33.機構の眼は時を見つめる
葵と対するアリスは自身に分がないことははっきりと分かっていた。まるで先ほどの古森と相対した時のようだった。
機械の心臓の設計図を手に入れることで少しでも狂いが防げるのなら本望と考えている。
しかし、当の葵はそれを望まず受け入れていた。それをアリスが受け入れることが出来ない。思考の相違は時に旧知の仲でも敵対しなくてはならない事を残念に思う事だ。
「親愛なる蒸気世界」
まずアリスが仕込みを展開させる。辺りを煙で覆い、自分の世界を作り出す。いずれ自分が永遠に閉じ込められる世界。例外なく古森と翠までもが誘われる。
葵は微動だにしなかった。されるがままに術中に入り込み視界は手を伸ばした程度。慌てる様子もなく状況に流されていた。
音もなく近寄るアリス。
背後。鋭いナイフが葵の背を襲う。
「がはっ!」
アリスは何が起きたか分からない。腹部に酷い鈍痛が走り込む。葵の拳が内蔵までを傷つける深い突きが命中した。
瞬時に霧は晴れ渡るとアリスは腹を抑え地に伏せていた。
「かっ……、ダメ……ね。さすが時を支配する目」
「もういいだろ」
「いや、まだよ」
ゆらりと立ちあがると正面めがけてナイフを投げつける。葵の腕に命中するが金属音がしたと同時にナイフが地に落ちた。
「全身仕込みのあなたに刃物は無意味。これならどう!?」
アリスは正面から葵に向かって走る。仕込みを使わない格闘戦に持ち込む。
「……」
不意打ちこそアリスの主軸の戦法。それを知っている葵はなぜこのような方法を取ったのか察していた。直接戦闘に向いていないアリスだが武術の師は葵と同じ。決して使えないという訳でもない。
「まだまだまだっ!」
アリスは素手、脚を使い小さな身体からとは思えない重たい攻撃。葵はそれらを苦なく受け止めていた。傍から見れば何をしているのか分からないほど素早いもの。見ていた古森と翠は次元の違うものを見ているように感じるだろう。
もういいだろうと葵は思った。これ以上続けても何も生まれないし変わることはない。ただ、一撃のみを全力でアリスにぶつける。
「制限解除、時を見る機構の眼」
――発動
時は支配される。いや、葵のみが動ける世界。
人が感じる事が出来ないコンマ数万秒の空間。葵ただ一人が発動できる古代の仕込みだ。その中で動くことは時間を圧縮した衝撃を受け続けることになる。故に発動には相応の肉体が必要であり満たすのは蒸気世界でただ一人のみ。
アリスが恐れていたものはこれにあった。
自分の知覚できない所で全ては終わり決着がつく。気が付いた時には遅い。
葵、自らが取り残される世界であり、狂えば孤独は必須。アリスはそれを防ぎたかったに過ぎない。
しかし、蒸技師である以上、葵はアリスの気持ちを理解していても今、禁域に指定されているからこそ触れさせるわけにはいかなかった。
「アリス、すまない。そしてありがとう」
右手に力を込め仕込みを発動させる。
「仕込み展開、剛腕の破城追」
掌底はゆっくりとアリスの腹部に当てられる。そして、空気が歪む衝撃。腕に仕込まれたピストンが手に触れたものを内部から壊す。本来なら一度の掌底で2度の打撃が加えられるものだ。
だが、アリスはまだ感じることはない。今だ葵の空間の中。
「解除」
「かっ……」
気が付けば一瞬。アリスの目には葵を捉えることは出来ない。
「あお……い」
意識は朦朧とする。目の前にいる葵に手を伸ばし、届きそうで届かない者を感じながら前のめりで地に倒れた。
〇
「何が起きたの?」
古森は瞬きの間にアリスが倒れ込むのを目にした。葵以外は体感していない空間だから無理もない。
「あれが兄さんの仕込み。時を限りなく遅くする。つまり私たちの1秒は兄さんにとっては永遠なのです。」
「そんなのあり得るのかしら……」
「それが古代の仕込みの恐ろしさ。摩訶不思議な力を宿す神秘の仕込みなのです。もちろん兄さんの目だけでは出来ません。処理するための脳、圧縮する時間を移動する強靭な肉体。全てがそろい発動できます」
故に葵に勝てる者は誰一人としていない。かつて元第7蒸技師たちがそうだったように。
翠は少し不安げな様子だった。
「でも、本当に恐ろしいのは狂い。人も狂えば仕込みを狂う。いつか兄さんは自分の世界に閉じ込められる」
「……もし、そうなれば私たちでは葵さんを一生捉えられなくなるということね」
翠は頷いた。その後は何も言わない翠は葵を見つめていたのを古森は気が付いたのだった。
葵が二人に近づいてくる。
「すみません先輩。傷は痛みますか?」
目線に合わせるようにしゃがみ込み古森に気遣う。
「えぇ、とても痛いわ。でも、これは私の勲章としておくわ」
「そうですか」
「ねぇ、彼の者ってあなたの事かしら?」
突然の問いに葵は戸惑う。一呼吸おいて答えた。
「さぁ? どうでしょうか?」
わざとらしくとぼけた。その姿は明かに答えなのだが古森は笑って、
「ふふっ、違うと言う事にしておくわ」
と言った。
その後も二人は目が合っておかしくなり笑いあう。分かり切っていることなのに決して口にはしない変な状況だ。
「俺はアリスを雅さんのところへ連れていく。どうせ窓からこちらを確認しているからな。全く悪い人だ」
「えっ!? そうなの?」
古森は驚いた。学園の生徒が危機的状況化に置かれても助けに行こうとしない学園長が居てたまるかと。しかし、葵が側で待機していたことを考えるとそれだけ信頼を寄せているのかもしれない。
「いやー、あの人結構放任主義なんですよね」
「こらこらっ、仕事が忙しいから兄さんに任せているのじゃないの?」
「まぁ、そうなんだけど……。ともかく行ってくる」
と残して葵はアリスを抱きかかえると去って行った。
「先輩。今日は送りますね。肩を貸してください」
「ありがとう。全く……、今度葵さんに何か奢らせようかしら?」
「あっ、いいと思います。今度出かけるので先輩も一緒にどうですか? 財布は兄さんが持ちます!」
「付いて行ってもいいのかしら?」
古森は兄弟の仲に入る事をためらいつつも行ってみたいと思い聞いてみる。
すると、翠は満面の笑みで
「もちろんです! 行きましょう!」
と答える。
古森は笑みを浮かべてありがとうと呟いた。
あと、2.3話で終わる予定です。
第2章の話を作ろうか次作を書こうかで迷っています。
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