第03話『小さなふれあい -Compassionate-』
「――で、今に至るというワケね」
「そういうことです……」
……というわけで。
場所は外ではなく、僕の家。少女を背負ったまま、僕はシアとの待ち合わせ場所まで赴き合流したあと、少女を介抱するため、ひとまず僕の家まで向かうことになった。現在、彼女は僕のベッドの上で寝かせている。
……つまり、デートは中止となったわけだ。
「ところでシオンくん。わたしは怒っています」
「…………………はい」
「待ち合わせに遅刻したと思ったら、なぜか小さな女の子を背負ってるし、しかもその子はぼろぼろだし、『あぁ、わたしの彼氏が犯罪者に……』って思ったんだよ、わたし?」
「ほんっっっっっとすみません。埋め合わせはいつか絶対にします」
「言質取ったからね? まぁ怒っているのは嘘なんだけど」
「嘘なの!?」
「わたしは寛容な女ですから」
してやったり、といった表情を浮かべるシア。
……相変わらず遊ばれてるな、僕。
もはやこの扱いに関して諦めつつあった。たぶん、このひとには――いろんな意味で――一生敵わないだろう。
「そもそも、シオンくんが犯罪ことしないって信じてるしね。――それに君はもともと、困ってる人間を放っておけない性質の人間だもの。それがたとえ、見知らぬ少女であったとしても、君は優しいから、きっと助けようとする。
わたしの知るシオン・ミルファクは、そういう子だから」
――ほら、こういうトコとか、絶対に敵わない。
ともすれば、僕より僕を理解しているのではないかと思うくらい、シアは僕という人間のことを判っている。
それが、とても嬉しくもあり――同時に、彼女に釣り合うくらいの男にならねばと、改めてそう思う。
「ってことで、わたしもシオンくんの手伝いをしようと思います」
「でもシアに迷惑を…………、いや、よろしくお願いします」
「素直な子は好きよ、わたし」
にこにこと、シアは笑う。
……だって、断ろうとした時、むすっとした表情を浮かべられたら、断ろうにも断り切れないでしょ。
内心、そう思って――同時に、そんなシアを可愛いなぁと思いながら――いた瞬間、不意に、コンコン、と。ノックが鳴った。
「兄さん? 入りますよ?」
「うん、いいよ」
ドアが開く、そこには銀髪の少女――僕の妹であるアンジェが、タオルや服を手に抱え立っていた。
「とりあえず、その子の着替え持ってきましたけど……」
「ありがとう、アンジェ。それと、ごめん。いろいろさせちゃって」
「いえいえ、いいんですよ? 全然気にしてませんし」
「アンジェ……」
笑顔を浮かべ、そう告げるアンジェ。
つくづく、僕はいい妹を持ったと実感する。ほんと、僕には勿体ない。
「アンジェちゃん。こんにちは」
「シアさん。こんにちは」
二人が挨拶を交わす。
僕とシアが付き合い始めてからというものの、二人は急激に――といっても、話を聞く限り前から兆候はあったようだが――仲良くなった。
まるで、姉妹のよう――僕は、二人を見てそう思った。何にせよ、二人が仲良くなるのは僕としても嬉しいことだ。
「それで、この子は、いったい誰なんですか?」
「そうだ、アンジェにも説明しなきゃだった」
僕はアンジェに、この子について掻い摘まんで説明する。
「なるほど……では、とりあえず目覚めるのを待つしかないですね」
と、アンジェがそう告げた瞬間。
「ん……んぅ……」
ベッドの上――つまり、少女を寝かせていた場所から、声が聞こえた。
それはつまり、少女が起きようとしていることに他ならないわけで。
「あ、ぅ……ここ、は……………」
「目、覚めた?」
「ぇ……?」
一番近くにいたシアが、少女に話しかける。少女はぱちぱち、と瞬きし、シアの顔を数秒見つめる。
「~~~~~~~~ッ!?!?!?」
だが、次の瞬間、少女はガバッと起き上がり、壁際の方へと逃げるように移動した。突然の事態に、僕達は面食らう。
「…………だ、れ……なの……?」
おそるおそる、といった感じで、少女がか細い声でそう尋ねる。
その体は、よく見れば震えていた。
「―――――、」
目覚めたら知らない場所にいた――それだけでも、怖がるに値する状況だろう。けれど僕には、彼女の恐怖の理由が、それではない気がした。
……とても怯えた眼だった。何かに恐怖し、その感情が消えないまま、彼女の心に居座っているのだろう。僕はそう、直感する。
だから僕は、怯えさせないよう、努めて優しい声で、自分の名前を少女に教える。
「……僕はシオン。ねぇ、君の名前は?」
「な、まえ……なまえ……」
俯きながら、視線を左右に彷徨わせ、少女は呟く。
「…………イ、ル…………」
「イル、か。姓は?」
「………………わから、ない」
「えっ?」
「………わからない、の…………イルが、なんでこんなところにいるの、か………イルが、だれなのかも……ぜんぶ、わからないの………」
「―――、」
そのとき、僕の脳裏にあることが過ぎった。
「……シアさん。この子、もしかして……」
「うん……たぶん、記憶喪失だと思う」
――記憶喪失。それは、現在の僕に当てはまることでもあった。
記憶の欠落。あるべきはずのモノが、見当たらず、思い出せるはずのモノが、思い出せない。
自分が何者であるのか判らない、不明瞭な状態。
……不意に、想起される、昔日の記憶。
幼き日、己に記憶がないとわかった時、僕は不安定な状態に陥った。
相手は僕を知っているけど、僕は相手を知らない。そんな認識の不一致が、僕を苛ませた。
そして何より――自分が誰であるのか、自分でも判らない。得体の知れない恐怖。それが、イルを今も襲っている。
……そう、僕は、それを知っているから。
今のイルの心情を、僕は痛いくらいに理解することができていた。
「――――、」
……イルの小さな姿に、過去の面影が見えた。
恐怖に震える弱き過去の自分。己を理解できず苦しむ自分。
昔日の幻影が、不意に現れ、そして消えた。
思い返す。
あの時――――僕は、どうやって、この恐怖を乗り越えたのだったか。
チラ、と。アンジェを見る。
……そうだ。隣に、この子がいたから、僕は乗り越えられた。
アンジェが――周りに優しい人たちがいたから、その暖かさに背を押され、今の己を受け入れた。
――それはつい最近だって、経験したこと。
だからこそ、僕は――
「……イル」
「ひぅっ……」
僕が少女の――イルの名前を呼んだ瞬間、イルはびくっと肩を震わせる。
「――落ち着いて。僕は君に何かしたりしない」
「や……あ、ぅ………ほん、と……?」
「もちろん。僕も、そこにいる彼女達も。君を傷付けたりなんかしない」
かつて、僕の周りにいた人達がしてくれたように、僕も彼女に、優しく接する。
怯えさせないように、怖がらせないように。
「………どうし、て?」
――どうして、助けてくれるの?
内容を省いた問いを、イルが怯えた眼で伝えてくる。
「……どうやら僕は、困ってる人を放っておけない性質の人間らしいんだ。君を助けたい。理由なんて、ただそれだけだよ」
そう、結局の所、僕は彼女を放っておくことができない。
かつての自分とイルを重ねてしまったことも、理由のひとつではあるのだろう。けれど、もっと根本的なところで、シオン・ミルファクが困っている他人を見捨てる、なんて選択は有り得ないのだ。
なぜなら、僕の根幹にあるのは、憧憬である父だから。
数多の人々を救おうとし、数多の人々を救ってきた、紛れもなく英雄であった父の姿が、今の僕にも残っている。
その想いが、今の僕を形成している。
……なんて、ロートあたりが聞いたら「いや、そうじゃなくても、おまえは甘すぎるんだよ」って言われそうだけど。
とにかく。
僕はそういう人間であり、そうである以上、イルを見捨てることはできなかった。
「ぁ……う、」
イルは視線を彷徨わせている。僕の言葉が本当かどうか、判らないのだろう。するとここで、シアがイルの下まで近付いていった。
「イルちゃん。わたしはシアっていうの。こっちの銀髪の子は、アンジェちゃん」
「アンジェっていいます。よろしくお願いしますね」
「……………シ、ア? アンジェ……?」
「うん。――ねぇ、イルちゃん。このひとの言ってることはね、嘘じゃないよ。このひとはね、底抜けなお人好しだから、心の底からあなたを助けようと思ってる。……わたしも、きっと、アンジェちゃんも、このひとに救われたからね。だから、信じていいと思うよ」
「………―――、」
ゆっくり、イルが僕の方を向く。
けれど、やっぱり俯いて、でもすぐに顔を上げて……それを、幾度か繰り返す。やがて、ゆっくり顔を上げると、イルは僕をジッと見つめる。
茶色の双眸の奥で揺れる心。隠しきれない恐怖の色が、混在している。
そう簡単に、割り切れないというのは、僕がよく判っている。
――だから、待つんだ。
彼女自身の、選択を。
触れるか、触れないか。その二択のうち、どちらを選ぶのかを。
……大きく、息を吸う音。
……そっと、息を吐く音。
そして―――
「………………………シオ、ン」
小さな声で――けれど、確かに――僕の名前を、呼んでくれた。
「ああ。改めて、僕はシオン。――よろしくね、イル」
「………うんっ」
手を差し出す。イルも、恐るおそるだけど、握り返してくれる。
――握った少女の手は、とても、小さかった。
* * *
――イルは、目の前に居るひと達に対し、僅かにだが、恐怖以外の感情を抱き始めていた。
いま現在、彼女の名前以外の記憶がない。
けれど、消えない感情が、心の中に巣喰っていた。
それは、恐怖。
なぜ、自分が恐怖しているのか。
いったい『何』に恐怖しているのか。
その理由は判らない。だが、確かに、ソレは少女の心に在った。
鋭く刻み込まれた感情は、記憶が無い状態であっても、消えないままだった。
それゆえに、少女は恐怖した。
記憶ないことも相まったのだろう。記憶喪失と、理由が判らない恐怖。それは、十歳の少女にはあまりにも過酷すぎるモノだった。
だから――差し伸べられた手を握ることに、ほんの少しだけ、躊躇いがあった。
真っ黒なソレが、その手を握ることを邪魔していた。
だが、少年……シオン・ミルファクは、どこまでも優しいひとだった。
「君を助けたい」と、少年は言った。その言葉に、嘘は無かった。
声色や態度、視線。そのすべてから、暖かさを感じていた。
――――ああ。いつか、どこかで、誰かから、
これに似た暖かさを、感じた気がする。
漠然と、そう感じた。
けど、ソレが何かまでは、判らなかった。
たぶんソレは、無意識の彼方に仕舞われたモノ。
だからこそ、喪くしてしまった、記憶のかけら。
イルという少女は、自分の名前以外を思い出せない。
己が何者で、何故ここに居るのか判らない。
喪くした記憶は無意識の彼方に。
刻まれた恐怖は消えないままで。
幼い少女は、怯えている。
でも――彼の暖かさがあったから。彼から、混じりけの無い暖かさを感じ取れたから。
「………………………シオ、ン」
少女は、震えながらも、彼の手を掴んだのだ。
* * *
自らの生い立ちを忘れた少女は、未だゆりかごのなか。
優しさの根底にあるモノ。暖かな祈り。彼女がそれを識るのは、まだ先のこと。
けれど――今、確かに、彼らは邂逅した。
この邂逅いが、シオンの――そして、イルの運命を変えることになると。
今はまだ、彼らが知る由もなかった。




