天使
首を噛み潰されたギャルゥの意識は意外にもはっきりとしていた。
故に一部始終を覚えていた。
自分の【恋人】が化け物になったこと。
自分を助けようとブレスが飛び込んだこと。
最後に抱きしめてくれたこと。その全てを完璧に記憶していた。しかしその先が分からない、思考に靄がかかるようだった。
微かに声を聞いたような気がするのみである。
「え?」
ギャルゥは強い光を感じて目を覚ます。
「ここ…は?」
ベッドに横たえられた自分の体を見る、傷はない。
「っ!?」
確かに潰された首にも傷一ついや傷跡一つなかった。
「どうなって……るの?」
たしかに感じた血が流れる感触。命が失われる寒気。
それは嘘ではない。
そして最後に感じた温もりも同時によぎる。
「うぅ……」
急に恥ずかしくなるが周りには誰も見えない、匂いもしない。
「ここって救護室……だよねえ……?」
隣のベッドに目線を移す。
「ええ!?」
そこにはブレスがいた。だが気配もなければ匂いもほぼゼロだった。およそ人間ではあり得ない状態である。
「あわわわわ……!?」
突然の発見に混乱し毛が逆立つが特に何をするでもなくわたわたとするだけである。しかし微かにする音をギャルゥの耳が拾った。
「ごめん……ね……ごめんね……」
謝っていた、ずっと。
うわ言のように繰り返す、何度も何度も繰り返す。
終わることのない謝罪。
「どう……して……悪いのは……私なのに……」
ギャルゥの獣性は群を抜いていた、一度でもダメージを受けるか攻撃をされたと判断した瞬間に相手を殺しにかかる。そこにはギャルゥの意思は関係なく、機械的に本能的に行われる。
そのせいで何人も傷つけてきた、血を流してきた。だから臆病になった、攻撃されないように攻撃しないように。それはうまくいっていた、誰も傷つけずに済むと思った。もしかしたらもう大丈夫かもと思ってさえいた。
「私が先に襲いかかったんだよ……ちょっと触られただけだったのに」
頑強な獣人の身体にはダメージなど無かった、いきなり顔が横を向いて少しびっくりしたくらいだった。
それだけで。
ギャルゥの獣性は牙を剥いた。
「なのに……どうして……探しにきたりしたの……?」
完全に殺すための噛みつきだった、奇しくも自分がやられたの同じ首を潰す攻撃だった。誰だって自分を殺そうとする相手となんて一緒にはいられない。
「どうして……助けてくれようとしたの……」
分からなかった、ブレスが何を考えているのか理解できなかった。
傍で呟いてもブレスには届かない、それでもぽつりぽつりと言葉が零れていった。
「ほっといてくれたらよかったのに……それで距離を置いたらよかったのに……」
つぅっとブレスの頬を涙が伝う。意識のないままに謝り、涙さえ流す。襲ったはずの自分のために命さえも投げ出した。
「いた……い」
ギャルゥの胸が痛む。
「ケガはないのに……どうして……わからない……わからないよう……」
「それはね……心が痛いのさ」
「ぴゃぁっ!?」
いつ間にか横にいたアガペに驚き飛び上がる。天井すれすれまでいったあたり身体能力の高さがうかがえる。
「おはよう、気分はどう?」
「ぐちゃぐちゃですぅ!」
「一回死んでるんだからこれくらいで驚いちゃいけないぞ☆」
「へ?しん……でる?」
「一回死んだって言ったのよ、覚えてるでしょうに」
「だって傷が……ないし」
「全部直したのよ、このアガペちゃんがね。というかあの探検自体全員一回死なすためにやってるんだから当たり前でしょ?」
「どう……いうことですか……?」
「これから生きてく内で力に溺れないように、恐怖と痛みを骨の髄まで叩き込むのが目的なのよこれ。文字通り死ななきゃ治らない類のものを治すためにね」
「そんな……!?」
「ま、【恐怖】まで出したのはあんたくらいなものだけどね。本当ならもっとあっさり死ぬんだけど随分と心残りがあったみたいじゃないの?ええ?」
茶化すように脇腹を肘で突く。
「そんな……こと……ないです」
「そんなことあるって顔しまくってんのよ!!」
「きゃー!!」
ぽかぽかとアガペに殴られて悲鳴をあげるギャルゥ。
「え?」
今までならこれでもうアウトだった。アガペは爪でズタズタになっているはずだった。だがそうなっていないしっかりと自分は自分のままだった。
「うん、もう大丈夫そうね。もう理性を飛ばしたりしないわきっと」
「あの……何が……なんだか……」
「お礼ならそこのブレスきゅんに言ってね。きっと獣性を抑えられるのはあの子のおかげだから」
心当たりはあった。
今までは逃げるだけだった、自分の獣性と向き合わなかった。後悔はしていた反省もしていた。だが覚悟はしていなかった。
だが。
「そっか……逃げたいんじゃない、守りたいんだ」
身を犠牲にして飛び込んだブレスを見た、そして謝りながら泣くブレスも見た。ギャルゥの胸にある痛みは告げていた、二度とこんなものを見たくないと、二度と涙なんて見たくないと。
きっとこれから何度もこブレスはこんな事をするのだろう、でもそんなのは嫌だ。どんなものからも守ってあげたい。そしてまた、笑ってほしい。
それは小さいながらも紛れもなく覚悟だった。
「これからは……私が守ってあげなきゃ」
過剰なる闘争心は守りの覚悟へと昇華した。それに付随して覚醒したものがある。
「ふふ……かわいい……食べちゃいたい……」
母性である。
「あーむっ」
ブレスの首筋に甘噛みをする、それは細心の注意を払っていたがそれでも歯型は残った。
「ふふふ……」
妖艶に笑いながらその跡を指でなぞる。
母性……じゃないかもしれないが取り敢えず何かが開花したのだ。
「……ギャルゥ……さん?」
さすがにブレスが起きる。
「おはようブレス君。これからは私が守ってあげるからね」
「え?」
ブレスの頭がついていかない、何もできず死なせてしまった相手が生きていてなおかつ守ってくれると言うのだ。
何が何だか分かるわけがない。
「ちょっと待って……ギャルゥさんは何でその……生きてるの……?」
「そんな事どうでもいいの。大事なのはこれからは私がブレス君を守るってことだけ」
「話が見えない……」
雰囲気が一変したのも驚きだし、生きているのも驚きだしで状況の理解が全く進まない。だが世界は無情である。
「……!!!!(こわかった〜〜!!!!)」
「起きたのか!!早速で悪いがちょっと側で休んでもいいだろうか!!」
「皆さんはしたないですの、もっと……よゆうを……よゆうを……もてないですの……もうむりですの……!!」
畳み掛けるように早く目を覚ましていたカーム、ムケン、ララシィが部屋に突入したことでさらに状況が混沌とし始める。
しかしそれはグレイスによって終焉を迎えた。
「グレイス……怖かったよね……ごめんね……」
グレイスにとって最も恐れる事態、ブレスの喪失を擬似的とはいえ味わったのだ。
声はしない。だがわんわんと大泣きしながらブレスに抱きついている姿は周りを冷静にさせた。
これを邪魔してはいけないと感じた彼女らはそっと部屋を出る。見送るグレイスの顔は先ほどまでの泣き顔が嘘のように勝ち誇っていた。