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遠くから、がらがらと牛車が近づく音がする。
鬼道丸は構わずに顔を伏せたままだった。
牛車に乗るような身分の高い奴らが、鬼道丸に興味を持つことなどないからだ。
ところが、その牛車は鬼道丸の前まで来ると、ぴたりと車輪を止めたのである。
鬼道丸は驚いて顔を上げた。
鬼道丸の目の前には、綺麗な網代車が一台止まっている。
花菖蒲の襲の衣の裾が、清らかな簾の下から覗いているところからして、どうやら女車のようだ。
中からは、芳しい香の薫りもほんのりと漂ってくる。
鬼道丸はうっとりとその網代車を見上げていた。
やがて、簾がゆっくりと揚げられ、華やかな幻のようなものが、ふいに姿を現した。
それは、一人の若い姫君だった。
一度も日の光を浴びたことがないと思われるほどに白い面輪。
優しく伏せられた睫の長い瞳。
薄紅の桜の花弁を置いたような、儚げな淡い唇。
漆黒の髪が肩先から流れ落ち、牛車から零れんばかりに豊かに波打っている。
年の頃は、鬼道丸より二つ、三つ上か。
だが、鬼道丸はもう目を離すこともできずに、惚けたように姫君の顔を見上げていた。
ぼんやりした鬼道丸の耳に、涼やかな声音が聞こえてくる。
「あなたは陰陽師なのですか」
鬼道丸ははっとして、思わずふらふらと立ち上がった。
姫君はなぜか思いつめたような目をして、鬼道丸をじっと見ている。
鬼道丸はぶるぶると首を縦に振って姫君に答えた。
すると、姫君は持っていた数珠を握り締め、震える手でそれを胸元に押し当てながら呟いた。
「ああ、観音様のおっしゃった通り。これできっと、あの方の命も救われる」
そう言うと、姫君はほろほろと涙を零して、鬼道丸に手を合わせた。
鬼道丸は驚いて後ずさり、どもりながら言った。
「お、俺が何だというんです。俺はここで辻占をしてるただの占い師だ。人の命を救うだなんて、そんな大それたことできるわけがない」
「いいえ。これは観音様のお導きです。あなたこそ、観音様が夢のお告げで教えてくださった方」
「そんな馬鹿な。俺は何も知っちゃいない」
「でも、わたくしが夢で見たとおりになりましたわ」
「一体どういうことだよ」
「わたくしは三日前からずっと、奈良の初瀬にある長谷寺にお篭りをしておりました。長谷寺はわたくしの母が殊のほか信心していた尊い御寺。何か哀しいことや悩み事があると、わたくしはいつもそこへ参るのです」
「それが、俺と何の関わりがあるんだ?」
「お篭りして三日目の夜、つまり今日の明け方の夢に、黄金に輝く観音様がお立ちになったのです。そして、わたくしの頭を優しく撫でながら、こうおっしゃいました。京の都の一条戻橋のたもとに、偉大な陰陽師がいる。その陰陽師に頼れば、そなたの願いはきっと叶うであろう、と」
姫君は再び鬼道丸に手を合わせ、縋るような眼差しで言った。
「どうか、あの方の病を治してくださいませ。どうぞお頼み申します」