第17話『再会。眩い光の果て -In the Shine-』
狂人が立ち去る姿を眼にしたあと、僕達はしばらくの間、何も言えなかった。
たった数刻。もはや刹那とでも呼ぶべきモノであるにもかかわらず、この邂逅は、僕達に尋常じゃ無いくらいの爪痕を残していった。
天辰理想教という、非日常の暴虐。
思い知らされた、"差"。
ひとの、死。
そして、何よりも―――。
「……、」
視線を、イルへ向ける。
そこには、光の獣を従え、凛として立つ巫女の姿があった。
彼女の後ろ姿は、もう僕の知るそれとは異なっていた。
だから、どうしても……さっきまで起きていたこの状況が真実であると、認めるしかなくて。
「イ、ル……」
小さく、少女の名を呼ぶ。
ぴくっ、と。肩を震わせる。
そして、ゆっくり、振り向いて……
「……シオンさん」
泣き笑うかのような表情で、僕の名を呼んだ。
「――――――、」
……あぁ、やっぱり。
気付いていた。判っていた。
彼女が、カタストラスさんと相対していたあの瞬間から。
けれど、それでも……口にして、確かめたかった。
「イル……君は、もう……」
「はい………おもいだしました、ぜんぶ」
イルがそう告げると、彼女は右腕を――腕輪を嵌めていた手――掲げる。その瞬間、彼女の傍に在った光の獣はカタチを無くし、消えていった。
同時に、イルが纏っていた服も代わる。先ほどまで紅白で彩られていた神聖な衣服だったが、いまは既に元から彼女が着ていた浅葱色の着物に代わっていた。
「――あたしは、霊獣国テヴィエスの『光の巫女』、その当代です」
告げられた真実は、やっぱり、判っていたコトで。
「……うん、そっか。そう、だったんだね」
それでも――彼女の口から聞けたことが、何よりも嬉しく思うのだ。
「イル………君は、選んだんだね」
戦いの最中でも思ったこと。
イルという少女は、選択を果たした。
"覚悟"を、背負った。
だから僕に、彼女の意志を否定することはできない。
「……はい。ぜんぶ、あなたのおかげです」
敬語で喋るイルを見て、思う。
彼女はいま、『ただのイル』として在るのではなく――『光の巫女』として、僕と会話しているのだと。
『光の巫女』がどのような存在なのか、正直なところすべて判ったわけじゃない。ただ、テヴィエスの偉い身分のことで、凄く強い力を持っている……そういう認識が、僕の中にある。
それでも、僕は感じるのだ。
今日まで一緒に過ごしてきた『イル』は消えていない。
言葉の端々に、暖かさを感じるから。
不意に、イルが眼を伏せる。どうしたのかと訝しんでいると、イルは恐る恐るといった風に、口を開いた。
「……ごめんなさい。あたしが、よわかったせいで、あなたを巻き込んでしまって」
俯きながら、小さくそう呟くイル。
「―――」
……違う、違うんだ。
僕が見たかったのは、そんな表情じゃない。
僕が守りたいと思ったもの。僕が見たいと願ったもの。
……結果としては、逆に僕が、イルから守ってもらったけれど。
それでも、僕が立ち向かったのは、イルのこんな表情を見るためじゃない。
「……イル。そんな表情をしないでくれ。僕が君を守ると誓ったのは、君の笑顔を見たいからだ。巻き込まれたとか、そういうのじゃない。僕がそうしたいって思ったから。僕の心が、君を見捨てることを是としなかったから。
僕が弱いのは前提だ。覚悟も足りてなかった。それでも……君を守りたかったから。僕は戦ったんだ。だから、責任を感じなくていい」
「っ………それでも、イルは………っ!」
そこで、イルの口調が変わる。
敬語じゃない。今までのような、幼い少女が使う年相応の口調。
「イルがもっとはやくえらんでたらっ、シオンはそんなにぼろぼろにならなくてすんだ!
それに、それにぃ……っ。イルがよわかったから……っ、フィエナは、傷付いた…………っ! あのとき、イルが弱くなかったら………フィエナは、傷付かずに済んだのにぃ……っ」
堰を切ったかのように溢れ出す、感情の発露。
ぼろぼろと、しずくというカタチとなって彼女の柔肌を伝っていく。
いくつもの小さなしみが、砂浜にできた。
「えぐっ、ひっく………うぁ、ああぁああああん……………っ!!!」
泣いて、泣いて、泣いて――イルは、感情を吐き出し続ける。
「っ………」
――フィエナ、という人物が、誰なのかは判らない。
けど、きっとその人は、イルにとって大事なひとで。
その人が傷付く姿を見たから、イルはいっそう、自らを責めてしまう。
イルは、やさしい子だ。
やさしいから……一度、弱さを隠して決意したとしても。
すべてが終わったら、限界が訪れる。
だって彼女は、まだ子供なのだ。
幼すぎる彼女に、この現実は、重い。
人間はすぐには強くなれない。
弱い自分を隠して、強く見せるだけ。
奥底にはいつだって、弱い自分がある。
それを、僕は知っている。
……つくづく、僕とイルは似ている。
強く在ろうとする自分と、己を責める弱い自分。
背反するその感情は……やはり、僕にも経験があって。
――あのとき、僕は。
――どうやって、自分の弱さを受け入れたんだっけ。
「――」
大切な緋色の少女を、見る。
シアはアンジェとふたりで、僕とイルの会話を見守っている。
……そうだ。僕は、このひとの言葉で――。
大切なひと。誰よりも大好きなひと。
その言葉に背を押されたから――僕は、自分の弱さを受け入れることができた。
……僕のおかげで、イルは、選択を果たすことができたというという。
ならば、きっと――
彼女の弱さを受け入れるための言葉を与えるのは、僕の役目じゃない。
「――――――――――――イル!」
* * *
「――――――――――――イル!」
ふと、誰かの声が聞こえた。
それは、イルを呼ぶ声で。
イルはもちろん、シオンでも、シアたちのものではない。
全員が一斉に困惑する顔を浮かべる。
いったい誰が――そう思ったときだった。
「………………………………………う、そ」
呆然と、信じられないといった声で、イルが呟いた。
彼女の視線の先を見つめる。
そこには、茜色の着物を身に纏った、ひとりの女性がいた。
黒い髪に、紅い瞳。怪我をしているのだろう。腕や足には包帯が巻かれていて、着物の裾から時折それが見え隠れしている。上手く歩けないのか、女性は杖を片手に持っていた。
その姿を、見間違えるはずもない。
イルという少女にとって、誰よりも大切なひと。
守りたいと、少女がはじめて想った存在。
大事で、大切で………大好きな、お姉ちゃん。
「……………………………………ふぃ、え、な……………」
フィエナクス・ヴィオレが、イルの方へ向かって、歩いていた。
「うそ……うそっ………なんで………っ?」
困惑と疑問を隠しきれない。
――夢? イルは、夢を見ているの?
わからない。わからない。
けれど、脳がすべてを理解する前に――少女は、駆けだした。
「はぁっ、ハッ、は―――!」
息が切れる。苦しい。けど走ることはやめない。
止まってしまったら――彼女が、消えてしまうかもしれないと思ったから。
「あぅっ……!」
途中、砂浜を上手く走れなくて、転んでしまう。
腔内に広がる砂利。肌に張付く砂礫。気持ち悪い。
「~~~~~っ!!」
立ち上がる。走り出す。
あと少し――あと少しで、求めていたぬくもりに、辿り着ける。
視界が滲む。しずくが零れる。
それを無理矢理に拭い去って……イルは、彼女の姿を、視界に収める。
フィエナが大きく、両腕を広げる。
『おいで』と、彼女が告げた気がした。
だから、イルは―――――
「――――――フィエナぁっ!!!」
そのぬくもりに、飛び込んだ。
求めていた場所。大好きなぬくもり。
全身に伝わる暖かさが、彼女が『本物』であると如実に告げている。
だから……だから……
「あ、ぁ……あぁっ……うぁぁああああああああああああああああああああん!!!!!」
涙があふれてとまらない。
――生きてた、生きてたよ。
死ぬはずがないと、心では信じていた。
けれど、もしかすると。彼女が死んでる可能性も、イルは捨てきれなくて。
だから今、イルを包む暖かさが嬉しくてたまらない。
「ごめんね、イル……心配、かけたねぇ……っ」
だから今、イルの頭を撫でる掌のぬくもりが、嬉しくてたまらない。
大好きなひとがどうしてここにいるとか、どうでもよかった。
今はただ、このぬくもりに浸っていたかったから。
「ううん……ごめんなさいは、イルのほう………だってあのとき、イルが頑張っていたら、フィエナは傷付かずに済んだのに………それに、シオンだって……」
最愛に再会したからこそ、再びイルの心に自責の念が襲う。
前を向くために、一度は抑え込んだ昏い感情が、イルに襲いかかる。
彼女の『弱い部分』が、現われる。
そのときだった。
「………あなたは本当に、やさしい子ね、イル。
でも、でもねイル……だからこそ、私は言うわ。それは、違うって」
「え……?」
「あなたのやさしさは、本当に眩しいものよ。喪くしちゃいけない、見失ってはいけないもの。だから……できない自分を責めるのは、もうやめなさい。あなただって、気付いてるんでしょう? その感情は、あなたのやさしさを曇らせるって」
「っ……でも、でもぉ……」
「だからね――私は、あなたに言わなくちゃいけないことがあるの」
そう言って、フィエナはイルの頭を撫でながら、正面からイルの顔を見つめる。
「ううん。きっと、まず私が最初に言うべきだった。『守護者』として在るからこそ、私はあなたに期待してしまっていたけれど………そもそも、それが間違いだったの。だって私は――あなたの、家族ですもの。だから『守護者』じゃなくて、『家族』が、期待より先に、言うべき言葉があった。
――イル。もう、ひとりで抱え込むのはやめなさい。
何か困ったら、私を頼って。
人間、ひとりで抱え切れる量なんて決まってるの。それより持ってしまったら、潰れてしまうから。
だから、そうなる前に……私を、頼って。あなたはまだ、子供なんだから。自分ばっかり責めなくていい。
あなたのやさしさを、あなた自身の手で傷付けてはいけないの」
「………………ぁ」
フィエナのその言葉が、イルの胸の中に溶け込んでいく。
――イルという少女は、やさしかった。
やさしいからこそ、その魂は暖かな祈りを持っていた。
けれど、逆に、やさしいからこそ――少女は、『できない自分』を自らを責め続ける。
それは、覚醒を果たした今でも、簡単に変えられなかった。
人間はすぐに変われない。
自分の弱さと向き合いながら、ゆっくり、時間をかけて……ようやく、弱さを受け入れる時が来る。
だから、きっと、この物語はイルにとって『はじまり』だったのだ。
自分の弱さと向き合うための、はじまりの物語。
少女はいま、本当の意味で――自分の弱さと、向き合った。
「イル、イルねぇ……ずっと、ずっといやだった。まわりの人の視線が、こわかった……。でも全部自分のせいだっておもってた。ぜんぶイルが悪いっておもってた。だからあのとき、フィエナがきずついたんだって………」
「……うん」
「……カタストラスが来て、すごくこわかった、こわかったの……また、あのときみたいになるんじゃないかって……また、イルのせいでみんなが傷付くかもって……」
「………うん」
「でも、でもね………イル、がんばったんだよぉ……っ。がんばって、まえ、むいたんだよぉ……ねぇ、フィエナぁ……っ」
「うん………うん。偉いね、イル……そんなに小さいのに、幼いのに………よくがんばったね、イル………っ」
「~~~っ。うぁ、ぁあああああああああああああああああああああん!!!!」
イルは、泣き続ける。
その姿は、『光の巫女』ではない。
どこにでもいる、普通の子供。
まだまだ幼い、十歳の少女の姿だった。
* * *
「―――、」
その暖かい光景を、僕はただ、見守るように見つめていた。
イルと女性……おそらく、フィエナさんだろう。二人はいま、暖かいぬくもりに包まれていた。
「おう、どうやら連れてきたのは間違いじゃなかったみてェだな」
不意に、そんな声が後ろから聞こえた。
振り向くと、そこには――
「アーロン、さん……?」
「よう。久しぶり……でもないか。一週間ぶりくらいか?」
イルを初めに助けた船乗り――アーロンさんが、快活な笑みを浮かべて立っていた。
「――もしかして、アーロンさんが彼女を……?」
「あぁ。言ったろ、テヴィエスに荷卸しに行くって。そんときにな、イルのことを訊いて回ろうとして、一番最初に訊いたのが……あの怪我したねーちゃんだったんだ。んで、あのねーちゃんはイルのことを知ってて、またシーベールに戻ってくるときに一緒に乗せてきたってわけだ。
もっとも、到着したときに現われたすげぇ光を見て、怪我してるのにもかかわらず、いつの間にかすげぇ速さで浜辺の方に向かっていったんだけどな」
「おかげで追いつくのに時間かかったぜ」と、笑いながら経緯を説明するアーロンさん。
「……すごい偶然ですね」
「だろぉ? でも、これが運命ってヤツなのかもな。おれはあんま、そういうの信じちゃいないが、夢があっていいと思うぜ」
そう告げるアーロンさんの表情は、とても穏やかで。
心の底から、イルとフィエナさんの再会を喜んでいる。
「…………はい、本当に、よかった」
「うん、本当に……よかったね」
ふと、僕の右側から聞こえてくる声。
横を見れば、そこにはシアが笑みを浮かべて立っていた。その隣には、アンジェもいる。
「やったね、シオンくん」
「……うん。ありがとう」
交わした言葉は、それだけ。
それだけで、彼女の想いはすべて伝わった。
「――――」
再び、イルとフィエナさんを見る。
暖かな光景。やさしさのカタチ。
それを見て、僕は嬉しく思う。
だって、ほら――
僕が見たかったモノが、いま、目の前にあるから。
泣きじゃくっているけれど……
確かに、イルは――笑っているから。
僕が戦った理由。僕の誓いはここに果たされたのだと。
そう、思えた。




