第12話『光の祈り -Resolution-』
「―――――――」
……記憶が終わる。
映し出されていた映像がぼやけて、霞んで、消えていく。
そんな光景を見ながら――イルは、ひとり、泣いていた。
……思い出した、すべて、ぜんぶ。
自分が何者で、どうしてこの国へ流れ着いたのか。
その一切を――イルは、思い出した。
――自分の名前は、イル・ドゥ=テヴィエス。
――霊獣国テヴィエスが『光の巫女』、その当代。
それが、イルという少女の、正体。
「ひっく……ふぃ、フィエナぁ……っ」
そして――思い出したくなかった、けれど思い出さなければならない記憶を見て、イルは涙している。
フィエナクス・ヴィオレ。
イルにとって、家族そのものだった存在。
大切なぬくもりを与えてくれた、イルの姉。
あの掌のぬくもりを覚えている。
もはやなつかしいモノ。大好きだったあのぬくもりを、イルは忘れていても忘れることはできなかった。
そんな彼女が、傷付く厭な光景を――イルは、この眼で視てしまったから。
だからイルは、カタストラスに対して異常なくらい恐怖を覚えていたのだろう。
突如として平穏な日常を破壊する暴虐。非日常の象徴。そんな彼らは、イルにとって――あまりに、残酷すぎたから。
だからイルは、記憶を失ったのだろう。
心的外傷――刻まれた恐怖から、自らを守るため。
けれど、もはやその状態は終わりを告げた。
イルはすべてを思い出した。
ゆえに、ここで問われるモノはただひとつ。
――選択を。
すなわち、停滞か、前進か。
『――あなたは、どちらを選びますか、イル?』
優しく、ソレはイルにそう問うた。
「――――、」
顔を、上げた。
白い場所だった。穢れの無い純白の領域。上も下も、右も左も真白。周囲を見渡しても、地平線に終わりはなく、無穢の白だけが遙か彼方まで続いていた。
ここは意識における深在の領域。
魂という、カタチが有り、カタチ無きモノが存在する場所。
其処に、『ソレ』とイルは、向かい合うようにして立っていた。
『ソレ』の姿は、まさしく、神秘の体現だった。
雄々しい鬣。金色に輝く一角。穢れ無き純白の毛皮。
蒼水晶が如き双眸には、イルの姿を映している。
その姿を、ひとことで形容するならば―――
「霊獣……」
霊獣――それだけだった。
コクリ、と。『ソレ』は頷く。
その様子は、どこか、笑っているかのようにも見えた。
『ソレ』の口が、開く。
『――我は、この【獣宝】に眠るモノ。そして――"祈り"に応えるモノです。本来ならば、こうして対話するのは、あなたがその【獣宝】を手にした時だった。けれど、その機会は訪れなかった。なぜならば……我が、拒んだからです』
「っ……どうして、なの? だったら、なんで――イルを、えらんだの?」
そうだ。だったらなんで、自分を選んだのか。
勝手に選んでおいて、勝手に拒むなんて――そんなの、自分勝手すぎないか。
そう思って、イルは思わず、語気を強めに『ソレ』へ尋ねた。
『……言ったでしょう。我は、"祈り"に応えるモノだと。あの瞬間、あの場所において――その"祈り"を誰よりも持っていたのは、あなただと思ったから……我は、あなたを選んだのです』
「祈り……?」
それは、『ソレ』がずっと言っていたモノ。
『あなたは識っていた。すべての生命にある、根源的な祈りを。
けれど、あなたは忘れた。……いいえ、見失ったのです。期待に応えようと、自らを追い込み、焦り、逸った結果――ソレを見失ってしまった』
「………………ぁ」
そう言われて、はじめて、イルの頭に、何かが過ぎった。
優しさの根底にあるモノ。暖かな祈り。
それは――確か、■■■■という気持ちで。
何か、別のモノが、その心を塗りつぶした。
何か、別のモノが、その祈りを覆い隠した。
識っている、識っていたはずなのに。
なのに……どうして――
「わからない、のぉ……っ!」
――思い出すことが、できないのだろう。
いやだ、そんなのいやだ。
もう少しで思い出せるのに。
そうすれば、きっと、何かが変わるのに。
……不意に、なにかの映像が、白い領域に映し出された。
その現象は、誰によるものだったのか。
眼前に存るソレのせいか、あるいは――イルの、無意識が、そうさせたのか。真実は判らないが……その光景は確かに、映し出された。
「……………あ、ぁ」
その映像とは――少年の姿だった。
彼の姿はぼろぼろで、いくつも怪我をしていて、血を流して。
彼の痛みが、イルにも、伝わってくる。
(もうやめて………やめてよぉ………やめていいからぁ………)
イルのために傷付く姿が、いたくて、つらくて、くるしくて、涙があふれる。
少年はいまも、理不尽なりし暴虐に、無慈悲な現実を突きつけられている。
なのに―――
『なぜ貴様は諦めない? もはや勝負は見えている。結果は既に定まっている。いくら貴様が足掻こうと……いまの貴様では、俺には勝てない。判っているだろう?』
『………っ。そんなの………ひとつに、決まってる』
『……それは、なんだ?』
『―――あの子を、守りたいからだ。
僕が弱いってことは、僕が一番判ってる。そんなの、承知の上で、前提だ。
それでも退けない……退いちゃいけない。
あの子が悲しむ姿を見たくない。あの子が怖がる姿を見たくない。
僕が見たいのはあの子の笑顔だ。
あの子を救うヒーローに、僕はなれないかもしれないけど……それでも、守るって誓ったから。
だから――弱くても、勝てなくても、立ち向かう。立ち向かってみせる』
迷い無く、曇りなく。
シオン・ミルファクという少年は、覚悟を秘めた眼でそう告げた。
その姿は、とても、眩しくて。
その姿は、とても、勇ましくて。
「―――――、」
少女の心を、揺らがせる。
変化のキッカケを、与えようとする。
……傷付いて欲しくない。
これ以上は、もう。
なのに自分は、ただこうして視ているだけで。
動けない、動かない。
この状況はすべて、イルが悪いのに。
悪いのはすべて、イルのせいなのに。
『光の巫女』としての力を使えない。
選ばれたのに、なにもできない。
だから彼はいま、傷付いている。
イルのために。
あぁ――やっぱり、イルは、才能が無いということなのだろうか。
優しいあのひとまで傷付けてしまうイルは、やっぱり。
だめな子、なんだろうか。
そう、思ってしまう。
思考が、昏いところへ、落ちていく――。
『――いけません。そこへは、行ってはいけません、イル』
「え………?」
『ソレ』のひとことで、イルの意識は引き戻される。
『その思考は善くないモノです。その自責は、あなたの心を……あなたが持つ"祈り"を曇らせて、見失わせてしまうモノだから』
「祈り、を……?」
『ええ。――大丈夫。ゆっくり……意識を、向けるのです。あなたはもう、思い出している。その祈りを識っている。
あなたは、暖かいゆりかごのなかで、ぬくもりに触れてきたから』
「……―――、」
……ゆっくり、呼吸を落ち着かせる。
意識を、己へ向ける。
――『イル・ドゥ=テヴィエス』の記憶を喪くして、ただの『イル』として過ごしてきた、今日までの日々。
短くは、あったけれど。
そのなかで、いろいろなぬくもりに、触れた。
船乗りのおじさん。
シアや、アンジェ。
ロートと、フィリアと、リオや、エメ。
そして…………シオン。
彼らのやさしさに包まれて、イルはいま、ここにいる。
そして―――何よりも、誰よりも大切な彼女からも、その祈りに包まれていた。
――――あぁ、祈りとはつまり、このことなのだ。
いろんな場所で、その祈りに触れてきた。
ずっと、ずっと……感じていた。
暖かい、ぬくもりを。
カタチは違えど、それは、誰もが持っている祈りで。
イルはいま、そんな祈りの中でも、暖かいモノに包まれている。
きっと、いまだって、触れている。
少年から――いまも、与えられている。
……あぁ、ようやく、思い出せた。
さっきだって、彼は、言っていたじゃないか。
優しさの根底にあるモノ。暖かな祈り。
それは――確か、守りたいという気持ちで。
識っている。識っているから。
塗り潰していた焦燥を、塗り消す。
覆い隠していた不安を、取り払う。
その感情は、祈りを曇らせる。
その感情は、大事なモノを、見失わせる。
――あの日、大切な彼女のぬくもりに触れたあの日だって、イルは思ったはずだ。
フィエナが、イルを守ると言ったように。
イルも、フィエナを守りたいと。
そう、思ったはずだから。
『………ええ、その眼です。その祈りを宿した眼があったからこそ――我はあなたを選んだのです。……あぁ、我の選択に狂いは無かった』
「………うん、ごめんなさい。いままで、なさけないところばかり見せて」
『いいのですよ。それよりも――イル。
いま、現実ではあなたを助けてくれたひとが、死にかけています。
彼はあなたを救おうと……守ろうとした。その身は未だ弱くとも、震えていても――あなたを、守るために、立ち向かったのです』
それもまた、すべての魂が持つ"祈り"の現われ。
その祈りに、イルはいまも、触れている。
『しかし、現実は無情。このまま行けば、彼は間違いなく死ぬでしょう。その果てに――彼の隣にいる少女たちも、死ぬやもしれません』
それは、イルでさえ理解していること。
たとえ彼が、特異な力を持っていたとしても。それが、相手を上回ることのできる力を秘めていたとしても。
シオン・ミルファクではカタストラス・ヘプターに敵わない。
彼がどんなに足掻こうと、彼がどんなに立ち向かおうと、彼が彼である限り、現状では変えることのできない真理。
それを、イルは理解している。
……彼を救えるかどうかは、すべて己次第だと、『ソレ』は言った。
無情な現実を打破する一手は、すべて、自分次第。
ならばこそ――選択を。
問いはここに、回帰する。
停滞か、前進か。
何もせず、ただ現実を視ているだけなのか。
足掻き、無情な現実を打破すべく進むのか。
『ゆえに、ここに問いましょう。
――イル・ドゥ=テヴィエス。貴女は……その覚悟を、持ったのか。我が身と契約を交わすか、否か』
―――そんな答えは、既に決まっていた。
(シオン……)
あなたは、イルを助けてくれた。ぬくもりをくれた。守ろうとしてくれた。
だから、今度は、イルのばん。
顔を上げる。『ソレ』を見つめる。
眦を決して――イルは、答えを言葉にする。
「イルは…………――あたしはっ! みんなを守りたいっ!!」
『その言葉を、待っていましたよ』
――契約は此処に果たされた。
光の巫女と、輝煌の幻獣は、ここに魂の縁を結ぶ。
「――――霊臨――――」




