会いたかった人
俺は、気が付いたらここ、次元管理の場にいた。
〈ファントム〉
後に様々な偽名を使って地球でちょっとした神様からの任務を遂行することになる。
生まれは普通に地球の日本の中だった。確か…東京都内。正確な位置は覚えていない。ただしこれはこの体の出生の話。俺自身はもっと別の、それこそ大昔に生まれた事だけは覚えている。今じゃ次元管理の場で俺自身を作ったものなどいなくなっちまったが、恐らく俺はあの場所で神という位置の奴に作られたものだという事はわかる。
俺は自分の好きなものが特にない。だから命令されたらそれだけを実行する。いわば忠実な僕と言う奴だった。
しかし近年はあまり依頼もされず、ただ次元管理者候補を探せと言われて探し出し書類にして提出するだけになった。
それで俺はよく日本中を飛び回るのだが、外国にだけは絶対に行かせてくれない。何でも各国ごとに俺と同じ〈ファントム〉と呼ばれる者たちがいるのだそう。それぞれがその国限定で動き回るという形をとっているのだとか。
どうやら現神であらせられる紅様は日本出身なだけに外国の方が気になるようだし、次元管理者であるアルタミト様も外国の方が面白いとか何とかでそっちばかりに依頼をしているようだ。
悲しいかな、と呟いてみるが何とも心に響かない。自分は何とも思っていないのだとわかって何だか嫌な感じだ。本当に〈ファントム〉とはよくわからない。神のスパイなのか玩具なのか、段々区別が出来なくなってきた。
いっそ死ねたら、転生できたらなんて思ったりもするが、そうもいかない。〈ファントム〉は神の手によって生きるも死ぬも左右される。それこそこの依頼の為にこのようにターゲットの前で死ね、と言われたら死ねる。そんな依頼をする神なんぞ今まで一人しかいなかったが…それで唯一の友人だった韓国の〈ファントム〉を失った。ただ本人はとても嬉しそうだったけど。
そんなこんなで早くも159年が過ぎた。あれはちょっと不思議な日だったと思う。
公園でベンチに座って雲一つない空をぼーっと眺めていた時の事だ。
「…ん?」
突然空に薄らと亀裂が入ったなと思ったら、その隙間から一つのか弱い光が飛び込んでくるのが見えた。あれは何度か見た事のある光景だった。
「新しい次元管理者候補のお出ましか」
そろそろ来る頃だろうとは思っていたが、あんなにもか弱い光から推測すると恐らくまだ子供だろう。少しばかり不安を抱えながら亀裂の入った真っ青な空が再び元に戻って行くのを眺めていた。今度は一体どんな奴だろうかと思いをはせる。
空に亀裂が入ったという事はこの次元ではないところからやってきたという事だろう。一体どんな子供なのか、少し気になって…頭を軽く振って考えることを辞めた。
それから数日後、紅様がやってきた。
「喜べ!新しい次元管理者候補のお出ましじゃ!!」
そう言うなり1枚の写真をポケットから取り出した。俺は何も言わずにそれを受け取り。
「!?」
何とも不思議な美少女がそこに移っていた。というか本当に子供だったのか、とか何だこの髪色は、とか様々な疑問が自分の中をグルグルとしていた。紅様が言った。
「かわいいものだろう?」
俺はそれに素直に頷いた。何か周りに花が見えそうなくらい屈託のない笑顔でプリンを食べているのだ。何と可愛らしい事か。
「その子は9歳でな、異世界で見た目が皆と異なる上に魔力が神と同等レベルであるために実験台にだれておったのだが、彼女自身が暴走して研究員を皆殺しにしてしまったがために神が見かねて呼び寄せ、次元管理者を目指してはどうかと提案したそうなのだ。まあトリュトゥーンは面倒事を起こしてほしくないがためにこちらに押し付けてきたように感じるがな」
紅様の話を聞いてますます不安が込み上げてきた。そんな爆弾のような者を何故引き入れたのか気になり、思わず言ってしまった。
「何故そんな危険な者をここに引き入れたのですか?」
想定内の質問だと言わんばかりの呆れ顔で紅様は言った。
「アルタミトの体が崩壊を始めたからだ」
もっともな理由だった。ここ数年まともな次元管理者候補が見つからず焦って他国を多く訪問していたのはそのせいか、とようやく気が付いた。
俺は自分の考えの至らなさに落胆した。道理でこちらに依頼がないわけだ、と呟く。
ところが紅様はフッと笑って言った。
「それは違うぞ〈ファントム〉」
そして驚くべきことをさらりと言ってのけた。
「ここ日本では次元管理者候補がすでに見つかっている。しかしその者が次元管理者になるとは限らんだろう?だから他の世界からも呼び寄せ、ここ地球のあらゆる場所でも次元管理者候補を探しておるのだ」
正直言って、驚いた。いや、まさか依頼が極端に減った理由はこれだったのか、と納得したが驚きは治まんなかった。自分が気付かぬ内に次元管理者候補が見つけ出されていたという事は、自分はここにいる意味がないのではと感じたのだ。
しかし紅様はまた笑い飛ばす。
「だから言って居ろう?其方にはこれからまた働いでもらうのだから休養くらい取らせようとしたアルタミトの気遣いなのだ。いい加減気付け」
そしてベンチに座ったまま動かない俺に近づくとどうにか手を伸ばして頭を撫でてきた。
「〈ファントム〉、其方はそろそろ疲れてきたのか?」
あまりに優しい撫で方にその言葉はきつかった。誰も俺自身を心配しないと思っていたのだ。だから紅様のこの言葉と行動に思わず涙がぽろぽろと零れ落ちた。
「うう…ぐすっ…」
紅様は苦笑した。
「男子だろう?泣くでない、笑われてしまうぞ」
そう言いながらも撫で続けてくれる紅様は本当に優しかった。普段はSっ気が強くて大体意地悪したり悪戯してきたりする人なのに、こういう時だけはまるで子供の聖女のように優しくなるんだ。
だからだろうか、紅様になる前まではこんな温かい気持ちになることなどなかったし、早く死ねたらいいと思っていたのに、いつしか紅様が遊びに来てくれるのが楽しみになっていた。
「ひっく…うう…鼻が……」
漸く泣き止めたと思えば鼻が詰まって思いっきり鼻声になっていた。クスクスと笑いながら紅様が箱ごとティッシュを取り出して渡してくれる。
「やっと落ち着いたようだから、そろそろ話すが…大丈夫か?」
念のためというような形で聞いてきた紅様に俺は鼻をかみながら頷いた。紅様は話し始める。
「其方には栃木に行ってもらいたい。そこのある共学高校に目的の者が入る。まあ後に妾かシイラが転校しに行く予定だ。今はまだ小学校に通っているだろう。どのように近づくのかは其方に任せる。後に上手く妾達が関われればそれで良いのだからな」
俺はそれを聞いて何となく自分の姿を思い浮かべた。高校生ならちょっと不良っぽい方が紛れやすいだろうか?と考えて形を作っていく。その姿でしばらく…恐らく六年か七年くらいは過ごすことになるだろう姿を。
出来上がった俺の姿を見て紅様は微笑んでくれた。
「現代らしく良いと思うぞ、何よりさっきより若返っていてちゃんと中身とあっているのが良い」
まあ実際はかなり年老いているのだがなと困った表情をしながら笑った。俺はちょっと照れながら、鏡で確認したいな、と思って立ち上がる。紅様も用は済んだらしくゆっくりと歩き始めた。
「栃木に着いたら連絡せよ。こちらの都合が付く日に確認しに何度か向かうからな」
そして一度振り返るともう一言付け加えた。
「其方もそろそろ疲れ始めているのがよく分かったからな、韓国に居た友人も待っていることだし、そろそろ死を考えておくとよい」
そしてにっこりと笑って薄くなって消えた。最後の言葉に思わず歩こうと動かした足を止めて、呆然と紅様の先程まで居た場所を見ていた。
今、紅様は何と言った?…し?シ?死…?
先程の言葉を理解した俺は思わず口を抑えた。
「ヤバい、ヤバいどうしよう…嬉し過ぎる」
きっと今俺は赤面しているのではないだろうか。それほどまでに嬉しかった。まず紅様が俺の願いを聞き入れようとしてくれたこと。そして韓国に居た〈ファントム〉がまだ俺を待っていてくれているという事に、胸が高鳴った。
会いたい、と何度願った事か。あいつ程俺をいつもちゃんと見てくれた奴は紅様以外に居ない。
それがやっと死んで転生できると喜んでいたあいつが俺を、待っていてくれた何て…嬉し過ぎた。
「そう言えば…あの時、死ぬ前に名付けあったんだっけか」
最後までお互いを〈ファントム〉呼びなのはなんか嫌だと言ったあいつの提案で、確か名前をお互いに与えたのだ。あれが最初で最後のプレゼントだったが。
確かあいつには…。
「…ミラージュ」
フランス語で幻と言ったか。あいつはフランスに行ってみたいと何度も話していたから、フランスにちなんだ名前をあげた。
「元気にしているんだろうか…」
死んだから元気も何もないだろうけど、でもそれでもやはり気になってしまう。初めての友達だったから会いたい、会いたくてたまらない。あいつが居なくなってから俺の日常は色あせてしまった。
…何だかずっと前に読んだ恋愛小説みたいだな、と苦笑する。
それとはまた違った感情な気がするけど、あながち間違いでもないなと思える俺は結構重症かもしれない。
「さて、行くか」
俺はさっさと姿を消して飛び上がる。姿を消す、と言っても本来なら許可した人間にしか俺の姿は見えないようになっているのだ。なのでその許可を取り消したに過ぎない。まあそもそも姿を紅様の依頼で行く場所に合わせて変えている時点で知っている人は居ないわけだが…念のためである。
ついでに関わった人たちの記憶操作もして俺はここ、山形県を出た。
栃木。俺は新しく家を大人の姿に化けて借りて、まずは共学高校に忍び込んだ。栃木県で関わりそうな人たちなんて想像つかないから面倒なので全体に記憶操作をしておいた。まあこの中の半分以上はただのすれ違っただけの人間に過ぎないのだけど。
「ん?見ない顔だな…」
そう言って一人の教師が近づいてきた。しかし多分すぐわかるだろう。
「…ああ、早川寛人くんか。すまんなあ最近物忘れが酷いのだよ」
申し訳なさそうに謝った後その教師は眉間に皺を寄せた。
「ただいくら成績がよくっても制服の着崩しはほどほどにしなさい。悪目立ちすると将来に影響が出てしまうからね」
そして教師は苦笑すると去って行った。俺はホッと息を吐く。今回も無事に潜入できたと思って時間を確認する。
「15時55分、か。明日また出直そう」
仕方なく俺はそのまま学校を出た。ただ高校生として生活するにはいろいろと者が必要だった。お金は持っているわけではないので仕方なく記憶操作を使い、いくつかのバイトを掛け持ちして金を稼ぐ。
一ヶ月三つのバイトをしたおかげでどうにか教材や文具、スクールバッグなんかを購入できた。
…記憶操作を使えば金稼がずとも用意できたんじゃないかって?そんなことしたらお金の流れがおかしくなっちまうだろう。…まあ前に一度だけ試したやつがいるんだが、どうやらそいつのせいで大暴落が起こったらしく、禁止されているんだ。
だから食べなくても生きていけるこの体は正直助かる。小道具集めに集中できるし何時間仕事しても疲れないんだから。もちろん複数の口座使って金振り込んでもらってるから問題ない、と思いたい。正直その辺の知識は長年生きてる俺でもないからわからないんだよな。
まあ、ようやく小道具も揃った事だし、さっさと潜入してしまいましょうか。
紅様の依頼があったあの日から早くも半年が経った。紅様たちの訪問は早くても六年は先だろうと思っていたのでそこは問題ないのだが、割と現代の高校生に混じるには如何せん知識が足りなさ過ぎたのだ。なので記憶操作をし直して半年後から入る現在中学生という事にした。せめて一度三年過ごさないと高校生を自然にこなせない気がしたこともあるし、何より小学校に入り込むのはちょっと無理がある。…出来ないことはないのだが。
なので経験をしておこうと思って二年の途中からにしたのだが、考えが甘かった。
何にも出来ない。
そう、本当に何も。実技も実習も勉強も、ましてや会話すら成立しない。なんせ世の流れに全く関与しなかったから、本当に何も出来なかった。マジで寝てるか突っ立ってるかしかない生活が、学校では通じないと思わなかった。
これではターゲットと仲良くなる前に退学になってしまう、と俺は思ってちゃんと勉強しようと考えて、学校を出た。
記憶操作にも限界は存在するし、その力を細かく使おうと思えばその分疲弊して、人間で言うところの体調不良を起こす。それで病気にかかることもあるんだけど、ただ苦しいだけで死ねないのだから、どうせならそんな無駄に時間を使わずに居たいと思った。
と、言うわけで、俺はそれから半年。三つのバイトをするはめになった。
1つ目、ファーストフード。
最初は厨房希望で、小道具とか用意したときのあまりで小中の教材買ったりした後バイトを始めた。あと人と関わる方法についての本だとか話し方とか、あとテレビは買えなかったので最新のスマートフォンを購入した。
これで大体道具は揃ったので、取りあえず道行く人の服装を真似てシンプルだけど爽やかな雰囲気を演出しつつバイトをした。
しかしここでちょっとトラブった。
なんと、ここでは半年に一回バイトしている人も正社員も皆で集まってミーティング&息抜きをしに行くのだとか。なんでも新入りは特に強制参加となっている。
それを聞いたときは正直他のアルバイトの方へ行こうと思っていたのだが、それは先輩に呆気なく妨害された。
「富田くん、もちろん来るよね?」
ニッコリと断りづらい言葉で圧をかけてくる。俺は元々度胸がない、と言うことはだ。
…断れなかった。
結局折角稼いだ金は一万ほど飛んでしまった。正直泣いた。で、がちでその遊びに行った場所で泣いてしまったがために、他の先輩に余計な気を遣わせて金を貰ってしまい、それが圧をかけてきた先輩にバレて殴られ奢らされ、プラスマイナス0となった。
いやー泣きました本当に。
まぁそんな先輩も店長にそんな行動がバレて金取られた挙げ句、やめされられたらしいけど。
気付いたらいなくなってたので事実だと認識はしている。
取りあえずファーストフード系は良くないと学んだ一件だった。
二つ目、派遣のアルバイト。
取りあえず登録しなきゃいけなかったから最初に面接必須だったけど、それは高校に忍び込んでショック受ける前の話だから問題なし。
と言うことで出来るだけやった。
結果基本雑務しかやらせてもらえなかった。何て言うか、八時間もやるもんじゃないなって感じた。
派遣先が悪かったのかもしれない。
何かデータ入力とか色々仕事書いてあった場所なのに、実際に来てみれば、雑務どころかコピーを永遠とやってるような状態になるし、頼んできた人には怒鳴られるし、コーヒー溢されるしで散々な目に遭った。
他はどうか知らないけど、特に仕事振られなければ何も言わないでおこうと心に決めた。
三つ目。カラオケ。
研修期間は三ヶ月と少し長いが、その間でも一応給料は発生した。時給は割りと高めなのが有りがたいところ。だが…。
「松村くんだっけ?まだ研修期間なのに給料もらってんの~?(笑)」
まぁ一応フリーターの先輩や大学卒業間近の先輩がいるんだが、とにかく変な人が多い。
フロントやってたら急にホール担当の先輩がやってきて、肩を組んでは嫌みを言う。
俺はただ無視するのだが。
「恥ずかしいと思わねーの~?(笑)」
俺は軽くため息を吐いた。幸い今現在はフロントは閑古鳥が鳴いている。なので一旦身の回りの掃除くらいは出来る。
と、言うわけで。
「先輩、ゴミとして処理されたくなければ即刻ここから出ていってくれません?」
こう言ってニッコリと笑えば、先輩は大体つまんなそうに離れる。
「へいへい、わかったよ」
んでホールの仕事に戻るのだが…。
「ったく、調子のってんじゃねーよ」
とか何とか言って帰っていくのが何とも怖い。今にも何かされそうで、最近は財布を持ち歩かないようにしている。
財布を持ち歩かなければ、スマホは肌身離さず身に付けていれば大事なものも特にない。
だから安心していられる…はずだった。
「お疲れ様で~す」
自棄に上機嫌で帰っていった先輩を横目に、自信のロッカーを開けたら。
「…は?」
服がズタズタにされていた。それも、俺の着ていた服。思わずバッと先輩が出ていった扉を見てしまう。もちろん先輩はとっくに居なくなっているわけだけど、正直覗いているのではないかと思った。
「ったく、ガキか」
思わず愚痴を溢すと服を取り出して、吸収した。元は俺が作り出した服だから問題なく直せる。そして直ぐに服を着替えて、借りているバイトの服も一応コピーした。
多分またここにきたらやられてそうだし、と念のため。
ズタズタにされなければいいけど、実際にやられると財布とかスマホをここに置いておかなくて正解だと思った。万が一被害に遭ってたら容赦なく先輩を消してたから。
…怖い話はなしだ。とにかく帰ろう、と思って制服をロッカーにしまうと更衣室を出た。
「えっお前それ…」
裏口から外に出ると…いたんだよ、犯人さんが。
「ああ、先輩…お疲れ様です」
ニッコリと笑ってそう言うと、先輩は信じられないものを見たような表情になって魚みたいに口をパクパクと動かした。
俺は笑う。
「大分前に帰ったはずだったと思うんすけど、忘れ物でも?」
ゆっくり近付きながら言う。
「ひっ!?こ、こっち来るんじゃねー!」
先輩はそう言って後退りながら逃げようとするが、俺はちょっといらっとしちゃったんで、そのままズンズンと先輩の方へ大股で近づくと、胸ぐらを掴んだ。
幸い俺は身長が184㎝あるのだ。それに対し先輩は169㎝。威圧するには有り難い身長差。…まぁ調整は可能なのだけど、高身長の方が服が似合うためにそうしていた甲斐があった。
「おい」
出来るだけ低く声を出すと、本当にめっちゃ低くなってしまうのである程度制御をかけて声を出す。先輩は今度こそ声が出ないほど怯え始めた。
笑っちゃうよな、あんな嫌味言ってきたり態度でかかったくせにこんなに弱っちいとは…聞いて呆れる。
「先輩だろ?服ズタズタにした輩はよぉ」
出来るだけ凄みを込めて言えば更にビクッと身体を震わせて小さくなる先輩。マジでビビりなのか、とちょっと拍子抜けした。
「先輩、これ以上の悪戯はマジで許さねーぞ」
取りあえずそう言って掴んでいた服を離す。呆気なく尻餅をついて怯えている先輩の前に前のめりでしゃがみこむと、ニッコリと笑った。
「俺先輩が思ってるほど暇な人間じゃないんで、これ以上無駄に時間と労力使わせないでくださいよ(笑)じゃないと次は本気で殴ります」
「あ、ああ…わ、わかったよ…もう関わらねー」
一応今の言葉を録音し直すためもう一度言わせると、俺は立ち上がる。そのまま振り返らずに帰路についた。
そんな出来事から数日後、先輩はバイト辞めたそうだ。
俺って結構人の人生終わらせるの得意かもしれない、と苦笑ぎみに思ったのは仕方がない話だ。
さて漸く半年が過ぎ、また新たに三月となった。ここで学校に忍び込んで何が必要なのかを調べては集めての、かなり忙しい時期。
もちろん本来の学生であれば普通に高校側から通達が来るのだろうが、俺はそうはいかない。そもそも大学生のふりしてバイトしてたんだから当たり前っちゃあ当たり前なんだが。
それから中学の方も見に行った。推定六年か七年を目安に動いていたが、多分霊が入ってきた辺りから考えると今ターゲットは中学二年くらいだと思っての事だ。
半分憶測だが間違っていなければこのまま三年は高校生活を送ることができる。
が、しかし。
「いくらなんでも高校生や大学生の見た目で見に行ったら怪しまれるよな」
そう、二度ほど見に行ったのだが、一回目は悪さしに来た高校生だと勘違いされ追い出される結果となり、二回目は怪しげな大学生だと思われて近付くことすら出来なかった。
記憶操作も案外落とし穴があって、やはり自然に入り込むには中学生になりきらねばならないようだ。
…なんで〈ファントム〉の俺が力に利用されなきゃなんねーんだか、いまいち理解できない。
というわけで。
「…あ、悠人くん!」
朝7時半を少し過ぎた時間。学校の校門に足を踏み入れるなりいきなり女子に顔を見られたので、取りあえず記憶操作してついでに記憶の中をちょっと見せてもらった。
ふぅん、あいつ…守岡誠って言うのか。
偶然にも一年で同じクラスになった女子だったようだ。名前は特に覚えても意味はないが、感謝しておこう。
「利奈ちゃん」
一応返事する。利奈、というその子にやった記憶操作は、坂本悠人と同じクラスであり、偶然朝居合わせたと言うものだ。知らない人だと色々言われるのは面倒だからその場凌ぎの記憶操作するんだが、やっぱ全体にちゃんとした記憶操作するべきだったか、と後悔した。
利奈、というその女子はニコニコと近付いてくると言う。
「おはよう!今日小テストあるけど勉強したー?」
記憶操作効きすぎか?と思ったが、まぁいい。俺は苦笑した。
「いいや全く(笑)」
その返事に利奈ちゃんも苦笑する。
「実は私もだよ」
そして二人で笑いながら昇降口へ向かっていると…。
「駄目じゃないかちゃんと勉強しなきゃ」
「ひっ」
「きゃあ!」
唐突に後ろから低温ボイスが聴こえてきのだ。俺達は二人は飛び上がるほど驚いた。俺は咄嗟に記憶操作したが、ここまで驚かされたのはかなり久々だった。
「お、利奈くんに悠人くんじゃあないか。朝早いんだな、部活やってないだろ?」
その先生はそう言って大きく笑った。何か熱血系?と思っていたら俺たち二人の頭を豪快に撫でまわす。
「偉いなあ二人とも!」
その手が離れた頃には俺たちの頭はぐっちゃぐちゃだったが、気付いてか否が笑いながらその場を去って行った。その時漸く気が付いたが、利奈は何だか涙目になっている。
「えっと…利奈?」
声を掛けたらクルリ、とこちらを向くなり怒鳴った…え?
「折角!折角朝早起きして頑張ってセットした髪形だったのに!!あの熱血木下訴えてやるーー!!」
そして俺を完全無視してさっさと教室に向かって行ってしまった。何だかトラブルの起きそうなそんな予感が脳裏を掠めて行ったが、面倒なことは勘弁、と頭を振ってとりあえず当初の目的である守岡くん探しに行くことにした。
あ、荷物は服の一部として出していたが面倒なので取り込んだ。ちなみにバッグまでなら服の類として作ることは可能なので、その点俺の体は便利だと思う。
色々とトラブルがあったが、ともかく学校内に怪しまれることなく侵入できたことはありがたい。早速校内を歩き回った。迷うかと不安だったが割と単純な造りでそこまで心配することもなく校内を歩き回れたのだが、如何せん朝早くで生徒がいない。つまり守岡も来ていないという事。
「失敗した…」
これなら面倒でもホームルームが始まる時間に堂々と全体に記憶操作をして本人を探せばよかったか、と嘆く。
「良いではないか良いではないか!」
唐突に隣から如何にも楽しんでいます、といった様子の声が聴こえた。吃驚してみるとそこには。
「紅様!?」
そう、相変わらずの身長に服装の紅様がそこにいた。
「何故紅様がここに!?」
後五年は先になるだろうと思っていた紅様との再会は何と一年で果たされてしまった。
「驚いたであろう?妾にはシイラと関われる接点がないものでな、成長を見守っていることにはいるんだがな」
と言った紅様をよく見ると何だか薄い。
「えっと…紅様、何だかお身体が薄いようですが…」
一応聞いてみた。答えてくれなかったらそれ以上詮索するつもりはないと思っていたのだが、紅様はちょっと照れるように頬を赤く染めると言った。
「その、自分の力だけで転生しようと試みた結果失敗してな…身体が消滅してしまったのだ。これは離れた半分の人格のみの構成なのだ」
「へ?」
人格だけの構成…?ってつまりもうすぐ消えるって事では…?
「な、何故そんなことしたのですか!?」
焦ってそう言うと紅様は少し目を伏せて低い声で言った。
「死、というものを知ったのに妾にはその権利がないことが悔しかったのだ」
その言葉を聞いた瞬間俺は次にいう言葉を見失った。ようやく思い出したのだ…紅様は仮にもあの次元管理の場の神。死んで転生することなど何か許されぬことをした時以外は許されない位置なのだ。最初聞いたときは自分には、それこそ敬愛する紅様には関係ない事だろうと忘れていた。
まさか紅様がそうまでして神の位置を降りたいと思っていたのは知らなかった。
「わかっておるのだ…許されていないことくらい。こちらもまた管理されている立場なのだから、ばつが下されても文句は言えない。しかし試さないという選択もなかったのだ」
だから、と消え入りそうな声でそこまで言うと俺の目を見据えた。その瞳には揺らがぬ決意が見え隠れしている。どれほど本気で自分一人での転生に力を注いでいたかわかる程、目を逸らすことができない輝きだった。
「最後にここへ来た。一番の心配事はお前だからな」
そしてニカっと笑った、と同時にポロリと一粒だけ涙がその幼い頬を伝って落ちた。最初で最後となりそうな紅様の泣く姿だった。
「…突然どうしたのだ?」
苦笑交じりに聞いてくる紅様は今、俺の腕の中にいた。俺が居ても立っても居られなくなって抱きしめてしまったわけだが…それを咎める声は聞こえない。代わりに、まるで母のような優しい声をかけてくれる。俺には居もしない母のように。
「どちらかと言えば、其方の方が私より上なのだがな…仕方がない者だ」
その言葉に思わず泣きそうになるのを必死でこらえると、俺はちょっとした力を使った。紅様が驚いてこちらを見上げているのがわかる。
「〈ファントム〉其方…」
何を言われようが俺はやめない。自分の魔力を半分ほど集めると紅様に反発されないように少しずつ流していく。魔力が足りていない状況なら反発されることもほとんどないだろうし、自然に吸収できるだろう。紅様は離れようともがき始めた。
「やめぬか!其方の転生が出来なくなるぞ?」
その言葉に一瞬ひるんでしまったのが俺の悪いところだなと思う。長年人間の中に紛れて生活していると、考え方も人間に近づいてしまうのだろうか。その隙をついて紅様はドカッと俺を蹴り飛ばした。
「うっ!?」
あまりの強さに吃驚して腹を抑えてしゃがみ込むと紅様が高笑いした。
「あーーっはっはっはっはっは!!どうだ?強いであろう?」
そして俺が顔を上げると言う。
「其方がその身を張ってくれぬとも、これくらいの力は残っておる。その力は自分の転生の時に取っておけ。それにな、まだ消えるわけではないのだ」
「…え?」
紅様は不意に遥か遠くを見詰めるように目を細めながら言った。
「人格の半分を次元管理の場に縛り付けてきたのだ。恐らくシイラの中に取り込まれるだろう」
言っている意味が理解できなかった。いや、そのままの意味なのだろうが、俺にはちょっとわからなかった。どういうことだろう。
「まぁとにかく、そのうちまたここに来る。その時までに面白い話、用意しておけ」
そう言ってにかっと笑った紅様の身体が薄くなっていく。
「ま、待って……!」
俺の言葉は誰もいない廊下に響いた。紅様と再会してまだ10分も経たない内に、何もかもがどうでもよくなってしまった俺は、その場に崩れ落ちるかのようにへたり込む。
何故、どうして、という言葉が俺のなかを飛び交うが、答えは出ているものだ。このやるせない気持ちはどこへぶつければ良いのだろう。
『君はまだ生きられる』
ああ、確かあの日もこんな風にへたり込んだな、と自嘲気味にふっと笑みを浮かべる。
『僕は待ってるよ』
ミラージュ…ミラ、君に会いたい。
「会いたいよ、ミラ…」
ただひたすらそう願っては泣いた。あの日瞳一杯に溜めていた、堪えていた涙をここで流していくように、泣き続けた。
結局その日は紅様に指名されたターゲットと接触することなく、帰宅した。あんな泣き跡の残る顔で会っても怪しいだけだし、記憶操作は何度も言ったように限界がある。その上魔力をいつもとは違った使い方したせいで身体が筋肉痛を起こしていた。
「このやるせない気持ちは何処にぶつけたらいいんだ」
眠りにつくまで結局、答えの出ない問いを呟き続けた。
「遠山~守岡~おはよー今日も二人は仲良いな~!」
俺は笑顔で楽しそうに教室に入っていく。
遠山がビクッと身体を震わせて怯えて守岡の後ろに隠れて小さくなりながら挨拶してきたり、守岡が笑顔で俺を信用しきった顔で挨拶してきたり、前と変わらないいつも通りの日常。
一週間ぶりにまたここに来ては守岡と遠山の監視を始めるのだが、最近はいつこの仕事が終わるのかと自問自答する時間が増えた。本当は一ヶ月前で終わるはずだったのだが、どうも新しい神様兼次元管理者はのんびりマイペース悪戯っ子らしく、次元管理の場からこっそり脱け出してきたらしい。
何かペリドットが慌てて捜しに来てたけど、流石に素質のある娘っ子と紅様のコンビの魔力を上回る探知は出来ないようだった。俺は紅様と繋がりが一応あるから居場所も知ってるけどこれでも〈ファントム〉だ。生半可な人形だとナメられては困る。
もちろん紅様たちに合わせて笑顔で追い返したよ。
さて、今日はついに紅様の人格の半分を取り込んだシイラグレーが転校生として来るはずだ。正直ここでの名前とか記憶操作とか特になにもしなくて良い、と言われているために何も知らない。一応神様だからそんな事容易いんだろうけど、落ち着かなくてソワソワする。
けどまだ来るまで時間あるし面倒になったので、俺はこのクラス1のグループに駄弁りに言った。
8時30分。朝読書の時間。俺は本を読む振りをして周りをチラリと見る。
先生は大の本好きでこの時間だけは何もないと本当に本しか見てないんだ。ただし少しでも本を捲る以外の音が聞こえると激怒すると言う変人でもある。俺とは相容れない相手。
さて、守岡はと言うと…先生の影響を諸に食らっているようだ。熱心に本を眺めてはページを素早く捲る。まぁ無理もない。彼は小学校の時から本好きではあったから、先生の影響でちょっと手に負えないくらいになっているだけ。
俺はちょっとだけ苦笑した。
と、そこで視界の端に写っていた遠山がカクン、と首をこう垂れた。眠そうに、しかし必死に読書しているところを見ると、恐らく昨日の夜眠れなかったのだろう。家庭内が今少し揉めていることを俺は知っている。
キーンコーンカーンコーン……。
一瞬吃驚して心拍数が一気に上昇したが、俺が周りばかり見ていたことは先生にバレなかったようだ。なんかめちゃくちゃ爽快!って感じの先生の笑顔に思わずクラス中が苦笑したようで、少しざわついた。
ただ一人を除いて。
「さ、朝読は終わりだ。ホームルーム始めるぞ…守岡、本に夢中になるのは良いがそろそろやめろ!没収するぞ!」
担任の軽めの雷が落ちた。それを苦笑交じりに眺めるクラスメートたちと焦っている守岡。守岡も苦労人なこった。担任はとりあえずそれ以上言わずにホームルームを始める。
「転校生を紹介する…入って来い」
ぶっきらぼうなところは転校生に対しても変わらない先生に怖がらない生徒はそう多くはないのだが、今回の転校生はかなり肝が座っていると言えよう。転校生は顔色一つ変えることなく教室にすっと入ってきた。こちらには見向きもしないのは当たり前。こちらの関係性がバレた時まずいからな。
俺は頬杖をついて守岡を視界に入れながら入ってきた転校生こと、現神様兼次元管理者のシイラグレー様を眺める。見た目はシイラグレー様なのに口調が紅様のそれのせいでかなりちぐはぐな印象だった。しかしまあ流石神であらせられると思う。うまい具合に記憶操作をしつつ自然に自己紹介を終えるのだから。俺だったら一瞬止まって記憶操作しないとどっか抜け落ちてたりするのに、と思うが…よく考えてみれば頭の作りが違い過ぎることに気が付く。ちょっとだけため息を吐いた。俺には到底超えられない壁だろう。
「それじゃあ…守岡の隣が空いてるな。神崎、そこに座れ」
神崎時雨…シイラグレー様は先生の言葉に薄く反応するとすぐに席へと向かった。先生はすかさず守岡に命じる。
「守岡、今日の放課後神崎に学校案内してやれ」
守岡はそれを聞いてあからさまにゲッと嫌そうな顔をして言い訳して逃れようとした。それを阻止するのも俺の役目だ。
「良いじゃん良いじゃん!ちゃんと案内してやれよ~守岡」
予定ないしちょうどいいじゃん!と本当ではなくとも逃げ道を確実に消していけば、彼は諦める。一緒に過ごしてきたおかげで大体の性格が掴めていたことが役立っと内心ほっとする。遠山も一緒になってからかうように逃げ道を塞いでくれたおかげで、守岡はすぐに諦めた。
後はシイラグレー様…いや、神崎時雨の手腕にかかっていると言える。彼女がどう動いて彼を本当に次元管理者候補として認めるのかはわからないが、とりあえずいい結果になることを祈る。
そして早くこの任務が終わってくれると良いと思う。
そうすれば俺は晴れて死ぬことができるのだから。失敗しようが成功しようがそう言うつもりだ。限界なのは紅様もよくわかっていた事だし…大丈夫だろう。
気が付くともう授業が始まっていた。
あれから一体どれだけ時間が過ぎただろうか。気が付く辺りは真っ暗になっていて、何にもない時の暇つぶしに来ていた学校近くの公園のブランコに腰かけていた。結局あれから何かトラブルが起きないかと見張っていたが特に何もなく、神崎時雨もかなりクラスに馴染んできた。というか本人が一番楽しそうに動いていたのだ、本来の目的を忘れているのではないかと思ったほど。
「ずいぶんと顔が死んでおりますね」
少々怒りの含んだ言葉が背後から聴こえ、驚きはしたがゆっくりと振り返る。声で誰がいるかなどすぐわかる。
「ペリドットさん、久しぶりだな」
俺は愛想よく、ただ気だるげにそう言った。恐らくシイラグレー様の事を聞きに来たのだろう。ペリドットは少し拍子抜けしたような表情になると軽くため息を吐いた。
「シイラグレー様をお見掛けしませんでしたか?」
案の定シイラグレー様の事を聞きに来た。察していた質問なだけにため息が出る。まだシイラグレー様、紅様からの許可は出ていないので、俺はいつも通り用意してい置いた答えを口にした。
「残念だけど、ここには居ない」
それも予想済みだったのだろう。ペリドットはまたため息を吐くと夜空へと視線を逸らす。その表情は心の内をありのまま移しているような感じだった。俺は思わず聞いた。
「まだ見つからないのか?」
それにペリドットは落胆したように頷く。
「皆が寝静まっている頃にこっそりと戻ってきては次元管理の仕事をしているようなんですが、紅様のお力を存分に使用されているようで、全く足取りがつかめないのです」
一体どこで何をしている事やら、と付け足すと長い長いため息をまた吐いて俯いた。これは皆が心配しているのだろう。焦燥感が見え隠れしている。
「シイラ様をお見掛けしたらご連絡ください。…期待せずに待っていますから」
そう言ってペリドットは高く高く飛び上がり、やがて見えなくなった。
「息するように嘘を吐くんだな」
隣から苦笑混じりの声が聴こえて、隣を見上げる。案の定シイラグレー様が苦笑しながらペリドットの消えた空を眺めていた。俺はちょっと考えてから一言。
「一旦帰ったりしないんですか?」
シイラグレー様にも、紅様にも向けて言った。この人が身を隠すために魔力で家を建てて過ごしていることは知っている。もちろん人間にも見えていないが。俺はその家のすぐそばの公園でこうやってぼんやりと空を眺めているのだ。
シイラグレー様、基紅様はふっと笑みを溢してこちらを向いた。その目は覚悟を決めた後のそれだった。
俺はシイラグレー様の言葉を待つ。
「少しここで自由に過ごしたいのだ。ずっとあの場所からここを憧れていても、何も変わらない。何年何十年とずっと見てきたこの地球を、自分のその足で何日もかけてゆっくりと見て回りたいのだ。長い間我慢してきたのだから、もう少しくらいここに居たい」
ダメか?と笑顔で俺に聞いてきた。俺は前に向き直ると空を見上げてため息を吐いた。今の言葉は恐らく紅様の者だろう。シイラグレー様ももちろんこの地球にあこがれていただろうが、それ以上に何年も何年も昔から少しずつ変化していくこの場所を、眺めては夢を見続けていた紅様を俺は知っている。
だから俺には咎める資格もないし、咎めない。俺は神の御意志に従うだけの人形だからな。
何も言わずにそんなことを考えていると、シイラグレー様の姿で紅様が笑った。
「人形というにはもう感情に振り回されているように見えるがな」
俺はバッと隣を見る。これはどちらの言葉だろうかと気になったが、悪戯っ子のような笑みを浮かべているシイラグレー様の姿のせいでちょっとよくわからない。俺は苦笑する。
「どちらの仕業か知りませんが、勝手に心を読まないでくださいよ」
それには答えずにシイラグレー様は公園を見渡していった。
「さて、そろそろ夜だし帰るとしよう。其方もはよ帰れ、まだまだ任務は終わらないぞ」
そしてシイラグレー様…いや、神崎時雨様は身を翻して振り返ることなく公園を去って行った。まだペリドットさんたち次元管理の場の人たちは居場所を特定できていないのだろうか、とふと疑問に思ったが、あの表情豊かな人が嘘をつけるわけがないかと納得して、また一つため息を吐くと立ち上がって帰路についた。
あれからどれくらい過ぎただろうか。感覚では…まだ半年も過ぎてはいないと思うが…。
少しクラスに変化があった。本当にちょっとしたことなのだが、数日前から遠山が休んでいるのだ。
遠山は普段本当に大事な時…例えば妹や家族に何かあった時とか以外は滅多に休まない。それも自分が弱っている時ですら、だ。なのに三日も休んだのだ。これはただ事ではないと思った神崎時雨様が、俺に命じた。
『遠山に何があったのか確認して来い』
俺はクラスの中でも不良生徒の一部だから、休むのは比較的簡単だったために、遠山が休んだその日に早退してしばらく遠山の家周辺を調べて回った。もちろん能力を使っているため話題には上がらないし、記憶に残ることもなく簡単に調べつくせるのだが、近辺の住民が外出していたり等居ないこともあって、結局夜遅くまでかかってしまった。
結果。
「まあごく普通の、というよりは地球あるあるですね」
朝3時頃、ようやく終えて公園にて一息ついてるところに神崎様がやってくるなり早急に事情を話せと言われて、短いとは言えない遠山家の裏事情を話して聞かせた。
遠山の家は五年ほど前に父親が事故死して母子家庭。つまり妹が病弱でお金がかかるのにその金がないような状況。母はそれをずっと悩んでいて様々な人に相談していた。やがて見つけた良い男性と結婚するも、彼は浮気をしたらしい。それが妹にバレて兄の遠山…寛人に伝わり、母へと情報が流れた。言い争いになり逆上した再婚相手は母親を殴り飛ばす。それだけならまだよかったが、運悪く頭を打った母親が意識不明の重体で、再婚相手は現在親元にて出禁中となってしまった。生活していくためのお金は寛人自身がバイトして溜めていたお金があった為何とかなったのだが、それも数日間だけ。そして母方の親せきが遂に見かねて養子にとは言わないがこちらで一緒に暮らさないか、と言ってきた模様。だがその親戚は今静岡に住んでいる。ここは栃木であるため、とてもすぐにとは言えない場所なので家族間での話し合いと学校での話し合いが絶えない。
簡単にまとめても本当に複雑だ、と俺は思う。これはどの時代もそう変わらないもんだと納得してはいるが、やはり口にすると長すぎて俺の喉は枯れかけてしまうのだ。言い終えてため息を吐きながら神崎様を見上げると、彼女は眉間にくっきりと皺を寄せて腕組みまでして考え込んでいた。
そこで不意に思い出した。神崎様は地球に滞在するようになって一年もいないのだから、これがどれほど小さき出来事かわかっていないのだ。案の定神崎様は言った。
「それは困ったな…遠山が不憫でならぬ。何と可哀そうなことか。…よし、私がその浮気男した男を消してやろう!待ってお「それはダメですよ」」
俺は神崎様が言い終える前に待ったをかけた。神崎様はいかにも不機嫌な表情でこちらを見ると、滅茶苦茶低い声で問う。
「〈ファントム〉…何故止めるのだ?」
俺は呆れかえっているのがバレないように簡単に説明した。
「神崎様はここ、地球に滞在し始めてまだ日が浅いからご存じないのでしょうが、遠山のような家庭は他にも五万とあります。世界中から見れば遠山の家はむしろ恵まれていると言えるでしょう。中には子に暴力振る様な親もいるのですから」
そこで一度言葉を切ると神崎様の表情を伺い見る。神崎様は何も言わずに俺の言葉をちゃんと聞いている様子だ。俺は少し安心して先を続けた。
「シイラグレー様もご存知の通り世界には様々な神が存在します。その中にはもちろんこの地球の行く末を導く者もいる。…ここで神崎様が管理をするだけの立場でありながらたった一人の地球人の為に力を使ってしまったら、それはこの地球を統治する神々が黙っているとは思えません。…そもそも本来であればここに滞在していること自体が違反行為となっていることは、貴方様もご存知でしょう?」
俺はちゃんと言えただろうか。途中でこのままだと話を最後まで聞いてもらえないのではないか、という不安から次元管理の場の神であるシイラグレー様、基紅様を侮辱するようなことを口走ってしまったが、心を読むことができるこの御方ならわかってくれるだろうと思って言い切った。
やはりはっきり言い過ぎたのだろうか。神崎様が俺の方をじっと睨みつけたまま黙り込んで微動だにしない。
しかし俺は訂正しない。訂正して許しを請うのも僕としての仕事だろうけど、もうすでにそんな人形の域を超えてしまっているのだから、今更言い訳するつもりはない。
しばらく微動だにしなかった神崎様がようやく重くて長いため息を盛大に吐いた。俺が話し終えてから軽く五分は経過していたので、スマホで暇つぶしにニュースとか眺めていた俺はかなり吃驚してしまい、ガタンっと座っていたブランコが大きな音を立てた。夜も遅いというか、そろそろ朝になる微妙な時間にこんな大きな音を立てたらご近所迷惑だ、と焦っていると神崎様が言った。
「〈ファントム〉が私をどう思っているのかはよく分かった。そして何故止めるのかも理解した…私は冷静ではなかったな、ようやく頭が冷えた」
そしてこちらをまっすぐと見つめる。ちょっと不貞腐れているのは紅様だろうか…何となくシイラグレー様だったらその優秀な頭で俺の言いたいことをちゃんと理解してくれるだろうという根拠のない地震があったのだ。だがそれを調べる術はない。少なくとも1〈ファントム〉としては、な。
俺は立ち上がると神崎様の前に恭しく片膝を立ててしゃがむと、俯いた。
「ただ貴方様に消えてほしくないのです。どうかご忠告を聞き入れてくださいませ」
ただただ聞き入れてくれと願った。決断を促す神が居るのであればどうか、俺の願いを聞き入れて神崎様…紅様を止めてくれと、ひたすらに願った。
神崎様はまたため息を吐いた。今度は軽くて短めの…安堵したような、そんなため息。
「仕方がないな…一つ、私のお願いを聞いてくれたら聞き入れよう」
俺は思わず顔を上げてしまった。まだ、許可は出ていないというのに。しかしそこには女神のごとく優しい笑みを浮かべた神崎様…いや、こちらはシイラグレー様なのだろうか…が俺を見つめて立っていた。
「紅様から聞きました…貴方が死を望んでいることを。ただ紅様は貴方のような忠実な者を手放したくなくて、ここまで生かしてしまったと、悔やんでおります。妾には何と申してよいかわからない、と言っていますので、暫く私…シイラグレーが話させていただきますね」
そこで一度にっこりと笑った。何でも背負ってしまいそうなはかなげな笑顔に苦しくなって顔が歪むのを抑えられない。この方は今まででどれほどの苦労を背負われてきたのだろう、と心配になる程輝かしくも危なげな表情だったのだ。俺はゆっくりと、返事する。
「わかり、ました。それで、その…お願い、というのは?」
実際に対面して話すのは正直初めてだった。今までは見た目は確かにシイラグレー様なのだが、口調はほぼ紅様だったせいで、あまり実感がわかなかったのだ。ただ一つわかったのは、彼女もまた紅様のように心優しい賢い方なのだという事だけ。
彼女はクスッと優雅に笑う。
…確かに、これほどまでに動きが洗練されていると九歳の見た目には見えなかった。中身はもちろん成長しているだろうが、見た目は九歳の時のままなのだから少しそっちに寄ってしまうのもよくある話なのだ。しかしシイラグレー様は本当に中身だけ大人に成長しつつある…いや、もしかしたらこの方は神に近い存在というだけ会って元から神としての素質があったのではないだろうか、と思った。
そんな俺の心を無視して彼女は言った。
「紅様の願いには反しますが…今回の任務が終わりだと私があ判断した時に、貴方が転生をすることです」
少し言葉がおかしくなってしまいましたが…と困り顔で苦笑するシイラグレー様は、啞然としている俺を見つめつつ言い募る。
「私がこの目で〈ファントム〉の転生を見たいというのもありますが、やはり長きに渡って離れていた者同士の再会を果たさせてやりたいと思ったのです。上から目線で申し訳ございません。少し紅様の影響を受けているので、そろそろ融合する時期でしょう」
話が逸れると、またやっちゃった、と口元に手を当ててため息を吐いているシイラグレー様を見ながら俺は言葉の意味を理解しようと頭をフル回転させていた。
つまり、こういうことか?シイラグレー様は俺がずっと昔に仲良くしていた、たった一人の友達の事を今でも気にしているのを知っていて、更に死んでずっと待ってくれているという彼女との再会をさせようとしてくれている。
きっと俺がぼんやりミラージュの事を考えている時に偶然居合わせて、更に早く死にたいとか思っている俺の心を読んだに違いない!
そんな風にシイラグレー様の事を凄い、温かくて寛大な大地の女神のようだと心の中で称賛していると、シイラグレー様は焦ったように訂正してきた。
「そんなことをしなくても紅様と意識の共有はしているのですから、自然と知ることができます」
それに紅様の一番の心配事は貴方ですし、とシイラグレー様は言う。ただその行動すらも本当に神だと思ってしまう。と、自分の中で話が脱線しそうだったので、かぶりを振ると冷静に話す。
「それは、本当によろしいのですか?…転生の権利を与えてくれるって事で、本当に?」
俺の確認するような言葉にシイラグレー様は笑顔で「ええ、いいのです」と頷く。俺は口元に手を当てて俯く。
「まさか…本当に、ありがとうございまず…」
最後は何だか花が詰まって濁点が付いたお礼になってしまったが、もう堪えていた涙は溢れて頬をゆっくりと伝っていくのを肌で感じていた。シイラグレー様は紅様と同じように、俺の頭を割れ物を扱うように優しく優しく撫でてくれた。
「任務は明後日終える予定です。…今まで妾に仕えてくれて、本当にありがとう」
最後は紅様の言葉だったと思う。しかし俺はその言葉に答えようとしても、涙があふれて言葉にならなかった。
俺が終わる、最後の日。問題も解決して、よく晴れた絶好の散歩日和だった。
結局俺は最後まで学校に通って神崎様と守岡を二人きりにするという仕事をこなし、先に帰宅した。神崎様は俺が転生し終えた後次元管理の場に戻るらしい。守岡がどちらを選んでも強制しないと何度も口にしていた姿が本当に可愛らしくて、昨日の夜はたくさん笑った。
そして今日。守岡に話し終えた後、あの次元管理の場に戻る前に俺の元へきて転生を行うと約束してくれた。紅様だけでなくシイラグレー様までもが約束してくれたのだ、絶対に守ってくれるだろう。
「色々あったけど…最後は案外楽しめたかな」
俺は昼とも夜とも言えない明るいようで暗い夕焼けを眺めながら、またあの公園のブランコに座って一つ呟いた。声はかすれて人気のない公園に吸い込まれていく。ゆっくりと深呼吸をしてから、また一つ呟いた。
「ミラージュ…ミラ、ようやく君に会える。…あとほんの少し、待っててくれよ」
ゆっくりと沈んでいく夕日に向かって静かに笑みをこぼした。
あと少しだよ、ずっとずうっと会いたかった人。