襲撃
黒塗りのナイフがゆっくりと振り上げられる。音を立てぬように細心の注意を払って動く様は熟練の暗殺者のそれである。馬乗りになっているために逃げられる可能性も低い。
熟練しているからと言っても気づかれないわけではないが。
「なにをする気だ」
振り下ろされる寸前でギフトは目を開けた。そもそも眠る必要性も薄い身体である。意識の覚醒も一瞬だった。
「……(お前から取り出すんだ、大切なものを)」
無言だが決意と妄執を混ぜた瞳は全てを語っていた。
「言っておくが、俺から取り出せるものなどせいぜいが臓器が関の山だぞ」
「……!!(それだ、どうして私の言うことが分かる!!)」
「そんなの見れば分かる。伝えたいことがあるなら口に出してもらいたいものだが、喋らない分だけ他のサインが多いからな」
表情、目の動き、体の動き方、力み方などからギフトはカームの意思を読み取っていた。
「……!!(そんなことはもういい、いいから返せ!!)」
ついに小刀が振り下ろされる。
対するギフトに動きはない。
瞳を逸らすことすらなく正面からカームを見続けていた。
「どうした?早く取り出せ。お前はいや……確かカームと言ったな。カームはそうしたいんだろう?」
肌に突き立てられる直前で止まった小刀は震えている。
「……えが……おま……えが……名で……呼ぶな……!!」
怒りの形相とともにナイフはギフトの腹に埋まった。
柄の一歩手前まで深々と差し込まれた刃は確実に生命を蝕む。
「かふっ……どうだ……落ち着いたか」
口から血をこぼしながら優しく笑う、ふわりとした笑いは嫌でも過去の記憶を呼び覚ます。
ブレスの影がギフトにちらつく。
「うう……ううう……ああああああああ……」
頭をかきむしりながらうめき声をあげる。それは苦悩するよりも絡まった鎖を解くためにもがく様に近い。しまいにはうずくまって身体を抱える。
「……刺した側の方が重傷とは冗談にもならないな」
傷口から血が溢れるのにも構わずギフトは身体を起こす。痛みに顔をしかめる様子もない。
「……お前が俺を傷つけるのは別に構わない。何か理由があるのだろう。もっとも「俺」じゃない時にやったらどうなるかは保証できないが。それで楽になるのならいくらでもやればいい。幸いこの身体は頑丈だ、そう簡単には死なない」
静かに優しく語りかける。その間にも腹からは血が流れ続けておりとても言葉通りに平気なようには見えない。顔色も見る見るうちに白くなっていく。もとより白い肌ではあるが、蒼白になっていくのだ。
「俺は俺自身が傷つくよりも、他人が傷つく方が痛いんだ。だからそんな顔をしないでくれ」
またもカームの脳裏にブレスがちらつく。
「……どう……して……そんな……こと……」
かすれ切った声で言う、体が震えている。
「どうして?そんなこと考えたこともない。そういうものだろう?」
なんの淀みも曇りもない一言だった。
「……!?(まさか……本当に……そんなこと……違う……違うんだ……でも、確かめなきゃいけない、もしかしたら……)」
ギフトの視界が少しずつかすみ始めていた、頑丈なのは本当だったが出血に耐えられるのには限度がある。あくまで死ににくい程度でしかないのだ。
体の末端から少しずつ熱が失われていく、寒さを感じ始めて思考にも影響が出る。
「(少しまずいな……このままだと……意識を保てない……今度体のメンテナンスをしてもらうことがあったら……出血に耐性のあるようにしてもらわなきゃ……パパに頼めばすぐにやってくれるだろうし……まさか本当に……もっと耐久性が必要になるとは思っていなかったけど……寒いや……)」
ガタガタと体が震え始める。そんな中で目の前のカームがもう一本のナイフを取り出して首にあてた。
「ば……い……ば……い」
悲しげな顔でそう告げた。
体が動かないことなど関係ない、血が足りないことも関係ない、今必要なことは一瞬でも早くあの刃を止めることだと心が命ずる。
胸の【恋人】が振動する、どことなく不満げな意思が伝わってくる気もしたがそれも無視した。
早く、速く、迅く、
最速最短で手を動かす、無理な駆動で腹の傷から血が噴き出るがそんなことは些事であった。
「かー……む……が……しんだら……おれは……かなしい……だから……それはだめ……だ」
ナイフを取り上げたギフトがそのまま倒れる、辺りはすでに血だまりができていた。
「やっ……ぱり……」
呆けた顔で倒れたギフトを見る、金の髪は血の赤に浸ってなお輝き美しい。
まとまらない頭が今の状況を放置するとギフトが死ぬことを理解するのにはしばらく時間を必要とした。これは致命的な遅れである。すぐさま救護室へ運ぶのが正しい判断であった。一刻過ぎるごとに生存率は下がり続けていく。
「あ……」
気付いた時にはもうおそい。
血の気は完全にひいており、命の気配とも言うべきものはもうなかった。
「……!?(はやくはこばなきゃ、どこへ?、きゅうごしつ?、なんていうの、わたしがさしてしにかけているぎふとくんをたすけてくださいって?どうしようどうしようどうしようどうしようどうしようどうしようどうしようどうしようどうしようどうしようどうしようどうしようどうしようどうしようどうしよう)」
頭だけが混乱を極めて体はピクリとも動かない、しなきゃいけないのはわかっていてもどうやってやったらいいのか分からないという状態に陥っていた。
「まったく……やってくれたわね」
「っ!?」
「こんなに深々と刺してくれちゃってまあ……傷が残ったらどうしてくれるのよ」
先ほどまで生き物の気配すらなかったギフトの体がむくりと起き上がった。その顔はひどく苛ついていたが、命の危機があるような蒼白なものではない。ナイフを抜いた跡を見ると腹の傷もふさがっている。
「あ……ああ……」
頭が真っ白になったカームにできるのはただ口をあんぐりと開けて指をさすことだけである。
「……「俺」からのお願いがなかったらこの場であんたの首をへし折っていたわ。感謝しなさい、でもこれは私のものだから、あなた達には絶対に渡さない。だから、何を考えてるかはしらないけどさっさと諦めなさい。これはあなた達のことを思って言っているの、本当よ。このままじゃろくなことにならないんだから、お仲間にもそう伝えてね」
言いたいことを言い終えたらしくギフトは立ち上がるとその場を立ち去ろうとする。
「あ、そうそう。そこの血の処理は任せたわ、知られると面倒なのはお互いさまでしょう?じゃあよろしくね?」
完全なる悪意100%の笑みを残してギフトはいなくった。
残されたカームはただ呆然と座っていたが、ずっとそうしているわけにもいかないので血の処理を始めた。
「……(あの笑い方は絶対にグレイス……何度も見てきたから間違えない……あの発言だって何度も言葉以外で叩きつけられてきた……それに「俺」のときのギフトは欠片なんかじゃない……あれはブレス君そのものだった……まずは「私」のグレイスをどうにかしないといけない……あと)」
残された大量の血痕を見てカームは涙ぐむ
「……(刺しちゃったこと……どうやって償おうかなあ……命以外で償わないと……)」