第08話『狂星争闘/揺光の星 -Alkaid-』
まず最初にシオンが行ったのは、背後に居たシアに指示を出すことだった。
「シアッ、イルを連れてアンジェのところまで走って!!」
「っ。ええ、わかった!」
互いが互いを深く理解しあってるがゆえ、阿吽の呼吸で行動を起こすシオン達。その信頼感は、彼らのことを深く知らずとも感じ取ることができただろう。
そして、相対する狂人――カタストラス・ヘプターが、シアの行動を見逃すわけがなく、シアが動き出した瞬間、彼は魔術を発動させようと詠唱を開始した。
「させるか――ッ!」
ゆえに、カタストラスの魔術発動をシオンが食い止めようとするのは当然のことであった。
シアに指示を出したのち、カタストラスがシアを狙うことは読めていた。
ならばこそ、先手を――その行動を阻害する一手を、打つ。
「穿ちて燃やせ――――【炎槍】ッ!!」
射出。刹那の内に形成された炎の槍は、隙だらけのカタストラスへ当たる。
「無駄だ――【水流】」
だが、炎槍がカタストラスへ当たる寸前、出現した青色の魔術陣から流れ出た水が、炎槍を掻き消した。
――まさか、僕の行動に気付いて寸前で発動する魔術の詠唱を……攻撃する相手を僕に切り替えた!?
それは、決して不可能なコトではない。
シオンが放ったのは初級魔術。魔術ランクとしては最下位に属するモノで、その対処は至極容易とされる。そのため、たとえ寸前であっても――技量さえ伴っていれば、先のようなことは可能なのだ。
ここでいう技量とはすなわち、『刹那の判断力』と『戦闘慣れ』。
コレが意味することはつまり――眼前に立つ魔術師の実力は、シオンよりも遙かに高位だということ。
「――――、」
たった一合。それだけで、シオンは相手との実力差を理解してしまった。
だが――それが、なんの妨げになるという。
――僕はイルを守ると決めた。ならば、その誓いを破るわけにはいかない。
「行くぞ――!」
シオンの疾走が始まった。
彼我の距離はおよそ二十メートル。その距離を詰めるのに、三秒もかからないだろう。
砂浜を一歩踏み抜く。走り難い。砂が靴の中へ入り込むが、気にしない。
綺麗な浜に足跡を刻みながら、平行して詠唱を行い、シオンはカタストラスへ近付く。
「紫電よ、奔れ――」
詠う魔術は拘束がための紫電。
距離が詰まる。敵は目前、最後の一歩を詰める、一瞬前に。
「――・痺れなる雷をいま此処に! 【痺雷】ッ!」
魔術を、顕現させる。
紫電が奔る。疾走の先は首筋。当たれば気絶という結果をもたらすが――
「魔力収束――硬化。
魔力壁、展開――!」
果たして、結果は失敗に終わった。
紫電の進行を阻むため、壁となって出現した魔力塊。
魔力収束――大気中の魔力を収束し、これを行使する高等技術。
それすらも、カタストラスは難なく扱ってみせた。
――だが、次の手は既に考えてある
「――――【地を突き穿つ雷槍】ッ!」
《速攻詠唱》による零距離での中級魔術。《速攻詠唱》であるため、威力は格段と下がるが、元よりそれは承知の上。ここで求めるのは威力ではなく速度。ゆえに選択としては最善。放たれた雷槍は吸い込まれるように、カタストラスへ奔る――!
雷が炸裂する音が、響いた。
シオンが放った【地を突き穿つ雷槍】は、間違いなく、カタストラスへ当たった。
なのに――
「なぁ貴様――なんだ、その児戯は?」
カタストラス・ヘプターは、何も変わらぬ様子で、そこに立っていた。
「な―――……」
そんなはずはない。
いくら《速攻詠唱》による魔術行使とはいえ、これは中級魔術だ。保護術式も展開していないこの場において、当たれば無事では済まない。多少なりと、傷は負う……否、気絶してもおかしくないのに。
なのに――見るがいい。眼前の白き衣を纏った男は、依然としてそこに立っている。
「どう、して……」
「どうして、だと? そんなモノ、決まっているだろう。
貴様の刃には"殺意"がない。貴様が考えているのは終始一点、俺の無力化だろう。――貴様の戦いには、『俺を殺す』という選択肢が入っていない。だから貴様は、無意識に、魔術の威力を抑えた。それが答えだ。あぁ――甘すぎる」
「―――、な」
「仮にも俺の前に立ちはだかったのだろう。ならば本気になれよ、なんのために貴様はそこにいる? 死に来たなら別の場所に行け、俺の手を煩わせるな」
「づぅ―――っ!」
そう言って、カタストラスは思い切り、シオンの腹を殴り、その勢いのまま彼を彼方へ飛ばす。
「シオンくんっ!」
「兄さんっ!!」
己が名を呼ぶ少女達の声を聞きながら、シオンは情けなくみっともなく数メートルをぶっ飛ぶ。砂浜が緩衝材となったおかげで骨が折れたりなどはしてないが、背中を強打したことには変わりない。
鈍いのか鋭いのかさえも判らない痛みが全身を駆け抜ける。
「ごっ――が、は………っ」
「魔術を使うまでもない。そこで寝ていろ」
冷え切った目でシオンを視ながら、カタストラスは足をイル達の方へ向ける。
「く、そ……ッ」
――させない。させるものか。
イルを守ると、決めたんだ。
だから、寝たままでは、いられない。
立ち上がれ――そして、戦え。
出し惜しみはしない。
持てる力を、すべて出すんだ。
「――――Est wehlects las anukreis.!」
詠唱を謳う。
それは、シオン・ミルファクにのみ許された唯一無二のモノ。
普遍の理を覆す、異端の業。
双つの魔核を同時に扱うための、我が固有魔術。
「――Anfatim――」
それを今、ここに顕現させる――!
「Aster wiltus erldio――――"las parale anukreis"!」
――【同時魔核処理/並列回路】、起動。
「行くぞ『天辰理想教』――ッ!」
《並列詠唱》を以て詠唱を開始する。選択した魔術は火属性と土属性。
「――【炎霊の愚火】/【潰壊する石柱】――!」
魔術名を告げた刹那、同時に、二つの異なる魔術が顕現する。
これこそが【並列回路】ひいては《並列詠唱》の異常である点。
魔術は最大一度しか打てないという絶対的にして普遍的法則を覆すモノ――ゆえにこそ、【同時魔核処理】を固有魔術たらしめているのだ。
放たれた炎はカタストラスを囲むように燃えている。炎で形成された円環。その真上に、柱状の岩が出現する。現われたソレは、重力の法則に従いカタストラスの頭上へ落下していく。
このまま行けば確実にカタストラスへ直撃する。もっとも、死には至らないだろうが――そうなるよう調節している――願わくば、これで再起不能になってくれと、シオンは思う。
しかし、シオンの思惑は虚しくも消えることになる。
「――、――」
カタストラスが何か呟いた、その次の瞬間。
シュバァン!と、大きな音がした。
壮大な破砕音と共に、石柱が真っ二つに切断される。同時、炎の円環も一瞬のうちに消失した。
「………っ」
――やはり、そう簡単にはいかないか。
何が起きたのか理解はできなかった。ただ、カタストラスが何らかの魔術を行使したのは予測できた。
問題は、何の魔術かということで。
そこまで考えてシオンはあることに気付いた。
カタストラスの周囲が、濡れているということに。
よく見れば、カタストラス自身も少し濡れている。
海水……ではないだろう。彼はいま波打ち際から離れている。
ならば――先ほどの魔術によるモノだろうか。
だとすると、魔術の属性は水ということになる。
――だが、水属性の魔術に石柱を破壊するほどのモノはあっただろうか?
あるにはある、だろう。だが、あんな短時間で高威力を出せる魔術はそうそう無い。だから、魔術の種類は限られてくる。
それに――石柱を、真っ二つにするなど。
しかし、シオンの知識には、該当する魔術が見当たらなかった。
結論としては、依然、判明しないままというわけだ。
視線を、カタストラスへ向ける。
そこには、冷たい表情を浮かべた彼――ではなく、驚愕の表情を浮かべたカタストラスが居た。
「―――――貴様、ソレは」
「え……?」
「ソレは……その業は……馬鹿な、いいや有り得るのか? 否、有り得るはずだ。なぜならあのコトの顛末を知ってるのは『奴』だけ。それに、先のアレは間違いようがない。ならば……やはり、貴様は―――」
心ここに在らず、といった様子で、カタストラスはぶつぶつと呟いている。
その呟きの内容は一切理解できない。だが、直感で、自分のことを言っているのだというコトだけは、理解できた。
「く、は――くは、ははは。ハハハハハハハハハハハハハッッッッッ!!!!! まさかこんな所で相見えるとは!!
そうか……そうかそうかそうかッ!! 貴様だったのか! なぁ――『双星』ッ!! 我らが夢想の体現、法則の超越者よ!! ハハッ、クハハハハハハハハ!!!!!」
歓喜とも言える哄笑を、カタストラスは上げる。
その姿は、どうしようもなく、
異常しくて、
狂っていて、
底知れぬ闇に、満ちていた。
「『双星』……?」
『双星』とはなんだ? どういう意味だ?
理解できない。自分のコトを指しているのは判っていても、そう呼ばれる理由がわからない。
だから、問うた。
「いったい、『双星』ってなんのコトですか……ッ!?」
「あぁ――別に、判らなくていいさ。真実を知ろうが知るまいが、貴様がここにいるという事実がすべてなのだから。ゆえに俺は、口を閉ざすよ。だが……くふ、ふはは……そうかそうか……『光の巫女』の前に立つのは『双星』、貴様だったか。ああ、実に運命とは数奇なモノだ!!」
会話が成り立っているようで、微妙に成り立っていない。
カタストラスの会話は、自己で完結している。
シオンが知りたいコトは、何も得られない。
それが余計、彼の持つ狂気を助長させているかのようで。
「気が変わった。いいだろう、相手してやる。だが、俺も暇ではない。すぐにそこの少女を捕えねばならないのでな。
ゆえにこそ――さぁ、貴様も俺を殺す気で来い、真にそこの少女を守りたいのであれば。先ほどのような児戯はもう要らぬぞ」
そして、次はカタストラスが、動いた。
「――番えよ、一条の矢・その身が放つは青き一矢――【青き一矢】!」
詠唱を経た後、顕現するのは一本の矢。しかし、その矢はただの矢に非ず。その矢を形成している物質は――水。
水属性中級魔術【青き一矢】。用いた属性――ここでは、水――の物質をもとに、矢を形成。その後に射出するという、至極単純な魔術。系統としては【氷槍】等の同種のモノになる。
疾走直進する青い矢。
だが、焦るコトはない。ただ真っ直ぐ向かうだけの魔術なのだ。落ち着いて、躱せば何の問題もない。
そう思って、シオンが身をかがめ、青き矢を躱した、次の瞬間。
シオンは、己がいる場所に何かが来ると直感し、真横へ跳んだ。
―――シュバァンッ!
そして――再び響き渡る、破裂するような大きな音。
砂塵が舞う。砂の霧が晴れると、先ほどまでシオンが居た場所に在ったのは――
「な――っ」
まるで巨大な石でも落ちたかのように抉れた、穴だった。
「ッ――!」
寒気が走った。先の攻撃をマトモに喰らっていたら、間違いなく死んでいたから。
「ほう? よく躱したな。運が良かったか或いは実力か……だが、躱したコトには変わりない。褒美だ、俺の手の内を教えてやる」
小さく、カタストラスは呟く。
「――少年。禁忌魔術というモノを知っているか」
「禁忌……魔術?」
「かつて、軍用魔術として運用されていたモノ。しかし、あまりにも高威力かつ危険であったため、戦いが無くなった現代では禁忌指定を受けた魔術。それが――禁忌魔術だ」
そう言って、カタストラスは辺りを見渡すと、少し離れた場所に合った大きな岩に目をつける。シオンの身長よりも高く、大きい岩石。それに右手を向けて――
「――――【穿斬・高圧水流】」
魔術名と思わしき言葉を口にした瞬間――大きな音と共に、岩石が、真っ二つに切断された。
それは、【潰壊する石柱】を防がれた時と同じ現象だった。
切断された岩石を注視する。するとそこには……やはり、水で濡れた痕があった。
「これが、【穿斬・高圧水流】――超高圧に加圧され、超高速に噴射する水により、貫通・切断を容易に可能とした魔術であり……それゆえに、禁忌指定を受けた魔術だ。この現代において、この魔術を使うのはおそらく俺のみ。ゆえにコレは、実質俺の固有魔術とも言えるな」
告げられた事実は、無情。
待ち受ける現実は、残酷。
彼が使っていた魔術は、簡単に人を殺せるモノだった。
自分の手の内を明かすだけの余裕が、この男にはある。
「ッ……は、っ……ハッ……」
呼吸が乱れる。
本物の殺意が、そこに在った。
『おまえを殺す』という、敵意の極点が、彼の使う魔術に、言葉すべてに在った。
それは、シオン・ミルファクにとってあまりに縁が無さすぎるモノ。
ゆえにそれは、『恐怖』という刃になって、シオンの心に襲いかかる。
「どうした、『双星』? そんな腑抜けた面をして。それともなんだ、今更実力の差でも自覚したのか?」
「……っ!」
「ならばもうひとつ、教えておいてやろう」
「なに、を……っ?」
「――俺の『階級』は《王級》だ。使える魔術も、経験も、貴様より遙か上だ。
ゆえに事実を告げる、貴様では俺には勝てん。なぜなら実力が無いから、殺意が無いから、経験が無いから。――そんな貴様が、俺に勝てると、どうして思った?」
狂気すら感じさせる冷酷な表情を浮かべながら、カタストラスはそう告げる。
「な………ぁ、え?」
そしてシオンは、告げられた事実に、今日何度目か判らない驚愕を、隠せないでいた。
――階級が、《王級》?
『階級』とは、魔術師の位階を示す称号。
シオンの階級は《中級》だ。
そして《王級》の階級とは、一般的な魔術師に与えられる五段階ある内の、上から二番目。
《王級》――それは、王国魔導師団の魔術師が持つ位階と変わらないというコトで。
つまりこの男は、王国魔導師団の魔術師の実力と、同じか、それ以上というコトで――。
「……、……―――、」
心が、恐怖している。
どうしようもない無慈悲な力量の差を、シオンは無理矢理、認識させられた。
「戦意が、喪失したか? それならそれでいい。俺がすべきコトには変わりないからな」
「っ……やめ、ろ。イルに、手を……出すな」
「――そもそも貴様、あの少女が何者か知っているのか?」
「え……?」
不意に、カタストラスが、そんなコトを言う。
イルという少女が何者か。
シオン・ミルファクにとって、イルは記憶の無い少女で――けれど、真実は知らない。
――そういえば、と。シオンはあるコトを思い出す。
『双星』とは何なのか、そう問うた時、カタストラスは、何か言っていなかったか。
―――『「光の巫女」の前に立つのは「双星」、貴様だったか。ああ、実に運命とは数奇なモノだ!!』―――
このような言葉を、言っては、いなかっただろうか。
「その様子だと、知らないみたいだな。ならば教えてやろう。
そこの少女の名は、イル・ドゥ=テヴィエス。
霊獣国テヴィエスが最高存在――『光の巫女』、その当代だ」
狂人が告げる一言が――真実の扉を開ける契機となる。
「……………………、え?」
呆然としたイルの声が、シオンの耳に届いた。




