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別人になるということ 2


「待て、お前の話だ。聞いていけ」


ムケンが反論を許さぬ強い口調で引き止める。


「それを聞かなければならない理由は俺にはない」


足を止めることなくギフトは救護室から去っていこうとする。


「待てと言っている」


「っ!?」


踵を返したはずのギフトの目の前にムケンは居た。


体に纏う朽ちかけ色褪せた羽衣は痛々しいが、それ故に散り際の輝きを宿しているように見える。


「力づくでも止めさせてもらう」


「無駄だと思うぞ?」


ギフトの視界からムケンが消える、それは力を抜くことによる予備動作なしの身体操作によるものだ。


一気に姿勢を低くしたムケンの足がギフトの脚を刈る。


「そんなものか」


足を上げることで躱したギフトはそのまま踏み下ろす。


低い姿勢をそのまま踏み潰す軌道である。


「馬鹿め……」


「……!?」


足は空を切った、踏み潰すべきものはそこにはなくただ隙を晒すことになる。


「終わりだ」


既に拳を振りかぶっているムケン


「ふっ……」


薄く笑うギフト


殴られる寸前だというのになんの焦りも見受けられない。


「ぜぁあああああ!!!!」


そのままギフトの顔面めがけてムケンの拳が叩き込まれた。


「……?」


最後まで笑っていたギフトは正面から喰らった攻撃により意識を失っていた。渾身の攻撃を避けもせず守ろうともせずただ受けられた経験は2度目である。


「ムケンちゃん……話を聞きたい相手を殴り飛ばしてどうするのよ。意識もないから話も聞けないし私の立場上加害者を同じところに居させるわけにもいかないのよ?」


授業でもなく相手を殴り飛ばして気絶させたとなっては救護室の主としてムケンを追い出す他ないのだ。


「しまった……!?」


「そういうところ本当に脳筋よねえ。ささ、出てった出てった」


アガペに押されてムケンは救護室の外へと追いやられた。


「あの子に何を聞きたいか知らないけどやめときなさい。良いことなんて一つもないんだから」


「いや、もう分かった。だから今は私ではなくカームを止めた方がいい」


意識を失ったギフトへとゆっくり近づいていくカームがそこにはいた。


「あー!!待ちなさーい!!」


大慌てで救護室へとアガペが戻っていった。


「ふふっ……そうか……お前……は……そこにいるんだな?……ブレス」


拳を愛おしそうに撫でながら名を呼ぶムケンの瞳は涙でいっぱいだった。


「……分かっている。お前が正体を隠しているのには理由があるんだろう。だから私はもう探らない……お前がいる事が分かればそれだけで私は……十分だ」


しかしムケンは知らない。


鬼人の女の(さが)を知らない。


今まで知ろうともしなかった世界故に知る由もない。


鬼人の女の情の深さは尋常ではない。


だがムケンは恋などという言葉には無縁で、好きという感情もよく解らない。


それでもブレスを気に入っていた、仲間として親愛の情を抱いていた、


親「愛」の情を抱いていた。


図らずも不安定であったムケンの心中の楔としてブレスは機能していたと言って良い。


それをムケンは一度失った。


これ以上無く突然で、理不尽で、悔いしか残らない形で失った。目の前で崩れていく姿すら見せつけられた。


不安定ではあっても脆弱では無かったムケンの心は「仕方ない」という諦めに心を置くことで崩壊を免れていたのである。


それがたった今変化した。


ムケンの手に残った感触は酷く覚えがあった、顔が変わろうと、身体が変わろうと、魂の形に変化はない。砕けかけの【恋人】は他者への干渉をしやすく、また受けやすいことも一因となりムケンの拳はギフトの魂に触れていた。


微かであった


気のせいと言えるほどの類似であった


だが、ムケンはそれを確信へと昇華させた。


「(間違うわけがない……確かに……)」


根拠などない、それはムケンも自覚している。だが、どうしてもブレスの感触や雰囲気などは嫌になるほど鮮明に覚えていた。その記憶がわずかな類似だけで十分だと告げている。


そして、ここまで来たならばいかにムケンと言えど気づく。


「ああ……これが……」


感情の名前に気づく。


胸の高鳴りが、頬の紅潮が、潤む瞳が、走り出したいような恥ずかしさが、胸を裂く焦燥感が、何のために起こっているのかに気づく。


「そうか……これが……ありがとう……生きていてくれて……!」


嗚咽を必死にこらえてただ感謝だけが口から出た。親愛を超え、恋愛を超え、ただ相手が生きていることに感謝するという境地に達していた。それだけならば、愛の徒となるだろう。それで終わらないのが鬼人の女なのである。


「……なんだ……首が……あつい……!?」


鬼子母神ハリティーという呼び名がある。


鬼の母親をさした言葉である、それだけならば神の一字はいらない。なぜ最後に神の一字が入るのか。そこに鬼人の女の性質の全てが現れていると言っても過言ではない。鬼人の女は母となったとき精神状態がある種の悟りに近い境地にまで至ることがある、その時鬼人の女は神になる。


神になるとはいっても神格を得たり、存在の昇華が行われたりといった現象が起こるわけではない。鬼の祖である鬼神にもあったと言われる特徴が発現するのである。正体は入れ墨にも似た文様、首を一周するように浮かび上がるそれは炎のごとく、されど荒々しさと静けさが同時に存在するものだ。


「……?」


すぐに熱さが引いたことでムケンは気のせいだと断じたが、その首にははっきりと文様が浮かび上がっていた。


「しかしだ……」


神と呼ばれるものには大きく分けて2種類いる。


豊穣を、恵みをもたらすものとしての存在。災厄を、禍をもたらすものとしての存在。


もちろん鬼子母神にも二面性が存在している。


「今ならば……私だけのものにできるのではないだろうか……」


神仏に届きうる慈愛の反対側に隠れているものがある。


愛を注ぎたい、独占したい、愛されたい、尽くしたい、一つになってしまいたい。


そういった様々な情念もまた神仏に届きうるのである。


「っ……!?私は今何を……」


自分の発した言葉にムケン自身が驚いていた。


なにせいてくれるだけで良い、生きているだけでいいと思った矢先に己から飛び出した言葉とは思えない発言だったからだ。


それでも頭の中には想像が広がっていく、自分だけを見るブレス、自分だけを求めるブレス、自分のために生きるブレス、微笑みかけてくれるのは自分だけ、愛をささやくのは自分だけ、ブレスの全てが自分にだけになったとしたら。


「ひぐっ……!?」


言葉にならない恍惚がムケンの全身を貫いた、先ほどの慈愛に溢れた幸せとは真反対の幸福感。どこまでも俗で、下等で、即物的な幸せだった。


だが、それゆえにその魅力は計り知れない。


本来であれば人生を歩んだ上でこの境地へと至るため鬼子母神の慈愛の反対側は表に出てくることはない、一瞬だけ頭の片隅をよぎる程度である。


ムケンはその点でも圧倒的に未熟だった。


丸ごと飲み込まれることはなかったが、心の奥底にしっかりと食い込んだ。独占欲という毒が根を張っていった。


「あはぁ……♡」



























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