9.谷津工房は絶賛、学内不人気ナンバーワン
やはり工房は見つからなかったか。藤島雅の予想は悪い意味で的中することになった。
自分がもし学生であって工房長を務めていたのなら拒否したい気持ちは分からないでもない。でも、今の自分は東雲葵について知っている。その上で考えると葵が如何に不運な人間か分かるだろう。
――やはり無理があったか。
心の隅で影が出来てしまいそうになる。だが、学園長である自分が葵の入学を認めたのだ。責任を持つしかないのだろう。
「……と言う事で頼めないだろうか」
「いやー、まさか学長に呼ばれて何事かと思えばそんな事ですか」
椅子に腰かけた雅の前に立つのはニコニコとした男子生徒であった。
「しかし僕の工房でいいのですか? 絶賛、学内不人気ナンバーワンですけど」
「だから頼んでいるのだよ。あいつも入るところがないからな。谷津君の工房も希望者が少ないだろう?」
男子生徒の名は谷津亮。3年次に在籍する蒸技師第2級の生徒。お世辞にも優等生とは言えない。どちらかと言うと平均を大きく下回る落ちこぼれである。
「えぇ、毎年そうですけど今年は一人だけ希望者がいましたよ!」
「ほぉ、それは良かったじゃないか」
「それも工房職人志望ですからありがたいことです。本当にやめないようにしないと……」
谷津工房は希望者も少なければその後にやめて移籍する生徒が多い。問題は工房長の谷津自身ではなくもう一人の人間だ。
「また古森美咲が問題を起こすか……」
「いや、問題は起こさないのですけど自分に厳しく他人にも厳しいタイプですからね」
苦笑いを浮かべる谷津であった。古森美咲のせいで谷津工房に2人以外の生徒が在籍していない。となれ谷津工房の引き継ぐ下級生がいないのは痛手だろう。
「ともかく僕の工房に誰か入ってくれるなら誰でも大歓迎ですよ」
「それなら良いのだが……。もしかしたら問題を起こすかもしれん」
「もう、慣れていますから。ほら、彼女がいますし」
彼女は古森美咲のことだ。優等生であるが故に他人にも自分と同じぐらいの実力を要求してしまう。つまり谷津工房を離れていく生徒の大半が古森美咲と言う天才を前にして自分の実力に絶望した者たちばかりだ。
「谷津君はよく古森と付き合えるな」
「いやいやいや、僕も毎日どやされてばかりですよ。ほら、僕3年になっても蒸技師第2級ですし」
谷津は自分の実力が同年代の生徒よりも劣っていることは自覚している。無論、美咲との実力は大いに違う事だろう。だが、1年次から同じ工房に所属する間柄だ。この男もまた別の能力が秀でていると考えるのが妥当だろう。
「それで肝心の葵君は何処へ?」
「呼んだはずなんだが……、聞こえてきたな」
扉の向こう側から話し声が聞こえてくる。
「兄さん! まずはノックが先だって!」
「もう遅刻してんだ! ここはさっさと入るべきだ!」
「全く、何やっているのだ……。聞こえているぞ! さっさと入りたまえ!」
雅が大声を出すとゆっくりと扉が開いた。入って来た葵は申し訳なさそうに(でも笑って)学長室へと入る。
「お前を拾ってくれる工房が見つかったんだよ。ありがたく思えよ」
「本当にどう感謝していいのやら……。それであなたが工房長ですか?」
「うん。僕は谷津亮。一応、3年なんだ。よろしく」
「こちらこそ。俺は東雲葵。こちらは妹の翠です」
葵は礼儀正しく握手をした。隣の翠も続けて頭を下げて葵に続いた。
「えぇっと、学園長。妹さんもですか?」
何やら空気を察してか谷津は雅に尋ねるが彼女も話は聞いていないと首を傾げた。
「えぇっと、翠は何処か決まっているのか?」
「いえ、私は兄さんと同じところがいいです。良ければ谷津先輩の工房にお世話になりたいのですが……」
すると谷津は目を丸くした。まさか学園主席が不人気工房に希望をするとは思っていなかったのだろう。
「えっ? いいのかい? 他の工房からも誘われているよね?」
「はいっ! 兄さんが心配で心配で……」
「だから妹に心配されるお兄ちゃんの気持ちになってくれ……」
「いやー! 嬉しいよ! これで美咲も退屈せずに済みそうだ」
谷津は翠の手を取って大はしゃぎをする。蒸技師第3級の翠が入ってくれれば工房としても問題児(正確には優等生)の模擬戦相手になってくれるだろうと期待している。
「古森先輩は谷津先輩の工房に所属しているのですか?」
「そうだよ。僕と美咲だけだよ。正式には2年生が一人いるけど顔を出さないんだよ」
理由は言わないがその原因を作ったのは誰かと言わなくとも分かるだろう。
「話が付いたようだな。では谷津君。後は頼んだよ」
「はい。色々説明しないとね。ともかく今から工房に行こうか」
谷津は雅に挨拶をすると扉に手を掛けた。続けて翠も谷津を追い出ていく。葵ももちろん翠と同じタイミングで歩き出すのだが雅に止められる。
「どうしたんだ雅さん」
「ともかく工房は見つけてやった。後は自分で何とかしろよ」
何所か保護者のような温かい眼となった雅は葵を見つめた。その感情を読み取ったのか葵はにかっと笑みを浮かべる。
「任せろって」
「あと、谷津はお前の事を知らない。問題だけは起こすなよ。後、この前の件も頼んだ」
この前の件とは『機械の心臓を貰い受ける』と書かれた予告上。何やら不穏な動きが行われていそうな雰囲気を出した便箋だ。
「あぁ、学生の領分内でな」
「もちろんだとも。さぁ、行きたまえ。やることが多かろう」
「サンキューな。雅さん!」
バタンと閉じた扉を最後に学長室には雅だけが残る。学長としては過度な干渉避けるべきだが東雲葵だけはそうもいない。葵が平穏に学生生活を送れたらそれはそれで彼にとっても幸せなことだろう。




