陸 【銀花の簪】
「あのさ。もしかして……と思うけど」
「何です?」
「それを、今から一人で作って、売る気なのか?」
「そうですけど」
花影は目前で口を大きく開けて、ぽかんとしている凌星に決然と言い放った。
「当然、小鈴殿は落ち着いた頃合いに、浅氏のもとに送るつもりです。そしたら、私はここを出て、一人で生きていきます。今回のことは、自活の一歩にも繋がると、前向きにとらえているのです」
「ふーん。そうなんだ」
おもいっきり、含みを持たせた物言いだ。
「あんたさ、もう二度と王宮には、戻れないって思っているのか?」
「小鈴殿の問題とは別に……。エスティアの混血が王宮にいる時点で、殺されてもおかしくありません。今回それが表沙汰になってしまいましたからね」
「先生のお母さんの時は、見逃されていたんだろう? 俺と小鈴が黙っていれば……」
「小鈴殿が、私のために黙ってくれると思いますか?」
「……むしろ、率先して言いまくりそうだな」
凌星が唇をかみしめた。
なぜ彼が忌々しそうにするのか、花影には分からない。
「それに、母の場合は特例だったので……」
「特例?」
「柳先生が宮女試験に来た母の記憶力の高さを買って、特別に王宮で勉強をすることを認めてくれたそうです。それで母は顔を隠して勉強に勤しんだとか……」
「へえ。あの爺さん、結構、器が大きいんだ。だったら、それこそ今回の騒動で何かが変わったら?」
「世の中には、変わらないことの方が多いと思います」
花影は間近に迫った凌星の視線から逃れるように、目を伏せた。
隣国、エスティアとの戦いの歴史は古い。
光西は過去に何度も彼の国に侵攻されては、激戦の末、辛うじて国を護ってきた。
国民も多く犠牲になっているし、先々代も、先代の国王もエスティア遠征がきっかけで亡くなっているのだ。
「そういうものかな。出生のことは、あんたのせいじゃないだろう?」
「それなら、あの家族だって……。彼らのせいではないのに、こんな目に遭っています」
話題を逸らしながらも、花影は自分の姿を見つめ直している。
(……いつも、ひっそりと隠れるように生きてきたから)
それが、正しいのだと、自分に言い聞かせていた。
でも、本当は……。
くだらない人生だと……。
飼いならされていく家畜のようだとすら、蔑んでいた。
「なあ……」
「はい?」
「……俺、手伝おうか」
ふと顔を上げると、凌星が花影のすぐ傍でしゃがんでいた。
深奥を探るように、凌星の黒い瞳が細められている。
「俺は薬を作ったことないけど、あんたが指示をしてくれれば、動くことはできる。それに、愛想を振りまくことは得意だから、売り子だってできると思うけど?」
「なぜ、貴方が?」
「一人より、二人の方が何かと便利だろう。違うか?」
「……そういうものなのでしょうか」
花影は呆れたとばかりに、半目を凌星に向けた。
男装の凌星は、優しい面立ちをしているが、とても女性には見えなかった。
むしろ、髪をまとめているせいか、整った輪郭が露わになって、性別を越えて、同じ人間とは思えないほど綺麗だった。
花影は素顔でいる分、いつも以上に彼の眩しさを直視せざるを得なかった。
(やっぱり、この人は私と違う。陽の下にいるのが似合う人なんだな)
懐かしいなんて、思ってもいけないことだと、花影はしみじみ感じていた。
――そして。
「結構です」
きっぱり、言い放った。
「………………何で?」
凌星はわざとらしいほど、大仰に脱力している。
「そこまで、俺は怪しいか?」
「それ以外に、表現のしようがありません」
花影は横を向いて、咳払いをした。
「貴方には、仲間がいるのでしょう?」
「仲間?」
「仲間がいるからこそ、着物を新しく貰い受けることも出来た。仲間がいるのに、私たちと行動を共にしているのは、小鈴の監視のためではないのですか?」
「先生とは、小鈴を押し付けられる前から、会っていたじゃないか?」
「最初は、本当に身を隠すつもりだったのが、途中で作戦を変更したとか?」
「あんな小娘一人に監視の人員を割くほど、将軍も暇じゃない。本気で浅氏を恨んでいるのなら、すぐに捕まえてどうにかしているさ。そのくらい、あんたも分かっているはずだ」
「だったら……?」
「まどろっこしいな。じゃあ……この際だから、話しておくけど」
言いながら、億劫そうに凌星は懐から、金色の簪を取り出した。
(これは、確か……)
凌星が最初に国王の前で舞を披露した際に、髪に挿していたものだ。
透かし彫りされているのは、一輪の花だ。
花の中心に小さな真珠があしらわれていて、先端には赤色の房がついている。
華やかで荘厳な造りは、職人の技術の高さを示しているようだった。
「…………銀花。この簪の花、銀花に見えるだろ?」
「はっ?」
「よく見てくれよ。ほら」
そう言って、凌星は花影の鼻先に簪を押し付けてくる。
花影は、目を凝らした。
しかし、残念ながら、それを銀花と断言はできなかった。
「うーん。そう言われてみれば……そう見えなくもないような気もしますけどね。まあ、銀花なのに、金色というのも、なんか妙な気はしますけど」
銀花は、地味で目立たない小振りな花なのだ。
むしろ、太い枝や、青い葉の方が個性で区別しやすい。
あえて、花に特徴のようなものがあるとすると、花弁が八枚からなるところくらいだろうか。
その簪の花弁も、八枚になっていたが、他の花と言われても、花影は納得したに違いない。
「陶のおっさんが銀花だって言うんだから、きっと、そうなんだろうよ。だから、俺はあの日の早朝、王宮に着いたのと同時に、衛兵を買収して、忍んで銀花を観に行ってたんだ」
「……そう……だったんですか」
「まさか、あんたがあの日の夜、独りで銀花を見に来るなんて、思ってもいなかったし、そのあと、学司の仕事をしながら、銀花と呟いている時には、どきりとしたもんだよ。これは、運命なんじゃないかと思ったくらいだ」
「運命とは大げさですが、それほどまでに、貴方は銀花を?」
「まあな」
凌星は感慨深そうに、簪を眺めていた。
「この簪は、俺の母親の形見だと聞いた。父が母に贈ったものらしい。どうして、父が銀花の簪を作らせたのか、俺にはさっぱり分からないけどな」
「要するに、貴方は、それを知りたいから、私の傍にいるんですか?」
「まあ、それもあるけど。あんた自身に興味を持ったのは、確かだ。だから、せめて敵ではないって認識くらいは、持って欲しいと思う」
「私だって、貴方がそんなに悪い人間ではないってことは、分かっています」
「……なら、いいんだけど」
ほっとした隙だらけの表情を浮かべる凌星に、花影はどきりとした。
その感情こそが怖いのに……。
逃げるように立ち上がった花影は、再度、彼の要請を念入りに断ったのだった。




