救護室
暖かな寝床の中でブレスは目を覚ます。頬は内出血により青黒くなっていた。
「気を失うなんて……ムケンさん強いなあ」
ぼそりと呟いたあと無意識に頬をさする。そのあとあたりを見渡して複数の寝台と薬品や包帯の類が見える、おそらくここは救護室だろう。
「いたっ……」
鈍痛に顔をしかめた。そこへ甘ったるい声が届く。
「あ~目を覚ましたのね~?」
ストンという音と共になにか小さい者が落ちる。
「どう?女の子に殴られて頬を腫らした気分は」
小さい身体をぶかぶかの白衣で包んだ女の子であった。小さい体に薄緑色で半透明の羽があるところをみるとエルフの亜種の妖精種であろう。
「悪くないです」
「あら、言うじゃない。立派なプレイボーイになるわよ~、今のうちからつば付けておこうかしら」
「つば……?」
「ごめんなさいね~、これでも百年以上生きてるから最近の言い回しって分からなくてね~」
「……ところであなたは?」
「あれ?私のことしらない?保育室に舞い降りた白衣の美少女天使アガペちゃんだよ!!」
「あれ……今百年以上って……」
「なーにーかー言ったー?」
天使とはとても思えない凄みのある表情である、伊達に歳を喰っているわけではないのだ。【貴不死人】の面々もたまにこういう表情をする、経験上ここは突っ込まないほうがいいことをブレスは知っていた。
「いえ、なにもないです」
「よろしい、そんなことより君に用がある人が二人ほどいてね。面会したいらしいんだけどいい?」
「はい、大丈夫です」
「んふふ~じゃあいらっしゃ~い」
救護室の扉がためらいがちに開く。
「あ……そのなんだ。大丈夫か……?」
殴り倒した張本人のムケンと
「……!!(ああ!!顔に青あざが!?)」
今にも泣きそうな顔で見るカームがいた。なお二人の頭には大きなたんこぶがあり何かしらのペナルティを受けたことがうかがえる。
「うん、大丈夫。こんなの前からよくあることだからね。ママから攻撃された時のほうがひどかったよ」
剛との修行において流血は無かったが内出血は日常茶飯事であった、ゆえにこの発言は正しい。が、それを知らぬものが聞いた場合この発言はここに来る前に家で日常的に虐待を受けていたと推測できてしまう。しかもそれを疑問にもおもっていない様子が不憫さを助長する。
「君……苦労してきたんだね」
「なんと……あの守りの武はそうやって……」
「……(守らなきゃ、私がブレスくんを守らなきゃ)」
「へ?」
三者三様の同情を受けて困惑するブレス、同情という感情を向けられたのはこれが初めてであった。さっきまで茶化すような風だったアガぺでさえも慈愛にあふれた表情である。
「ここでは君を虐めるような人はいないと思うけど……何かあったら相談してね……というか心配だから定期的にここに来なさい。お茶とお菓子くらいなら出すから……ね?」
「あ……はい。分かりました」
同一人物かを疑うほどに今のアガぺは優しいをまとっている。
「なんなら私のことを母親だと思ってくれてもいいのよ」
「え?いやそれは……」
「うん、ゆっくりでいいから」
ブレスの頭を優しくなでる様はまさしく母のそれであった。
「あの、それで二人は何のようでこっちに来たの?」
「思いっきり殴ってしまったからな、具合はどうかと思って見に来た。案の定腫れあがってしまっているようだな」
バツが悪そうな顔で頭をかきながら言う。
「うん、いい拳だったよ。まさか意識を失うなんて思ってなかった」
「受けきるつもりだったのか……?」
「うん……いけるかなって思ったんだけど想像以上のいい攻撃で耐えられなかったんだ。本当にすごいよ」
「そ……そうか?そんなこと言われたことないから……照れるな」
ムケンは自らを武に生きる者と思っている、しかし実家では女が武に手を出すことをよく思われていなかったために今まで褒められたことなどなかったのだ。
「しかし私の攻撃を全て事もなげにさばいていたじゃないか、君のほうがよっぽどすごいよ」
「ああ……あれは、僕が血を流すことのない身の守り方として肌に触れる瞬間にさばけるまで訓練してもらったんだ」
「だからか……早くても強くても意味がないというのは」
「うん、肌に到達する前か瞬間に半自動的に動くからそれがどんなに早くても強くても触れることに変わりがない限り同じなんだ」
「あっさりと言う、そんなことは気が遠くなる反復が必要だろうに」
「その代わりに攻撃を教えてもらえなかったから攻撃はできないんだ」
「そういうことか……勘違いして激高してしまった申し訳ない。しかしどうして最後の攻撃を受けたんだ、あれを避けられたら私は本当に次の攻撃はできなかった。そうしたら勝てたんだぞ?」
少しだけ考えてブレスは言う。
「あれを避けたら君が壊れてしまうような気がして」
「私が……壊れる?」
ぽつりぽつりと続けていく。
「あの時の君はいっぱいいっぱいでひび割れていたように感じたんだ、あそこで僕が受け止めなきゃいけない気がしたんだ」
「ひび割れて……か」
「これが僕の勝手な思いこみだってことは分かってるけど……これが理由の全部なんだ。気を悪くしたなら謝るよ……ごめんなさい」
「……そんなことあるもんか……君は私に向き合ってくれていたんだな……武人として見放された私に」
つうっとムケンの頬を涙が伝う。
「ありがとう……なにかすっきりした気がする」
ムケンが手を差し出す。
「これからもよろしくお願いする」
「うん」
ブレスがその手を握ろうとした瞬間。
「あ」
「あいたっ!?」
ごきりという音とともにムケンの首が真横に捻られた。犯人はもちろんグレイスである。
「グレイスどうして!?」
「いや……良いんだ……彼女はきっと私を殺したいほどに憎んでいるだろうから」
視線だけで人を殺せそうなほどに鋭い視線をムケンへと投げかけていた。
「グレイス……手をださないでって言ったよね?」
ゆっくりと自らの背後にいるグレイスのほうを見る。
「なんで……いうこときいてくれないの……ぼくのこときらい?」
涙目のブレスを見て面白いくらいにわたわたと慌てだすグレイス、ブレスの泣き顔だけでもグレイスにとって最悪の事態である。それの原因が自分となってはちっぽけなプライドや憎しみなどを地平線の彼方へと吹っ飛ばすのになんのためらいもなかった。
「え……!?なになに!?」
思いっきりひきつった笑顔でムケンと肩を組む。言葉で伝えられないグレイスの精一杯の仲良しアピールであった。
「もうしない……?」
首が取れるんじゃないかと思うほどにぶんぶんと頭を振る。
「そっかあ……よかったぁ」
涙交じりの笑顔ではあったが泣き顔ではなくなった。グレイスが胸をなでおろす。
「っ!?」
なお隣にいたムケンは謎の動悸と顔の火照りに混乱していた。
「いたっ!?」
それを見たグレイスがデコピンを食らわせる。そしてムケンへと得意げな顔をしてみせた。意味はおそらくこうである「私のは魅力的でしょう?あげないけど」
「むう……」
女の勘というか武人の直感というかムケンはその言外のメッセージをしっかりと受け取った。




