第06話『黄昏のぬくもり -Part Ⅲ-』
――――そうして、時はあっという間に流れ、気付けば陽が落ちかけていた。
イルのことを知ってる人を探す、という目的の下、一日を使って歩き回った――途中、休憩を挟んだりしながら――僕達だったが……結果は、あまり思わしくなかった。ここまで、誰一人としてイルを知っている人に出会わなかった。
もうすぐ、みんなと集合する時刻になる。今日はここで終わろう――そう、思っていた時だった。
港の近くを通りかかった際、イルが、不意にこう言ったのだ。
『………イル、ここの近くで、目、覚めた』
その言葉は、ここまで何も得ることができなかった僕達にとっての光明だった。イルも、今の今まで忘れていた――というより、思い出せなかったのか、実際に自分が目覚めた場所に訪れて初めて、そのことを思い出したらしい。
なんにせよ、手がかりを得たことには変わりない。
陽が傾く夕刻、イルの記憶だけを頼りに、僕達は港の方へ足を踏み入れた。
……の、だけれど。
「…………あのおじさん、いない」
「いなかったね……」
――イルを知っている人達は、誰も居なかった。
イルを助けてくれたという船乗り達にも出会わなかった。おそらく彼らは再び海へ繰り出したのだろう。元々、名前も判らない人達だ。唯一の手がかりはイルの記憶だけど、それすらもあやふや。だからこの結果は、ある意味当然のことだった。
「仕方ない。今日はここまでにしよう。そろそろ、みんな集合場所に来るだろうし」
「そうだね。イルちゃん、それでいい?」
「………んっ」
少しだけ、落胆した表情を浮かべながら、イルは小さく頷く。そんな彼女の顔を見ると、ほんの少し、心が痛む。
――彼女の力になりたい。そう、僕は思った。
記憶を喪くした少女。そんな彼女に、僕はかつての己を重ねている。
だからこそ、彼女の心情を理解できる。だからこそ、力になりたい。
……焦ることに意味は無い。それは、判っている。
それでも僕は思うのだ。
一刻もはやく、彼女に笑顔を戻してあげたいと。
「じゃあ、帰ろっか」
そう、僕が告げた時だった。
「あれ――……あんた、昨日の嬢ちゃんか?」
僕達の後ろから声をかけてくる、誰かの声。
振り向けば、そこには快活な笑みを浮かべた、人の善さそうな中年の男性がこちらへ近寄ってきていた。
「やっぱり、昨日の嬢ちゃんじゃねぇか!」
「ぁ……おじ、さん?」
「おー覚えててくれてよかったぜ!」
イルがその男性を視界に捉えると、小さく目を見開いた。
どうやら、最後の最後に幸運は訪れたらしい。
「……んで、そこの兄ちゃんと姉ちゃんは――」
「はじめまして、僕はシオンって言います」
「わたしはシアです」
「シオンとシアか! おれはアーロンっていうんだ。よろしくな! ところで姉ちゃん、王女サマと同じ名前たぁ大変だねぇ」
「ええ、そうなんですよ。よく言われます」
そういって、おじさん――アーロンさんの言葉にニコニコ笑って答えるシア。
この動じなさ、流石だった。
「えっと、アーロンさんが、イルを助けてくれたんですよね?」
「おう、そうだぜ。いやー良かったぜ、あの後探したんだが、どこにも見付からなくてな……アンタらがこの子の保護者なんだろ?」
「いえ、正確にはそうじゃないんですけど……」
そこで、僕はこれまでの経緯を掻い摘まんでアーロンさんに話した。
イルが記憶喪失だということ。未だイルが、他人に対し恐怖を抱いていること。僕達はそんなイルの力となるべく、まずはこの街でイルを知ってる人を居ないか探して、現在に至るということ――それらすべてを話した。
「そうか……記憶を……だからあの時、あんなに怯えて――」
アーロンさんはそう呟くやいなや、イルに近付き、しゃがみ込んだ。
同じ目線。イルは固く、シアの手を握っている。
「……嬢ちゃん、名前はイルっていうのか」
「…………うん」
「そうか。――いい名前だ。
安心しな、イル。きっと、いろいろ苦労とか不安とかあるだろうが……なぁに、きっと、最後には笑っていられるさ。そうなるよう、おれたちも協力する。何かあったら、オジサンも頼ってくれていいからな」
「………………うん」
「つーわけだ。おれ達の方でもイルについて探してみる。ちょうど、明日からテヴィエスの方へ行くしな」
「すみません、ありがとうございます」
「なに、乗りかかった船さ。……っと、そうだ。嬢ちゃんに渡さねぇといけないモンがあったんだ」
「渡すもの……?」
「あぁ。ちょっと待ってな」
立ち上がり、船の方――おそらく、彼の船――へ、アーロンさんは歩いて行く。しばらくすると、その手に何か持ちながら、アーロンさんが戻ってきた。そして、手に持っていたソレを、イルに手渡した。
「ほら、コレ」
「………、これ、は………」
「嬢ちゃんを助けた時な、腕に着けてたモンだ。寝かせた時に着けたまんまだと危ねぇと思ったから外しといたんだが……嬢ちゃんが目覚めてから、返しそこねちまっててな。だから今持ってきたんだ」
アーロンさんが手渡したのは、金色の腕輪だった。嵌められた翡翠色の宝石以外の装飾はなく、それゆえにシンプルな美しさがある。
材質は金属……だろうか。判らないが、それに近いモノで作られているにもかかわらず、錆は一切ない。光が反射すると、綺麗な黄金の輝きを放っている。
よく見れば、何か文字が刻まれているが、僕には理解することはできなかった。
「イル、これは……?」
「………わから、ない。でも……なにか、だいじなもの、だった気が、する」
そう言って、イルは腕輪を自らの腕に装着する。
在るべき場所へ帰るかのように、その腕輪がイルの腕へ、嵌まる。
ジッと、腕に収まったそれを、イルは見つめている。
しばらくして、イルは顔を上げると、アーロンさんへお礼を言った。
「……おじさん、ありがとう」
「いいってことよ」
アーロンさんは笑いながら「じゃあおれは明日の準備があるから、この辺で。なんかあったら、またいつでも声かけてくれや」と告げると、船の方へ戻っていった。
「――――、」
再び、イルは腕輪を見つめている。
……あの腕輪が、なんなのかは判らない。彼女に記憶がない以上、確かめることは不可能だ。
けれど――少なくとも、イルにとって大事なものなのだろう。
たとえ記憶がなくとも、彼女の無意識が、そう感じている。
それが、僕は直感で判ったから。
「よかったね、イル」
ぽん、と。イルの頭の上に掌を置く。
「…………、ぁ……………」
イルは一瞬、体を硬直させていたが――やがて、彼女の体から緊張がほぐれていく。
……嫌がられるかと思ったけど、それは杞憂だったみたいだ。
彼女が拒んでいないのを確認すると、僕はイルの頭を撫でた。
優しく―――穏やかに。
そうして、十秒ほど経ったくらいだろうか。
「――イルちゃん?」
シアの、驚きを隠さない声が、僕の耳に届いた。
「…………あ、れ………?」
反射的に、僕はイルの方へ視線を向けると、そこには両の目から涙を流すイルの姿があった。
零れていく、透明のしずく。それは地面へしみを作り、消えていく。
「あれ……? なんで……? イル、泣いてる、の……? なんで――なんで……っ? わかんない……わかんないよぉ……」
「……大丈夫だよ、イル。――理由が判らなくても、泣いていいんだ。それは、心がそうしたいってコトだから」
無意識のうちに、そんな言葉が出てきた。
けどそれは、本当のコトだと僕は思う。
理由なんて判らなくていい。
ただ、感情の赴くままに――衝動を吐き出せばいいと。
そう、僕は思うから。
優しく、僕はイルの頭を、もう一度撫でる。
「ぁ………う、あ………あぁ、ぁ。ああぁ…………っ!」
僕の言葉がキッカケとなったのか、イルは堰を切ったように泣き出す。
泣いて、泣いて――感情を、吐き出す。
不意に、シアがイルへ近付いた。「おいで、イルちゃん」と、声をかけ、そのままイルがシアに抱きつく。シアは黙って、笑みを浮かべながら、イルを抱き返した。
……そんな、やさしい光景を目にすると、僕は海の方を眺めた。
水平線の彼方に沈み征く、茜の陽。
緋と黒が入り混じる、暖かな黄昏。
それを、確かに感じながら――僕達は、イルが泣き止むのを、静かに待っていた。
* * *
どうして、涙が流れたのか。
理由は判らなかった。
ただ、気付いたら、溢れていた。
頭に伝わる感触。
シオンの掌が暖かくて、心地よくて。
――そのぬくもりが、とても、なつかしいモノだと、感じた。
『約束よ。絶対に、何があっても、私があなたを守る』
……こえが、聞こえる。
誰の声かは判らない。姿も、思い出せない。
厭な音がまじって、判らない。
けど、確かに。
己にとって、大切な、だれか。
それだけは、わかるから。
……あぁ、つまるところ。
この涙の理由は、それなんだ。
遠い残響。
なつかしい、温もり。
喪くした欠片に、少しだけ触れて。
ソレがわからないことに、涙する。
……そんな自分を、やさしく受け止めてくれたひと達。
船乗りのおじさん。
シアや、アンジェ。
ロートと、フィリアと、リオや、エメ。
そして…………シオン。
彼らのやさしさは――理解できたから。
悲しいけど、嬉しくて。
よけい、涙が溢れてくるのだ。
――――ええ。その気持ちを、見失ってはいけませんよ。
聲が、聞こえた気がした。
さっきのモノとは違う、なにかの聲。
でも、そんな些細なコトは、すぐにどうでもよくなった。
だって、いまはただ……この感情を、吐き出したかったから。
彼方へ落ちていく、夕陽。
茜色の陽が、こちらを照らす。
――まるで、見守るかのように、腕に嵌めた金色の腕輪が、きらりと光った。




