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銀花、煌めく  作者: 森戸玲有
二章
14/57

捌 【謎の男】

◆◆◆


 ――銀花。

 市井には、あまり咲いていないらしい。


 花影はいつも気にかけているのに、今まで街中で、一度もお目にかかったことがない。

 もしも、もう一度鑑賞することが出来たのなら、凌星の持っていた簪と形状が似ているのかどうか、確認が出来るのに……。


(話せば、良かったのかな?)


 凌星に、銀花のことを……。

 花影の母が遺した紙切れを見せて、感想を聞いてみれば、良かったのだろうか?

 しかし、話したところで何になるのだろう?

 彼は単純に、母親の形見を懐かしんで、銀花を愛でたかっただけだ。

 花影とは、事情があまりに違う。


(そういえば、あの日から凌星殿に、あまり会ってないな)


 頼んでないのに自己主張が旺盛な小鈴とは違い、凌星は花影の前に姿を見せなくなっていた。

 頑として花影に断わられたことが、彼にとっては、屈辱的だったに違いない。


(それでも、まだ出て行かないのは、よほど銀花のことを知りたいのかしら?)


 それとも、陶大将軍と絶対に会いたくないのか……。


 凌星が言っていることは、正しい。

 陶大将軍にとって、小娘の小鈴など、どうでも良い存在なのだ。

 現に、二十日経った今もなお、陶大将軍は王宮を占拠しているだけで、目新しい行動を起こしていない。

 自らを王と宣言することもなく、謎の沈黙を続けたままだ。

 都から逃走した浅氏を、追うことすらしないのは不気味だが、だったら、いっそ小鈴を実家に逃がしてしまっても、大丈夫なのかもしれない。


(都と浅氏が支配している領地……呂県ろけんを往復している行商人を探して、小鈴殿を送ってもらおうか……)


 さて、どうするかと思案しながら、白い息を手にふきかけた花影は、長時間、茣蓙に正座していたせいで、硬直してしまった太ももを擦った。

 粉雪が舞っている曇天の下を、歩いている人は、疎らだった。

 現状、一番の悩みの種は、それであった。


(困ったな……)


 不眠不休で薬を作ってはみたものの、思ったとおりには売れない。

 当面の花影の生活費程度なら賄えるが、あの家族のことを考えると、絶対的に足りない。

 公雲こううんの妹の薬が切れるのは、明後日だったはずだ。

 力になるとも確約できないから、あの日以来、あの家族のもとを訪れてもいないが、それでも、花影はいつも気にしていた。


(見通しが甘かった……か)


 寒い土地なので、風邪薬が重宝されると見込んでいたのだが、そんなことはなかったようだ。

 大体、都がどうなるかめ知れない時分に、常備薬なんて見向きもされないだろう。


(でも、ここで諦めたら、駄目だわ……)


 あれだけ強情に一人で売りさばくと宣言したのだ。

 よしっ……と、花影は気合を入れて、頭と顔の大半を覆っている大きな襟巻きを、きっちり直しながら、立ち上がった。


「あのっ!! 風邪によく利くお薬はいかがですか!?」


 何とか笑顔らしきものを作って、通りを歩いている人達を呼びかけてみる。

 寒さから逃げるように歩いていた人たちは、一瞬足を止めて、花影を注目してくれるものの、すぐにまた何も見なかったかのように、通り過ぎてしまう。

 だが、花影も意地になっていた。

 人通りはあるのだ。

 声をかけていれば、一人くらい興味を持ってくれるかもしれない。

 感覚がなくなりつつあった足を前に出して、通りの中央に出る。


「……あっ、風邪薬とか、切り傷に効く軟膏もあるんですよ」


 雪が顔に触れて、大声は出せなかったが、花影のしていることは、道行く人に伝わったらしい。

 ふと足を止めた男がいた。


「おい……あんた」

「はっ」


 大柄で姿勢のよい壮年の男だった。

 被りつきの外套によって、頭からつま先まで、黒一色に染まっている。

 覆いの中から、ちらりと覗くのは、彫りが深く、余計な肉を一切削ぎ落とした面長の顔と、殺気を宿した鋭い烏色の瞳だった。

 腰の膨らみは、扱いやすい短剣を帯びているからだろう。

 …………見るからに、武人のようだった。


(この人が、薬なんて必要としているのかしら?)


 傷口に使う軟膏なら、需要がありそうだが、しかし、男は薬よりも、花影に興味があるようだった。

 こちらに、ぬっと顔を寄せると、遠慮なく花影のことを凝視している。


「お前、エスティアの人間の血が混ざっているな?」

「…………えっ?」


 突然、降ってきた不躾な質問に、花影は唖然とした。

 しかも、男は明らかに侮蔑を含んだ薄笑いを浮かべている。


「直系ではないだろうが、光西の人間とは、骨格が違うからな。いくら顔を隠しても、俺には分かる。エスティアでは、沢山の兵士を殺してきたからな」

「………はあ」


 なるほど。

 この男は以前のエスティア遠征の時に、徴兵されたのか……。


(つまり、私怨から、私にちょっかいを出している?)


 ――と、やはり、その通りだったらしい。


「エスティアの人間が、光西人に堂々と薬を売るなんて、なんとも皮肉な話だよな」

「…………どういう意味ですか?」


 意味が分からずに、首を傾げると、男は花影に近づいてきた。


「先の国王を殺したのは、エスティアの人間だって言うじゃないか?」

「……いえ、知りません。そんな話。私は初耳です」

「ほう……。都にいて、知らないとは……。お前、よほど家柄が良かったんだな。それとも、檻に入れられて世間を知らないのか?」


 確かに……。


(檻……か)


 王宮は花影にとって、頑丈な檻だったのかもしれない。

 そんな噂、王宮あそこにいた時に、聞いたことがなかった。

 あの頃……。

 ひたすら、勉学だけに専念していた花影の耳に、その手の噂が届くことは、ほとんどなかったのだ。


「貴方が仰ってるのは、先々代の国王のことですか?  確かに、先々代の国王は、エスティア遠征中に、矢傷を負ったことが原因で、お命を落とされたそうですが、先代国王は遠征中に流行り病を患ったということしか、私は知りません」

「…………じゃあ、お前が知らないだけだな。噂で都中の人間が知ってることだ。今回の政情不安で、更にエスティア人に対する締め付けが強まるかもしれない。……薬は売れないぞ」

「忠告して下さってるのですか?」

「随分と、おめでたい性分だな」


 被りの中の男の顔が一層、険しくなったのが分かったが、不思議と花影は怖くなかった。

 どんなに苛立ちを抱いても、この男が花影に手を出してくるようには思えなかったのだ。


「しかし、その噂話と、私の作っている薬の効能とは関係ありません」

「ほう、では、お前が売っている薬の効能とは何だ? 毒じゃなければ、その薬で、エスティア人は男を籠絡するのか?」

「何を仰っているのか、よく……」


 花影は、ごくりと息をのんだ。

 男の言動は支離滅裂にみえて、何となく計算されているようだった。

 だから、言い返せなかったのだ。


(……男?)


 花影の知っている身近な男性は、たった一人しかいない。

 ……それは。

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