成長期
時は流れてはや一年。ブレスは世界最大にして唯一の教育機関である学堂への入学の準備を始めていた。想像よりも成長のスピードが早く能力的にも入学条件を満たしていたためだ。
ちなみに学堂の創設者は校長である。
学堂を創り上げたのも初めは暇つぶしの一環であったが教育を施した者があれよあれよと出世街道をひた走りいつの間にか恩返しという名目で最大にして唯一の教育機関になってしまったのだ。
故に学堂の別名は不可侵領域であり何かしようものなら各国の校長に大恩ある面々からの壮絶な報復が確定する。
一例をあげよう。
校長に個人的に恨みを持った集団がいた。彼らは学堂を占拠して生徒を人質にし校長への恨みを晴らそうと画策していた。
だが、その計画は失敗した。厳密には失敗することすらできなかった。計画段階で各国からの総攻撃を受け捕縛されたのだ。計画しただけでこれである。誰も手出しができないのも頷けるであろう。
実際のところは校長が直々に戦闘行為を行おうものならその者たちの絶命が確実になるので命を拾った分だけ幸運だったとも言える。
学堂にいたものは口々に言う「校長だけは怒らせるな」と。その真意は命が惜しいからなのか、それとも恩師を怒らせるような馬鹿な真似はするなということなのか。
それは分からない。
それを踏まえて今の校長の状態はこうである。
「なあ……本当に入学するのか?なんならマンツーマンでずっと私が教えてやってもいいんだぞ?」
「僕学堂に行ってみたいんだ」
「いやいやそんな良いとこじゃないぞ?だから私と一緒に勉強しよう?」
とても創設者の言葉とは思えないが、それは本人も自覚しているようで決まりの悪そうな顔をしている。
「それは今までやってきたじゃない」
「まだ教え足りない!!」
「僕は学堂に行きたいって言ってるのに……ダメなの?」
ブレスは伏し目がちになる。
「うっ!?そんな顔するな!?胸が締め上げられるみたいになる!!」
「……じゃあ行かせてくれる?」
「それは……その……」
途端に歯切れが悪くなる校長。
「ダメなんだ……良いよ……僕はここで先生と勉強するよ」
心を押し殺した笑み、機械のような儚げな笑い。こんな顔をさせたくなくて校長はブレスを育ててきた筈だった。
校長の胸の痛みが激しくなる、行かせたくない想いと自分のワガママがこんな表情にさせてしまったという自責がぶつかる。
そして心が砕ける音と共に言葉を絞り出した。
「学堂へ……入学を許可します」
「良いの!!」
「ただし」
「ただし?」
「そんなに頻繁じゃなくて良いから、私達のところへ顔を見せにきておくれ」
「うん!!」
今度の笑みは校長がさせたかった年相応の笑みであった。
なぜ校長がこんなにもブレスを行かせたがらなかったかと言うと学堂は基本的に一度入学すると学堂にある寮で寝泊まりすることになる。
つまりは離れ離れになるからである。
永年生きたうちの一年間とはいえしたことのない子育てをしながら愛情を育み、絆を作ったのだ。子を遺せず、他の存在と同じ時を過ごすことも難しい【貴不死人】達にとってかけがえのない時間となった。
それぞれが自分の得意なことでしか関わることができなかったがそれでも充実した時間だったのだ。校長は知識を、匠は技術を、剛は身を守る術を、双星は理を、太陽は生きる業を伝えた。つまりそれぞれを受け継いだ【貴不死人】の子にブレスはなっていたのだった。
そして。経験したことのない寂しさを覚えた【貴不死人】達は今になって当初の目的をかなぐり捨てて校長の屋敷でブレスを引き止めにかかっているのだ。そこで出された入学の条件がこれである。
今屋敷内にいる【貴不死人】全員から入学の許可をもらうこと。
学堂に入れるまでの養育を行うのが目的だったはずなのに訳のわからない条件であるが親の感情などそんなものなのだ。
飛び立っていくのは喜ばしいが手の中から巣立つのは寂しい。【貴不死人】であろうともそこは共通していただけのことだ
これは折り合いをつけるために必要な儀式なのである。
「学堂には校長室があるから寂しくなったらいつでも来て良いぞ」
「うん、分かった」
唯一学堂入学後にブレスへの接触機会がある校長であるがその特権を他の【貴不死人】が良しとするか。
答えは否である。
さしもの校長と言えど残りの【貴不死人】全部を相手取って無事には済まない。
こっそりと【貴不死人】用の施設が建造されていたりするのだがブレスがそれを知るのはもっと後になってからであった。
「仕方ない……許可は出してしまった。早く他の【貴不死人】にも許可を貰ってくるといい。時間はあるが一筋縄じゃいかないぞ」
「えっと……後少しだけ先生と勉強したいんだけど……ダメ?」
ブレスの照れ笑い
「うぐっ!?」
校長にはこうかばつぐんだ!!
校長は胸を押さえて膝をつく。
「し、しかたないなあ!!最後の授業をしようじゃないか!!」
校長はにやける顔を隠そうともせずブレスを撫で回す。
「(良い子になったなあ……やっぱり手放したくないなあ……でもなぁ……あんな顔で笑って欲しくないしなあ)」
「どうしたの?」
動きを止めた校長を見てブレスが声をかける、思考に沈んだ校長は反応しない。
「(かわいいなあ……我が子というのはこんなにも愛おしいものだったのか……今まで鼻で笑ってきたがこれが愛情というものなのか)」
「え?先生?何か言ってよ」
校長は微動だにしない。ブレスは涙目である。
「プリママ!!」
ブレスの叫びと共にブレスの【恋人】が出現する。一年という時間は禍兎からのダメージを回復するには十分な時間だった。
思考にかまけていた校長にはそれに反応することができない。
「おがっ!?」
校長の首が勢いよく横に捻られる。捻じ切るような強度ではないがゴキッという音を首から発生させた。
ブレスの【恋人】はそっくりな顔をぷくっと膨らませて身振り手振りでブレスを構えということを示唆する。
「イタタ……すまない。すっかり考えごとに夢中になっていた。気をとりなおして最後の個人授業を行おう」
いつもの通り机と紙が出現することは無かった。ただ校長の前に目隠しを施された人形が出現したのみであった。
「これは?」
「最終試験というべきか。私の魔眼を使って行うが気に負うことはない失敗したとて少し石化するくらいだ」
「石化……!?」
「私が出す問題に答えればいい、それが正解なら何も起きない、不正解なら魔眼が開かれるだろう。準備はいいか?」
「はい!!」
「問いは一つだ。心して答えよ」
ブレスが冷や汗を流し唾を飲み込む。今の校長は母親役でも先生役でもなく正しく【貴不死人】の校長だった。
「貴様は何のために生きる?」
「自分と自分に関わるものを幸せにするためです」
即答だった。
この質問を一年前に問いかけていたならブレスはあなたを幸せにするためですと答えただろう。【恋人】としての性質は残っているが自分のことを考えることができるようになったということであった。
魔眼は開かれない。
「……合格、行ってらっしゃい」
校長はにっこりと笑う。その眦には薄っすらと涙が見えた。
「うん!!」
ブレスは次の【貴不死人】の元へと駆け出した。