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銀花、煌めく  作者: 森戸玲有
三章
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参 【広い視野】

「凌星殿。大丈夫ですか? ここは寒いですから、そろそろ、帰りましょうか?」

「あんた、笑っている方が絶対、可愛いよ」

「……………………はっ?」


 唐突に、何を言い出すのか。


「目は大丈夫ですか?」

「何だよ。良いものを良いと言って何がいけないんだ?」 


 凌星は、開き直っている。

 きっと、疲れているのだ。


「凌星殿。そんな言葉、お世辞にもなりませんよ。たとえば、エスティアとの混血児でも、光西の人間にしか見えない人もいるそうですが、私はやはり、見た目は光西の人とは少し違います。学司の仕事も出来なくなった今となっては、この見た目は私にとって、足枷にしかならないかもしれないんです」

「そうかな。俺は白い肌とか、夕陽に映えて、銀色に輝く髪とか、好きだけど?」

「………………嫌味ですか?」

「どうして、そうなるんだ?」


 凌星は本当に分からないといったふうに、首を傾げた。


「あのさ。先生は博学だけど、世界を知らないんだと思う」

「世界……?」 

「お隣の宋禮領じゃ、身分差別を禁止するように法律が施行されている。エスティアの混血でも、ちゃんとした仕事ができるように、宋禮の女領主は自らの側近にエスティアとの混血児を置いているらしい」

「噂には聞いたことはありましたが……それはあくまで、瓏国の話で……」

「だからさ……先生。ここは、光西の『国』だと、みんなそう思っているけど、本当のところ、お隣のエスティアも、瓏国もそんなこと思っちゃいない。とっくの昔に一国だけでは、エスティアに対抗できなくなっていたんだよ。…………今の光西は、巨大な瓏国の一部だ」


 そうして、銀花の脇で、しゃがみこんだ凌星は落ち着いた声音で、とんでもないことを口にしたのだった。


「光西『国』なんて国は、この世の何処にもないんだよ」

「…………はあっ?」


 意味が分からない。

 花影が目を白黒させていると、凌星は確固たる口調でもう一度繰り返した。


「ここは『国』じゃない。『領』だ。光西領。民衆が国王と敬っているのは、領主だよ。それが正しい名称だ。光西『国』なんてものは、とっくにもうないんだ」


 そこまで耳にして、花影もようやく、彼の言わんとしていることを察した。


「…………それって、つまりこの国は、消滅しているということですか?」

「まあ、乱暴な言い方だけど、そういうことになるかな。もっとも、過去何度も、瓏国から独立したり、取り込まれたりしているのが我が国の歴史な訳だけどさ。でも、現実問題、今の光西は国の体を為していないんだ。瓏国側からすると、光西領と呼ばれている。瓏国の一部なんだよ」

「そう……なんですか」


 確かに、今まで沢山の血を流してきたエスティアと同盟を結ぶより、同じ血筋の瓏国に媚びた方がマシだとして、先々代の国王の妃に瓏国の姫君を迎えたりしていた。

 光西が小さな国であることは、花影も知っていた。

 周囲はエスティアと瓏国の二つの大国に挟まれていて、いつ攻め込まれても仕方ない場所に位置していることも……。


 つまり、凌星が口にしていることこそが、真実ということなのか?


(私は、知らない……)


 永遠に変わることのない後宮の更に奥で、空気のように生きていた花影の耳には入らない情報だった。

 ともかく、王という存在は、人格などはさておき、花影にとっては雲の上の存在で、王宮にとっての『神』であった。


「瓏には、朝貢外交を繰り返しているうちに、自然と自領と見なされたとか?」

「大体、そんなところかな。要するに、光西は国の体裁を保っていられないほどに、弱小で金がなかったってことだろうな」

「しかし、そんなことになっていたのに、みんなどうして、平気なんですか?」

「無論、商売人は知っている。一般人も何となくは……。けど、信じたくないから、広めない。国王も国王でいたいから、しらばっくれている。めでたい国民性だろ。でも、先生。当然と思っていたことが、実は違っていたりするのが世界ってものだ。だから、エスティアとか、光西国だとか、瓏国だとか……くだらないのさ」

「くだらない……?」

「あんたにエスティアの血が流れているから、何だって言うんだ。俺だって、誰の子かも分からないんだぞ」

「凌星殿……」


 つまり、彼はそれが言いたかったらしい。

 そういう見方だって、できるのだと、花影に教えてくれているのだ。


(私は、狭い視野で生きている……)


 自嘲気味に、下を向いていると、視線を追いかけてきた凌星が花影を覗きこんでいた。


「だからさ、あんたは、どうして、いつも目を逸らすんだ?」

「いつも、顔を隠していたので、見られるのに慣れてないんです」

「後々のためにも、少し、慣れておいた方が良いんじゃないか?」

「…………そうでしょうか?」

「俺……思うんだけどさ」

「何でしょう?」

「…………恋文じゃないか? これ?」

「へっ!?」


 花影は、目を見開いたまま、後ろに倒れそうになった。


「…………恋……文って、もしかして、あの恋文のことですか?」

「そんなに驚くことか? この紙切れの文句。あんたの母親なら、髪はもっと銀色に近かったと思うんだよ」

「うーん。銀だったか……。……銀だったとは思いますけどね」

「まさか、分からないのか?」

「いえ、私よりも濃い色だったとは思いますが、母も生前は、ほとんど黒頭巾姿でしたから、あまり素顔の記憶ってないんですよ。亡くなった時くらいしか……それに、この髪色って、銀っていうより、灰色じゃないですか?」

「いや、まさか、惚れた女の髪色を、灰色と評する男もいないだろうよ」

「………………惚れた?」


 まったく予想だにしていなかった言葉が飛んできて、花影はおぞましさに閉口した。


「では、貴方は誰かが……母に宛てた……恋文だというのですか?」

「あんたにだって、父親はいるんだろう?」

「いるはずなんですが、母からは一度も父のことは、聞いたことがありません。もしかしたら、愛情がなかったのかも……」

「なかなか、殺伐とした家族関係だな」

「でも、恋文だったら、こんな書き殴った文字で、愛情表現しませんよね?」

「だからさ。恋文だからこその暗号とか? やんごとない身分の人と文通していたとか?」

「……まさか」


 有り得ないだろう。

 流月は、一切の感情がないのかと思うほどの鉄面皮だった。


「でも、銀花明々ってさ、月明かりで、綺麗に輝いている、あんたの母親の髪のことだったりしたら、なかなか粋な表現だと思うけどな」

「そういう解釈ができるのですか。凌星殿は、女性心に精通していらっしゃるのですね?」

「それこそ、嫌味だな?」 

「本音ですよ」


 慌てて凌星から紙片を受けとった花影は、再びその文面を読み入った。

 文字が微かに滲んでいるような気がするのは、いつも銭入れの中に仕舞っていて、汚れてしまったからだ。


「銀花……明々……か」 


 じっと見入っていると、突風が吹きこんできて、花影の手元の紙片を浚った。


「わっ!!」


 いけない……と、急いで、花影が追いかけようとしたところで、凌星が間一髪、土手の下で受け取ってくれた。


「先生って、意外にそそっかしいんだよな」

「すいません! 凌星殿。ありがとうございます!」


 素晴らしい瞬発力だ。

 凌星は、舞が優雅なだけではない。

 男として体もちゃんと鍛えているのだろう。


(普通じゃないのよね……)


 そんな育て方を、庶民の家庭で出来るはずがない。


(何かの理由があって、凌星殿を陶大将軍が養育したのなら……?)


 しかし、そこで花影の思考は途絶えた。


(きれい……)


 土手の下で手を振っている凌星の輝きが目に悪い。

 直視できなくなってしまった花影は、そんな自分に寒気がして、対岸の雪景色に視線を滑らせた。

 ……と、そこで新たな異変を感じた。


(川面が高い……?)


 ここまで間近で、てん河を見たことは勿論ない。

 けれど、何かがおかしいような気がする。

 大河の流れは穏やかだ。

 水面は残照に乱反射をしていて、白い蒸気が空中に立ち上っている。

 対岸に聳えている崖の雪は、まだらであった。

 一見すると、春を間近に感じるほのぼのとした情景なのだが……。

 しかし、この季節の割に、雪が少なくて、河の水流が多いのが何とも引っかかる。

 銀花も、咲くのが例年に比べて、かなり早かったではないか……。


「…………あの、凌星殿」

「ん?」

「今年は、雪解けが、やけに早くないですか?」

「ああ。今年は暖冬だよな。銀花も早く咲いて枯れちまったし、河の水面も例年より高いような気がする。神名山脈の雪が解けているのかもしれないな」

「暖冬……ですか」

「初春の景色だな」


 そう言って、微笑を浮かべる彼の美貌を、花影は初めて真っ直ぐ見据えることが出来た。

 他のことに気を取られていたからだ。

 花影の脳内で、記憶している幾多の文献の情報がぐるぐると巡っていた。

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