第三話 牧師さんの秘密
「こんな時間まで待たせてしまってすまない」
時刻は午後5時。
クロエには昼飯を食べ終わってから教会を閉めるまでの間、礼拝堂で待ってもらっていた。
「いえ、貴方も忙しいようでしたから私が待つのは当たり前のことですが……本題に入る前に一つお聞きしてもいいですか?」
「何だ? 何かおかしなことでもあったか?」
「おかしいといえば全部おかしいのですが……そもそもここは薬屋ではありませんよね? なのになんで牧師である貴方が薬を調合、販売しているんですか?!」
「ああ、俺は多少薬学をかじっているからな。この街の薬師ギルドと領主の許可を得て、こうして修行の一環として調合と販売を行っているんだ。まぁ、売り上げのほとんどは生活費と教会の運営費にあてさせてもらっているけどな」
「確かに地方では副業を持つ牧師がいるという話を聞きますが……貴方、今日一回も説教とか牧師らしいことしていませんよね?! いえ、たまに来るご年配の方々への人助けは立派でしたが、なんで一人も信者の方々が祈祷に来ないのですか?!」
「それは、この教会に女神像がないからだろう。俺も祈祷なら神殿でしてくれと言っているからな」
「え? 何を言っているんですか? 女神像がないなんてことがあるわけが……」
そう言ってクロエは振り返り、本来なら女神像が安置されているであろう場所を見た。
だがそこには白い壁があるのみで、女神像どころか何も置かれていない。
「ほら、ないだろ? 午後の間ずっと礼拝堂にいたのに気づかなかったのか?」
「『ほら、ないだろ?』じゃありませんよ!? なんで女神像がないんですか?! ここは一応教会なんですよね?!」
「あ、ああ、でも無いものは無いんだ」
「なんで少し開き直っているんですか?! 貴方はこの状況をどう考えているんですか!? 普通はありえないことなんですよ?!」
「わ、わかったから少し落ち着いてくr……」
「ちゃんと! 説明してください!」
まるで暴走した汽車を相手にしている気分だ。
先ほどまでの大人しい印象とは打って変わって、女神のことになると人が変わったように饒舌になるという敬虔な神官によく見るタイプだが、ここまでギャップがある神官は初めてだ。
それからクロエを落ち着かせるまでに30分は要したのだが、いや、実に大変だった。
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「すみません。少し取り乱してしまいました」
「は、はは、気にするな」
なんとかクロエを落ち着かせた俺は、ダイニングでコーヒーを淹れていた。
それにしてもあれが少し、か。
「しかし貴方もブレイデンという人からこの教会を受け継いだ時に、ちゃんと事情は聞いておかないとダメですよ?」
「ああ、俺も師匠にはもっと聞きたいことがあったんだが、2年前に急に出かけてくると言ってから何の連絡もないから困っている」
この教会は5年前に俺をゾンビの群れから助けてくれた俺と同じ銀髪銀瞳を持つミドルの男、ブレイデンから受け継いだものだが、如何せん謎が多すぎる。
教会に女神像がないこともだが、俺はブレイデン……師匠に自分の不思議な力と純粋な戦い方について鍛えられた記憶しかないから何か詳しい説明や事情を聞いたことが一切なかった。
そのことがこの後の説明に影響しなければいいが……
「コーヒーを淹れたんだが、飲めるか?」
「はい。あ、でも角砂糖を2個ほどいただければ助かります」
「了解した」
カップにコーヒーを注ぎ、一つはそのままで、もう一つには角砂糖を2つ入れる。
「ありがとうございます……美味しい……こんな美味しいコーヒー初めて飲みました」
「そうか……それはよかった」
「それでは、このコーヒーをいただきながら貴方に質問をしていきたいのですが、よろしいですか?」
コーヒーを口に含んだ直後は微笑みすら浮かべていたクロエの空気が張り詰める。
「ああ、俺が知っていることは全て話すつもりだ」
俺は何の躊躇いもなく頷く。
だがこの時の俺は、俺と師匠だけが知っているであろう秘密を誰かに話すことの意味をどうやら甘くみていたと、後に思い知ることになるとは思ってもいなかった。
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コーヒーを一口飲んだクオンは居住まいを正す。
するとクロエは神官服のポケットから小さなメモを取り出した。
「空いていた時間で少し質問をまとめてみました」
テーブルの上に置かれたメモに書かれている内容はそう多いものではなかった。
だが、メモを覗いたクオンはわずかに目を細めた。
「まず初めに聞きます。クオンさん、どうしてこの大都市の内部にアンデッドが出現しているんですか」
「いきなり核心に迫ってくるんだな。まあ、当然といえば当然だが」
「貴方なら私が一々周りくどく問い詰めなくても話してくれると思ったので、最も重要な部分から聞いていくことにしました」
「その方が俺としても時間をかけなくて済むから助かる。さて質問についてだが……実は俺にもわからないんだ」
「なっ……!」
クロエは短い驚きの声とともに立ち上がった。
(まぁ、その反応になるよな。と言っても、俺も本当に知らないんだが……)
クオンは両手を広げて首を横に振った。
実際にクオンも知らないのだからしょうがないのだが、クロエは納得できなかったらしい。テーブルに手をつき、前のめりになっている。
「わからないって、それじゃあ貴方は何を知っているんですか?!」
「落ち着いてくれ。確かに俺は何故この街にアンデッドが出現するのかは知らないが、出現場所なら知っている」
クオンが辺境都市リゲインに住むようになったのと、この街のアンデッド出現問題に関わるようになったのはほぼ同時期である。
そのうちの3年間は師匠のブレイデンのもとで修行を重ねながら共に原因究明に努めていたが、クオンが来る以前からリゲインにいたはずのブレイデンでさえ手がかりをほとんど掴めていなかった。
「アンデッドは一週間のうち花風水木雷呪土の7日間、日が完全に沈んでから昔、貧民街があった2つの通路に出現する。何故それらの曜日にだけ出現するのかも分かっていないがな……」
この世界で最も用いられている暦で一週間は月火花風水木雷金呪土日の11日間である。
大都市の内部にアンデッドが出現するというだけでも異常事態だが、クオンはそのうちの7日間もアンデッドが出現すると事もなげに言ってのけた。
「原因は未だ掴めていないが、場所と時間がわかれば対応するのは容易だ。まぁ、この5年間、出現したアンデッドを毎夜毎夜全滅させることしかできていないけどな」
クオンはなんでもないことのように話すが、クロエは信じられないことを聞いた気分になった。
5年間? 毎夜毎夜? 出現したアンデッドを全滅させる?
驚きを通り越して、話の真偽すら疑ってしまうような内容。
しかし、クロエはクオンが嘘をついているとは思えなかった。
「ま、待ってください! 貴方は昨夜のようなことを一人でやっているのですか?!」
「そうだが?」
クオンは何かおかしなことでも? と言いたげな表情でクロエを見る。
「領主は……リゲインの領主は何をしているのですか?! 貴方一人が負担を負って、これほど近くにアンデッドの脅威があるというのに、領民を守るための対策はしていないのですか?!」
クロエは今日一番、叫んだ。
もし、領主が見て見ぬふりをしているのならば今すぐにでもこの教会を飛び出して領主に文句を言いに行きそうなほど、彼女は荒ぶっていた。
だが、それに対して、クオンは衝撃的な言葉を放った。
「それは……ちゃんとした理由があってこのことは領主及び、この都市に住む人々に隠しているからだ。この街にアンデッドが出現することを知っているのは俺と師匠、そしてキミを含めて4人だけだ」
「……どうして、隠しているのですか? 人々の安全は何よりも優先されるべきことのはずです。領主にこのことを伝えて対応すれば……!」
「キミの言いたいことはわかる。そしてここリゲインの領主は領民のためならば全力で対応に当たるだろう。だが、それによって想定される被害について考えたことはあるか?」
「被害……ですか?」
領主が全力で対応にあたり、問題が解決するなら良いのではないかと思っていたクロエは、被害と言われても何も想像がつかなかった。
「最悪の場合、辺境都市リゲインが滅ぶかもしれない」
真剣な表情で告げられた話の内容に、クロエは息を呑む。
「先ほどキミはこの街の領主は何をしているのかと言っていたが、逆なんだ。領主が誰よりも領民のことをおもっているからこそ、アンデッドの情報を伝えることでその最悪の事態が起こる可能性がある」
「そんな、どうして」
領主が領民をおもっているからこそ、その都市が滅ぶ。平時に聞けば「そんなわけがない」と一蹴するような話。
だが、クオンの表情と白くなるまで組んだ手の力強さが、クロエに否定の言葉を言わせなかった。
「キミも知っているだろう? 今から20年前、大量のアンデッドが自然発生したことで滅んだ都市があることを」
「……ッ! 楽園都市ニペンシー、ですか」
クオンは無言で首肯する。
「ここの領主ならアンデッドが出現するという情報を掴んだ時点で、まず間違いなく領民に情報を伝える。例え伝えなかったとしても騎士団が出動するのはまず間違いないから、どのみちこの都市に住む全ての人々が知ることになるだろう」
クオンはリゲイン領主がどのような人物かわかっているような口ぶりで話す。
「するとどうなると思う? 過去の事例がある。それも恐ろしいものであればあるほど、人は自分の身の安全を守るために動く。それが悪いことであるとは言わないが、都市から人がいなくなるということは、都市機能の停止、その果ての衰退を意味している。それはもう、都市が滅んだと言っても過言ではないだろう」
クロエは今も神官の間で語り継がれている、けれども少し遠い過去の出来後のようになってしまっている楽園都市ニペンシーで起きた悲劇について、教皇から教えてもらった時のことを思い出していた。
年老いた人々が最後の瞬間を迎える理想の地として有名だった楽園都市ニペンシーには、幾千幾万の人々が土葬されていた。
永遠の眠りについたと思っていた死者が土の下から這い出、再び動き出した時に対峙した生者の絶望は、恐怖はいかほどか。
楽園都市ニペンシーに現れたアンデッドを駆逐するために国中から凡そ10万もの騎士と、祈祷することで魂を浄化させることができる実力のある1万以上の神官が集められたが、そのほとんどが恐怖で使い物にならなかったという。
だが、倒さなければ殺される。平静にはなれないまでも、派遣された騎士と神官は数えるのも億劫になるほど多くのアンデッドを相手取った。
しかし、かの地に現れたアンデッドは簡単には倒せず、浄化できず、倒した数以上に騎士と神官が倒れていく始末。
遅れて駆けつけた数人の神子によってアンデッドは全て倒されたが、騎士と神官の死傷者は全体の8割にも上ったという。
そうして、多くの犠牲を出して奪還した楽園都市ニペンシーだが、人々はその地を気味悪がって近づかなくなった。
ニペンシーで生まれ育った人たちでさえ、故郷を捨て、他の地で生きることを決意したのだから、それだけ都市の内部にアンデッドが現れるというのは深刻な事態なのだ。
「この都市に現れるアンデッドも生半可な武器や魔術じゃ倒せない」
これはクロエも薄々感じていた。
思い出すのは昨夜のこと、油断していたとはいえ上位種の毒をくらい、無数のゾンビに囲まれ、一歩間違えれば死んでもおかしくない窮地に立たされた。
万全ではなかったといえ、アンデッドに対して優位に立てる武器を持つクロエでさえ、条件が悪ければあれほど追い詰められるのだ。
これがただの鉄の武器だったら、特別な力を持たない者が戦おうとしたら……彼らにはクロエ以上に死の危険が付き纏う。
そのことを理解してしまった彼女は表情を曇らせた。
「神官にしても祈祷でアンデッドを浄化できるレベルの神官は、この都市の神殿だけ見ても全体の2割にも満たないはずだ。痛覚もなく、恐怖もなく立ち向かってくる、何体いるとも分からないアンデッドを相手にして戦うだけでも相当な被害が出るのは確実なのに、楽園都市の時とは違ってなぜ現れるのかもわからない。しかも相当な時間を費やし、被害を出した先に待っているのは一つの都市の滅亡だ」
喉が渇いたのか、クオンは少しぬるくなったコーヒーを飲んだ。
対するクロエは目の前で語られる人一人が背負うにはあまりにも重く大きい、だが決してあり得ないことではない最悪の可能性の話を聞いて言葉を失っていた。
しかしそれでも、神官である彼女にとって人々の命と安全は何を犠牲にしようとも守られるべきものである。
だからこそ、彼女は守ってきた人々に恐れられようとも、今日まで戦い続けてきた。
全ては神子として生まれた自分の宿命に従い続けた結果だが、今更変えるつもりはなかった。
「でも、それでも! この街に住む人々の命と安全に代えられるものではありません」
「その結果、代わりに騎士や神官の血が流れるとしても、か?」
「それは……」
選べるものではない、比べられるものではない。
だが、クロエが言おうとしているのはそういうことだった。
この国の全ての神子が、この事態に対応するようなことがあればまだなんとか光明は見えたかもしれないが、強力な力とともにそれぞれに壮大な宿命が与えられ、表面上はそうではないとはいえあらゆる最高権力に雁字搦めにされている彼らがこの都市に集結するのは奇跡を願うのに等しい。
「5年以上もの間、アンデッドが現れ続けているこの街に残された選択肢は多くない」
都市が滅ぶか、現状維持か……どちらにせよ何かしらの犠牲は発生してしまう。
その選択は、クロエ一人が選ぶことのできるようなものではなかった。
「だが、俺は諦めたくはない」
俯きかけていたクロエは、強調されたクオンのその一言で顔を上げた。
「何を、言っているんですか」
「言った通りだ。俺は何も諦めない。リゲインは滅させないし、ここの領民を死なせもしない」
「でもそれは無理だって、他ならぬ貴方が……」
いや、果たしてそうだろうか。クロエは言いとどまる。
確かにクオンはこの街に住む人々の命と安全に代えられるものではないというクロエの言い分に、代わりに騎士や神官の血が流れるといっただけだ。
そもそも、クオンはアンデッドが出現するという情報を領主に伝えた場合の話しかしていない。
「夜に出現するアンデッドは全て俺が倒す。そして、原因もなんとかして突き止める。勿論、誰にも気づかれないようにな」
それは先ほどまで、過去の出来事やあらゆる要素を踏まえた上で語られた最悪の可能性とは真逆の、なんとも単純で、現実性のない、希望の話だった。
「本気で、言っているんですか?」
「ああ、俺は本気だ」
即答である。
「この都市にいったい何人が住んでいると思ってるんですか? そもそも5年以上もほとんど手がかりすら掴めていないんじゃ……」
「確かに俺がこの5年間で掴めた手がかりは微々たるものだが、確実に進展はしている。そして、5年間、俺は誰一人としてアンデッドに領民を襲わせてはいないし、気づかれてもいない。……まぁ、その代わり妙な噂はたったが、それは師匠の頃からだから俺は関係ないな」
5年間、クオンはこの都市の領民をアンデッドから守り続け、原因を突き止めて都市自体を救おうとしている。
「ですが……」
クロエはおよそ現実的ではないクオンの話に自分が希望を持ちかけていることに気づいた。
そんなことは不可能だと、5年間も守り続けているなんてあり得ないと、否定することは簡単だがそれではこの都市には本当に何の希望も残されていないことになってしまう。
彼女が最後まで否定の言葉を口にすることができなかったのは、彼女自身もこの都市の未来を受け入れることが出来なかったからに他ならない。
「……俺一人が成し遂げられるとは到底思えない、か?」
「それは……」
そうだとは言わなかったが、クロエの言わんとしていることは大体クオンに伝わっているようだ。
神子である彼女ですら一人で背負うにはあまりに重く大きいと感じる一つの都市の命運を、目の前の一牧師が背負おうとしている。
不安に思うのは当然、否、信じられないのが当たり前だ。
「それなら、キミの目で見て、確かめてくれないか」
「えっ?」
「俺がこの都市に住む人々を守りきれる力を持っているか、成し遂げることができる人物かどうか、キミに判断してほしい」
クオンの銀の瞳が、クロエの白い瞳を真っ直ぐに見据えた。
クオンの表情は真剣そのもので、彼の本気さはクロエもすぐに感じ取ることができた。
だが、男女が見つめ合うという行為自体に恥ずかしさを覚えたクロエは2秒ほどで目を逸らした。
「……どうして、貴方は、そこまでしてこの都市を守ろうとするのですか?」
頬がほんのりと赤い。恥ずかしさを隠すように、クロエは彼にそう聞いた。
思えば、質疑応答のようにして始めたが、クロエも質問のことはすっかりと忘れていたが彼女は良くも悪くも質問以上のことを聞けていた。
今までの話に比べれば、クオンが本当に牧師なのかどうかなど些細な問題だろう。
そして彼女は最後の最後に、その質問を選んだ。
「全部、自分の為だよ」
クオンは自嘲気味に薄く笑って、答えた。
あとがき
前回から少し間隔が空いてしまってすみません




