第06話『動き始める刻 -Duel before-』
授業の時間です
あの日――シア先輩と、少しだけ距離が近くなった日――から、一週間近く経った。
少しだけ、変わったことと言えば、あの日以降もシア先輩とたびたび話すようになったことだろう。もともとの身分差を考えれば、結構衝撃的なことではあるけれど。
……なぜか、シア先輩と話してるときに限って、アンジェが浮かない顔をしてるのが気掛かりだけど。
兎にも角にも、僕は変わらず、陽だまりのような日常を過ごしていた。
「――魔術ってのは要は神秘の具現化……セカイの法則に介入し、事象を起こす業だ。まぁこんな基礎的なことおまえらに言っても今更って感じかもしれんが、今日の授業を説明するためにはこの基本的なトコが大事になってくるからな。退屈かもしれんがちゃんと聴いとけよ。おらそこ、寝るなー。チョーク投げるぞ」
そんな、変わらぬ日常の、とある日のこと。
第一魔導館――主に、実技等で使われる場所――にて。
そこでは、このクラスの担任のオルフェ先生による魔導理論の授業が行われていた。
魔術。それは、エウローヴァにある四つの大国――通称、『四大国』――の中で唯一、シーベールだけが持ちうる神秘の技術。世界の法則を変革する異能の業。
「世界法則……つまり『叡智星魔教典』と呼ばれるモノに介入し、結果を起こす。それこそが魔術であり、その術を使うのがオレたち魔術師と呼ばれる人種だ」
『叡智星魔教典』――原初からすべての事象、法則、概念といった、あらゆるものが記録されている、"世界の記憶"というべきモノが、この世界には存在している。
もっとも、確固たる物体として有るわけじゃない。ただ、概念として「そういうものがある」と昔の人々が便宜的に名付けただけだ。
世界法則とは『叡智星魔教典』の別名だ。
要するに、『叡智星魔教典』っていうすべてのモノがまとめられた一冊の本に介入し、望んだ"結果"を引き起こす技術が、魔術というモノだ。
……まあ、この辺りは魔術師にとって常識なことなんだけども。
「では、オレたち魔術師はこの『叡智星魔教典』にどうやって介入するのか――……おいリオ、答えろ」
「は!? なんでオレが! つかンな初歩的なこと答えたところで……!」
「ほぉ~~教師サマに逆らうとは良い度胸だなァ単位落とすぞ」
「職権乱用じゃねえかッ!」
「うるさい早く立て」
突然の指名に若干キレながらも、リオは椅子から立ち上がり、説明を始める。
「んんっ――まず大前提として、魔術というものは有から有を創り出す等価交換であること。そこで我々魔術師が使うのは、すなわち『魔力』と呼ばれるものです」
魔術とは等価交換の術。神秘を引き起こすにあたり、魔術師が対価に差し出すのは肉体に内包されている魔力だ。
肉体に内包されている魔力は総じて、最初の段階では無色透明なモノ。
ゆえに、魔術を発動するプロセスとして、魔力に『色を付ける』という動作が必要になってくる。
「それこそが『詠唱』――つまり、無色透明である魔力に、魔術のイメージを付ける行為です。我々魔術師は、これを用いて世界法則に介入します」
「おっけ、座っていいぞ。よしお前ら、ちょっとオレの手を見てな」
オルフェ先生がリオに着席を促す。そして、先生は教壇の前に立ち、僕らに注目するように言ってくる。
「燃えろ、焔」
瞬間、オルフェ先生の左手から小さな炎が顕れた。
「今の魔術は、まあ言わんでもわかるよな。おまえらも絶対一度は生活で使ったことのある魔術【小さな焔】だ。さっきリオが言ったように、詠唱とは魔力に魔術イメージという色を付ける行為だ。この詠唱に用いる言葉を『アリスィア語』という」
アリスィア語は"色を持った言葉"とでも言い換えればいいだろう。
『無色の魔力』に『魔術イメージ』を込めるための言葉――簡単に言えばそういうもので、それゆえに詠唱専用言語とも呼ばれている。
「まあこんな感じで、魔術ってのは"詠唱"という過程を経ることで『叡智星魔教典』に介入するモノだってこと。実際にゃ他にもいろんな要素が絡んでくるんだけど、これ以上基礎を復習しても長くなるだけだし、ここまでで良いだろ。ぶっちゃけ常識だしな。
ってことで、今日の本題。本日の内容は――《速攻詠唱》についてだ。速攻詠唱ってのは何なのか……そうだな。おいロート、答えろ」
先生がロートを指名する。当てられたロートは表情を変えないまま、起立し説明する。
「《速攻詠唱》とは、その名の通り速攻性に長けた詠唱方法のことです。その原理は、魔術起動に必要な部分のみを残し、限界まで詠唱省略する、というものです。しかし、詠唱を省略する分、速度や威力は落ちるため、この詠唱方法は敵への襲撃や初撃にしか使われないことが多いです」
「うし、オッケーだ」
説明が終わると、ロートは静かに着席する。
ロートの言うとおり、《速攻詠唱》は速攻性だけを突き詰めたモノだ。ゆえに
速度や威力は通常のモノより格段に落ちる。まあ、当然のことだろう。端折って言うより全部言った方が強いのは自明の理だ。
「はい、もういっかい注目。
――我が手に宿りし煉獄の炎よ・苦しみ嘆く者達を燃やし・清みの炎を与えよ――【天へ昇る為の炎】」
オルフェ先生が詠唱を終えた瞬間、ボワッと、金色の炎が発生した。
「あー、この魔術は【天へ昇る為の炎】と言っていう高等魔術だ。今回は《速攻詠唱》でどれだけ魔術の精度が落ちるかどうかを、見せるために使っただけだから、間違っても真似するんじゃないぞ。
それはともかくとして、今のが普通に唱えたときの魔術だ。これを《速攻詠唱》でやるとだ……」
再びオルフェ先生は静かに、詠唱を始める。
「煉獄よ・彼の者達に清みを―――【天へ昇る為の炎】」
刹那、先生の手に――今度は先程と違って――炎の強さも幾分か弱く、大きさも小さい炎が出現した。
「これが《速攻詠唱》だ。ただ《速攻詠唱》を使う場合、絶対に念頭に置いておくべきことが、この技術がかなりの危険を内包しているということだ。一歩間違えれば魔術が暴発する可能性がある。だから、ふざけて練習するんじゃねえぞ。わかったな?」
普段は少し適当なところもあるオルフェ先生だけど、こういうところは教師らしくしっかりしている。
(それにしても、《速攻詠唱》か)
この詠唱方法は僕にとって、馴染みが深いものだ。何故かと言うと、僕の父であり、魔術の師でもあるグレン・ミルファクは最優の《速攻詠唱》の使い手として、この国に名を轟かせていたのだ。
僕は、それがすごく誇らしかった。
「さて。じゃあ、ぼちぼち始めっか。まずは一人ずつどれくらい出来るか確認すっから、呼ばれるまで各々練習してていいぞ」
先生が僕らに向かってそう促すと、皆それぞれ動き始める。僕もそれに倣って、いつものように壁の方に移動する。こうやって実技がある時は、僕はいつも魔導館の壁側の方で練習をする。理由は単純に、人目を避けるためだ。
「おいシオン。まーたそんなとこでやんのか」
「いいじゃないかリオ。僕にはここで充分だよ。それよりリオの方こそ、僕となんかじゃなくて、みんなとやってきなよ」
「つれねぇな。別に一緒でもいいじゃねえか。それを決めるのはオレだろ?」
「うーん……。リオが良いって言うなら、べつにいいけども……」
そう言われては返す言葉もない。僕とリオは二人で《速攻詠唱》の練習を始めた。
* * *
「――おい見ろよ。ミルファクのやつ、またあんなとこでやってるぜ」
その声は、《速攻詠唱》の練習中に、不意に僕の耳に届いた。
「ははっ、本当だ。毎回毎回あんなとこでやって、なにがいいんだか」
「あんな出来損ないが練習したって無駄なのにな」
「アイツの親って王国魔導師団の団長だった人だろ? なのに、アイツはあんな無能な魔術師なんて、アイツの両親が憐れで仕方ないぜ」
それは明らかに僕を蔑む言葉。ひとつではない。複数の人間が、敵意を持って僕に放ったモノだった。
振り向けば、そこには、四人のクラスメイトがいた。その中で僕は、ひとりの少年と目があった。
「ロート……」
ロートは何も言わず、ただこちらをジッと見ている。その藍色の双眸の奥では、何を考えているのか。当たり前だけど、判らない。
「なァ、ロートもそう思わねえか?」
ビクり。心臓が、跳ねる。
「――……ああ、そうだな」
「っ……」
答えは判っていたけど、実際に聴くと、かなりキツかった。
「シオン。アイツらの言うことなんか気にすんな、言いたいやつには言わせとけ」
「……うん。そうだね」
リオが不器用ながら、僕を励ましてくれていることは言われなくてもわかった。
僕が侮蔑されることに関してはどうだっていい。言われなくても、自分が出来損ないだと言うことは判っている。
……そうだ。気にしても仕方ない。そう結論づけ、僕は《速攻詠唱》の練習を再開しようとした矢先――
「………ああ、もしかすると。兄貴があんな出来損ないだと、妹の方も出来損ないなのかもな」
――僕じゃない誰かを侮蔑するロートの声が、聞こえた。
「――――ロートッッッッッッ!!」
思考を捨て、ロートの許まで走る。そのまま、彼の胸ぐらを思い切り掴む。時間にして数秒。ロートの周りにいた生徒達は呆気にとられていた。
ただロートだけが、冷静に僕のことを視ていた。
「………やはりな、お前なら、こう言ったら反応すると思ったよ」
まるで、僕がこうするのを、予想していたかのように。
「? 何か言ったか、ロート?」
小さく、ロートは何か呟いた気がしたが……気のせいだろうか。それに何だか、ニヤリと笑っていた気がする。
「いいや別に? それよりも――はっ、どうしたミルファク?」
「っ……おまえ、知っているだろ。アンジェのことを馬鹿にされるのを、僕が何よりも嫌っているって」
僕のことはいくら馬鹿にされてもいい。だが、僕にとって、アンジェは大切な存在だ。
なぜなら、アンジェは、僕が魔術を使えなくなった当時――幼すぎた僕の荒んでいた心を救ってくれた大事な存在だ。そうじゃなくとも、アンジェが妹になった時に、僕は立派な兄になると誓った。だから、妹のことを他人に馬鹿にされるのは、どうしても許せない。
それを――親友だったロートは、知っているはずなのに。
「ああ知っているさ。で、それがどうした?」
この男はそれを知った上で、その言葉を口にした。
「っ――おまえ、本気で言っているのか」
「本気さ。俺があまり冗談言わない性格って知ってるだろ」
知っている。だからこそ、信じられなくて――いや、信じたくなくて。
けれど、冷ややかな声は、彼の本心であることを如実に表わしていた。
「どうせ、また『自分のことは馬鹿にされても良い』とか思ってんだろ?」
「……ああ。僕のことはいくら馬鹿にしてもいい。けど、アンジェを侮辱するのは絶対にするな」
「自己犠牲か」
「自己犠牲でも何でもいい」
「ッ……そうやって欠陥持ちの自分を卑下する性格、ちっとも変わっていないな。だからこそ、俺は―――」
ギリっと。怒っているのはこっちなのに、まるでロートも何かに対して――それが何なのかは判らないけど――怒っているかのように、奥歯を噛んでいる。
やがてロートは意を決したように――相変わらず、その身に纏う静かな怒りは鎮まっていない――口を開く。
「勘違いするなよ、ミルファク。おまえは劣等だ。止まった人間だ。未だ、それを理解しないというのなら――」
ロートが、右手に嵌めていた手袋を外し、それを僕の足下に投げる。
それは、魔術師の世界において、決闘の意を示す行為。
つまり、僕は――
「――俺が、判らせてやる」
ロートに、魔術戦を申し込まれていた。
「…………、」
思わず、言葉を失う。別に、これを拾うことは絶対ではない。だがそれは、決闘からの逃走を意味する。加えて、劣等が優等に勝つ確率は、ほぼ皆無だ。それは他ならぬ僕自身が一番理解している。
だが―――。
「どうした、受けないのか? 俺の言葉を否定したいなら、おまえも力尽くで来いよ」
――ここで拾わなかったら、僕はきっと後悔する。
それが、判っているから。
一瞬の思考の後、静かに、足元に投げつけられたその手袋を拾う。その様を見て、ロートはニヤリと笑うと、すぐさまオルフェ先生のところへ行った。
「オルフェ先生、模擬魔術戦の許可をください」
「……いいか、ロート。今は《速攻詠唱》の実技授業中だ。このクラスの担任としても、学院の講師としても、それは許可できんな」
「なら、授業の一環として、《速攻詠唱》の模擬魔術戦を行うというのはどうでしょう? それならば、学院側にも体裁はつきます」
「……おまえ、普段そんなキャラじゃないだろ? いつもの優等生ぶりはどうした?」
「時と場合で、被る仮面は変えなきゃいけないんですよ。それで、どうです?」
「…………はぁ、いいぞ。どうせ言っても聞かないしな。ただし、放課後だ。授業はちゃんとやれ。立ち会いはオレがやる」
半ば諦め気味に、先生はロートの申請を承諾する。
……躊躇う必要などない。そも、あの手袋を拾った時点でこの戦いを引くことなどできない。
ロートの藍色の眼が、僕をジロリと睨みつける。彼が何を言いたいのかはよく判らない。けど、いま僕がすべきことは、考えることはそれではない。
僕はその視線を間近に受けながら、ロートに向かってこう言い放つ。
「――――勝負だ」