終.平穏な日常はやはりこない。
これで古森美咲編は終了です。
「金が……。俺の金が……」
葵のボソボソとした呟きに反し、翠と古森は大量のデザートを平らげていた。
残念ながら葵の分は一杯の薄いコーヒーのみらしく実に妹たちの言いなりになっている。
「俺はしばらくどう生きていけばいいのか」
「あら? 何か不満かしら? あぁ、まだ傷が痛みだしそう」
「酷い話ですよね。兄さんはずっと見ていただけなのですから」
と言いながら二人次々と口に運んでは注文していく。
なぜこうなったのかは翠のせいであるのは明かだ。いいようにこじつけて美味い物を食べたいだけではないかと疑うほどだった。
「兄さん。一口上げる」
「いいのか!」
「はい、あーん」
翠はフォークで刺したケーキを葵の前に出した。
「あげないっ!」
「っておい!」
葵が食べようとした束の間、翠はひょいっと下げて結局自分で食べる。
それを見た古森は笑みを浮かべて、
「葵さん。私の分をあげるわ」
今度は古森が差し出した。
「いいのですか?」
「えぇ、もちろん」
「じゃあ、遠慮くなく。……うーん、うまい!」
幸せそうに食べる葵。
「えっ、兄さん……」
間接という概念がないらしい。古森は葵を見てニコニコとしていた。翠はそれを確認するとムッとした表情を浮かべる。
「兄さん!」
「は、はい」
「口を開けて!」
「いやいや、それはでかくて……むむっ」
無理やり口にケーキを丸ごと押し込まれる葵は苦しそうだ。コーヒーで流し込み、喉を詰まらせるのを避ける。
「翠……、兄ちゃんを殺す気か」
「ふんっ、兄さんがいけないんだよ」
「何がだよ……」
翠は古森に先を盗られたことが不満らしい。まさか古森が同じような手を使うとは思わなかったのだ。
「あら、どうしたのかしら翠さん。お兄さんをいじめてはダメよ」
その古森の表情は何所となく翠を挑発するようなものだった。対して翠は笑みを浮かべながらも睨み付ける。
「先輩こそ兄を甘やかさないでください。付けあがりますので」
「ふふっ、葵さんは優しい先輩がお好きなはずよ」
「いいえ、兄さんには最愛の妹がいますので先輩はただの先輩です」
この状況化、葵は逃げ出したかった。だが、どうやってこの場を立ち去るか。迷いに迷い答えを出す。
「ちょっと、トイレ」
「「葵、兄さんはどっちがいい!」」
二人から同時に言われては動けずに終わった。
「えぇっと、どっちもいいかな……。まず選択肢がないような」
いや、どう答えれば正解なのか全く分からないと思う事だろう。二人の眼差しが非常に痛い。
「先輩がいいか、私がいいか!」
「……両方」
苦肉の策。余計な事を言えば翠が怒るかもしれない。かと言って先輩を無下にすることもできない。片方を選ぶなんて出来ないのだ。
「ほら、翠さん。葵さんは優しい先輩がいいそうよ」
「いいえ、妹がいいと思っています」
まぁ、二人の様子を見る限り決着はつきそうにないらしい。まだ口論が続いているのをコーヒーを飲みながら聞くしかなった。
兎にも角にもしばらくするとまた今度話し合いましょうとなった。葵はまだ話すことあるのかと思う事だが女性陣の話が長いことは重々承知済みである。
「そういえばアリスさんはその後どうなったのかしら?」
公にはされていないがオーゼル学園長藤島雅により何かしらの処分はされるであろう。葵はまず連れて行って鉄拳制裁をされていたのを目にしているがそのことは彼女を尊重して黙っている。
「さぁな、雅さんが後から決めるらしい。しばらくすれば連絡があると思う」
「ふーん、一体どうなるのかしらね?」
「俺には嫌な予感しかしないのですけどね」
苦笑いを浮かべる葵だが古森は意味を分かっていなく首を傾げる。
「どういうことかしら?」
「いや、あの人、仕事が増えるのが面倒だからって言って蒸気機構に今回のことを報告したくないらしい。だから何とかしてもみ消すと思います」
「あら、そうなれば葵さん。たぶんあなたに厄介ごとが振ってきそうね」
「仰る通りです」
傍から話を聞いている翠は顔を歪めた。また、兄の周りに女が増えるとなるとどうしたものかと。やはり自分が前に出て厄介払いをしなくてはと心に強く誓うのだった。
〇
アリス襲来からしばらく。オーゼル学園に登校するほとんどの生徒が設計図を死守する為に血を流した者がいることを知らない。同じような日常が流れていた。
古森美咲は一件から自分の在り方を見直していた。
天才と呼ばれるために行動していた自分は自分という者がない。ならばこれから探していこうと。都合のいいことに古森の側には東雲葵という頂きに立った元蒸技師がいる。いや、自分よりも下位の蒸技師。
自分らしく振る舞うにはまだぎこちない所もあるが上手くやっていけそうだと思っていた。
――谷津工房
この日は工房長、谷津亮から連絡があると言われ工房員が集まっていた。東雲葵は講義で分からなかった問題に悩んでいる宮下麻里に付き添っている。
「そうじゃねぇよ。こうやるの」
「くぅぅ、難しいっす。座学は苦手なんすよ」
「理論も分からなかったら危ないだろうが」
「それを言われたら弱いっす」
麻里は涙目になりながら頭をぺしぺしと叩かれている。
唸りながら問題解く麻里の元を離れた葵は古森が座る所へと向かう。
「先輩、傷は大丈夫ですか?」
「えぇ、もちろん。そうでなければ出かけたりしないわ」
古森の傷は思ったよりも浅く回復は早かった。そのお陰で葵たちと出かけることが出来たのだが。もちろん葵は分かっているが取り合えず労うことを選択した。
「それにしてもあの事を黙っていろと言う事は良いのだけど何か釈然としないわね」
アリスの一件は学園長、藤島雅のよって口止めをされている。
生徒に危険が及んだ事実なら責任を取るべきなのだが古森はある条件を雅に突き付けて承諾したのだ。
それは、東雲葵を自分の側に置くこと。
雅はにたぁと笑みを浮かべて即答で了解した。実は葵はこのことを知らない。ただ、雅から古森美咲に蒸技師の在り方を教えろと通達があったのみ。なんだそれと思いながらも了解をした。
古森の狙いは葵から蒸技師を教えてもらう事。知識、戦闘、その他の技術。高みを目指す古森にとっては良い師だ。
それ以上に彼女の胸の中にうごめく別の感情なのかもしれない。
「すみません。どうも俺が悪いと言う事らしく……、いや、ほんとすみません。責任は取りますので」
結果として雅は葵が傍観していたのが悪い、だからお前が責任をとれと言われている。
「……」
少しの間、葵の顔を見つめていた。
「どうかしました?」
「い、いや、なんでもないわ! それよりもどんな責任をとってくれるのかしら!」
慌てた古森は恥ずかしさを隠すために声を出して言った。
「兄さん、今、なんの話をしているのかな?」
「葵! 私も話に混ぜてくださいですよ!」
古森の発言がまずかったようで別の二人に聞かれてしまった。肩にゆっくりと手を置かれ背後の翠はにこぉとしている。
「なんでもない。ちょっと先輩と大事な話をしていただけだ」
「先輩と……何かな? 責任?」
「ほぉほぉ、先輩も葵もやることやっているっすね」
麻里の発言は翠の怒りがみるみると上昇し、古森は顔を赤らめ恥じらう。
「ま、麻里さん。私と葵さんはそんな関係ではなくて……。別に葵さんがよければだけど……」
「兄さん。話があるのだけいいかな?」
「ちょっと待て翠。お前は何か誤解をしていないか?」
どうにも葵の周りには話を聞かない、または誤解を生む発言をする人間が多いらしい。工房内は外からでも聞こえるほど騒がしい物になっていた。
それからしばらく……。
「うーん、一体何が起こったのかな?」
工房長である谷津亮が工房へと入ると中はもみくちゃになっていた。その中心にいるのが東雲葵であるのは明かなのだが顔が異様に腫れているのは気のせいだろうかと思ったことだろう。
隣でムスッとした表情を浮かべる翠、何故か上の空で何かブツブツと呟いては一人でに恥じらう古森、正座している葵の服を引っ張りながらニヤニヤとちょっかいをかける麻里。
谷津は何かあったようだが触れないことにした。
「こほん、ではみんな今日は大事な話があるよ」
「先輩、大事な話って何すか?」
「そうだね。僕が話すよりも彼女に話してももらった方がいいかな。じゃあ、入って」
と言うと工房の扉が開きある一人の少女が入って来た。
その姿を見た古森は目を丸くして驚く。
「あら、美咲。久しぶりね」
「な、なんで! なんで、アリスさんが!?」
正体はアリスであった。それも制服を着用している。
「なんでって、私、この学園の生徒になったのよ」
「り、亮! これはどういうこと?」
言い寄られて困った谷津は取り合えず古森を制止する。
「まぁ、落ち着いて。どうも編入したらしくて藤島学園長に頼まれてはねぇ。と言う事でみんな仲良くしてよ」
「また、急な話っすね」
「という訳で今日から有坂菫さんが工房員となりました」
古森と麻里が驚くのは当然。しかし、東雲兄妹は至って普通であった。
「すみれ? アリスではなくて?」
何かに気が付いた古森は葵に言い寄る。
「葵さん。まさか知っていた……とか言わないですよね?」
「さ、さぁ? なんのことやら」
とぼけるのが下手過ぎるが故にその姿こそが答えである。ちなみにアリスとはその方が雰囲気が出るからと自分から言い始めた事だと葵以外は知ることはないだろう。
更に古森は葵に視線を合わせようとするが葵は目を逸らした。
「い、いやー、しっかし新しい人が入るのは嬉しいですね。先輩!」
「全くあなたって人は……」
古森は自分が何を言おうが変わる事のない結果を受け入れるしかない。アリスは古森に近づいた。
「よろしくね。美咲。私が一緒じゃ嫌かしら?」
「そ、そんな事ありませんよ。こちらこそよろしく。菫さん」
「今まで通りアリスでいいわよ」
これは無理にでも笑顔で接するしかないようだと察し、無理やり作ったぎこちない表情になっていた。
「ふふっ、これから楽しくなりそうね」
そう言うのはアリス。まさか自分が編入という名の監視下に置かれるとは思っていなかっただろう。だが、それも葵と一緒にいられるのなら悪くないと承諾したのだった。
「おっと、先輩とアリス? さんは知り合い何すか?」
「ちょっと知り合った仲でね。私たちは仲良しなのよ」
「……どの口がいうのよ」
谷津工房はまた騒がしくなりそうだ。葵は皆の姿を見てそう思った。
蒸気の真理を追究するのもいいがこうして学園生活を楽しむのも悪くない。まだ、始まったばかりの工房はこれから動き出す。
どのような方向に向かうとも、それは彼らたちが目指す事であるのは変わりないだろう。
第2章について。
続きは書いていこうと思います。
ただ、主人公である東雲葵視点に変更してもう少しラノベ要素を増やしていけれたらと。ニヤニヤする展開が少なすぎるのが第1章の反省点です。
2章では意識して書いていこうと思っています。
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