引き金
「え?冗談ですの?」
ララシィが不思議そうな顔をする。そも生肉を料理だと言うほうが稀なのだこの反応はなんらおかしくはない。
カームやムケンも似たような顔をしていた。
「……(冗談はいいから誰のが一番美味しかったか言って)」
「逃げは許さないぞ?」
観察力に優れたメガ、野生を色濃く持つハネとギャルゥは異変にいち早く気づいていた。
「パパから教えてもらったものが……それが冗談……?」
小さく呟くブレス。表情は能面のごとく。
だがそれ以上の異常は背後のグレイスだった。足が溶け出し黒く粘性のある液体と化している。
「ふ……くくく……かか……」
グレイスが喋り始めていた。
「ダメだっ……!!」
絞り出すように声を出して駆け出し瞬く間に料理場からいなくなった。溶けかけたグレイスもそれを追うように着いて行く。
何が起こったのか分からないままに置き去りにされた面々は底知れぬ恐怖のみを覚えていた。さっきのアレは一体何だったのか、それを知る者は一人だけだった。
「さっきの……森で私の【恋人】がなったのと同じ……?」
呟くことが精一杯で足はガクガクと震えている、本能的な恐怖に囚われているのだ。
見てはいけない深淵、人の澱、その禁忌を感じた時に人は最も恐怖する。
「はぁ、はぁ……ダメだダメだ……僕は今何をしようとした……!?」
飛び出した後学堂の庭の隅でうずくまる。傍に侍るグレイスはすでに通常状態である。心配するように顔を覗き込む。
「大丈夫……グレイス……僕は……目の前が真っ赤に染まって……」
父親から教えられた料理を冗談だと言われた。それは別に侮辱でもなんでもない、価値観の相違に他ならない。
十分に理解していた、理解していたはずだった。
だが、それを許せなかった。
最高の父の一人から教えられたこと、神にも等しい尊敬を捧げる相手から教えられたことは絶対である。
それを事もあろうに冗談だと、あれは料理ではないと言われてしまった。その瞬間にカチリという音が聞こえていた。それは鍵が開いた音、開けてはならない扉が開いてしまったのだ。
怒り、ではない。
悲しみ、ではない。
憎み、ではない。
恨み、ではない。
ただひたすらに頭の中に「そんなことを言う者が生きている必要があるのだろうか?」という疑問が生まれた。「それを撤回しようともしない周りも有象無象も生きている意味があるのか?」という疑問もまた生まれていた。
その答えはすぐに出た。
拳を握る。
「友達を……殺そうとした」
あの時のブレスの脳裏には生命活動を害する箇所がよぎっていた、少し傷つけただけで一生の傷が残るほどの重要部位、生命の根幹をあと少しでねじ切るところだった。
つまりブレスは要らないと判断したということになる、自分の世界にララシィを始めとした仲間は必要ない、むしろ生きる意味がないと考えたということである。この思考は驚くほどスムーズに行われ、驚くほど魅力的に思えた。
力一杯地面に打ちおろす。拳大に地面が凹むがすぐに元どおりになっていく。
「確かにショックだった……けど……どうしてあんな……」
二発三発と拳を打ち付ける。
自分がそんな思考をしたことを信じられなかった、信じたくなかった。
大事な友達なはずなのに、ここまであっさりと切り捨てられることに自らへのおぞましささえ感じていた。
「これじゃ怪物じゃないか……!?」
グレイスが必死に首を振る、だがそれも今のブレスには見えない。
「パパとママが教えてくれたことを……何も学んでいない……!!」
拳が傷つき始める。
「こんなの……あがっ!?」
首が捻られる事でようやくブレスはグレイスを見た。
ブレスに劣らぬひどい顔をしている。
「痛いよ……ねえグレイス。僕がやれって言うなら友達でもグレイスは殺してしまうの?」
残酷な問いだ。
ブレスがやれと命じたならば実行するのが【恋人】の役割である。だが【恋人】守護霊であって奴隷でも召使いでもないのだ。
「え?」
グレイスは首を横に振った。
「どうして……?」
グレイスの指がブレスを指す。
「僕?」
砂を動かして小さな人形を作る、それはどことなく友達に似ていた。そして少し離れた場所にブレスのような人形。
それらが次々と破壊されていく。
それと一緒にブレスの人形もまたひび割れ砕けていった。
最後には全てが砕け散り風に溶ける。
「つまり……僕が傷つくからやらないっていうの」
涙の溜まった瞳で問う。
グレイスはそっくりな顔で頷いた。
「グレイス……ありがとう……やっぱり僕はグレイスがいないとダメだよ……」
憑き物が落ちたような顔でブレスは立ち上がった。
「みんなの所へ戻らなきゃ……きっと怖い思いをさせてしまったから」
急いで料理場へと向かう。
「みんな……ごめん!!」
扉を開けるなりそう言ったが反応がない、それどころか人がいない。
「あれ?」
「何やってんだ?もう全員部屋に戻ってんぞ?」
最後の戸締りに来たナラツが言う。
「ありがとうございます!!」
今度は部屋へと向かう。
そして部屋の前。
「え?なにこれ?」
ちらりと覗く。そこには死屍累々が転がっていた。謝らねばならない仲間たちが皆倒れている。
「ええ!?」
重なり合うように倒れているが、本当に死んでいるわけではなく意識を失っているだけのようだ。
「いったい誰がこんな事……」
「オレだよ、ちっとばかし邪魔だったから刈り取らせてもらった。心配すんなすぐに起きる」
懐かしい声。
「まさかこんなに早くまた合うことになるとは、まあ嬉しいが」
懐かしい姿。
そこには剛と校長が立っていた。
「よう、久しぶり」
「入学式以来か」
「どう……して?」
あまりの出来事に思考が追いつかない、グレイスも口をあんぐりと開けて固まっている。
「お前の血の匂いがしたから見に来た」
「基本的には学堂の中の出来事は私には筒抜けなんだ、異常が過ぎれば見に来たりもする」
「そう……」
「それでだ。辛いなら一旦休むこともできるということを言いにきた。休学してもいい、どうする?」
優しく校長が語りかけ
「その間はオレがぎっちりしごいてやるぞ?」
剛がにやりと笑う。
「ううん、大丈夫。僕はまだここにいるよ、まだやれるよ」
しっかりと校長と剛の目を見て言った。
「そうか……ならいい」
「ちっ、特別メニューを用意してたってのに」
まず校長の姿が消えた。
「じゃあな」
剛が翼を広げて飛び立ちあっという間に見えなくなった。
「今度は僕からちゃんと会いに行こう、それでもっと教えてもらうんだ。その前にみんなに謝らなきゃ」
剛の言った通り程なくして皆が目を覚ます。ブレスを見るなりララシィが両膝をついて頭を下げる。
貴族式の礼の中でも最上級、首を落とされても構わないという謝罪の姿勢である。
「心からの謝罪を……どんな罰も受けますの」
カームは瞳を閉じて手を組んで座っている。これもまたどうされても良いという姿勢であった。
「……ご……ん……なさ……い」
掠れた声が微かに聞こえる。
「申し訳ない……」
土下座である。そしてムケンの頭の前には鞘に入った短刀が置いてある、これは気に入らないならばこれで一思いにやってくれという意思表示である。
「そんな……!」
思ってもみなかった反応に戸惑うブレスを見てやれやれという風にグレイスが動いた。
「ひゃっ!?」
「……!?」
「ぐっ!?」
頭が強制的に上げられた、ブレスを見上げる形になる。
「え?」
「……?」
「これは?」
ブレスもまた頭を下げていた。
「ごめんなさい、僕は君たちにひどいことをしました。許してください」
「何を言っていますの!?ひどいのは私たちですの!」
「……!!」
こくこくと無言で頷くカーム。
「そうだ。あまりにも無神経だった」
「違うんだ、僕は…僕は……大事な友達の君たちを……」
本当のことを言えば恐らく絶交となるだろう。しかし言わなければそれで偽りの関係となる。
それをブレスは許容しなかった。
「さっき……殺そうとしたんだ」
しっかりと告げた。
これで絶たれるならばそれでも仕方ないと覚悟を決めて。
「そんなことどうでも良いですの、貴族はいつだって殺す覚悟、殺される覚悟を持っていますの。それよりも大事なとおっしゃってくださっただけで救われましたの」
「……!!!(ブレス君に嫌われるくらいなら……殺された方がマシだよ)」
「殺意を抱かれたくらいでいちいち反応していては鬼の中では生きていけないんだ、別にそれくらい気にしない」
これにはブレスもびっくりである。
「いやいやいや待って!?そんな簡単に受け入れることじゃないよ!?」
起き上がってこちらを見ていたメガ、ハネ、ギャルゥに助けを求めるがそちらもキョトンとした顔でこちらを見ている。
殺意を抱くこと又は抱かれることなど日常茶飯事だとでも言いたげであった。というか、今まで迫害を受けてきた経験のある彼女らにとって殺意を抱かれることなど何でもないのだった。むしろ慣れた感情を向けられたことで親しみすら感じていた。
「えっと……結局どういうことですか?」
予想外すぎて思わず敬語になる。
「今まで通りということですの」
こぞって頷く一同。
「あ、はい……じゃあ……そのよろしくね」
ブレスと言えどもここでは苦笑いが精一杯であった。なお、グレイスはその後ろでドン引きしていた。




