第14話『ひとつの決着 -An end-』
――少しだけ時間は遡り、イル・ドゥ=テヴィエスが覚醒を果たす、一刻前。
ロートとフィリアがいる場所にて、彼らは窮地に陥っていた。
「はっ――ハッ……、っ」
「どぉおおしたんだァァアい?? 息切れてるけど、もう終わりィ???」
すなわち、理不尽な暴虐による圧倒的かつ一方的な戦い。
ロート・ニヴェウスではテイルム・ヘクサに敵わない。
その結果が、ここに一目瞭然と在った。
「ちくしょう……ッ」
――勝てない、届かない。
現在の己では、この刃はどう足掻いても奴には届かない。
「悔しいねぇ、勝てないねぇ。でぇーもぉ……キミは、まだやるんだろォ?」
「――当たり前だ……ッ!!」
「キヒヒハハ!! そうこなくっちゃァ!!」
そうして、再び彼らが刃を交える――
そのとき、だった。
「――――――――――――――――――――、は?」
テイルム・ヘクサが、突如、ぶっ飛んだ。
情けなく彼方に吹っ飛ばされる狂人。二度三度、地面を転がり跳ね、やがて盛大な音を響かせ壁に衝突する。
容赦の無い殴撃。感情の籠もったその一撃を、狂人は為す術もなく喰らう。
「な………」
ロートは絶句する。突如として起きた事態に、理解がようやく追いつく。
いったい誰が、奴を殴ったのか。
その答えは――凛として、そこに立っていた。
「―――おい、クソガキ」
放たれる言葉。眦を決した瞳には、狂人に対する戦意がこれでもかと言うくらい籠もっていた。
灰色の髪に、灰色の瞳。長身でありながら、魔術師らしからぬ引き締まった体つき。それが、彼の研鑽の証であるということは、何も知らずとも理解することは容易だった。
「てめぇ、なにオレの生徒ボコってんだ。死にてぇのか?」
彼の者の名は、オルフェ・ウルフェン。
ロート達の担任である男で――いまこの時、彼を救う者である。
「オルフェ………せん、せい」
「――おう、みんなのオルフェ先生だ。……ははっ。ロート、ぼろぼろだな、おまえ」
「なんで……ここに……」
「そりゃ、あんだけ暴れてりゃ否が応でも気付くさ。尤も、駆けつけたのはオレが最初だったみたいだけどな」
軽く笑みを浮かべながら、オルフェはロートに近付いてくる。
当然と言えば、当然のコトだった。
街中であれだけ暴れていたのだ。気付かない方がおかしい。
あるいは、広場にいて逃げた誰かが、知らせてくれたのかもしれない。
……どちらにせよ、もはや真実はどれであっても構わない。
なぜならば、この場にオルフェ・ウルフェンがいるコトは事実であり、
それだけが、この場におけるたったひとつの真実なのだから。
「――すまん、遅くなった。そして……よく頑張った。後は、大人に任せろ」
優しい笑みを浮かべ、オルフェは、ロートにそう告げる。
「……………ぁ」
その一言で、限界が訪れたのか。
ロートは、糸が切れたかのように――意識を、失った。
「ろ、ロートっ!?」
「お、なんだフィリア。おまえもいたのか。……なら丁度いい。ロートのこと、看ておいてくれ」
「オルフェ先生……」
「ま、なんだ? コイツのことだ。どうせ「おまえを守る!」とか思いながら意地張ってたんだろ。……だから、そこの想いは汲み取ってやれ」
「…………はい」
「おっけ。――――じゃあ、任せたぞ」
刹那――オルフェ・ウルフェンの纏う雰囲気が、変わる。
そこに在る雰囲気は、鋭利。
放たれる覇気は、重い。
先ほどまで在った優しい雰囲気は鳴りを潜め、ただ鋭い殺気だけを纏っている。
――此処に立つは一人の魔術師。
殺意すらも瞳に宿し、男は、狂人を見据える。
「おい、いつまで寝てんだクソガキ。起きろよ――授業の時間だ」
オルフェがそう言い放つと、テイルムはゆっくり、起き上がった。
その姿に消耗は見られない。だが、心底不機嫌そうな表情を浮かべながら、テイルムはオルフェを睨んでいた。
「…………いったいなぁ、もう…………キミかい? ぼくの楽しい時間に横槍入れてきたのは………」
「おう、悪かったな横槍入れて。けど、もうその時間はお終いだぜ」
「…………はぁあああ…………もう、萎えるコトしないでくれよ。キミじゃイマイチつまらなさそうなんだよね……彼じゃなきゃ面白くなさそうなんだ。だからさぁ、邪魔しないでおくれよ」
「……そうか。うん、おまえにとってはそうかもしれないな。――けど、オレの知ったことじゃねぇ」
――刹那、オルフェの姿が掻き消える。
テイルムが瞬きした次の瞬間、彼は、テイルムの目前に立っていた。
「ッ!?」
「おまえはオレの生徒をボコった。だからオレはおまえをボコる。それだけだ。てめぇの面白さなんか知らねぇしどうでもいいよ。そんなの、ゴミ箱にでも捨ててろ」
――再びの全力殴撃。テイルムは情けなく、地に叩きつけられる。
「ごは……っ!?」
「おら、立て。まだ始まったばっかだぞ」
「チィ――っ!」
舌打ちし、オルフェの追撃が来る前に体勢を立て直し、テイルムは距離を取る。
そして――
「風よ、虚空より起これ・その鋭き一閃で埋め尽くせ・姿無き無数の刃・いま彼の者を刻め―――【鎌風ノ鼬】ッ!!」
軍用魔術【鎌風ノ鼬】を発動。不可視の刃はオルフェへ襲いかかる。
――疾走。オルフェは迫り来る刃の風を躱す。
魔術を以て対処するのではなく、完全に動体視力による回避のみ。
時に刃が身体を掠めてようと、意にも介さない。動じないまま、オルフェは距離を詰める。
「~~~っ、………へぇッ!!」
そんなオルフェの姿を視て、テイルムは嗤う。
彼の姿が予想外だったのか――楽しそうに。
「前言撤回だ。なァるほど……キミも面白そうだッ!!」
「野郎に気に入られてもこっちは微塵も嬉しくねぇんだよ」
接近しながら、オルフェは詠唱を開始する。
「我が手に宿りし煉獄の炎よ・苦しみ嘆く者達を燃やし・清みの炎を与えよ――【天へ昇る為の炎】」
顕現する黄金の焔。ゆらゆらと揺らめくそれは、儚げな美しさがあった。
火属性高等魔術【天へ昇る為の炎】。およそ火属性というカテゴリにおいて、トップクラスの威力を持つ魔術だ。
高等魔術という最高位に分類される魔術であるにもかかわらず、オルフェはこれを容易に行使する。
それすなわち、彼の力量が遙かに高位であることを示していた。
「燃えろよ」
無慈悲に、オルフェは告げる。
――容赦はしない。
おまえらはこの世界に存在してはいけない『悪』だから。
何より――おまえらは、オレの生徒を傷付けたから。
「だから存なくなれ。早急にな」
ゆえにオルフェ・ウルフェンは、殺すつもりで炎を放つ。
金色の焔は、テイルム・ヘクサを燃やし尽くす――その、前に。
「――【大瀑布】ッ!!」
瞬間、テイルムの頭上に出現する巨大な青色の魔術陣。そこから、膨大な水がテイルムを飲み込むように――流れ出した。
同時に、流れ出した水は、テイルムに纏っていた黄金の焔を消火させる。
水属性高等魔術【大瀑布】――こちらもまた、水属性というカテゴリにおいて、トップクラスの威力を持つ魔術だった。
それこそ、【天へ昇る為の炎】を相反できるほどの威力を持つくらいには。
「………高等魔術には高等魔術を、ってか」
「ニヒ。当たり前じゃん。それにしても……まさかこんなに遠慮無く殺しに来るなんてねぇ。キミ、いいね! さっきの彼とは違う面白さがある!」
ビッ、と。テイルムは己がひと差し指をオルフェに突きつける。
そんなテイルムを見て、オルフェは、心底嫌そうな顔を浮かべ、テイルムを睨んでいた。
「――あぁ、そうかよ。だが生憎と、オレは天辰理想教が昔から嫌いでな。全ッ然嬉しくねぇよ。……あぁ、クソ。その白い衣、吐き気がするぜ。なんでおまえらはまだ存るんだよ」
「………きひっ。キミも、ぼくたちに何か因縁でもあるのかい? まァ、どっちでもいいけどぉ……それよりもさ、続きやろうよ―――」
と、テイルムが告げた瞬間だった。
目を開けられぬほどの光が、天より降臨した。
「――!?」
オルフェとテイルム。彼ら二人の背筋に怖気が走った。
「なんだ……いまの……」
肌に伝わる異常なまでに重い圧力。膨大な魔力の奔流が、どこかひとつへ収束していっている。
その方角は、浜辺の方。
いったいあの先に、何があるというのか。
「………へぇ! そうか、そういうコトか!」
だが、ただひとり。
この状況を理解している者がいた。
「――なんだよ、てめぇ。いまのが何か知ってるのか?」
「うん? まぁ、知ってるっちゃ知ってる、というか今理解したけど……教える義理は無いしね。教えなーい。
そういうワケで。ごめんね灰髪の人。今回はもう遊べないや。すごい短い時間だったけど、楽しかったよ。また今度、どこかで殺し合おうよ」
ニコッ、と。
先ほどまでの狂った笑みではなく、ひとの善い笑みを浮かべ、テイルム・ヘクサは告げる。
「――ふざけんなよ。ここで逃がすと思うのか?」
「でも、今は見逃しておいた方がいいんじゃなァい? ここで追ってきたところで、消耗戦になるだけだし……だったら、はやいトコそこの彼を医療施設かどっかに連れて行きなよ。うん、というかぼくがそうして欲しい」
「………どういう意味だよ?」
「だってさァ、ここで彼を生かせば、彼は絶対もう一度ぼくに挑んでくれる。うん、その方が面白い。それだけだよ」
「……っ」
その発想は、狂っている。
だが、テイルムの言うことにも一理あった。
ロートの消耗は、端的に言って激しい。
命に関わるまではないだろうが、早急に治療に当たったほうがいいのは確かだ。
いくらオルフェが回復魔術を使えるとはいえ、きちんとした施設で看るのが一番だ。
ゆえに、テイルムの言っているコトは別段間違いではなくて――だからこそ、恐ろしい。
見逃すのか見逃されるのか。もはや判らないから。
「………、」
静かに、オルフェは背を向ける。
嫌々だが……真に救うべきは、己がすべきコトは、ひとつしかなかったから。
「――あぁそうそう。ひとつ教えておこうか。
天辰理想教は終わってなどいない。組織のカタチを喪くそうとも、我々は進み続ける。
そう――――理想郷に至る、その日まで」
不意に聞こえた狂人の言葉。
「なに――?」
その真意を尋ねるべく、オルフェが振り向いた時――既にそこには、テイルムの姿は無かった。
「――――、」
……何かが、始まろうとしている。
自分の知らない何か。自分の予想もつかないような大きなコトが、始まろうとしている。
漠然と、オルフェはそう思った。
「……考えても仕方ねぇ、か。それよりも――」
思考を隅へ追いやる。
そしてオルフェは、意識を失ったロートと、彼を看ていたフィリアの下へ足早に駆けていった。




