第04話『ヒミツの話 -Persona-』
「――おはようございます、シオンくん」
翌日の朝の登校中。不意に、僕は誰かに話しかけられる。振り返ると、そこには。
「ししし、シア先輩!?」
「はい、昨日ぶりですね」
笑顔を浮かべたシア先輩がいた。
「昨日はありがとうございました。本当に、何とお礼申し上げればいいか……」
「い、いえそんな! 気にしないでくださいって、昨日も言ったじゃないですか!」
「いいえ、私が気にするんです。ですから――」
と。急にシア先輩が僕との距離を縮めるや否や、顔を近づけ、
「――今日の昼休み、東校舎の屋上に来てください。待ってますから」
耳元で、小さく囁かれる。脳に溶け込むかのように、鈴のような声が耳に届く。
「それでは、また」
まるで嵐のように訪れ、シア先輩は校舎の方へ過ぎ去っていく。
未だ心臓はどくどく鳴っていて、顔も熱い。
「……いったい何なんだ……」
「…………………兄さん。ちょっと良いですか」
何やら恐ろしい声が後ろから聞こえてきた。
おそるおそる、振り返る。
「ひえっ……」
そこには、何か黒いオーラっぽいものを放ちながら笑顔を浮かべるアンジェがいた。
「今の、いったいどういうことですか? あれは確か三年の、しかも王女様ですよね? 兄さん、いつお知り合いになったんです? っていうか『昨日はありがとうございました』ってなんですか? そこのところ、詳しくお聞かせ願いたいんですが?」
「え、えーっと……」
笑顔が怖いってばアンジェさん。
「まま、アンジェちゃん! シオン先輩にもいろいろあるんだよ。ここは器のデカさってやつを見せてやろう! それが出来る女ってヤツだよ!」
な、ナイスエメ! 僕はおまえが後輩でよかったって今初めて思った!
「先輩、いまあたしのこと馬鹿にしませんでした?」
「してないよ」
……この後輩、読心の魔術でも使えるのか?
「むぅ……まあ、確かに。一理ありますけども……」
「でしょ? だったらほら、ここは抑えて。あたし達は先に行こっ」
「あっ、ちょっとエメってば、押さないで! もう……兄さん! 帰ったらちゃんと訊きますからね!」
「はは……」
帰るのが怖いなあ。
別にやましいことなんかじゃないんだけど、あの笑顔で訊かれると思うと気が重い。
エメに押されながら校舎内へ向かっているアンジェを見る。すると、後ろからリオが声をかけてきた。
「アンジェちゃん、本当変わったよな。故郷に……フリュンにいたときとは大違いだ」
「……ああ。ほんと、こっちに来てから随分と変わったよ。少なくとも、出会った当初だったら、あんな顔なんて絶対にしなかった」
出会った当時のアンジェを思い返す。
世界に絶望したような虚ろな眼。全てを射殺すような、明確な殺意の視線。
――誰とも接しようとしない、孤独な少女。
あの時と比べたら、今のアンジェは本当に得難い存在だと、僕は思う。同時に、二度とあの時に戻らせるようなことはさせないと固く誓う。
それほどまでに、アンジェ・ミルファクという存在は、シオン・ミルファクにとって大きな存在だった。
「アンジェもかなりのブラコンだけど、おまえのシスコン具合も大概だよな」
「うるさいな。別に良いだろ、悪いことじゃないし」
そう言いながら、僕らも校舎内へ向かう。
「………で。なんでおまえ、シア先輩と知り合いなわけ?」
「おまえもか!」
* * *
昼休み。僕はシア先輩に言われたとおり、屋上に来ていた。
扉を開ける。視界に入るのは蒼い空と無穢の雲。
穏やかな風が吹く場所に、緋色の髪をたなびかせながら、景色を眺めるシア先輩がいた。隣には、お付きの人……フィリアさんもいる。
「――来たわね、シオンくん」
シア先輩が、振り向く。その姿に、何処か違和感を覚える。
何というか……雰囲気が違う気がする。普段は近寄りがたい高貴な雰囲気を纏っているが、いまのシア先輩は少し砕けた、柔らかい感じがする。
「フィリア。見張り、お願い」
「了解、です」
隣にいたフィリアさんが、僕の横を通り過ぎる。そして入れ替わるように、彼女は屋上から出ていった。
「さて。これで二人きりね」
「あの……先輩? 何か雰囲気違いません?」
二人きり――そのワードにドキリとするものの、それを呑み込み、思い切って先輩に尋ねる。
「あら。こっちがわたしの素よ」
「……え?」
「お姫様モードは生徒の前でだけ。いま君の目の前にいる女の子が、何も着飾ってない、正真正銘本当のシア・シーベールってこと」
「―――――えっ、と……?」
……落ち着け、よく考えろ。
もう一度言葉を反芻して、事実を認識するっていや無理だ。
言葉を失うとは、まさにこのこと。驚きすぎて逆に何も言えず、僕は今まさに、二の句が継げないでいる。頭の中では思考が堂々巡りだ。
「……ちょっと。そんな顔しないでよ。傷つくじゃない」
「だって……普通驚きますよ。高嶺の花で知られるシア王女が、本当はこんな感じの人なんて」
「誰だって、他人には作ってる自分を見せるものでしょ? わたしの場合、その仮面が高貴な王女様だっただけ。ただそれだけの話」
「そういうものなんですか」
「そういうものよ」
「だったらその、僕も生徒なんですけど……いいんですか?」
「鈍感ね。それくらい察してよ」
そう言われても……いまいち察することができない。
「――……まあいいわ。それより、話をしましょう」
「そうだ。いったい何の用ですか? こんなとこに呼びだして。妹やクラスメイトに色々聞かれて大変だったんですよ」
「あら、それはごめんなさい。でも、仕方ないんじゃないかしら。ええ」
「………?」
なんだ? 先輩、ちょっと機嫌悪い?
ますます判らなくなってくる。
けど、ツーンってしてるシア先輩、ちょっと可愛いな。
「こほん。まずは――改めて、昨日はありがとう。本当に助かったわ」
「そんな、僕は……」
「謙遜と否定はナシね」
「……どういたしまして」
言おうとしたことを封じられてしまう。
「昨日の三人組……彼らは、誰かに雇われてわたしを攫おうとしたみたい。結局、その犯人が誰なのか判らず終いだけど」
「やっぱり……そうだったんですか」
「ま。よくあることよ。王女様って身分だけで、色々と厄介なモノは付いて回るから」
「は、はは……」
笑って良いとこなのか迷う。
「………まぁ、そのおかげで、こうして君と話す機会が作れたんだけどね」
「? 何か言いました?」
「ううん、なんでも。……それで、なんだけど。むしろ、こっちがわたしにとっては本題なんだけど……少し、訊いてもいい?」
「何ですか……?」
「君のミルファクという姓なんだけど……もしかして」
「――はは……当然、知ってますよね」
「もちろん。『夜天星辰王国魔導師団』の前団長。その方の姓が、ミルファクだったから。だからその、あなたは――」
「……はい。僕は、その息子です」
『夜天星辰王国魔導師団』――シーベールを守護する最強の盾にして槍である、魔術師の精鋭集団。
団を構成する魔術師の全員が《王級》以上の階級――魔術師の位階を示す称号のこと――であり、彼ら一人の実力をとっても、並の魔術師では敵わないとされている。
僕の父……グレン・ミルファクは、昔そこの団長を務めるほどの実力を持った、偉大な魔術師だった。
『最速の魔術師』『閃雷光』『刹那天狼』――様々な異名で呼ばれ、この世界に名を轟かせていた。
グレン・ミルファク。それは、僕の、魔術の師匠で。
何よりも、誰よりも、憧れた魔術師。
「……お父上のことは、残念でした。あれほど偉大で素晴らしい魔術師が亡くなるのは、本当に悔やまれることです」
「……ありがとうございます。きっと、父さんもその言葉を聴いたら、照れながら笑うと思います」
そして今は――もう、この世にいないひと。
父さんは、王国魔導師団の任務で殉職したと、父さんの同僚から聞いている。
その最期は、とても立派だったとも。
だから、悲しいことではあるけど、同時に誇らしくもある。
僕の憧れた人は、最期まで、魔術師として務めを果たしたのだから。
だからこそ、僕もあの人のようになりたいと――幼いながらも、そう願ったのだ。
「…………間違いない。この子は……けど、なんで……?」
「先輩? どうかしましたか?」
「うっ、ううん。何でも。それより、もうひとつ訊きたいことがあるんだけど……」
「まあ、別に良いですけど……」
「……昨日、シオンくんが魔術を使おうとしたとき――頭を、痛めていなかった?」
「―――」
言葉が、喉から出てこなくなる。
予想できたはずの質問。なのに、僕は言葉に詰まってしまう。何度か口を開いて、閉じて。そしてようやく、言葉を紡ぐ。
「……やっぱり、判りますよね」
「アレで判らないほうがおかしいわよ」
そりゃそうだ。それくらい、僕の抱えるモノは、異常で異様なんだ。
「先輩の言うとおりです。
……僕は、魔術を思うように使うことができないという、魔術師としてあまりにも致命的な欠陥を持っています」
――『魔術を思うように使えない』。それが、僕の抱える欠陥。
原因はよくわかっていない。いや、心当たりはあるのだけど、それで確定だとハッキリ言えない以上、そのことは口にしない。
昔は普通に使うことができていた。だけど、ある日突然、魔術が思ったように使えなくなった。
完全に使えないわけじゃない。ただ、無理に使おうとすると、昨日のように激しい頭痛が襲いかかってくるというだけ。あの頭痛さえ耐えれば、魔術は通常通りに行使することはできる。
……耐えきれれば、だけど。
「―――」
ポケットからあるモノ……緑色に輝く石が嵌め込められた指輪を取り出す。それは、昨日取り出して、付けようとしたモノ。
僕が今まで魔術を扱えていたのは、ひとえに僕の両親が造ってくれた、この世に二つと無い僕専用の魔道具……『マナリング』のおかげだ。
この『マナリング』という魔道具は、いわば僕の代替魔力だ。僕の頭痛は、自分の魔力での魔術行使の
場合に起きるものらしく、ゆえに、その代わりとして、僕はマナリングを使って魔術を行使する。
逆に言えば、僕はこれを使わなければ魔術をマトモに使えない。
「――そう……だったの」
「笑っちゃいますよね。王国魔導師団の団長だった人の息子が、魔術をロクに使えない欠陥を持ってるなんて」
ほんと、我ながら傑作だと思う。皮肉が効きすぎて笑いが込み上げてくる。
マナリングがあれば、僕は普通の魔術師のように魔術を扱える。ただそれは、真に己の力ではない。
最優の魔術師の血を受け継いでるくせに、欠陥持ち。
ゆえに、『欠陥魔術師』。そう、僕は陰で呼ばれている。
実際に馬鹿にされたことはそんなに多くない。ただ、無言の侮蔑と嘲りが、学院内では常に在った。
「……治せは、しないの?」
「治せてたら、昨日みたいな醜態は晒しませんよ。僕は何もできなかった。あなたを助けたのは、ロートだ」
謙遜と否定は無し。そう言われたけど、やっぱり僕は自分を否定してしまう。
僕は昨日の光景を、ただ見ていることだけしかできなかった。
ならば僕は……やはり、劣等でしかないということだろう。
そう、僕が思えば思うほど、彼が如何に優れた存在なのか思い知らされる。
「ロート……去年、首席で入学したロート・ニヴェウス、か。確かに、あの魔術の腕は年齢にそぐわない腕前だったけど……なるほど、納得。彼の評判は上級生の耳にも届いてるもの」
「はい――本当に、ロートはすごい奴ですよ」
ロート・ニヴェウスという男は、掛け値無しに天才と呼ぶべき魔術師だ。それは、近くにいたからこそ、よく判る。
彼の魔術に対する想いは濁りないモノで、類い希なる才能を持っているのに、自己の研鑽を怠らなかった。
だからこそ、昨日の悪漢達に負けない強さを、そして臆さない勇気を、彼は持っているのだ。
一時とはいえ、そんな奴と、僕は親友だった。
「――ごめんね。言いにくいこと、訊いちゃって」
「ぁ……いえ、大丈夫です。こっちこそ、強い口調で言ってしまってすみません」
会話が途切れ、重たい空気が場を支配する。鳥が鳴く声が、遠くから聞こえた。
「…………あーもう。辛気くさい雰囲気はやめやめ! はい、笑って!」
「え!? ちょ、いきなり――」
「君がロート・ニヴェウスくんに何を思ってるかは判らない。けど、何度も言うけど、君は私を助けてくれた。それは揺るぎようのない事実なの。だから――そんなに自分を卑下しないで」
「――――」
優しい言葉だった。暖かくて、温かい。そんな言葉。
「先輩は……優しいんですね」
その優しさが、どこから来るか判らないから、少しだけ怖くなる。
「そんなことないよ。うん……全然、そんなことない」
だって、優しくされる覚えが無いし、こう接される理由も判らないから。
だけど、それを表に出すことはない。出したところで意味はない。
――予鈴が鳴る。一定間隔で刻まれる音色は、空へ響いている。
「予鈴、鳴ったね」
「ええ。戻りましょうか」
「……ね、シオンくん」
「何ですか?」
「もし良かったら……また、こうやってお話出来るかな?」
「――……はい。また、機会があれば」
果たして、その機会がまた訪れるのかは、判らないけど。
「うん。じゃあ、楽しみにしてる」
どうしてか―――その時浮かべた、彼女の笑顔が、脳裏に焼き付いて離れなかった。
――同時に。
少しだけ、頭が痛かった。