こんな時間に、どうしたんです。凌星殿?」

「こんな時間まで起きていて、あんたこそ、どうしたんだ? ……風邪気味なんだろう」


 がたっと音がしたのは、彼が立てつけの悪い木製の扉に寄りかかったせいだろう。


「…………見ていたんですか?」

「馬小屋と納屋は近い。明かりがついてれば、分かる。あんた、夜更かしばかりしているだろ?」


 そういえば、丁李の家に置いてもらってから、まともに眠った日がなかった。

 だが、学司をしていた時も、ほとんど夜は眠らなかったので、花影は睡眠不足には慣れていた。


「ああ、でも……ちょっと、気になることがあったので、仕方ないですよ」

「気になること……?」

「たいしたことではないのです」

「何だよ。また、だんまりを決め込むつもりか? あんたの悪い癖だな」

「いえ、決して……そういう訳ではないのですが……」


 顛河のことは、事が大きすぎる。

 まだ確定ではない情報を彼に伝えても、惑わせるだけではないか?


「じゃあ、あんたが考えていたこと……俺が当ててみようか?」

「当ててみますか?」 


 まさか、花影の思考など読み取れるはずがないだろう。

 適当に流したつもりでいたのに、しかし、凌星は自信ありげに言い放った。

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