遭遇
よろよろと歩くブレスには先ほどまでの余裕はない。虚勢を張ってカームに言い放ったのはいいが身体の方は正直だった。
「はぁっ……はぁ……流石につらいわね……」
失われた血液の分だけ体力は削られており、思考も視界もなにもかもぼやけていた。
「ほんと……に……冗談じゃないわ……」
胸の球へと手を当てる。
「大丈夫……私が守るわ……だから安心して……眠っていて……大丈夫よ……愛しい人……あなたのためなら私はなんだってできる……から」
思いでなんとか繋いでいた足取りもついに膝が折れる。
「っ……まだよ……まだ……倒れちゃ……だめ……」
這いずるように動きながら、視線は前へと向いている。
「だれ……こっちにくる……こんな姿……見せられない……」
足音が近づいてくる。
今の状態では逃げることさえ困難である。
「あなた……どうして倒れていますの……?」
通りすがったのはララシィであった。
「こないで……なんでもありません……から」
強がりを言っているのは分かりきっていた、それでも普通の人間ならば問題に首を突っ込むことを厭うて見なかったことにするかもしれない。
「(この方は親しくもありませんし、何か事情がおありなのでしょう、放っておいた方がいいかもしれませんの)」
だが、ララシィは貴族だった。
「(それが普通でしょう、ですが私は誉れ高き古代龍の裔ですの)」
高貴に伴う責任を叩き込まれているために困っている者を見過ごすことはできなかった。むしろ今のララシィにとって貴族としての在り方だけが支えであるとも言える。
「失礼かもしれませんが、そんな強がりに付き合う気はありませんの。私はあなたを助けます。それがお気に召さなければ元気になってからいくらでも言ってもらって構いませんの」
ギフトの身体が風に支えられる。
「あなた……軽すぎますの……少しは食べた方が良いですの」
「おおき……な……おせわ……よ」
力なくぐったりとしたギフトの身体を確認する。見たところ服に穴が空いていること以外は特に怪我は見受けられない。
「怪我は……ありませんの……でも、どうして倒れていたかは聞かない方が良いのでしょう?」
「……察しがいい……わね……」
力なく笑うギフトは弱々しく話すことしかできない。
「怪我がないのなら救護室に運ばなくても良いですの、とりあえず私の部屋にお越しくださいな」
「……分かった……わ……」
しばらく行くとララシィは突然窓枠から体を乗り出した。
「他の人にも会いたくないでしょう?空路を使いますの」
「……は?」
風が強さを増す。
ララシィが翼を広げると風を受けて身体が浮いた。
「口は閉じといた方が良いですの。舌を噛みますの」
「うぐっ……!?」
急激な加速によって危うく傷が開きかけたがギフトは根性でそれを耐え抜いた。ドラゴニュート基準の耐久力ならば問題ないものであったが自らよりも脆い者のことを考えていないあたりはまだ未熟ということだろう。
「さあ着きましたの」
「ぜぇ……ぜぇ……死ぬかと思った……わ」
やたらふかふかとしたベッドに乗せられたギフトはようやく一息つく。
「さてと、あなたと今日ここで出会ったのは運命かもしれませんの。あなたに聞きたいことがあります」
「……何を?」
ララシィが息を深く吸い込む。
ちなみにこれはドラゴニュートがブレスを吐く準備段階でもあるので、本当は人前でやってはいけない事となっている。
「あなたは……ブレスという人を知っていますの?」
一瞬だけギフトの動きが止まる。
「次から次へとなんでよってたかって私にブレスなんていう奴のことを聞くのか分からないわ。言っておくけれどそんな奴は知らない。これが私の答え」
「そう……ですの。それなら良いですの……未練を引きずるのはこれで終わりにしますの」
目に見えて意気消沈するララシィ。うなだれた後に肩を震わせている。
「では」
ゆっくりと顔を上げる。
「ここからは」
その瞳は弱々しくものではなく。
鋭い眼光を湛えていた。
「未来の為の話をしますの」
あまりの迫力にギフトが一瞬怯む。
「(龍に睨まれた者は身を石にされるって聞いたことがあるけれど……なるほど……こういうことなのね)」
ララシィの背後に巨大なバケモノがいるかのように幻視するほどである。
「……あなたが何かを隠しているのは分かっています、そしてそれを隠し通さなければいけないということも」
明らかに何かの確信を持った口ぶりである。揺らぎというものがまるでない。
「何を知っているというの……あなたが……私の何を……!」
「知りませんの、あなたの情報をいくら探っても出てくるのは完璧に偽装されたものばかり。きっとそれを行ったのは完璧主義者だったのでしょうね。お爺さまに頼んで大昔の伝手まで使って調べても何もない、そんなことができるのは【貴不死人】か国家の中枢に永く居る者だけ。そして国家に関わる者が何の足跡も残さずにそんなことはできない。つまりあなたは【貴不死人】の関係者というだけでなく、何かの使命を受けていると考えるのが当然。そうでなければいきなり学堂に来る理由なんてないですの。ではここ最近で一番の事件は何か。それはブレス様の処刑ですの、校長自らが生徒の処刑を行うなんて前代未聞。そしてそれは【貴不死人】にとって本意ではない。それの後始末をするためにあなたは来た。違いますの?」
「ふうん、当てずっぽうでもそれだけ言えれば大したものね。で?それで?その空論で何をしようと言うのかしら?」
「まどろっこしいことは抜きですの。私の要求は1つだけ。このことをバラされたくなければ【貴不死人】に合わせてください」
ギフトはうんざりした顔でため息をつく。
「はぁ……それと同じ事をあのエルフにも最初に言われたわ。だから答えは同じ。無理よ、私ではあの人達の所へは行けないし。行き方もしらない」
「……あなた、カームの言うことが分かるんですの?」
「分かったから何だというのかしら、あんなに情報を垂れ流しにしていては言葉がなくても分かるというものよ」
「いいえ、分かりませんの。一緒に生死の淵をさまよったムケンや心を読む能力などがあれば別ですが、その素振りはないですの。第一心が読めるのならば今私に付き合う必要もない。加えてカームが意図して伝えようとしていれば別ですが今のカームにその余裕はないですの。だからブレス様がいなくなってから意思疎通ができていたのはムケンだけ。最近はいくらか改善したようですがそれも以前ほどではないですの」
「それでも分かるのよ、あなたの理解が及ばない世界があるの」
「そういうことではないですの、私が言っているのは今のあなたの話ですの。そんなに洞察力が優れているのなら今のあなたのように眼球が一切動かずに相手を見るなどということはないはずですの。「俺」の時のあなたはもっと油断なく全てを見ていました」
「だから……なに?」
「あなたはいったい……誰ですの?」
ギフトの顔に初めて動揺が浮かぶ。
「……ギフトよ。はじめからそう言っているわ」
ララシィが手を叩く
「気が変わりましたの。今日はここまでにしましょう」
「は……?」
「もう一度必要ですの?今日はここまで、後は気分が良くなるまでここに居ていいですの。ではまた」
風が逆巻きララシィの身体が宙に浮く。そのまま外へと飛び去った。
「(あまりにも不自然、あまりにも怪しい、そう思っていましたが。これは完全にクロですの。今の私はという言葉、自分について問われたときの動揺、空論の裏付けがとれました。やはり秘密を隠してここに来ている、正体がある、これだけ分かれば今は十分ですの。あまり追い詰めていなくなられても困りますの。【貴不死人】が隠蔽するほどの出来事……ブレス様はきっと死んでいない。それが分かっただけで良いですの)」
青い空は心なしか滲んでいた。




