第07話『狂星邂逅/加速する物語 -Fate to Accelerate-』
イルが僕達と共に過ごすようになって、一週間が経過した。
その間、特に劇的なコトや進展があったかと言えば……特に、何も無かった。
ただ、少しだけ……イルの様子が、変わったように見える。
最初に出逢った時のような、怯えた様子は既に無く、笑顔も見せてくれるようになった。
ロート達にも心を開いてくれたようで、今では普通に会話もできるようになっていた。
その変化が、僕にはとても好ましいモノで。
だからこそ、今のイルを無くしてはいけないと思った。
――けれど、僕は考えてしまう。
忘れてはいけないが、イルという少女は記憶が無い。
ゆえに僕は、そんな彼女にかつての自分を重ね、彼女の力になりたいと思った。
それは、具体的に言えば、『イルの記憶を取り戻してあげたい』ということで。
だから……現在のイルを見ていると、つい、考えてしまうのだ。
果たして、それは本当に正しいコトなのだろうかと。
「―――、」
初めてイルに出会った時の姿を思い出す。
怯えた表情。
震える身体。
出会ったその時から、心に恐怖が刻まれていた彼女。
おそらく……いや、きっと、その恐怖の理由こそが、彼女の記憶喪失の原因なのだろう。
だから――もし、記憶を取り戻せば。
現在のイルという少女は、居なくなってしまうのでは、ないだろうか。
そう、考えてしまう。
「…………、」
イルが何者なのか。
どうしてここに居るのか。
隠された真実のベールを剥がせば、きっとそこには、彼女にとって良くないモノがある。
だったら――いっそ、このままの方が、彼女にとって……。
(――いいや、それは違うだろう)
そこまで考えて、僕は思い直す。
それは、僕のエゴだ。
僕にとって『こう在って欲しい』という、どうしようもない我侭。
停滞か、前進か。
その選択をするのは、僕ではなく、イル自身だ。
僕はそれを、誰よりも知っているはず。
だから僕は……見守り、護るだけだ。
イルを。
記憶の無い少女を。
彼女自身が、選択をする時まで。
「――さん。兄さん?」
不意に、僕の名を呼ぶ声が聞こえた。その声により、僕の意識は思考の海から現実へと戻る。
まず目に入ってきたのは、視界一面に広がる壮大な海だった。次に聞こえてきたのは、波の音。一定間隔で刻まれるリズムが、耳に残る。
鼻腔に入ってくる潮の香り。優しく頬を撫でる潮風が気持ちいい。
そう――僕達がいま居るのは、アルサティア郊外にある浜辺だった。
第一魔導学究都市アルサティアは、海に面した都市だ。中心部から少し離れたところ――それこそ、歩いて行ける距離――に、こういった浜辺がいくつか存在している。いま、僕達が居るのもその内のひとつだった。
今日は休日。僕達――僕、シア、イル、アンジェの四人――は『海を見たい』というイルのお願いを叶えるため、こうしてここまで足を運んでいた。
季節は秋の刻のため、旬の季節ではないが――それでも見える景色は変わらない。少し水は冷たいかもだけど、今日は快晴だ。丁度良いくらいだろう。
遠くの方を見やれば、そこにはイルとシアが二人して遊んでいた。微かに、笑い声が聞こえてくる。楽しそうだ。
視線を、隣へ向ける。
気付けば、そこには、心配そうな表情を浮かべながら、僕の顔を覗き込む妹――アンジェがいた。
僕とアンジェは、砂浜に流れ着いていた大木に腰をかけ、シア達の様子を眺めていたのだ。
「……ごめんアンジェ、ぼーっとしてた」
「それはいいですけど……寝不足ですか? しっかり睡眠はとらないといけませんよ?」
「ううん、そういうのじゃないから。心配かけてごめん」
「――イルちゃんのことですか?」
「ッ……」
「やっぱり。兄さんがそんな表情するときは、だいたい他のひとのコトを考えてる時ですもん」
そういって、にっこり笑うアンジェ。
……僕の周りに居る女の子は、どうして僕のことをこんなに理解しているのだろうか?
けど、同時に、そのコトが嬉しくもあった。
「……考えていたんだ。イルの記憶を取り戻すのは、本当に正しいコトなのか、って」
「――。それで、結論は出たんですか?」
「うん。――僕はただ、あの子を見守り、護るだけだって。その時が、来るまで」
少なくとも今は、それでいいと。
答えを出したのだ。
「………優しいですね、兄さんは」
「そんなことないよ」
「いいえ、優しいんです。他人のことを自分のように思って、他人に対して真摯に向き合って、他人のことを守ろうとする。そんな兄さんは、底抜けなくらい……優しいひとなんです。兄さんがいくら否定したって、わたしはそう言い続けます。
わたしが知ってる兄さんは、そんなひとなんです」
「何年兄さんの妹をやってると思ってるんですか」と、アンジェは笑いながら、そう告げる。
「―――――、」
僕にとって、アンジェ・ミルファクという少女は、良き理解者であり、大切な家族だ。
かつて、記憶を無くし、欠陥を背負ったことにより、荒んでしまった僕の心を、アンジェは救ってくれた。
だから現在の僕がここに居るのは、アンジェのおかげでもある。
「……アンジェ。今、僕がここに居るのはアンジェのおかげだ。だから……おまえが僕を優しいっていうなら、アンジェも充分、優しいよ」
ぽん、と。アンジェの頭に手を置き、撫でる。
アンジェにこうするのは、昔からの癖だった。スキンシップというか、なんというか。いつか嫌がられる日が来るかもって思っていたけど、全然そんなコトはなく、今でもこうして彼女の頭を撫でることは多い。
……よく、リオに「おまえはシスコンだな」と言われるけど、否定できないなと、この状況を冷静に見て思う。
銀の髪を梳くように、優しく撫でる。
ふと、アンジェの反応が無いことに気付く。いったいどうしたのかと思い、視線を彼女の顔へ向けると――
「……アンジェ?」
「………いまはこっち見ないでください」
「えっ……!?」
そ、そんな……ついに反抗期が――!?
顔を下に向けたまま、アンジェはぽつりと呟く。顔が見えないため、どんな表情をしているのか判らない。
(嘘だろ……いつか来ると思っていたけど、まさかこんな急に来るなんて……)
思ったよりショックを受けている自分がいて悲しくなる。キツい。
「………兄さんはずるいです。いきなりそういうコト言うなんて……にやけが抑えきれなくて顔見れないじゃないですかぁ……顔が熱いです……もぉ……」
なにかアンジェが呟いた気がしたけど、ショックに耐えきれなかった僕の意識と思考は彼方へと飛んでしまっていた。
それにより、アンジェの頭を撫でていた手が止まる。
「………兄さん、手、止めないでください」
「えっ……? 嫌なんじゃ、ないの……?」
「………誰もそんなこと言ってないです。いいから、止めないでください」
すると、アンジェが――顔は下を向いたまま――僕にそう告げる。
(よ、良かった……嫌われてるワケじゃなかった……)
心底ほっとしながら、僕は再びアンジェの頭を撫でる。
時々「ふふっ」という声が聞こえてくるから、本当に反抗期というワケではなさそうだ。
……僕の早とちりで本当に良かった。
そんな時間が、二、三分ほど続いただろうか。
「おーい、シオンくーん! ちょっとこっちまで来てくれなーい?」
と、僕を呼ぶシアの声が、耳に届いた。
「っと………ごめん、アンジェ。シアが呼んでるから、行ってきてもいい?」
「ぁ……。――ええ、もちろんですよ。わたしはここに居るので、はやく行ってあげてください」
「ありがと。じゃ、ちょっと行ってくるね」
ひとこと、そう告げると、僕は立ち上がり、シア達の方へ向かっていった。
* * *
「………ええ、本当に。あなたは優しいですね。
でも、人によっては、喪い方が良いコトだって、この世界にはあるんですよ」
* * *
小走りで、僕はシア達の下まで駆け寄る。
彼女達はいま、足だけ海に入っている状態だ。寄せては返す波の中に、足首が見え隠れしている。遊んでいたせいか、微妙に衣服が濡れている。後でタオルを渡さなければ。
そんなことを考えながら、僕はシアに声をかける。
「どうしたの、シア?」
「あー……用があるのはわたしというより、イルちゃんの方かな……?」
「んっ。シオンも、あそぼ」
ぐい、と。イルに手を引っ張られる。
「え、と……?」
「イルちゃん、シオンくんとも遊びたいんだって」
「………シアとも、アンジェともあそんだ。でもシオンとは、まだ、あそんでない。だから、あそぼ」
……言われてみれば、確かにそうだ。
この砂浜に来て、最初はシアとイル、そしてアンジェの三人で遊んでいた。
僕は、なんというか……女の子三人の輪に入りづらかったから、さっきのように大木に腰掛けてその光景を眺めていたのだ。
そこに、アンジェがやってきて……先の会話を交わした、という流れになる。
だから、イルのお願いは至極当然のもので……
「……よし、わかった。遊ぼっか、イル」
「~~っ。うんっ!」
僕がそう告げると、イルは顔を輝かせながら笑う。
……これくらいで喜んでくれるなら、いくらだって付き合おう。
そう思い、一歩、足を踏み出す。
――――――その、瞬間だった。
「――――見付けたぞ」
まるで、地の底から響くような声が、耳に届いたのは。
ザク、と。砂浜を踏み抜く音。
刻まれるその音は、少しずつ、こちらへと近付いてきている。
やがて――止まる、音。
訪れた静寂に、僕は思わず、息を止める――いや、止めてしまっていた。
未だ、その姿を直視していないというのに、漂う雰囲気が、この場を支配する空気が――放たれる覇気が、あまりに鋭かったから。
「ッ――……は――………っ」
乱れる呼吸。それを無理矢理抑えつける。
そして――覇気の根源を、視る。
そこに居たのは、藍がかった蒼色の髪をした、長身の男性だった。
視線だけで人を殺せるのではないかと錯覚するほどの鋭い目付き。整った顔立ちであるのに、目付きがそれを台無しにしている。
そして、何よりも特筆すべき点は、その身に纏う衣だった。
(純白の祭服に、黒のストール――)
その衣を着る者が、どんな人間なのか――それを、僕は知っていて。
そしてそれは、この世界にひとつしか存在しない。
「――『天辰理想教』」
非魔導宗教組織『天辰理想教』。
かつてこの国を震撼させた、狂人達の集団。
紛れもなく、『悪』と定義される者達。
そんな組織に属する人間が――僕達の目の前に、立っていた。
「―――、」
だが――おかしい。
何故なら彼らは、十年前に、王国魔導師団の手により壊滅したはず。
なのに、どうして――『天辰理想教』の人間が、ここに居る?
(……そういえば、前も)
在りし冬の日。親友と離別したあの日にも『天辰理想教』の人間が現われた。あの時の彼は、死神を彷彿とさせる髑髏の仮面を被っていたから、顔は判らずじまいだったけれど……間違いなく、『天辰理想教』の人間だった。
ならば、考えられる可能性は二つ。
ひとつは、壊滅した組織の残党。
もうひとつは――彼らはまだ、滅びてなどいない、というコト。
真実は判らない。
だが、確かに、一つ言えるコトは――『天辰理想教』の人間が、目の前に居るというコトだけだ。
――視線を、周りへ向ける。
アンジェは依然、大木に腰掛けたまま。動く様子は無い。突如現われた男の様子を見ている。
シアも同様に、警戒心を最高度に、男の様子を窺っている。
そして、イルは………
「……イル?」
「…………あ、ぁ。い、や……………いやだ………こわ、い……っ」
まるで壊れてしまったかのように、イルの身体はガタガタと、震えていた。目の端には小さな透明の雫。蒼白い顔の色が、僕にまで彼女の恐怖を伝えてくる。
それは、出逢った時の彼女の姿そのもので。
だから僕は、直感で理解した。
(この男が――――)
イルの、恐怖の理由。
イルの、敵だと。
ならばこそ、僕が採る行動はひとつしかない。
「――なんだ、貴様は?」
イルの前に、僕は立つ。
彼女を、守るために。
「………シ、オン?」
「大丈夫だよ、イル。安心して」
小さく、イルにそう言うと、僕は眦を決して男と向き合った。
「……なんのつもりかは知らんが、死にたくなければ退くといい、少年。俺はそこの少女に用がある。貴様に用など微塵もない」
「……お断り、します」
「――なに?」
「ッ……あなたこそ、なんなんですか? いきなり現われて、イルに用がある、だなんて。本当なら、イルの保護者とか、そういう可能性を考えるべきなんだろうけど……この子は怯えている。あなたに対してだ。だから……僕は、イルを守る側に付く。
それに、あなたは――『天辰理想教』の人間だ。そんな人間を、僕は信じることなんか、できない」
理由はそれだけで。
だからこそ、迷いはない。
――心が、怯えている。イルが男に恐怖を感じているように、僕もまた、その感情を隠しきれない。
けれど、隠しきれないならばそれでいい。
抑えつけて、立ち向かうのみだ。
「……愚かな。何も知らない子供の分際で、俺の前に立つか。
最後通牒だ。今すぐそこを退き、その少女を渡せ」
「答えは変わらない」
なんでこの男がイルを狙っているのか。
なんで『天辰理想教』が未だこの世界に居るのか。
その一切は、判らない。
僕の知らないところで何かが起きていて――僕も、その大きな渦に巻き込まれているかのようで。
ただ、動いてしまった歯車は、もう戻らないと――止まることはないと、僕は判っているから。
「――いいだろう。その意志が蛮勇か、あるいは真に勇気であるか――俺が、理解させてやる」
だから今は、この心が衝動のままに。
「―――天辰理想教が七星司教、《揺光の星》カタストラス・ヘプター。
星の理想郷がため、その少女を奪わせてもらう」
イルを――この男から、守り抜く。
* * *
時は少し遡り、アルサティアの市街地にて。
ロート・ニヴェウスとフィリア・クロヴァーラは、共に街中を歩いていた。
現在の場所はアルサティアの中心にある、噴水がある広場だった。
その理由とは、前回に引き続き、イルについての聞き込み……というのは、建前で。
本当の理由はひとつ。
ロートが、フィリアと外出したかったがゆえだ。
そのために、安易な理由をつけて、フィリアを外出に誘った。
――すまん、イル。
内心、ここには居ない少女に誠意を込めて謝る。
あまり他人を利用するコトなどしたくはないのだが……こと、この件に――己が想いに関しては妥協はしないし、したくない。
進むと決めたのだ。
自分がらしくもない行動を取る理由なんて、それだけ。
――けれども
「………」
「―――」
ロートとフィリアの間には、以前のような沈黙の空気が漂っていた。
それは、気まずさゆえではない。緊張ゆえの沈黙。
前回を以て、ロートとフィリアの距離は少しだけ、かつてのモノへと戻った。だが、たったあれだけでは、完全な状態へと戻ることなど――他の人間ならばいざ知らず――彼らにとっては不可能だった。
元々内向的な性格であるフィリアと、変なところで不器用なロート。この二人が簡単に元の関係に戻れるのならば、そもそも彼らの距離は離れてなどいない。
ゆえにこの状況は、ある意味当然なワケで。
(ちくしょう、ヘタレか俺は……!?)
自分を叱咤するものの、やはりどうしても、踏み切るコトができない。
……変化に、戸惑っているのだろう。
数年間という月日は、人が変化を得るのには充分すぎる。
己が知っている相手と、今目の前にいる相手の差に、ロートは戸惑っているのだ。
精神的な面は変わらずとも、身体的な面は変わっている。
自分がそうであるように、彼女の身体も、魅力的な大人のそれへと変わっていたのだ。
その差も、少なからず関係していた。
だから、どう接すればいいか判らない。
昔みたいに話そうとしても、できない。
――そう、思っていた時だった。
「……ね、ロート」
不意に、隣を歩くフィリアから、声をかけられた。
あの、常に受動的なフィリアから、だ。
「………どうした?」
「……私ね、いま、すごく緊張してるんだ。こうやって、ロートと……この前みたいに済し崩し的な感じじゃなくて、最初から、ちゃんと二人きりで出掛けるのって、本当に久しぶりだったから。それに……ロート、いつの間にか、私より身長高いし。こういうトコで、時間の流れを感じちゃう。
何もかもが、久しぶりで。何もかもが、新しくて。ドキドキがおさまらないの。
……たぶん、だけど。ロートも同じ、でしょ?」
「――――、」
「だから……すぐに前みたいに戻ろうとか、思わなくていいんだよ? ゆっくりで、いいんじゃないかな。というか、その方が良い。だって私、足遅いから、ロートに置いていかれちゃ、ヤダもん」
「――――………、フィリア」
いつものような、おどおどした雰囲気が、今の彼女には無い。
落ち着いた――そう、それこそ。年上の雰囲気を、今の彼女は纏っていて。
今まで見たことのない幼馴染みの姿に、ロートは、面食らう。
その差に、思わず、顔を赤くする。
「……? どうしたの、ロート? 急にあっち向いたりして」
「……そういうトコだぞ、おまえ」
「えっ……ご、ごめんっ。私、また何かやっちゃってた……!?」
「………まぁいいよ。それよりも――ああ、そうだな。少し、急いでたのかもしれない」
そう。俺達は俺達だ。
ならばこそ、そのペースを見失ってはいけないだろう。
「うん、その顔だよ。ロートはそういう、前向きな顔が一番似合ってる」
「……ああ、ありがと」
笑顔を浮かべ、そう告げるフィリアを見て、ロートは思う。
普段の言動が気弱ゆえ、忘れてしまいそうになるが……フィリアは間違いなく、自分よりも年上の人間なのだと。
――そして、同時にこうも思うのだ。
絶対に、守りたいと。
年上だろうが、相手は王国魔導師団の人間だろうが、そんなの関係無い。
もし、彼女に何かあった時……絶対に、守りたいと。
そう、ロートは思った。
「それじゃ、気を取り直して――――」
いくか、と。
言い切る、前に。
「どっかーん」
大きな。
爆発音。
「――――え?」
刹那、盛大に響き渡る叫びの合唱。逃げ惑う群衆による不協和音が、耳朶を打つ。
辺りに立ちこめる黒煙。倒壊する建物。そこから燃え上がる炎が、ぼうぼうと存在を主張している。
逃げゆく人波の中に、ロートとフィリアは呆然と立ったままだ。時折、すれ違った人間の肩が身体に当たって痛い。人波に揉まれてはぐれてしまわないよう、ロートはフィリアの身体を咄嗟に抱き寄せた。
「きゃっ……ろ、ロートっ!?」
「すまん。けどはぐれないためだ。我慢しろ」
いつもより格段と近い距離からフィリアの声が聞こえる。柔らかな彼女の身体の感触と、微かに、鼻腔へ彼女の匂いが伝わってくるが、今は努めてそれらを思考から切り離した。
いま考えるべきコトは、それではないから。
「いったい――なに、が」
「ロート……いまの、なに? 事故?」
「……判らねぇ。けど、事故じゃない。間違いなく、これは――」
人の手によるモノ。
なぜなら、ロートは感知できるから。
生まれつき、魔力操作に長けていたロートは――魔術発動後、僅か数秒間だけ漂う魔力の"残滓"を、感知できるから。
先の爆発は、人の手によるモノだと、断言できる。
そこまで考えた時だった。
「うーん。いい爆発だ。やっぱ開幕はハデにいかないとねぇ! ………あっれぇ? まだ人いるじゃァん」
この場の空気から著しくかけ離れた、陽気な声が、聞こえた。
バッと、反射的に声の主の方を向く。
気付けば、周囲にほとんど人間はおらず、この場に居るのはロートとフィリア、そして眼前に立つ何者かだけだった。
そこには、まだ少年の雰囲気を残した、緑髪の男が立っていた。
にこにこと、笑みを浮かべているその姿、一見すると、柔らかい印象を与える。
けど、だからこそ――この状況においては、異質な姿。
だが、それよりも、特筆すべきコトがあった。
それは、彼がその身に纏う衣――すなわち白き祭服と、黒のストール。
「――――おまえ、は」
その衣を着る者が、どんな人間なのか――それを、ロート・ニヴェウスは誰よりも知っていて。
……不意に、想起される記憶。
――――白き破冬の日。
すべてを喪った、はじまりの記憶。
血で紅く染まった雪を覚えている。
其処彼処に転がっていた屍人達を覚えている。
焼かれ、刺され、潰され。愛した人々が惨殺された光景を覚えている。
あの地獄を、己は決して忘れない。
あの組織を、己は決して許さない。
己が魂に刻まれた原初の憎悪。
その矛先を向ける者達の名は――
「『天辰理想教』…………ッッッッ!!!!」
其は、歪なる思念。
其は、『悪』と定義される者。
其は、ロート・ニヴェウスにとっての、憎悪の象徴。
「んんっ!? ぼくたちのコトを知ってるみたいだねぇ。いやァ、嬉しいなぁ。有名人じゃんぼく。あっはっは!」
依然として、けたけた笑い続ける少年。
その姿は、やはり、異質。
「おっとそうだ、そんなキミに少し訊きたいコトがある。なに、時間は取らせないよ。すぐ終わる質問だからさ」
「……なんで俺が、答えなくちゃならねぇんだよ」
「いいからさァ、少しだけ。ねっ? おねがいだよ~」
「だから、なんで――」
「『光の巫女』を―――イル・ドゥ=テヴィエスっていう女の子を、知ってるかい?」
「――――――――えっ?」
いま、なんと言った?
イルを知っているといった? いや、着目すべきはそこではない。それより、一つ前のワード。
(光の――巫女?)
それは確か、霊獣国テヴィエスの最高存在のことで。
腕に抱いたフィリアを見れば、彼女も驚愕の表情を浮かべていた。
「ははっ、その反応、知ってるみたいだねぇ。じゃあ、教えてもらおうかな」
今度こそ、理解が追いつかない。
あまりに突然すぎる事態。
さっきまでそこに在った日常が、あっけなく、こわれていく。
音を立てて、くずれていく。
――――だが。
「フィリア……下がってろ」
「え……? ロート、いったい何を……っ、まさか――」
「頼む。安全なとこまで下がっててくれ」
「だめ、だめだよ! 危険すぎる! アレがどんな人達かなんて、ロートが一番わかってるでしょ!?」
「それでもッ! ……俺は、行かなくちゃいけないんだよ」
己が信念のため。
そして――おまえを、守るために。
「ロー、ト」
「安心しろ。俺は、負けねぇから」
そう言って、ロートは腕からフィリアを離し、背に隠すようにして少年と向き合った。
「――、」
なぜ、『天辰理想教』の連中がイルを……曰く、『光の巫女』を狙うのか。
なぜ、壊滅した彼らが未だこの世界に存るのか。
氷解しない疑問が、脳の中にたくさんある。
けど、今はひとまず、ソレらを無視する。
――心の裡で、感情が暴れだそうとしている。
どうしても――そう、どうしても、赦せないから。
心に巣喰う感情は、憎悪。
心で構えた意志は、戦意。
その二つを携え――ロート・ニヴェウスは、白き狂人と相対した。
「んん~~~? なんだいキミ、いきなりぼくの前に立ったりして」
「見て判んねぇか、おまえと戦うってことだよ」
「………、へぇ!! なるほどなるほど、いいねぇ!! おっけーおっけー。じゃあ、ちゃんと名乗っておこう。礼儀だしね。あ、キミはいいよ、どうせ覚えないし」
そこまで捲し立てて、緑髪の少年は、髪をかき上げる仕草をして――その存在を、示す。
「やぁ、改めてこんにちは! ぼくはテイルム。
天辰理想教が七星司教、《開陽の星》テイルム・ヘクサ。よろしくね、少年」
ニコリ、と。
ひとの善い笑みを浮かべる狂人は――――果てしなく、不気味だった。
* * *
――異なる場所、そして同じ時において。
シオン・ミルファク達とロート・ニヴェウス達は、理想郷の狂人達と、相対していた。




