第05話『幸福な刹那/淡い恋想 -Part Ⅱ-』
――さて。そうして幕を開けた大勢での休日。
そのはず、だったが。
「ねぇシオンくん」
「なんでしょうか」
「君が昨日言ったコト、覚えてる?」
「……デートの埋め合わせは絶対する、というコトについてでしょうか」
「せいかーい」
にこにこ笑いながら、僕の右隣を歩くシア。そのシアの隣にはイルが、彼女と手を繋いでいた。
今、この場には僕とシア、そしてイルの三人しかいない。
……そう、三人だ。
「………もしかして、そのために幾つか別れようって言ったの?」
「まっさかぁ。するんなら堂々と言うよ。『わたしはシオンくんとデートしたいのでいくつかのグループに別れたいです!』って」
「僕が恥ずかしいからやめて!!」
そう――僕がみんなに声をかけ、いざ出発……という時にシアが『幾つかで別れた方が効率的でいいんじゃない?』と言ったのだ。
僕を始めとする他のみんなも、シアの提案に納得し、グループ分けをして――現在に至る。
ちなみに分かれ方としては、僕とシアとイル。リオとエメとアンジェ。ロートとフィリア先輩だ。
先に女子陣が三グループに別れ、男子三人に三つの手それぞれを割り当てる。そして、女子グループが同時にそれぞれが異なる手が出るまでジャンケンを繰り返し、出た手に応じた男子がそのグループに入る――という、完全な運による分け方だったのだけれど……そうであるにもかかわらず、僕はシアと組んでしまっていた。
「なんという運命力」
「ちーがーうー。そこは愛の力、だよ。愛の力で、君を引き当てたの」
「う……」
「ふふっ、照れてるの?」
「……シアってさ、僕のことからかうの、好きなの?」
「だってぇ、可愛い反応するから、つい……ね?」
「ね? じゃなくて……あぁもう」
……くそ、良いようにイジられてる。
昨日だって、今までだってそうだ。このままイジられ続けるのは彼氏として負けているし、男の威厳的な何かも失われてる気がする。
――そうだ、男を見せろ、シオン・ミルファク。
今こそ、一矢報いる時――!
「今こそ、一矢報いる時――とか、わたしに仕返ししようとか思ってるでしょ」
「なんでわかるのっ!?」
「わたしはシオンくんのことなら何だって判っちゃうのです」
完全敗北だった。
やはり僕は、シアに敵わないのかもしれない。
「……シア。シオン、どうかした、の?」
「んー? シオンくんはね、いまわたしに負けちゃったの」
「……シオン、まけちゃったの?」
「そうなの」
「シアが、つよい?」
「ええ、わたしが強いわ」
「……シオン?」
「……何かな、イル」
「………………がんばれ?」
「うん……頑張るよ……」
年下の子供に慰められるこの惨めさ、理解できるだろうか?
そんな、他愛も無い会話を交わしながら、僕達は街中を歩く。しかし、未だイルを知っている人には出会わなかった。
イルへ、視線を向ける。
最初は、道行く人とすれ違う度、イルは過剰なまでに反応していたが、今では少し慣れたのか、最初ほどひどくは無くなっていた。
――だからこそ、考える。
いったい何が、彼女をあそこまで恐怖させたのか。
直感だけれど、イルの恐怖の理由は、単純に人見知りだとか、そういう類のモノではない。
アレはおそらく、何者かによって刻み込まれたモノ。
心の奥底に植え付けられた、恐怖。
トラウマ、と言い換えてもいいかもしれない。それくらいの出来事が、かつての彼女を襲ったのだ。
そして、たぶんそれが、イルの記憶喪失の理由に繋がると、僕は思っている。
……なんて、憶測だけの思考にたいして意味が無いことくらい判っている。
それでも、僕は思うのだ。
きっと、本来のイルは、先ほど僕が会話を交わしたように、他者を気遣える少女で――とても、優しい子なのだと。
出会ってまだ一日と少し。そんな間もない時であるにかかわらず、イルは僕を信じてくれた。きっと、怖かったはずなのに。
だからこそ、守りたいし、彼女の力になりたい。
そう、僕は思うのだ。
「……ね、シア?」
不意に、イルがシアに話しかける声が、僕の耳に届く。
「ん? どうしたの、イルちゃん?」
「…………あれ、なに?」
そう言ってイルが指差したのは――
「……アイスクリーム?」
数年前に流行り、今ではすっかり僕達シーベール人にもお馴染みになった、商業国アゥキドンが作りし甘味――アイスクリーム。それを販売している露店が、僕達の目の前で店を構えていた。
「………たべもの?」
「うん。すごーく、甘くて美味しいんだよ」
「…………あまい、の?」
「後は冷たい、かな」
「つめたくて……あまい………」
「……買ってこようか?」
「………いいの?」
「もちろん。休憩もしたかったし、ちょうど良かったよ。じゃあ、ちょっと待っててね」
僕はそう告げると、駆け足で露店へ近付く。三人分の代金を払い、品物を受け取ると、僕はイル達の下へ戻った。そして、手に持っていたアイスクリームを、シアとイルに手渡す。
「お待たせ。はい、イル。それと、シアも」
「ありがと、シオンくん」
「これくらい全然」
「…………これが、あいすくりーむ」
そう呟きながら、イルは受け取ったアイスクリームをまじまじと見つめている。
「初めて食べる……のかな?」
「………わからないけど、たぶん、はじめて」
そう言って、ジッとアイスクリームを数十秒ほど眺めていたイルだったが、やがて意を決したのか、ちろりと。舌先でアイスクリームを少し舐めた。
「…………!」
ぶんっ、と。イルの顔が僕とシアの方へ振り向く。
その目は、一見変わらないのだけれど、どこかきらきらしていて、興奮を隠しきれていなかった。
……なんとなく、耳とか尻尾が生えてたらぶんぶん振り回したり、揺らしたりしてそうな様子だなぁという印象を受けた。
「どう、感想は?」
「………………あまい、つめたい。………おいしい」
「うん。それなら、よかった」
再び、イルはアイスクリームを夢中になって食べ始める。そんな彼女の様子がとても可愛らしく思えて、僕とシアはつい、一緒になって笑っていた。
「ふふっ……」
「ははっ」
「………? どうして、わらってるの?」
「んーん。なんでもないよ。……ほら、イルちゃん。お口のまわり、付いちゃってるよ」
「ん……ありがと」
シアは屈むと、持っていたハンカチでイルの口許を拭っていた。
……なんだか、母親みたいだ。
だとしたら、僕が父親……? というより、それはもはや――
「……なんか、こうしてると家族みたい」
「っ、ごほごほっ!!」
「きゃっ! もう、いきなり咽せてどうしたの?」
「い、いや……さっきの……」
「さっきの、って………えっ?」
僕がそう言うと、シアは何かに気付いたのか、僕に尋ねてくる。
「えっと……わたし、声に出してた?」
「……………うん」
「…………~~~~~っ!!」
シアの顔が、赤い果実のようにたちまち赤くなっていく。
「あ、あ、あ、ぅううう…………」
「し、シア?」
「見ないでぇ……はずかしい………」
顔に片手をあて、背を向けるシア。
「………………そりゃあ、いつかはそうなったらとは思うけど…………うぅ、よりにもよって一緒にいる時に聞かれるなんて……はずかしい…………」
「? ごめん、今なんか言った?」
「言ってない!! なにもいってないからぁ!!!」
「……シオン。シア、どうか、した?」
「うーん……イルにはちょっと、判らないかも」
「……?」
疑問符を浮かべながら、イルは食べるのを再開した。そんなイルを視界の端に捉えながら、僕はシアに近付き、声をかける。
「あのさ、シア」
「え……?」
「……その、こんなこと言うのはちょっと僕も恥ずかしいけど……僕も、同じコト考えてた」
「―――………、」
ぽかんとした表情で、シアは僕を見つめる。
蒼穹色の瞳が、僕を捉える。
一秒、十秒――たったそれだけなのに、随分と長く感じられた。
やがて、シアが口を開く。けれどその語り先は僕ではなく――隣にいたイル。
「………ねぇ、イルちゃん」
「? なに?」
「………今度はわたしが、シオンくんに負けちゃった」
「……そうなの?」
「もー………無自覚にこういうコト言うからほんと卑怯い…………好き………」
「……………がんばれ?」
シアは屈んだまま、小声でイルと会話している。
……微妙に何言ってるのか判らない声量での会話。
内容は気になるけど、探るのはやめておこう。
「……こほん。シオンくん」
「なんでしょうか」
「………デートの埋め合わせ、しっかりと頂きました」
ぺろりと。アイスクリームを舐めながら。
赤い顔のまま、小さく呟くシアは――どうしようもないくらい、可愛かった。
穏やかな青空の下。喧噪に包まれた街の中。
たったひと時だけ。当初の目的を忘れて。
僕とシアとイルは――賑やかな休日を過ごしていた。
……他のみんなはどうしてるだろうか?
* * *
――同時刻。別の場所にて。
リオ・ウルフェン、エメリア・フェイツェ、アンジェ・ミルファクの三名は『イルのことを知っている人を探す』という目的の下、街中を歩いていた。
「センパイ」
「なんだ、後輩よ」
「さっき、ずっと思ってたんですけど………イルちゃんのコト、危ない目で見てませんでした?」
「見てねぇよッ!!」
……尤も、その歩いていたの前には、『リオとエメがじゃれ合いながら』という言葉が付くが。
「あ、あはは……」
そんな彼ら二人の相変わらずな様子に、アンジェは思わず呆れ笑う。
――アンジェ・ミルファクにとって、この二人は大事な友人だ。
特にエメは、アンジェの親友と呼ぶべき存在であった。
ゆえに、親友がどうして、リオをからかうのか、その理由も知っているわけで。
「あー、もういい。オレ、ちょっとあの辺に行ってイルちゃんのこと知ってないか聞いてくる。おまえらはこの辺りを探しててくれ」
「ぁ………」
「? なんだよ、急に黙って」
「……いいえっ、別に! ただロリコンのセンパイが居なくなってやったーって喜んでるだけですっ!」
「は? ロリコンじゃねぇし」
「いーえ、だってロート先輩から聞きましたもん。センパイはちっちゃい子に興奮するって。だからあたしも、そんな目で見てるって聞きましたもんあたし!」
「あいつ後でシメよ。つか自覚あんのかよ、おまえの体が貧相って」
「っ……センパイのえっち。そんなコト、女の子に言わないでくださいよ」
「ロートもおまえに言ったんじゃねぇのかよ……」
「ロート先輩は忠告なのでセクハラじゃないです」
「清々しいまでの差別」
流れるように、互いに遠慮無く言い合う二人。そんな言い合いも、そこで一区切り付くと「じゃあオレは行くからな。また後で」と言って、リオはエメ達から離れていった。
(……やっぱり、相性がいいですね。この二人は)
そんな二人の様子を見た後、アンジェはそう思った。完全な運任せによるグループ分けだったが、それにもかかわらずこの二人が組むというのは、やはり運命的な何かがあるのかもしれない。
……本音を言えば、アンジェもシオンやシア達と一緒に行動したかったが、現在の彼らの間に割って入るのは、少し無粋というものだろう。アンジェは弁えることができる女なのだ。
――だからこそ、今わたしがすべきコトは、不器用な親友の手助けでしょう。
そう思いながら、アンジェはエメに近付き、声をかける。
「エメ」
「うー………アンジェちゃあん………またやっちゃったぁ……」
「はいはい。もう、相変わらず不器用なんだから」
後悔という感情を顔に浮かべながら、アンジェに泣きつくエメ。そんな彼女を、アンジェは優しく受け止める。遠慮の無い距離感に二人は戸惑うことはない。それは、互いが互いを親友同士だと思っている証拠だった。
「少しは自分に素直になったら? そんな感じじゃあなた、空回るだけで終わるわよ?」
「わかってるよぉ……でも、うぅ……」
アンジェの口調はいつもの敬語ではなく、砕けたもの。彼女が敬語じゃなく話せる相手はエメだけであった。
「――まぁ、好きなひとの前だと、本音を隠しちゃうって気持ちは、判らないわけじゃないけどね」
「あー! あー! はっきり言わないでぇ!!」
アンジェがそう告げると、エメは顔を真っ赤にしながら叫んだ。一瞬、周囲の視線がこちらへ向くが、次の瞬間には興味を失ったかのように視線が離れていった。
――ここまでの反応で判るだろうが、エメリア・フェイツェはリオ・ウルフェンに好意を寄せている。
それは、友人としての好意ではない。一人の男性として、エメはリオに親愛の情を抱いていた。
……しかし、エメとリオの会話は常に、先のような感じになる。それは、エメの思考と性格が原因であり――そして同時に、それが彼女の悩みの種となっている。
「つまるところ、『照れ隠し』よね、あなたがリオさんをからかうのは」
エメがリオをからかう理由。それは、アンジェが言ったように照れ隠しだ。
好きの裏返し。好きだからこそ、からかって誤魔化す。
言ってみればそれは、一種の愛情表現なのだけれど――とはいえ、それを当人に気付けという方が難しいだろう。なぜならばそれは、リオからしたらただの『じゃれあい』にしか過ぎないのだから。
ただの友人との、ふざけた会話――そういう風に、彼は思っているだろう。
けれどソレこそが、エメの悩みだったのだ。
――エメだって女の子だ。好きなひとには可愛く見られたいし、思われたい。
自分を女として見て欲しい、異性として意識してほしい――そういう願望だってある。
ある、のだけれど……
「どうしてからかいに走っちゃうのかなぁ」
「仕方ないじゃん……センパイ、いじると良い反応するんだもん」
「前から思ってたけど、エメって少し加虐的なとこあるわよね」
「違うよぅ。……そりゃあ、シオン先輩とかにもふざけたりすることはあるけど、あれはそういうのじゃないし……センパイだけだよ、あたしが、あんな風にからかうのは。他の人には、あんなコトしないもん」
「それくらい素直になれたらリオさんの反応も変わると思うんだけどなぁ」
「うぅ~……」
エメという女の子は、どうしようもないくらい不器用だった。
「―――、」
――そんなエメの様子を見て、アンジェは思う。
果たして、彼女にこんなことを言う資格が、自分にはあるのかと。
エメは、不器用ながらも触れている。そう在ることを、望んでいる。その先に、望んだ未来があることを願っている。
そこが、既に己と異なっていて。
……だからエメはすごいわ。だって、わたしはもう――
「アンジェちゃん? どうかした?」
「ぁ……ううん、ごめんなさい。少し、考え事しちゃってた」
「えぇ~……今はあたしのことを考えてよぅ」
「だからゴメンってば」
思考を中断する。
ソレはもはや、要らないモノ。意味を成さなくなったモノなのだから。
その思考を、心の奥底に、仕舞い込んだ。
「――さてっ、わたし達もイルちゃんのことを知ってる人探し、続けようか。……そうだ、少し休憩がてら、リオさんが来るまで、そこのお店でも見てない? きっと兄さん達も休憩してるはずだわ。――もちろん、話の続きをしながら、ね?」
「! これこそはガールズトーク! いやっ、ガールズデート!」
「ふふっ、じゃあ行きましょ」
笑いながら、アンジェとエメは歩き出す。
リオが戻ってくるまでの間の、ほんのひと時。
彼女達もまた、彼女達なりの休日を過ごしていた。
* * *
――そしてまた、同時刻、異なる場所にて。
「――」
「……」
ロート・ニヴェウスと、フィリア・クロヴァーラは、共に街中を歩いていた。
けれど、その歩幅は同じではなく、ロートが少し一歩先を行き、フィリアその後ろを歩いていた。時折、ロートが後ろを振り向いては、ちゃんとフィリアが付いてきているかどうか確認している。その視線に対し、フィリアは小さく頷いた。
彼らの間に会話はない。シオン達と別れて以降、そこに在ったのは沈黙だけだった。残り二グループが三人組なのに対し、こちらは二人組。ゆえに、あまり面識がない彼ら二人において、この状態はある意味当然の結果だったのかもしれないが……
「―――」
「………」
しかし、彼らの間に漂う沈黙は初対面ゆえのそれではない。
言葉に表わすならばソレは――そう、気まずさゆえの沈黙で。
「―――――、」
「……………、」
まるで、久しぶりに会った知人に対し、何を話せばいいのか判らない――そんな雰囲気を漂わせたまま、かれこれ二〇分近く、彼らは街中を歩いていた。
だが、そんな空気にも、やがて限界が訪れた。
「――――なぁ」
不意に、ロートが立ち止まる。そして、後ろを振り向くやいなや、面と向かって、フィリアに声をかけた。
ロートが浮かべているのは、意を決した表情。
フィリアが浮かべているのは、緊張の表情。
そして――ロートが、次の言葉を口にする。
「……その、なんだ。久しぶり、でいいか。フィリア」
「……………うん、久しぶり、ロート」
そう言って、フィリアは緊張の表情を崩し、笑みを浮かべた。
――ロート・ニヴェウスという少年は、天涯孤独である。
かつて、非魔導宗教組織『天辰理想教』により故郷を滅ぼされ、ロートはすべてを喪くした。死を待つだけだった少年は、シオンの父であり、『英雄』と謳われたグレン・ミルファクに救われた。
だが、天涯孤独であり身寄りを無くしたことには変わりない。幼いロートには、まだ一人で生きていける力は無かった。
ゆえに、ここで出てくるのが、現在の彼の育て親であるエリザ・ルーフスだ。当時王国魔導師団員だったエリザは、彼を引き取って養子にし、現在に至るまで育ててきた。
現在、ロートとエリザは魔導学究都市アルサティアに住んでいる。が、それはロートが魔術学院に進学するにあたっての移住であり、それ以前はシーベールの王都である『ソニアベルク』に住んでいた。
そして――そのソニアベルクで過ごした時代にこそ、彼ら二人の関係の、答えがある。
「……こうやって、おまえと二人で会話するのは久しぶりだな」
「いつぶり、かな? 私がアルサティアに行っちゃった以来だから……三年か、四年ぶり、くらい?」
「ま、それくらいだろ。久々すぎて、何話せばいいか判らねぇくらいだからな」
「確かに。……でも、ロートから声かけてくれて嬉しかったよ? 私ほら、こんな性格だから、自分からいくのって、やっぱり緊張しちゃって……」
「知ってる。だから俺から声かけたんだろ。……小さい時から知ってるんだ、おまえの性格くらい、判ってるつもりだ」
「っ………う、うん。ありが、とう………」
そう――ロートとフィリアは、いわゆる『幼馴染み』という関係なのだ。
在りし幼少の日、ロートとフィリアは王都ソニアベルクで出会った。フィリアが年上で、ロートが年下。少し年齢が離れた二人であったが、何度も会話し触れ合う度、そんな差など関係が無くなっていた。
しかし、年齢的にはフィリアが上だが、何をするにしても、幼少の時から先導していたのは、ロートの方だった。
フィリアという少女は生来の極度な人見知りだ。それゆえの内向的な性格。初対面の相手ではハッキリ喋ることは不可能だし、何においても常に消極的だった。
そんなフィリアに対し……ロートは、ただ彼女の先を歩いた。
ただひとこと、『行くぞ』と声をかけて。
フィリアも、先に歩くロートの後ろを付いていった。時折、ロートが後ろを振り向いては、フィリアがいるかどうか確認する。フィリアも、彼の視線に頷く。
先ほど、そうしていたように。
一歩を先を行くロートと、その後ろを歩くフィリア。
これが、彼ら二人の関係だった。
だからこそ、その信頼は厚い。
その証拠に、フィリアの口調は砕けた、柔らかなモノ。先ほど、全員で集まった時のような、人見知りゆえの緊張は消え失せている。さっきまでの緊張も、一時的なものだったようだ。
フィリアにとって唯一、異性であっても心を開くことができる相手――それこそが、幼馴染みであるロート・ニヴェウスだった。
「……でもほんと、久しぶりだね。顔だけは、何回か見かけてたけど」
「俺が学院に入学してからも、話す機会はおろか、会う機会すら無かったからな。――いつの間にか、王女様の護衛兼お付きとかいう大層なコトやってるし、尚更だろ。というかおまえに任せるなんて、人手不足なのか、おまえの所属してる組織は?」
「そ、それは言わなくていいじゃない……もぅ……身の丈に合ってないってコトは、自分が一番わかってるもん……」
「冗談だって。ま、頑張れよ。――夜天星辰王国魔導師団の、魔術師さん?」
何気なく告げられたロートの言葉。そこには、とある事実が含まれていた。
――夜天星辰王国魔導師団。それは、魔導国シーベールを守護する最強の盾にして矛。数多ある魔術師の中から選ばれた精鋭の集団である。
団を構成する魔術師の全員が《王級》以上の階級であり、彼ら一人の実力をとっても、並の魔術師では敵わないとされている。
そんな組織に――フィリア・クロヴァーラは所属していると、ロートは告げたのだ。
考えてみれば、当然のことでもあった。シア・シーベールは王女である。ゆえ、その身は常に危険と隣り合わせ。いくらシア自身が最高クラスの魔術の腕を持っていたとしても、時と場合により彼女が敵わない相手も現われる。そんな時こその護衛。それが、王国魔導師団の魔術師であるフィリアだった。
同性かつ年齢も近いフィリアは、学院においてシアを護衛するに打って付けの存在であった。ゆえに王国魔導師団の上層部は彼女を特別任務にあたらせた、というわけだ。
――過去に、シアが悪漢達に襲われるという事件があった。あの時は、シオンとロートが偶然にも通りかかり救出したことで一大事にはならなかったが……たとえ、彼らが居なくとも、あの場はフィリアが駆けつけてシアを救出していただろう。確かに、一度はシアを連れ去られたという失態はあったが――それでも、その汚点を払拭するほどの能力を、フィリアは有している。
そうでなければ、王国魔導師団は務まらない。
いずれにせよ、過程が違うだけで、あの時の結果は定まっていた。
「おまえが進学せず、王国魔導師団に入るってなった時は驚いたけど……まぁ、納得っちゃ納得だったよ。才能は、確かにあったもんな。魔導師団側も、おまえの才能を見抜いたんだろうな」
「……それだけじゃないよ。いろいろ、あったの。だから私は王国魔導師団に入った。――とは言っても、進学に関しては、シア様の護衛とお付きって形で学院に来れたしね。だから、シア様にはすごく感謝してるの」
進学という選択をせず、王国魔導師団に入団したフィリアは本来、魔術学院には進学しないはずだった。しかし、シアの護衛兼お付きという特別任務が課せられたことにより、フィリアも魔術学院に入学することになった。
その点に関しては、フィリアはシアにとても感謝している。
「でも、凄いじゃないか、王国魔導師団なんて。グレンさんも、母さ――エリザさんも、そこに居たんだ。俺もいつか、王国魔導師団に入りてぇよ。そんでもって、『黄道十二宮』の人達のような魔術師になるんだ」
遠い憧憬を想いながら、ロートはその言葉を口にする。
『黄道十二宮』――それは、夜天星辰王国魔導師団の頂点に立つ、十二人の魔術師のことだ。
一人ひとりの魔術師をとっても、並々ならぬ実力を持つのが王国魔導師団だが、その中においても取り分け秀でた存在とされているのが『黄道十二宮』と呼ばれる者達である。
今は亡きグレン・ミルファクや、ロートの育て親であるエリザ・ルーフスも、かつて『黄道十二宮』の一人であった。
「……うん、ロートなら、なれるよ。絶対」
「上から高見の見物か?」
「ち、違うよぉ。そんなのじゃないもん……」
「ははっ、判ってるよ。――なぁ、フィリア」
「うん?」
「……その、久々に話せてすげぇ楽しかった。だから――また、声かけてもいいか?」
「……………、」
ぽかん、とした表情で、フィリアはロートの顔を見つめている。やがて、言葉の意味を理解したのか、ボッと顔を赤くすると、慌てながら、返事をする。
「えと、えと、その………もちろん、だよ? ……私も、ロートと話せて、楽しかったから。昔みたいに話せて、嬉しかったから……また話したい」
「――そ、っか。ありがと」
ロートとフィリアは、今日に至るまで、実質的な疎遠状態だった。
意識的なものではない。彼らを取り巻く諸々の事情が、そうさせていただけ。
けれど――心の奥底では、ロートはフィリアと話をしたかった。
幼馴染みである彼女と、もう一度。
それは、フィリアも同じことで。
だからこそ、今日という日に、ロートはある意味感謝していた。
目的は、別にあるけれど……それがなかったら、ロート達の道が交わるのは、まだ先のコトだったから。
――それに、シオンを見てたら、俺もこのままじゃダメだって思ったんだ。
ロートは考える。
胸中に在る淡い感情。それから目を背けるのは――やはり、ダメだと思ったから。
――少しずつでいい、俺も、進んでいこう。
未だ、実らぬ淡い心だけど。
ようやく、向き合う覚悟ができたから。
ごーん――……ごーん――……
鐘の音が、聞こえる。
学院の敷地内にそびえたつ時計塔へ目を向ければ、針が指し示す時刻は午後の三時。
「あ…………」
不意に、フィリアが声を漏らす。何ごとかと思い、フィリアの方を向けば、彼女は別の方向を見ていた。
フィリアの視線を追う。
その先には――噴き上がる、水の柱があった。
「噴水が噴き上がる時間、か……」
いつの間にか、街の中心近くまで来ていたらしい。
街の中心の広場にある巨大な噴水。そこは、一種の見世物という体で、一日に四回ほど、こうやって高く噴き上がる術式が施されている。巨大ゆえに、噴き上がる高さも中々のもので、最大で十メートルもあるらしい。街中にあるモノとしては、結構なものだろう。
天を突かんと噴き上がる水柱を眺めながら、ロートはフィリアに声をかける。
「――さて、これ見終わったら本当の目的、果たすとするか」
「………うんっ」
少年と少女が、二人。
他の人達からすれば、なんてことのない、ありふれた光景だったとしても。
彼ら二人にとっては、この上なく大きな意味を持った、ひと時の日常。
そんな休日を――彼らもまた、過ごしていた。




