料理場は戦場
「うーい、ほんじゃあ今日はみなさんに料理をしてもらいまーす」
朝一番で授業の準備をしていた生徒にナラツが言い放った言葉である。なお前日にはそんなことは全く言われていない。
何言ってんだお前という生徒の表情をよそにナラツは続けて言う。
「調理室に五分後に集合だ。分かったな?」
ぴしゃりと扉が閉じられる。
しかしいきなりの授業変更は初めてではないので特に動揺もなく生徒は移動した。
「は?」
調理室に一番最初に入った生徒が口をぽかんと開けて固まる。
不審に思った後続は足を止めた。
「いいから早く入れ。後がつかえてんだろぉ?」
が、いつのまにか最後尾にいたナラツが全員を調理室に押し込む。
「まあ見ての通りだ。一応やることを説明しよう」
目の前には檻に入った小型の獣が人数分。
「一人ずつ仕留めてバラして料理しろ、作ったもんは一部もらうがあとは好きにしていい。そうだな……最初は……お前だ」
つまりはただ殺すだけでなく、食べれるように殺さなくてはならない。加えて調理をする以上形もあまり崩さない方が良いということだ。
指されたブレスが前へと進み出た。
「分かりました」
「言っとくが小さいからと油断するなよ。こいつはなかなか厄介だ。あとこれを持て」
何か袋のようなものを渡されたあと檻から一匹解き放たれる。
「その袋の中にこいつの大好物が入ってるからな、取られるなよ?」
「大丈夫です。もう終わりました」
周囲がざわめく。
檻から出た瞬間にグレイスが現れその直後に獣は倒れた。
「は?」
檻から出た獣は既に死んでいた。
「おいおい、早すぎるな。何をした?」
「できるだけ苦しませない方が美味しいので、頭の中身をちょっとだけ潰しました。」
「……えぐいな。つーかお前の念動はなんで他人の体にまで作用するんだ……」
本来の念動は外側からの干渉が基本である。自分の体ともかく相手の体の内側は相手の領域であり干渉力は及ばないのが普通なのだ。
「なんででしょう……?これが普通だと思ってました」
「いやいや、そんな事ねえから普通。まあ良いやじゃあ捌いてみろ。それともできないか?」
「できます……けど、刃物は借りても?」
「ダメだ。いつも都合よくあると思うな、ないならないなりにやってみろ」
太陽から贈られたナイフは今部屋の中であった。
「じゃあ……」
素手で取り掛かるやり方も太陽から教わっていた。だがそれ獣人ではないブレスには少々以上に難しい方法だ。
刃物がない時に何を使うか
「あーん」
爪と歯でやるしかないのだ。
ブレスの小さな口が獣の喉笛に食らいつく。
「むぐむぐ!!」
だが悲しいかな、顎の力も歯の鋭さもないブレスには一度で皮を貫くことができない。
「ぷはぁ……硬いなあ……」
思わず口を離したブレスと亡骸の間につぅっと橋がかかる。なんでもない光景のはずだが何故か周りの級友たちは顔を背けた。
「もう一回、あーん」
再度食らいつくがやはり力不足は否めない。
「がじがじがじ!!」
鋸のごとく歯を使うも表面が気持ち削れる程度である。
「はぁ……はぁ……難しいなあ」
慣れぬことに息が切れ上気する。またしても周りの級友は目を背ける、見ていられないのだ。なんでもないはずの光景に色気を感じてしまうことへの罪悪感に耐えられなかったのだろう。
「仕方ないね……グレイス」
グレイスが出現し顔を背けている級友達を見渡してにんまりと笑った。言葉にすれば「私のは魅力的でしょう?あげないけれどね」といった風だ。
「手伝って」
満面の笑みで頷きブレスの手に己の手を重ね合わせた。
「じゃあいくよ」
首を一文字に指でなぞる。時間差で首が開き血が溢れ出した。噛みつきによってできた僅かな傷を支点として一気に力をかけたのだ。
「床を汚しちゃいけないね」
血はこぼれることなく空中にとどまる。
「血はどうしたら良いですか?」
「血の処理も調理の一環だ」
「なるほど……そこまで多くないし……飲もうかな」
空中の血がグラスのような形になりやがて真紅のグラスが完成する。
「雰囲気だけでもね」
血でできたグラスが暗褐色の血で満たされた。
ちなみにこの時点で調理室は血の香りで満たされておりドラゴニュートの女生徒がそわそわし始めていた。
「いただきます」
もとよりあまり量はない、2杯半ほどで血液はなくなった。残ったグラスは少し固まりかけていたが問題なくブレスの腹に収まった。
「ふぅ……これはこれで」
飲み終えたブレスの口元には血の跡が残っており不思議なくらい扇情的である。
顔の造形は個々に合わせて多少見え方が変わるがある種異常に美しいと言って差し支えないブレスがそんなことをしようものなら顔を背けることは叶わず視線が吸われるのも仕方のないことである。
もっとも当の本人にそんな気はなく、また気づいたとしても困ったように笑うだけだろう。
「えっと……次は内臓を……」
指が首の傷跡からすっと縦に走る、細くしなやかな指が亡骸をなぞっていく。胸から腹そして股にかけて滑らかに動くそれは楽器の演奏を連想させた。
「うわぁ……」
どこからか思わず声が漏れる。
指先の動きでさえ色を感じてしまうのは頭がそういう風に意味づけをしてしまったからであり、ある意味仕方ないとさえ言える。
それで罪悪感が減るわけでもないのだが。
「……食べてもいいんだけど、危ないかな」
さらけ出された内臓を手がかき出していく。ぐちゅりぐちゅりという音が響く。
白い手が生々しい内臓をかき分けて弄ぶ様は言いようもなく艶めかしく、思わず自らの腹を押さえた生徒もいた。それどころか何人かは確実に「あんな風にされたら一体どんな気持ちなのだろう?」と思っていた。
「うーん、これの処理……焼くか……埋めるか……」
「ん?内臓は後でまとめて焼却するからそこの箱に入れておけ」
平然とした顔のナラツが言う、だが少しだけ前かがみな気がするのは気のせいだと信じたいものである。
箱へと内臓を運んだブレスが手を水で洗う。その時に何故かグレイスも手を絡めるようにしてきた。
「グレイスは汚れないでしょ?」
そしてまたしてもにんまり。
「この手も私のもの」
そう言っているのがありありと伝わってくる。誠に表現力豊かな【恋人】と言う他ない。
「もう……別にいいけどさ」
洗い終えると皮を剥ぐために指でなぞる。
「せーの」
コートを脱がせるように一気に皮を剥がし、肉をむき出しにした。
「あとは……切り分けるだけかな」
骨の継ぎ目、関節を指でなぞり切り離していく。血抜きで手こずったのを感じさせないほどにスムーズに扱いやすい肉にしていく。ここでも指先は皆の視線を吸っていた、注目を集めるほどにグレイスの笑みも深まっていく。
「これが私のブレスよ!」と言わんばかりの得意げな顔であった。
「ふう……終わりました」
工程を完了して一息つく。
『はぁ……』
同時に見ていた者全員もため息をついた、皆一様にどっと疲れた顔をしていた。
「……今日はここまで、明日またやる」
「え?僕しかやってないのに……」
「お前がやったからだよ……!」
「……?」
「とにかく今日は終わりだ、もう帰っていいぞ……寝られるかは分からんが……」
ブレス以外はどことなく気まずそうな顔をして去っていく、無論その夜はブレス以外目が冴えてまともに眠ることはできなかった。




