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銀花、煌めく  作者: 森戸玲有
三章
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弐 【凌星と二人】

◆◆◆


 ……黄昏時。

 今日一日稼いだ分のお金を、皆で慈念じねんのもとに届けに行くと、薬屋に直行すると、涙ながらに感謝してくれた。


 凌星の目論見通り、花影の薬はよく売れた。


 花影がエスティアとの混血児であることを逆手に取った成果……ともいえなくもないが、一番の要因は、凌星が女装で舞を披露したことだろう。


 人寄せとはいえ、舞っている時の凌星は、春の精そのもので、薄桃色の衣が花弁のように、雪風の中に揺蕩たゆたっていた。


(綺麗だったのに……)


 はあ……と、花影は溜息を吐く。

 傍らで、眉間に深い皺を刻んでいるのは、凌星だった。


 首筋に、ほんの少し白粉が残っているが、あっという間に可憐な女装は解いてしまい、今は藍色のほうをゆったりと着こなしていた。


(もったいない)


 いっそのこと、ずっと女装でいたら良いのだと、じとりとした視線を送ると、待っていたかのように凌星と目が合った。


「なんだよ、先生。まだ昼間のアイツのこと気にしているのか? 大丈夫だって言っただろ?」

「ええ。それなりには貴方を信じてますけど」

「それなりって、なんだよ?」

「むしろ、私よりも凌星殿の方が不機嫌なんじゃないですか?」

「そりゃ、不機嫌に決まっているじゃないか。小鈴の奴め。どうせ払うのなら、もっと早く言えって話だよな!」

「…………何だ。それですか」


 花影は苦笑した。

 容姿端麗、非のつけどころのないくらい美形のくせに、発想が子供のまんまだ。


「ですが、凌星殿。小鈴殿に関しては、結果的に有難いことでしたよ。あれから、私の薬はよく売れましたけど、心の臓の薬代には、あと少し届きませんでした。……凌星殿だって、少し出してくださったじゃないですか」

「俺は最初から、そのつもりで、舞妓しながら稼いでたんだ」

「えっ、最初から……ですか?」

「別に先生のやり方を非難しているわけじゃないけど。俺なりに、あの家族にはちゃんと金を払おうって決めてたんだ。まったく、政情不安じゃなければ、もっと稼げたのに」

「…………貴方って人は」


 足りない薬代を補填すると、凌星が自分の稼いだ金を渡してきた。

 そうしたら、まるで、喧嘩を売るかのように、小鈴が大金をぽんと出してきたのだった。

 花影に言わせれば、小鈴も小鈴だが、凌星も凌星だ。

 あれこれ考えていた自分が情けない。


「だから、なかなか貴方と、顔を合わせなかったんですね……」

「あっ、もしかして、先生。俺に嫌われたんじゃないかって気にしてた? 今、ほっとしてるとか?」

「いえ、別に。ほっとしたというより、納得したという感じです」


 微妙な表現の違いを正すと、今度は凌星がどっと笑った。


「つれないな。……まっ、ともかく、今回のことは、先生が俺のことを益々信用してくれたってことで、俺も納得するかね」

「ええ。私も信用していない人と、二人きりにはなりませんからね。不審だったら、すぐに小鈴殿を連れて逃げていますから」

「だろうな」


 足場の悪い雪道を、丁李が差し入れてくれた綿入りの羽織を着込んで、凌星と二人で歩いていた。

 先程、花影は千李宅の少し手前で、凌星に呼び止められたのだ。


『花影だけに、見せたいものがある』

 ……と。


 丁李は最後まで心配そうだったが、花影が説得して、ようやく納得したのだった。

 しかし、花影に見せたいものとは何なのか?

 てっきり、歩いてすぐの場所だと想定していた花影は、裏切られた気分だった。


(早く帰りたいんだけどな……)


 新たな薬も作っておきたいし、凌星のことは信じてはいるが、こうとなっては、早々に小鈴の今後も決めておかなければならない。

 それに、なにより寒い。

 ぶるっと身震いすると、弾みでくしゃみが出た。

 よろけそうになった花影を、ひょいと凌星が支える。


「…………あ」


 至近距離から覗き込まれた花影は、あからさまに視線を逸らした。


「何ですか?」

「いや、なかなか良いと思って」

「はっ?」

「化粧だよ」


 そういえば、今、花影は小鈴御用達の派手な化粧を施されているのだった。

 正直、花影は自分に関することは、すぐに忘れてしまう。


(ああ、いやだ、いやだ)


 自らの肌に塗り込められた顔料のべたつきを思い出して、花影は口元をひきつらせた。


「そうでしょうか。私には、いつもより風が皮膚に当たって、肌が痛いという感想くらいしか……」

「珍しく頑張った小鈴が怒りだしそうな言葉だな」

「残念ながら、私、こういうの苦手なんですよ。何だか、やたら目立ってますし」


 顔の造りがまったく違うエスティア人と光西人だ。

 化粧なんてした日には、更にその人種の違いが際立ってしまう。

 いっそ、いつものように、襟巻で顔を覆い隠してしまいたかったが、生憎、襟巻は丁李に預けてしまい、今は手元にない状態だった。

 

(一体、いつまでこの晒し者の風体で歩かなきゃならないんだろう?)


 凌星は、都のはずれにある丁李の家よりも更に下り、城門を出て延々と歩いていた。

 心の奥底でぶつくさ文句を言いながら、彼の背中について行くと、やがて開けた道に出た。

 更に南下すると、光西とエスティアを縦断している大河。

 顛河てんがわを見下ろす土手に辿りついてしまった。

 過去、何度も氾濫を繰り返してきた河の両側は、石が堆く積まれて、人工の土手が築かれていた。


「これが、顛河…………?」


 轟々と音を立てて流れている。

 河幅は都の大路の三倍くらいは、ありそうだった。

 水面からは、蒸気が立ち上っていて、対岸の土手に降り積もった雪は、自然のままこんもりと残っていた。

 今時分になって、分厚い雲の隙間から姿を現した太陽は、水面を橙色に染めていた。

 今まで、花影が王宮で目にしたどんなものより、壮大な景色に見えた。


「こんな所まで来たのは、私、生まれて初めてです」

「そうだったか。あんた、ずっと王宮育ちだもんな」


 凌星がぽんと、花影の頭に手を置いた。

 そんなふうに触れられたのも、初めての経験で、花影がひどく戸惑っていると……。


「言ったろ。あんたにどうしても、見せたいものがあってさ」


 こちらの動揺など気にするでもなく、凌星は更に速度を上げて、前方にずんずんと進んで行った。

 花影は必死で、彼を追いかける。

 やがて…………。


「ああ、これだ。先生。こいつを見てくれよ」

「えっ?」


 太い枝の先に、頼りなく揺れている花弁を手で摘まみながら、凌星は花影を振り返った。

 その花こそ、紛れもない。


「………………銀……花ですか。これ?」

「そう、銀花だ。この辺りで唯一咲いているんだよ。あんたに、これを見せたかったんだ」

「こんなところにあったんですね。私も色々と探していましたが、見つからなかったんです」

「他にも咲いている場所はあるんだぜ。でも、ここが一番近いと思ったんだ。今年暖冬みたいだし、早くしないと、枯れてしまうかなって思って」

「ありがとうございます」


 上の空で礼を告げながら、花影はしげしげと銀花を眺めた。

 盛りを過ぎて、朽ちる寸前の銀花の花弁は鈍色になっていて、本当に地味で目立たない印象だ。

 この花が咲く場所をいちいち知っている凌星は、やはり銀花に特別な思い入れがあるのだろう。


「な? やっぱり、俺のこの簪は銀花だろ?」


 凌星が懐から金色のかんざしを取り出す。

 花影はそれと銀花の花弁を見比べて、大きく頷いた。


「そのようですね。……ええ。ちゃんと、その簪は、銀花を象っていると、私も思います」

「おっ、ようやく認めてくれたな」


 満足げに微笑する凌星に、花影は複雑な気持ちを抱いた。

 そこまでして、この青年は花影に簪の花を『銀花』だと認めさせたかったのか……。


「そこまでの想い……なんですね」

「え?」

「貴方にとって、銀花とは……」


 正直、花影の知っていることは、余計なことかもしれない。

 でも、話さないでいるのも、酷い話ではないか?

 彼が陶大将軍のもとに帰れない理由もそこにあるのなら……?


(彼が求めていることに、少しでも役に立つのなら、話してみても良いか……)


 つい最近、発見した母の遺品がここまで尾を引くなんて、花影は思ってもいなかったが、確かに、凌星の言う通り、これもまた何かの運命なのかもしれない……。


「凌星殿……実は」


 銀花の花弁を撫でながら、花影は意を決して、切り出した。


「私がこの花を気にしていたのは、母の遺品に、銀花のことが書いてあったからなんです」

「ん? あんたのお母さんって、前の学司……か?」

「これを、見て下さい」 


 最近は、お守り代わりに、小さく畳んで、財布の中に入れて持ち歩いていた。

 母、流月の形見の紙片。

 花影は深呼吸一つして、文机の中にあった紙片を、凌星に手渡した。

 ごくりと息を呑んで、凌星は二つ折りの紙片をゆっくりと広げる。

 ……開口一番


「何だ。これは……?」 


 呟いたきり、黙り込んでしまった。


「……ね? 意味が分からないでしょう? 私にはさっぱりです」

「うーん。暗号のようにも見えるけど?」

「詩については、私も母から習いましたけれど、銀花が明るくなるという表現方法を、聞いたことはありません」

「でも、あんたのお母さんは、それを大切に持っていたんだろう? それで、俺が持っている簪が銀花っていうのも……。偶然にしては、出来過ぎじゃないか?」


 真剣な様子の凌星に、花影は最初に王宮で出会ったときのことを思い返していた。

 彼は王宮で、もっと知りたいことがあったのかもしれない。


 ――たとえば。


「もしかして、凌星殿のお母様は、後宮にいらっしゃったのですか?」


 花影の問いかけは、何となく以前から気になっていたことだった。

 だから、彼は初めて会った日、後宮の近くにいたのではないのか?

 凌星は一回下を向いてから、曖昧に首肯した。


「うん、多分。……そうだと思うんだけどな。正直、よく分からなくて。とうに出てしまっているかもしれないし、死んでしまっているかもしれない。でも、過去に後宮にいた可能性が高いと思って、ずっと密かに捜してたんだ。手掛かりがこの簪しかないから、後宮内の銀花の場所を調べて……。それで、あんたに……行きついたんだけど」

「もし、後宮にいるとしても、大変な人数ですからね。銀の名前を冠した妃はおられなかったと思いますが、それ以上は私にも分からないです。でも、珠水殿でしたら……?」

「有り得ないよ。先生は『後宮にいる全員の顔を覚えている』なんて馬鹿な話、本気で信じているのか?」

「それは、その……」 


 やはり、嘘だったのか……。


「じゃあ、ほら。陶大将軍に、捜してもらえばいいじゃないですか。どうして、それをしないんです? 早くしないと、後宮の妃たちは実家に帰されてしまいますよ。今から、王宮に行って……」

「駄目だ。今、王宮なんて行ってみろよ。母親捜しどころの騒ぎじゃないぞ。大体、あのおっさんが嘘ばっかり言うから、俺がこうして動く羽目になっているんだよ」

「そう……なんですか」


 どうやら、二人の間には、花影が立ち入れない大きな壁があるようだった。


(……でも、凌星殿は、王宮に行かなければならない人なのでは?) 


 先程の男は、明らかに凌星を狙って、花影に接触してきた。

 すべてを知った上で野放しにしているのは、それだけ凌星の自由意思が尊重されているからだ。

 どう考えたところで、彼は陶大将軍にとって、必要な人材であることは確かなのに……。

 

「凌星殿。私が図書塔で『銀花』のことを呟いていたのは……」


 隠す理由のない花影は、素直に答えた。


「小鈴殿が講義の際に、提出した詩に『銀花』が登場したからなんです」

「はあっ!? 何だって?」


 こちらが驚くほど、彼は目を丸くしていた。ついでに、酔っ払いのようにふらついている。


「先生は、そのこと……本人に聞いたのか?」

「何度か聞いてみようとはしましたが……結局、聞けずじまいですね」

「ちょっと待て。嘘だろ……」


 頭を抱えている凌星の気持ちが、花影にはさっぱり分からなかった。


「しかし、凌星殿。小鈴殿が書いていたのは、誰かに頼まれて銀花の枝に文を巻いたとか、そういうことでした。詩作の講義の際、満開だったのは、銀花くらいです。小鈴殿の思いつきかもしれません。貴方の母君と、まったく関係のない可能性が高いですよ」

「まあ、そうかもしれないけど。…………いや、普通、そう思うけどさ」


 頭上を旋回している烏が一斉に鳴きはじめた。

 凌星は白い息を吐きながら、夕焼け空を見上げた。

 それから、ぽつりと一言。


「なんか、面倒になってきたな……」


 まあ、確かに……。

 いちいち、考えるのは疲れることだ。

 花影も、身をもって知っていた。


「だけど、ほら、凌星殿。そんなに気を落とさずに。私も今日世話になった分くらいなら、分かる範囲で協力しますから」

「先生が協力してくれるのか?」

「ええ。私じゃ、役不足かもしれませんけど」


 凌星はとっさに浮かべた花影の愛想笑いに、目を見開いたまま、固まってしまった。


「あっ? 何ですか? もしかして、余計なお世話でしたか?」

「ああ、いや、俺は別に」


 凌星は、横を向いて口元を押さえていた。

 彼が耳朶まで真っ赤に染めているのは、夕闇時の寒さのせいに違いない。

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