第02話『邂逅 -The princess-』
「あーーーー終わった。ようやく半分。もう帰りたい、疲れた。どうしてオレはここにいる。誰か答えをくれ」
「学生だからでしょ。ほら、食堂行くよ」
午前の授業が終わり、現在は昼休み。僕達は昼食を取るべく、食堂へ向かっていた。
食堂へ着く。まず目に入ってくるのは、白のクロスがかけられたテーブル。それが何列も並び、カウンター前には注文しようとする生徒達でごった返していた。
ライナリア魔術学院の食堂は、学院の規模ゆえにその利用数も多い。もちろん、計算上は全校生徒を収容できるような造りになっているから、席が全く無いということにはならないけど、それでも人は混雑する。
「あちゃー。もう結構人いるなあ。みんな食に飢えすぎだろ」
「安くて美味しいしね、ここの学食。えっと、確かアンジェが……」
「兄さーん、こっちですよー」
「あ、いたいた」
食堂の奥にあるテーブル。そこに、先に食堂に来て席を取っていたアンジェが僕達に向かって手を振っていた。隣にはエメもいるのが見える。
「ありがと、アンジェ。先に席取っててくれて」
「これくらいお安いご用ですっ」
「リオセンパイ、ここで会ったが百年目ですよ。さあ、今ここで、」
「シオン。カウンターの方行こうぜ。オレもう腹減って仕方ねえわ」
「無視はひどい!」
リオと一緒にカウンターの方へ向かう。エメがリオに対し喚くのはいつもの光景なので、僕も無視する。
「さて、今日は何を食うか。んーっと、今日の日替わりは……グランティカ特産品を使った料理か。うーん、どうすっか。テヴィエスの肉料理も捨てがたいなあ……」
「リオはいつもここで悩むよね。時間もないし、僕は日替わりにするよ」
「お、じゃあオレはこっち頼むから、少し交換しようぜ」
「食い意地張るなぁ、リオは」
「ふっ。俺はここの学食食いに学校来てるようなモンだしな」
「いや勉強しようよ」
注文を終える。それから程なくして、料理がカウンターに置かれた。仕事の速さはこの食堂の美点のひとつだ。
代金を支払い、テーブルへ戻る。
「お待たせ、二人とも」
「いえ、ぜんぜん大丈夫ですよ。それよりほら、冷めてしまう前にはやく食べましょう」
「そうだな。じゃ、いただきまーすっと」
リオの合掌により、僕たちは昼食を食べ始める。
僕のメニューはグランティカ特産品を使った日替わりランチ。リオはテヴィエス流ハンバーグ。アンジェはシーベール産の食材を使ったシーフードパスタ。エメはアゥキドン麦を使った麦粥とアゥキドン野菜のサラダだ。
と、ここまで考えたところで、あることに気付く。
「……あれ。今日のみんなの昼食、ぜんぶ四大国の料理だ」
「お、ほんとじゃん。すげぇ偶然だな」
『四大国』――それは、この世界にある四つの大国の総称だ。
魔導国シーベール。
剣帝国グランティカ。
霊獣国テヴィエス。
商業国アゥキドン。
この世界には五つの大陸があり、僕らが住むこの大陸はヴェネアーツ大陸と呼ばれている。
「アゥキドンを除けばシーベールくらいですからねー。四大国すべての料理を食べられる国なんて。あ、センパイそれ一口もらいます」
「は? なんでテメェにオレの貴重な飯をやらなきゃ……っておいコラ!」
「さっき無視した罰ですぅー。恨むんなら過去の自分を恨んでくださーい。ん~美味」
「テメェ……!」
リオのハンバーグを一口もらい、口に運ぶエメを見ながら、思わず苦笑する。どうもこの二人は衝突しないと気が済まないらしい。
エメの言うとおり、この国には二つの顔がある。一つは魔術国、そしてもう一つは貿易国としての顔だ。
ヴェネアーツ大陸は、グランティカとテヴィエスがある大陸と、アゥキドンのある大陸の中間に存在し、中継地点として古くから貿易が盛んに行われてきた。それゆえに、シーベールはアゥキドンに次ぐ商業国として栄えてきた……という歴史を持っている。暮らす分にはとても快適な国だと僕は思う。
こんな調子で、和気藹々としながら食事が進む。そうして、昼食をほぼ食べ終える頃――。
「――ふざけんなよテメェッ!」
ガシャンッ、と。食器が割れる音が食堂に響いた。先ほどの喧噪は何処へ行ったのか。一瞬にして静寂に包まれる。
音が鳴った方を見やれば、そこでは二人組の男子生徒が何やら揉めている様子だった。
「なんだ、喧嘩か?」
「さぁ……? でも、あのまま行くと大変なことになりそうですね……って、あ――」
エメがそう言った瞬間、先ほど叫んでいた男の方が席から立ち上がった。
そのまま、その男子生徒は、エメの予想通りの行動を取る。
「風よ――」
その行動とは、詠唱。魔術を起動させる手段。
響めく食堂。彼らの周囲にいた生徒達は、蜘蛛の子を散らすように離れていく。彼と相対する男子生徒も、彼の行動が予想できなかったのか、席から動けずにいる。
「おいおい、マジか……!」
「ッ――!」
「兄さん!?」
止めなきゃ。ただその一念だけで、僕はその場から飛び出していた。
正義感ゆえの行動か。後先考えず突っ走ってしまった。しかし今更考えたところで意味は無い。
彼我の距離は十メートルほど。僕が辿り着くより、詠唱が終わる方が速い。
「――疾走しろ!」
詠唱が完了する。刹那の空白を経て、魔術が顕現する。当然僕は、間に合わない。
(くそっ!)
吹き荒れる風が、魔導館に起こる――その、瞬間。
「土属性魔力収束――展開」
パチン、と。指を鳴らす音。その音が聞こえた刹那、風属性の魔術が一瞬にして掻き消える。
(な――反属相殺、だって……!?)
《反属相殺》とは、ある属性の魔術に対し、それと反対属性の魔力をぶつけることで、その魔術を相殺するというものだ。
ここで重要なのが、反対属性の魔術ではなく『魔力』をぶつけるということ。反属性の魔術をぶつけて相殺することは比較的容易だが、魔力となってくると話は別になる。何故なら、魔力収束という非常に難易度が高い技術が求められるからだ。
《魔力収束》とは、大気中に存在する魔力――マナ、と呼ばれるものを収束する技術だ。こう言うと簡単に聞こえるかもしれないが、これは極端に言えば、空気を固形化するような技術だ。ゆえに高難度技術とされ、扱える者は魔術師の中でも百人に一人――あるいは、それ以下――とされている。
(初めて見た……まさか、この学院に、魔力収束を使える人がいるなんて……いったい、誰が――)
「そこまでです。そこの貴方、刃を収めなさい」
――カツン。地を蹴る音が食堂に響く。
凛とした声が、耳に届く。
弾かれたように、声の主の方を向く。
そこには、毅然とした態度で立ちこちらを見据える一人の女子生徒がいた。
「――――――、」
その少女の姿を目に捉えた瞬間、時間がゆっくり流れるような感覚に囚われた。ゆえに、少女の全貌が、はっきりと僕の視界に映る。
端正な顔立ち、腰まで流れる鮮やかな緋色の髪。透き通った蒼穹の瞳。しなやかな肢体に女性の象徴たる膨らみは、過剰なまでにその存在を主張している。
着ているのは学院の制服だと言うのに、彼女が着ていると上流階級の人間が着る服かのよう。
だが、それも当然だろう。何せ彼女は上流階級――否、それすらも超える世界に住む人間なのだから。
直接眼にするのは初めてだ。けれど、僕はその人が誰か知っていた。いや、知らない人など、この学院内ではいないだろう。それほどまでに、彼女は有名な人物だった
「この場はわたし――シア・シーベールの名において預かります」
シア・シーベール――ライナリア魔術学院三年次生にして、魔導国シーベールの第一王女。
「シア――王女」
魔導国シーベールにおいて、王族の人間が魔術学院に通うことは珍しくない。むしろ、魔術師養成に特化した機関であるため、率先して入学させられることが多い。もちろん、ただそれだけでなく、市井の民と交流をし、世間を知るという側面もある。謂わば、修行のようなものだ。
そして、いま僕達の目の前にいる少女こそ、シーベールの第一王女であるシア・シーベール本人だ。
「貴方がたに何があったのかはわたしには判りません。しかし、ここは学院の食堂。皆が使う公共の場です。貴方もまた、このライナリア魔術学院の生徒であるというならば、浅慮な行動は避けるべきだと私は思います」
シア王女にそう言われ、黙りこくる男子生徒。彼も、自分が如何に短絡的な行動を取ったのか自覚が芽生えてきたのか、何をするわけでもなく、その場に立ち尽くしている。
そこで、シア王女が口を開いた。
「では、まずは話あってはいかがでしょう? 互いに、どこがいけなかったのか……それを確認しあうのも大事です。我らは共に魔導を学ぶ同志なのですから、こんな些細なことで友人を失うのはあまりにも惜しい。ゆえに、話し合うことをわたしは勧めます」
シア王女が優しげな口調で彼らを諭す。大多数の視線に晒されてもなお物怖じしない態度に、気品溢れる佇まいと口調は、彼女が本当に王女であると否応なく理解させられる。
当事者である二人の男子生徒の方を見れば、彼女の言葉通りに話し合いを始めていた。
……どうやら、丸く収まりそうだ。
僕が出る幕など、やはり何処にも無かった。
席に戻ろう。これ以上ここに居ても意味は無い――そう考えた時、
「それと……そこのキミ」
不意に、シア王女に呼び止められた。
「えっ?」
「キミです、キミ。そこの黒髪くん」
「はっ、はい!」
「さっき、わたしのことを『シア王女』と呼んでましたよね? ……できれば、その『シア王女』などと、堅苦しい呼称を使うのをやめていただけませんか? 学院は魔術を学ぶ場。ゆえに、立場など関係なく接して欲しいのですが……どうでしょう?」
そういえば、と。僕はあることを思い出す。
それは、彼女が王女として扱われることを嫌っているということだ。「自分も学院の生徒である以上、立場など関係ない」と。彼女が入学した際にそう言ったらしい。
この話は学院の生徒ならば誰もが知っていることで、だから例に漏れず僕も知っていたわけのだけど……すっかり頭から抜け落ちていた。そのことを、今更ながらに思い出す。
「ぁ――いえ、その。僕の方こそシアさまッ……シア先輩の意に沿わないことをして、すみませんでした」
頭を下げ、謝る。そして、顔を上げると、なぜか先輩が僕の顔をまじまじと見つめていた。
「―――――うそ、キミは……………」
「? あの、何か……?」
「っ――……いいえ、何でもありません。呼び止めてごめんなさい、シオン・ミルファクくん。それでは。行きますよ、フィリア」
軽く微笑み、シア先輩は僕に背を向け、傍にいた女子生徒に声をかける。
お付きの人……だろうか。肩口まで伸ばされた桃色の髪で、おっとりとした印象を受ける赤色の眼。見ていると何だかこっちが和んでくるような、そんな雰囲気をまとっている。シア王女に勝るとも劣らない、綺麗な人だ。
「し、シア様ぁ……」
「フィリア。貴女はもう少し他者の視線に慣れなさい」
でも、どうやら気が弱いほうらしい。
そのまま、シア先輩達は食堂の出入り口へと歩いて行く。その後ろ姿を目で追いかけ、やがてとあることに気付く。
「僕……名前、言ったっけ」
シア先輩の存在を知ってはいたものの、言葉を交わすのは今が初めてだ。そして、先ほどの会話の中で僕が名乗った場面は一切無い。
なぜ、彼女は僕の名前を知っていたのだろう……そう疑問に思った時、いつの間にか傍まで来ていたリオが口を開いた。
「ま、生徒名簿でも見て知ってたんじゃねえの? それに、おまえだって、名が知られてないわけじゃないんだし。……あ、すまん。悪い意味じゃねえぞ」
「うん、判ってる。……そっか、そうだね」
リオの言うことが実際に正しいかどうかは判らない。しかし現実問題、これくらいしか考えられないことも事実だ。
シオン・ミルファクという名は、良い意味でも――悪い意味でも――この学院の人間には知れ渡っているのだから、シア先輩が知っていてもおかしくはない。
「――――、」
気付けば、生徒の視線は僕へ集中している。
侮蔑、見下し、奇異なものを視る眼――在り方は違えど、それらの本質は一様に同じモノ。
無言の嘲り。言葉がないゆえに、それは何よりも苦しい。
僕はそれを、黙って受け入れるしかなかった。
「……」
去って行く先輩の背中を、ジッと見つめる。
この邂逅は、ただの偶然だ。先の会話に、何の意味はない。
そう――意味は無いと、判っているのに。
何故か、妙な違和感だけが胸の中に残った。