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銀花、煌めく  作者: 森戸玲有
二章
13/57

漆 【凌星の事情】

◆◆◆


(もう少し、地味で質素な着物を用意してもらえば良かったな……)


 凌星は花影が上物と表現した着物に目を落として、腕組みをした。

 発色の良い衣は、高価な代物である特徴だ。

 確かに、縫い目もしっかりしている。


(先走ったな……)


 早く女装を解いて、楽になりたかったので、馴染みの店を介して、衣装を調達したのがまずかった。

 花影が凌星に抱いている不信感を、更に助長することになってしまい、結果、凌星の申し出をすべて拒絶するまでに至ってしまった。


(酷いよなあ……。あそこまで話したのに……) 


 もう少し、凌星を信じてくれたっていいだろう。

 しかも、凌星は丁李の家では、馬小屋で起居しているのだ。

 千李の夫が亡くなって以降、馬はいないものの、藁に染み付いた臭いがある。

 寒さから着物もそのままで眠っているので、家畜臭くなっている可能性が高かった。

 ここまでして、頑張っているのに、花影は冷たい。

 いや、エスティアの血を引く自分のことを、卑下しているからこそ、丁李とその母以外、信じられないのかもしれないが……。


(…………異様な風体だから、なんかあるなって思ってはいたけど)


 彼女の外見の違和感に、世界中放浪してきた凌星は、すぐに気が付いた。

 王宮や王都はいまだ保守層が多く、花影も肩身が狭いかもしれないが、彼女がエスティア人との混血であることを卑下する必要なんて、まったくないのだ。

 エスティアという国を嫌う人間は多いが、しかし、一方で、彼の国の知識や技術は重宝されている。

 特に商業都市においては、長逗留するエスティア人技術者や商人も多いので、混血の出生率が高い傾向にある。

 いまどき、別に珍しいことでもなんでもない。

 いつか自信をつけてくれると良いのだが……。


(いや、そんなことよりも……だ)


 ――どうして、彼女は学司になることが出来たのか。

 ――なぜ、銀花の花弁をじっと眺めていたのか……。

 ――生徒の詩文を読みながら『銀花』と呟いていた理由は?


 これらの方が、凌星はよほど気になった。


 本音としては、花影が自ら教えてくれることを期待していたのだが、どうも、それは遠い未来のようだ。


(さて、どうするかな……) 


 政情不安の為か、客が疎らな茶店の二階で、冷めた茶をすすりながら、凌星は考え込んでいる。

 丁李の家に転がりこんだ当初は、こうして凌星が単独行動を取っていると、丁李が尾行してきて、それとなく撒いた日もあったが、最近はそれもなくなった。

 花影の指示だ。

 それくらいは信用してくれているのだろう。

 けれど、そういう合理的な判断は出来るくせして、今頃、徹夜で作った薬を、寒い路上で独り売ろうと専念しているのだ。

 それこそ、非生産的なことだ。

 丁李も一緒にやると申し出ていたのに、彼女はそれすら断っていた。


(どうして、一人で背負いこもうとするんだろう?)


 花影は、分かっているのだろうか……。

 たとえ、作っているものがどんなに素晴らしい物だって、いきなり売れるはずがないのだ。

 今頃、後悔しているのではないか……。

 それでも、彼女が頑なにこちらを拒むのなら、仕方ない。


(自分の出来ることをするまでだ……)


 浅氏もやり過ぎだが、そのきっかけを作った陶大将軍にだって責任はあるのだ。

 やむを得なかったとはいえ、あの奇襲で犠牲になった者は大勢いるはずだ。

 罪滅ぼしにはならなくても、知ってしまった手前、凌星はあの家族を放っておくつもりはなかった。


(気は進まないけど……)


 はあっと、溜息を零すと、計ったように、見知った顔が眼前に現れた。

 先日、別れたばかりのそう 珠水しゅすいだった。


「店主から、極秘裏にということで、再び参上いたしましたが、ご自分の思い通りに生きている割には、随分と醜い溜息を吐くではありませんか」

「そんなに、醜いか?」


 相変わらず、憎たらしいほど涼しげな相貌には、愛想の欠片もなかった。


「問題を先延ばしにして、先日はちゃんとした男装を一式持ってくるように言ったかと思えば、今度は女装をもう一度用意しろとは……。いっそ趣味の女装で荒稼ぎする人生をまっとうされるのが、よろしいのかもしれません」

「だから、趣味じゃないって」


 静かに心を抉るのは、彼女の得意技だった。

 上手く流すことが上策なのに、殺気立っている凌星は、つい声を荒げてしまう。


「自分で稼ぐんだから、いいだろ。大体、その問題だって、俺が望んだことじゃないんだ」

「はははっ。子供らしい主張ですね」

「…………空笑いはやめてくれ」

「ああ、失礼しました。では、女々しい主張だと訂正しときましょうか」

「本気で怒ることはないだろう?」

「怒りたくもなります。おかげで、毎日、貴方の相棒が、私を疑って押しかけてくるので」

「あのさ……。まさかだけど、あんた、あいつが余りにつれないから、後宮に上がろうとしたわけじゃないよな?」

「それは……その」


 凌星は頬杖をついて、上目遣いに珠水を見上げた。

 面白いほど、動揺している。

 彼女のことを、凌星はよく知っている。

 幼馴染みのようなものだった。

 枯れ井戸で彼女と会った時、自分が珠水に尾行されていたことに、凌星だけは気づいていた。

 だが、彼女との繋がりを話すと、色々と込み入った話になるし、更に花影が警戒するだろうと思い、黙った。

 彼女は凌星の意図を汲んで、一芝居打ってくれたようだが……。


(貸しを作ってやったと、思っているんだろうな……)


 そして、その貸しは今も膨れ上がる一方だ。

 もっとも、彼女がそこまで凌星に協力的なのは、凌星の相棒の存在があるからだ。


(面白いな……。ちょっと、からかうと、すぐにこれだ)


 頬を赤く染めた珠水は、照れ隠しとばかりに、手にしていた包みを凌星に押し付けた。


「そうやって、いつまで、逃げ続けられるでしょうね。陶大将軍の沈黙が続くほどに、民は不安になるのですよ。先代国王の例の噂も再び盛り上がっているようですし」

「例の……噂ね」


 それは、あまり芳しくない。

 噂の域は出ていないが、意外に的を射ているのだ。


「近いうち、血眼になって、捜索されますよ。今だって、もう極秘裏に動いているんですから。貴方の存在が明らかにならない限り、当家も出方を決められません。迷惑な話です」

「そういうもの……なのか」

「貴方ねえ……」


 欠伸をしながら応えたら、どんと円卓が揺れた。

 珠水が勢いよく立ち上がったせいだ。


「妓楼で風呂を借りてから、仕事した方がいいですよ。少々臭いますから」

「…………人が気にしていることを、ずけずけと……」

「それと、私は先生の正体については、まったく知りませんでしたが、先生の講義は、好きだったんです。あの方のこと、あまり苛めないで下さいね」

「苛める? 俺が?」


 むしろ、苛められているのは、凌星の方なのだが……。

 しかし、珠水はそれ以上何も言わずに、代金以上の銭を卓に叩きつけると、足早に茶店を去ってしまった。


(そんなに、俺は重要か?)


 凌星がいなくても、世界はそんなに変わらないものだ。 

 今まで沢山の国を見て、歩いてきた凌星は、それを肌で感じ取っている。


 戦を起こさない君主なら、名君だ。

 民衆の懸念といえば、争いと天災が主なのだから……。


「くだらない私怨で、これ以上、間違いを起こすなよ。…………おっさん」


 茶を飲み干した凌星は、珠水に続いて、肌寒い空の下に出た。

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