1.妹は秀才、兄は未知
「あっ! 兄さん! こっちこっち!」
晴れて今年度より入学が叶った学生、そして彼ら彼女らの両親が溢れるほどいる校門付近に手を挙げて声を出す一人の少女がいた。
肩まで下げた黒色の髪は先まで潤いが届いている手入れが届いた髪だ。
見れば誰もが綺麗だと言わざるを得ない欠点のない少女。余りにも現実離れをした顔つきに声を掛ける者はいなかった。むしろ声を掛けにくいというのが本音であろう。
少女の呼び声に誘われて兄と呼ばれる男が近づいていく。
平凡な顔をした青年。強いて言えば身長が平均よりも少しばかり高いぐらいだ。
なぜこの男があの少女に兄と呼ばれているのだと思われていることだ。
しかし二人には関係がない話。何を言われようと兄妹である事は変わりないのだから。
「わりぃ。全く広い学園だ。迷っちまった」
「もう、心配だよ。私がいないと兄さんは何もできないのだから」
「いやー、すまねぇ。翠は何をしてたんだ?」
「もう! 私が新入生代表なのは知っているでしょ! その打ち合わせだよ」
翠は非常に優秀な学生だ。1年の学年主席で入学し、代表として名誉ある答辞を託されている。
「そうだったな。俺は優秀な妹を持って嬉しいよ。お兄ちゃんは感激している」
「そんなこと言っても何も出ないよ」
「本当だって! 入学1年で蒸技師第3階級はお世辞抜きですごいって話だ」
「ほ、本当? えへへ……。照れるなぁ」
本来であれば新入生は蒸技師第1階級であることが普通だ。時々だが第2階級の実力があると判断される秀才が現れることもある。しかし、東雲翠は学園開校以来、初めての蒸技師第3階級で入学した生徒である。
蒸技師は第6級を最高位としている。第3級は戦場に立てる階級であり如何に翠が優秀な学生であるかは言わずとも分かるだろう。見た目でも分かるようにバッチや支給される制服のデザインが異なる。より、翠が周り新入生よりも際立って見えるのだ。
「これも兄さんのおかげだね」
「んなことねぇよ。翠が努力したからだぜ」
「違うよ。だって、兄さんが仕込みを丁寧に調整してくれたからだよ」
「当たり前だろ。俺は工房職人を目指しているからな」
蒸技師は仕込みと呼ばれる武器を保有している。それは言葉通り武具に組み込まれた仕込みであったり、身体の一部を蒸気技術に改造していたりと様々だ。
工房職人とは蒸技師の仕込みを開発、調整をする職人を指している。
工房は仕事をする上での組織であり1人の独立工房や数十人で構成される工房と幾多に乱立している。
「一番私を知っているのは兄さんだから。兄さんが専属職人で本当に良かったよ」
「何言ってんだよ。これからだろ。俺はもっと腕を磨いてやるからな!」
「うん。楽しみにしているよ」
ニコリと満面の笑みを浮かべた翠は本心から言葉にしたに違いない。
兄と呼ばれる男。東雲葵は自分よりも凄い人だと尊敬の眼差し(又は別かもしれない)を向けているからだ。
「それでね、兄さん。お願いがあるのだけど。いいかな?」
身長差を利用した潤いのある眼差しが向けられる。それがワザとなのか、自然の成り行きなのかは葵にとってはどうでもよい事だ。
何があろうと答えはイエスであるからだ。
「もちろんだ。何をしてほしい?」
「私じゃないよ。兄さんの事だよ」
「俺の事?」
「うん。私がいなくてもちゃんと友達を作ってよ」
「妹に心配されるお兄ちゃんの気持ちを考えたことあるか?」
「ないっ!」
「だよなぁ。大丈夫。何とかなるさ!」
葵は内気な性格ではなく外交的な性格の持ち主だ。ただの学生であれば友の1人や2人を作ることは造作もないだろう。
だが、ただの学生ではない場合はどうだろうか。
気味が悪いと言えば聞こえが悪い。もっと別の物だ。
枠にはまる存在ならまだしもそうではない存在。未知であると表現するのが正しいかもしれない。
「俺はメンタル最強だからな。気にすんなって」
「もう、調子がいいのだから……」
翠は心底葵を心配していた。もしかしたら学生生活に馴染めないかもしれない……と。
それは蒸技師として劣っている訳でも工房職人として学業に付いて行けないわけではない。いや、結果的に関わってくるかもしれないが。
兄の本当の姿を知る者は少ない。もし、いたとしても存在を拒む者も少なからずいる。
結論を言おう。
東雲葵の蒸技師階級は割り当てられていない。
つまり世間でいえば無階級となる。
「あっ、いけない。ごめん兄さん。私、少しだけ早く集合するように言われているの」
「そりゃ、入学式の代表だからな。立派にやって来いよ」
「もちろんだよ。それじゃあ、また連絡するね」
手を振って人込みをかき分けて校舎の方に向かって行った。姿が見えなくなるまで小さく手を振った後、葵はとある場所に向かった。
「ねぇ、見て。あれって無階級の子よね」
「あぁ、本当だ。裏口入学って話もあるぜ」
「本当にバッチを付けていないんだ」
葵の胸には一つもバッチが付いていない。蒸技師第1級と変わらない制服を着ているため後姿では判断が付かぬとも正面では一目で分かる。
優秀な妹、そして未知の兄。
入学早々に注目を浴びる兄妹は過去にも未来にもこの2人となるだろう。
「うーん。今日も気持ちの良い日だなぁ」
周りとはよそに葵は自分の階級を気にしていない。そんな事よりも入学出来たことに感謝をしていた。
だからこそ学生生活は充実したものにしたいと意気込んで大いなる一歩を踏み出すのであった。