第01話『日常 -Days of Wizards-』
どうして朝というものはやってくるのだろう、と僕は思う。
別に朝が嫌いなわけではない。けれど、一度寝てしまうと中々起きたくないというのが人間の共通認識ではないだろうか。実際のところはどうなのか知らないけど、僕はそう思っている。
窓から差し込む朝日に目を細めながら、僕はゆっくり目を開ける。
……酷く懐かしい夢を、視ていた気がする。
いったい、それが何なのか、目を覚ましてしまった今では思い出すことはできないけど、とても大事なことだった気がする。
同時に、思い出したくない記憶の夢も。
「――――…………、ねむ」
まだ頭が覚醒しきってない。ぼーっと、空中を見つめる。
このまま、また眠ってしまおうと思い、布団をかぶりなおそうとしたそのとき。
「……?」
むぎゅ。という何か柔らかい感触。
……なんだろう、これ。何かとても柔らかいけど。
生まれて十六年。それなりに経験を重ねてきたつもりだけど、未だ今触れているような感触に出会ったことは一度も無い。
「未知だ」
思わず呟く。この世にこんなものがあったとは。
そこに至ってようやく、いったいこれは何なのだろうと思い、掴んでいたソレから手を離し、体を起こす。するとそこには、
「………ぉ、おひゃようございます。に、兄さん………」
火でも出るんじゃないかってくらい、顔を真っ赤にしてベッドの傍に立っている銀髪の女の子……つまりは、僕の妹がいた。
「――――」
一旦冷静になろう。
いま僕は、何かとても柔らかい何かを掴んでいた。
そしてベッドの傍らには顔を真っ赤にしている妹。
ここから導き出される答えとはつまり――――
「――僕はアンジェの胸を触っていたってこと……になる、のか?」
「っ~~~~~~いちいち声に出して言わなくていいです! 兄さんのばかぁ!!」
机に置いていた分厚い魔術書で思い切り殴られた。
* * *
「えっと、アンジェ……その、ごめん。寝ぼけてたみたいで……」
「ふん、もういいです。とっっっっっても朝の弱い兄さんは、無意識に妹の、そう妹の胸を触り、あまつさえ悪びれないまま現状を分析し口に出すという方ですから」
「いやほんと、ごめんなさい」
床に額をこすりつけながら、僕は妹のアンジェに謝っていた。顔は見えないけど、たぶんとても怒っている。
「そもそもです。兄さんはれっきとしたミルファク家の跡取りなんですから、もう少しその自覚を持ってください。わたしだったから良かったものの、他の女性にこんなことしたら、兄さんは牢屋にポイですよ?」
「仰るとおりです……」
朝から妹に説教される兄って、兄としての威厳とかが丸潰れな気がする。
ちら、と。顔を上げて、アンジェの様子を見る。すると当然だが、アンジェの姿が視界に入る。
すらっとした華奢な体。宝石のように綺麗な紫紺の瞳。
そして長く伸ばされた、銀の髪。
――とても綺麗な色だと、僕は小さい頃から思っている。
僕……というか、アンジェ以外の僕の家族は、みんな髪が黒なので、アンジェの髪色とは似ても似つかない。
……そう。僕とアンジェは血が繋がっていない、義理の兄妹だ。
昔、孤児だったアンジェをうちの親が引き取ってきて、養子に迎えた。
最初こそ、無口で一切喋ろうとせず、なかなか心を開いてくれなかったが、ある時期を境にアンジェは僕に――ミルファク家に心を開いてくれた。それ以来、アンジェは血の繋がりがなくとも僕の家族だ。
アンジェは口にこそ出さなかったが、ミルファク家に恩義を感じていたらしく、その恩を返すためなのか、昔から僕の世話を甲斐甲斐しく焼いてくれている。
僕には勿体ないくらい、しっかりした妹だ。
「…………あ、あの。兄さん……」
「? どうしたの、アンジェ?」
「そのぅ……そんなじーっと見られると、おもはゆいと言いますか、恥ずかしいと言いますか……そろそろ視線を横にずらしてくれないでしょうか……」
「え――あ、ごめん、不躾に見てて」
「い、いえ。見られること自体は別にいいのですが……ただ恥ずかしいだけで」
顔を赤くしながら、アンジェは視線を左右に彷徨わせている。こんな表情も、昔は見せてくれなかったなと思うと、少しだけ嬉しくなる。
ひとつ咳払いして、アンジェは話を戻す。
「こほん。……とにかく、本当に反省してます?」
「してます、はい」
「じゃあ誠意の表れとして、わたしの代わりに朝ご飯作ってください」
「それくらいお安いご用です」
うちの妹は寛大だった。
そうと決まれば急がないといけない。僕は床から立ち上がり、キッチンの方へ向かう。普段から家事はアンジェに任せっきりな――というより、アンジェが意地でも家事する担当を譲らない――僕は、こういう時でもない限り家事をしない。だから、その分やる気も出るというもの。
ちなみに、僕とアンジェは現在二人暮らしだ。理由はいろいろあるが、その最たるものとしては――
「あ、そうそう。兄さん、ローブ以外の制服、ここに置いておきますね」
「うん、わかったよ。ありがとう」
僕らは学院――シーべール王立ライナリア魔術学院という、魔術の学び舎に通っているのだ。学院に通うにあたって、僕たち兄妹は実家を出て学院付近に家を借りて、そこで暮らしている。
制服を手に取る。魔術学院の制服は白のシャツの上に、襟元に二本の黄の間に青があるラインが入った黒のセーター、そしてその上からローブを羽織るというものだ。もちろんだが、男子はズボンで女子はスカートを着用している。
手早く制服に着替え、朝食を作る。今日のメニューは、手軽かつ美味のエッグトーストだ。つけあわせで、簡単なサラダも作る。
「よっ……と」
フライパンを設置し、卵を用意する。そして火を付けようと、フライパンを置いている場所の下にあるモノに手を伸ばして、あることに気付く。
(――あれ、起火結晶が点かない……って、そういえば故障したから今度修理に出すってアンジェ言ってたな……)
『起火結晶』とは『魔道具』の一種のことだ。火属性の魔力が込められた結晶で、使用者の魔力を込めると簡単に火を起こすことができる。この国に暮らす人々にとって、生活には欠かせない道具だ。
(まいったな……でも仕方ない。あんまり気が進まないけど、これくらいなら平気だし)
――集中する。
体内で魔力が生成する状態へ、意識を切り替える。
生成された魔力が体内――魔力回路を巡る感覚。全身に張り巡らされた回路を、魔力が奔っていく。
「燃えろ、焔――――【小さな焔】」
そして、詠唱を紡ぐ。
「ッ――」
刹那、脳内に鋭い頭痛が走った――が、それも一瞬のことで、瞬きした次の瞬間には起火結晶が置いてあった位置に火が灯っていた。
「これでよし、っと」
成功したことに安堵しながら、朝食作りを再開する。
火がじわじわとフライパンに伝わっていく。充分熱がこもったところで、卵を投下。焦げないように注意しながらトーストに乗せるための目玉焼きを作る。同時進行で簡単なサラダも作り、だいたい二十分くらいで朝食が完成した。
「アンジェー? 朝ごはん出来たよー」
「わかりましたー! すぐ行きますー!」
洗濯物を干すためにベランダに出ていたアンジェを呼ぶ。そんなに干す量はなかったのだろう。ほとんど終わっていた状態だったアンジェは僕の呼びかけにすぐさま応えた。
「おお……さすが兄さんですね。とても美味しそうです」
「はは。こんなの、アンジェが作る料理に比べたら全く大したことないよ」
「そんなことありません! 兄さんが作る料理はとても美味しいです! このわたしが保証します!」
「あはは……。ありがとう、アンジェ。そう言ってくれると嬉しいよ」
真剣な眼差しで、そう言ってくる妹に嬉しさを感じながら、僕は椅子に座る。それに倣って、アンジェも席に着く。
「じゃあ、はやく食べて学院に行こうか」
「はいっ」
そう言いながら、僕は妹ともに朝食を済ませた。
* * *
魔導国シーベール。世界の東側にある、海に囲まれた魔の国。魔術が生まれ魔術と共に発展してきたこの国は、それゆえにこの世界――エウローヴァに存在する四つの大国の中で唯一、魔術を用いる国だ。
そして、シーベールがある大陸の北部。シーベールの王都から少し離れた場所に、アルサティアと呼ばれる都市がある。
そこが、僕たちの住んでいる都市だ。
アルサティアは、シーベールに存在する魔導学究都市の中でも、最も規模が大きい都市だ。鋭角が特徴的な屋根の石造の建物。白やベージュなど、明るい色でまとめられたその町並みは、とても趣のある光景を演出している。
それだけだと普通の街と変わらないが、しかしここは魔術学究都市。
噴水、外灯、乗り物――街の至る所に『魔道具』が設置してあったり、使用している様が見受けられる。
一般的に使用される魔道具は、きちんと国の認可を受けたモノのみだが、しかしここに限って言えば学究都市ということから、試験的に運用されている魔道具も存在する。
そんな事情も働いてのことだろう。魔術学院の授業や、魔道具を開発するための素材や道具を入手するために、この都市は他地域と盛んに交易を行っている。それゆえに、この街は人の賑わいが絶えることはない。
「少し早く出すぎちゃったかな……」
「そうですね。でも、物は考えようですよ。誰もいない道を歩くのって、なんだか凄く独占的じゃないですか」
しかしそんな賑わいを見せる活気な街も、早朝だと静まりかえっている。
閑散とした石畳の街道を歩く。周りに僕達以外の学院の生徒はおらず、朝早くから商店の準備をしている人たちがいるくらいだ。
「――?」
ふと。視線を感じた。振り向けば、商店の準備をする中年の男性が、僕らを暖かい視線で見ていた。
(なんだろ……って、あ)
暖かい目をされる理由が皆目見当つかなかったが、すぐにその理由に思い当たる。そしてそのまま、アンジェの方を振り向く。すると
「はうぅぅ……」
顔を真っ赤にして、僕の一歩後ろを歩くアンジェがいた。
……ところで、血が繋がっていないから当たり前なんだけど、僕とアンジェは全然似てない。それゆえに、一見すると、とても兄妹には見えないのだ。
まあ、つまり、何が言いたいかというと。
街を歩いていると、ときどき恋人同士だと間違えられることが結構ある……ということだ。その度にアンジェも顔を赤くするからそうとう迷惑しているのだろう。
「……アンジェ?」
「ひゃいっ! にやけてなんかないですよ!? ええ、ちっとも!」
「うん。とりあえず落ち着こうか」
「そ、そうですね……あっ、そうだ兄さん。今日のお昼はどうされますか!?」
恥ずかしさを紛らわせるためか、少しだけ声を張り上げながら僕に今日の昼のことを訊ねるアンジェ。そんな妹の様子に苦笑しながら、アンジェの質問に答える。
「うーん……リオと学食でも行こうかな。アンジェは?」
「あっ、わたしも学食に行こうかと考えていたので、よろしければご一緒してもいいですか?」
「もちろん。リオには僕から言っておくよ」
このやりとりで多少は落ち着いたのか、アンジェは小走りになりながら僕の横に来て、一緒に並んで歩き始める。顔は赤くないが、耳はまだ赤い。
学院へ近づくにつれ、登校中の生徒達が増えていく。
基本的に学院の生徒はアルサティアに住んでいるため――僕達のように家を借りたり、学寮に入ったりなど――通学の時間は被ることが多い。
だから、通学中に友人と出会うことも珍しくないわけで。
「おーっす。おはよ、シオン、アンジェちゃん」
不意に、後ろから声がかけられた。
振り向くと、そこには一人の少年がいた。少しボサッとした灰色の髪に、やや吊り気味の灰色の瞳が特徴的の、僕と同い年くらいの少年だ。
「ん。おはよ、リオ」
「おはようございます、リオさん」
少年――リオ・ウルフェンに、僕達は挨拶を返す。リオは僕と同郷の出身であり、僕の幼馴染みだ。
「今日は早いね、リオ。珍しいじゃん」
「あー、いや。今日は兄貴が出勤するの早かったからな。単にそれでオレも早く起きたってだけだよ。今日の飯当番俺だったし」
「普段からそうしていればいいのに……いつも遅刻ぎりぎりじゃないか」
「うっせ。おまえだってアンジェちゃんに起こしてもらわなきゃ遅刻するだろ」
「ふふん。持つべきものは出来のいい妹ってね」
「馬鹿なこと言ってないで兄さんは自分で起きる努力をしてください」
「あ、はい。いつもありがとうございます……」
軽口を叩き合いながら(僕は妹に注意されながらだけど)、僕達の間にリオが加わり、三人並んで登校する。
やがて、街の中心にそびえ立つ巨大な建物――シーベール王立ライナリア魔術学院が、視界に入ってきた。
アルサティアの中心に建設されているこの魔術学院は、街の名所であると同時、象徴だ。石造の四階構造の建物で、四つの棟に別れており、それが空中から見ると四角の形をしているのが特徴的だ。
しかしこの学院の最大の特徴はその造りではなく、左右に対を成すかのように建っている時計塔と、図書館塔だ。この二つの塔は街の外からでも見ることができ、それゆえにアルサティアのシンボルになっている。
外側と内側を隔てる荘厳な学院の門まで来ると、僕達以外にも生徒が続々と登校している。
門を潜る。正面には教室棟の入り口があり、まだ早い時間だと言うのに結構な数の生徒がそこに集まっていた。
「はー……真面目だねぇみんな」
「だねえ。もっとも、僕らも周りからしたらそう見えるかもしれないんだろうけど……ん?」
ふと、何かの気配を感じた。それが一体何なのか――考えるよりも前に、ソレは現れた。
「――せんっぱああああああああああああい!!!! おっはようございまあああああああああああああああああす!!!」
「ぐぁっ!?」
「ちょッ」
背中に何かが衝突する。ものすごい速度と勢いを持ったソレは、僕にぶつかると同時、隣にいたリオも巻き込んでその場に押し倒す――もとい倒れ込んでしまう。
「あらあら」
アンジェが口に手を当てて驚いているのが視界の端に映る。彼女の視線の先には僕とリオを下敷きにし
て座っている、青髪の少女がいた。
「いてて……」
「おい、シオン。重いから早く退け」
「僕も退きたいけどコレが退いてくれない……」
「むぅ。シオン先輩、コレ呼ばわりってひどくないですか? ねぇリオセンパイ!」
「いいから早くどけ、クソ後輩。俺が重い」
リオにそう言われ、少女は、しぶしぶとした様子で僕らの上から退いた。それによって、少女の全貌が露わになる。
一体どこからあんな力が出せるのかと思うくらい、スラッとした体つき。髪はミディアムの青髪。肌は透き通った白で、さながら上質な絹のようだ。最も特徴的なのは、その大きな、美しく綺麗な翡翠の双眸だろう。宝石のような美しい色彩を持つその瞳は、見る者を魅入らせる不思議な魅力がある。
彼女の名は、エメリア・フェイツェ。アンジェのクラスメイトであり、僕とリオの後輩だ。
そんなエメに、先の行動の意味を尋ねる。
「で……なんでまたタックルなんてしてみた、エメ?」
「はいっ! 敬愛する先輩方とのスキンシップを図ろうかと思いまして!」
「嘘こけオラ」
「あうっ」
リオがエメの頭を軽く叩く。大げさなリアクションを見せながら、エメは視線をリオに向けた。
「もう、か弱い乙女になんてことするんですか!」
「おまえがか弱い乙女だったらアンジェちゃんは力なんて一切ねェよ」
リオとエメはいつもこうだ。顔を合わせるたびにこうやってお互いに言い合う。尤も、リオの方はそれを楽しんでいるということを、長年の付き合いゆえに僕は理解している。
「うー……女心不理解者センパイめ……」
「聞こえてんぞ」
「女心不理解者センパイ」
「言い直すな」
「あの、二人とも……いきなり痴話喧嘩みたいなこと始めないでくれるかな……めっちゃ見られてるんだけど……」
エメがいきなりタックルをかましてきた時点から既に多くの人々の視線がここに集まっていた。ひそひそと、囁き合う声が微かに聞こえる。
正直、あまり気分のいいものではない。
「ほら、二人とも。もう行こ――」
流石にこのまま視線に晒され続けるのはごめんだ。そう思い、二人を連れて行こうとした、その時――
――見ろよ、アレ。
――噂の欠陥魔術師だ。
己を射貫く侮蔑の視線と声に、気付いた。
「―――ッ!」
その声は、どこから聞こえたのか。しかしこの沢山の人々の中から声の主を見つけることはできない。
「……すまん。行くか、シオン」
「いや……大丈夫。行こうか」
リオも声が聞こえたのか、僕に一言謝る。そのまま人混みをかき分け、学院内へ向かう。アンジェとエメも、後ろからついてくる。
「では兄さん、わたし達はこれで。またお昼に」
「うん、また食堂で」
「リオセンパイっ! 次デリカシーのないこと言ったら怒りますからね!」
「あー、はいはい」
アンジェとエメの二人と、階段前で別れる。一年次生である彼女達の教室は一階にあるためだ。僕たち二年次生の教室は二階だ。
教室を目指し、階段を昇っていく。
「なあシオン。今日の一限って何だっけ?」
「確か魔導理論じゃなかった?」
「げ、マジかよ……一発目からって」
「何が、って……ああ、オルフェ先生だからか」
「皆まで言うな、判ってるから」
「身内が学校の教師で、しかも担任って中々辛いよね。察するよ」
「なんかいまの言い方すっげぇ腹立った」
他愛のない会話を交わしながら、僕らは階段を昇っていく。生徒玄関とは反するように、いまこの階段を昇っている生徒は疎らだ。どうやら、生徒玄関にいた生徒はほとんどが一年次生のようだ。
人気が少ないこの雰囲気が、僕は嫌いではない。むしろ、好ましいとさえ言える。極端に静かすぎず、かと言って煩すぎない。丁度良いバランスのこの感じが、僕は好きだ。
教室に着く。まだクラスメイトは疎らにしかいなかった。始業の二十分前ということを考えれば、こんなものだろう。むしろ、先の一年次生のように早く来る方が珍しい。
室内へ、一歩足を踏み入れる。
「――っ」
その瞬間、幾つもの視線が、僕に突き刺さった。しかし、それを無視する。こんなことはもう、慣れきったことだ。
窓際の方へ足を運ぶ。最後列の窓際――そこが、僕の定位置だった。
木製の長机が四列に並び、正面に黒板が来る構造になっている教室――基本的にどの教室も同じ構造だ――では、明確な座席は決まっておらず、各々座りたいところに座れるようになっている。もっとも、入学あるいはクラス替えがあって一ヶ月もすれば定位置は決まるのだが。
鞄を机の上に置き、椅子に座る。
……窓の外を見つめる。視界には蒼い空。その蒼を、つい最近見たような気がして、それが何だったか記憶の糸を辿る。そして思い至る。
(今朝の夢……)
今朝見た夢に出てきた緋色の髪の少女。彼女の目が目の前に広がる空と同じ、蒼い色だった。けど、思い出せたのはそれだけで、あの夢がどんなものだったのかまでは思い出せない。判るのは、ただひどく懐かしいものだったということだけ。
……気にしすぎか。別のことを考えよう。
そのままぼーっと窓の外を見たり、リオと話したりしていると、気付けば室内にはかなりの生徒が登校していた。時計を見れば予鈴五分前だ。
一限目の準備をするか、と。机に置いた鞄から教科書を取りだそうとしたとき、不意に視界の端に誰かが教室に入ってくるのが見えた。
雪のような白髪を一房だけ後ろでまとめている髪型。目付きの悪い、薄い藍色をした双眸。どこか人を寄せ付けない雰囲気を持ちながら、しかしその雰囲気に魅せられるような、そんな少年だった。
「あ…………」
「――――、」
一瞬だけ、目が合う。距離が離れているから当たり前だが、僕と彼の間に会話は発生しない。否、仮に距離が近くても、会話は発生しなかっただろう。その少年は視線を外すと、僕から離れた場所に行き腰を下ろした。
その光景を、僕は複雑な気持ちで見ていた。だが、その気持ちを言葉にはしない。
ふいに、予鈴が鳴る音が耳に聞こえた。
「おーっす。おら、さっさと席着けー。あと五秒以内に座らねえと【痺雷】撃つぞー」
「いや、それ教師的にどうなんすか!?」
とある生徒のツッコミを受けながら、教室に担任がやってくる。
――こうして、また一日が始まる。
何でも無い、平穏で平和な日常が。