第13話『決戦までの日々 -Preparatory period-』
――そうして、終業日がやってきた。
行事を終え、午前の内に学校が終わる。これで晴れて、明日から夏休み。
だが、この先僕を待っているのは、ある意味地獄のような日々だ。しかし、臆していては始まらない。
「――ロート!」
だから、コレは決意表明。
「……なんだ、ミルファク?」
教室から出て行こうとしていたロートを、呼び止める。
「―――休み明け、僕ともう一度、戦ってくれ」
そして、その言葉を告げる。
再戦の意志を、伝えるための言葉を。
「―――――、」
ロートが驚いた様子で目を見開く。彼は何も言わない。ただジッと、僕を視ている。
僕はその視線を――正面から、受け止める。
「……あぁ。これだよ、俺はこれを待っていた」
ロートは小さく、そう呟くと、
「――ハッ。いいぜ。ああ、待っててやるさ。おまえの挑戦、受けてやる」
と、笑いながらそう言った。
「……ありがとう。ロート」
僕も、笑いながら彼を見る。
そこに、以前のような蟠りはない。
だって、もう判っているから。あの悪は、あの離別は、アイツの優しさゆえだということを。
だから、何も言わない。ただ来る決戦の日に向けて、僕は修行を重ねるのみ。
決戦は新学期開始の日。勝負自体はまだ先だが、僕の勝負は今この瞬間から始まった。
終礼を告げる鐘が鳴る。まるでこの鐘の音が、勝負の始まりを告げているかのようだった。
* * *
――。
―――。
――――。
「ううん……先輩、ここ、どう思います?」
「どれ? ――……なるほどね。ここの式をモノス演算じゃなくて、ディリス演算で展開して、算出した値をこっちに……で、制御式をこうやって組みたてて――」
「――! なるほど……流石です、先輩。よくこんなコト思いつきますね……」
「まぁ、自分で言うのもなんだけど、わたしは魔術に関してはたぶんトップクラス……帝級魔術師にも負けないくらいに精通してるって自負があるから。ま、大船に乗ったつもりでいてね。判らないコトがあったらわたしも頑張って考えるから」
「すごく心強いです、シア先輩」
夏季休業に入って、二週間。僕と先輩は毎日のように図書館へ集まり、あるコトをしていた。
それは――――
「それにしても……すごいのは、君の発想だよ。……まさか、固有魔術の開発をしよう、だなんて」
「……はい。アイツのいる場所にはいくためには、これしかないと思ったから」
【固有魔術】――それは、魔術師にとって、ある種の到達点。目指すべき果てのひとつ。
唯一無二の固有の魔術。通常、魔術研究は大人数で行うものだが、固有魔術開発に関しては、己独りのみで一から理論を構築し、魔術詠式を確立しなければならないため、通常より何倍も時間と労力がかかる。それに加え、既存の魔術を何らかの形で超えなければならない。超えることが出来なければそれは既存魔術の劣作でしかないからだ。
「ロートは《超速攻詠唱》っていう固有詠唱を持っている。それくらいしなきゃ、渡り合えない」
固有魔術の創造が、どれだけ過酷で厳しいモノなのか、理解していながら、僕はこの道を選択した。
あの日至った考えを実現するには、コレしかなかったから。
「だから……その、先輩には付き合ってもらって、感謝しかないというか……自分から頼んでおいて申し訳ないというか……」
「もう、まだ言うの? いい、シオンくん。わたしは、わたしがやりたいから、君の手伝いをしてるんだよ」
「先輩……」
「それに、わたしとしても良い経験になるしね。だからシオンくんは、気にしなくていいんだよ?」
「……はいっ。ありがとうございます。――先輩、頑張りましょう!」
「うん! じゃあ、早速。さっき君が言ってた『大小宇宙照応理論』の応用についてなんだけど――」
* * *
――――。
―――――。
――――――…………。
「……、ぁ」
「! 兄さんっ!」
ぐにゃり、と。視界が歪み、その場に倒れかける。しかし、倒れ込もうとした僕をアンジェが支えてくれた。
……とても頭が痛い。気付かない間に、随分と疲労が溜まっていたようだ。
夏季休業に入って、既に四週間が経過した。その間で、僕に休息という休息はほとんど無かった――というより、取ってこなかった。最低限の休息だけとって、残った時間はすべて固有魔術の開発に当てた。徹夜するのもザラじゃなかった。
そんな生活を、四週間みっちり続けてきたのだ。疲れも溜まるに決まっている。
「……兄さん、そろそろ、休んだほうが」
「っ……ごめん、休んでる暇なんか無いんだ。時間は限られてる。だから、無茶なんて前提だった」
「……はい、判ってます。兄さんが、今やっているコトにどれだけ真剣で、必死になっているか――痛いくらいに、判ってます。でも……それで体を壊したら、元も子もないんですよ? だから、せめて今日だけでも……」
「アンジェ……」
「……兄さんがやろうとしていることに、わたしなんかが口を出すことはできません。でも、できるなら――自分を、もっと大切にしてほしいです。兄さんは昔から、他人は守ろうとするのに、自分のことだけは無関心だったから。……きっと、シアさんがここに居たら、そう言うと思いますよ」
「……先輩、も」
「………――あのひとを心配させないためにも、休んでください。お願いします、兄さん」
「………うん、わかった」
――妹にここまで言われてしまったら、改めざるを得ないだろう。
無茶することは、たぶん止められないだろうけど――そうしてしまっては創れない――せめて今日だけは、しっかり休息を取りたい。
「じゃっ、じゃあ! 今日は一日家にいるんですよね! どこにもいかないんですよね!? 一緒にいてくれるんですよね!?」
「うん。そうなる……かな?」
「~~っ。はい、わかりました! じゃあ朝ご飯作ってきますね!」
僕がそう言うと、アンジェは顔を明るくさせ、軽い足取りでキッチンの方へ向かっていった。
あんな機嫌の良いアンジェを見るのは結構珍しいことだ。
……そういえば、一日家にいるのは、随分と久しぶりかもしれない。
以前はもっと、休日はアンジェと過ごすことが多かったのだけど、シア先輩と出会ってからは、そうする機会は――無いわけじゃないけど――少なくなってしまった。
「――よしっ」
今日くらいは、兄らしくしよう――そう決意し、とりあえず僕は朝ご飯ができるまで横になることにした。
* * *
―――――。
――――――。
―――――――――…………………。
「――よしっ、そろそろ終わりにしよっか。さすがにこれ以上やっちゃうと明日に響くし」
「はぁっ……ハッ。そう、ですね……」
「大丈夫? ……って、大丈夫なわけないか」
そう言うと、シア先輩は、床に座り込んでいた僕に手を差し伸べる。僕も、その手を握り返す。
「お疲れ様、シオンくん。わたしに出来るコトはこれまでだよ。わたしが君に与えられるモノは、全部与えた」
「……ありがとうございます、先輩。あなたがいたから、ここまで来ることができました」
「ううん。君の意志があったからこそだよ。本当、お疲れさま。……じゃあ、そろそろ魔導館から出ようか。先生に怒られちゃう」
「はい」
あっという間に時間は過ぎていき、決戦の日は翌日まで迫っていた。
決戦前日。僕と先輩は固有魔術の調整をするべく、ギリギリまで修行していたのだ。
魔導館の扉を開け、外に出る。外はすっかり夜になっており、暗闇に染まっていた。
「送りますよ、先輩」
「うん。ありがと、シオンくん」
学院の門を潜り、帰路につく。そして、並んで歩きだす。
……無言の空気が訪れる。
けど、それは決して気まずいモノではなかった。
「………明日、だね」
「……はい」
この夏季休業の間、やれることはやってきた。望んでいた強さに辿り着けたかどうかは判らないけど、いちおうの完成は見せた。だから自信を持っていい。後は、戦いで力を発揮するだけ。
それは、判っている。
だけど、それ以上に怖さがある。
緊張、と置き換えてもいい。僕は、ロートと再び戦うことに対し、恐れているのだ。
ロート・ニヴェウスいう魔術師は、間違いなく『天才』だ。僕とは比べ物にならないくらい。けど、その強さの裏には、血の滲むような努力があるということを、僕は知っている――いや、知っていた。
思い返せば、ロートと一緒に居るようになってからも、彼は常に自分を戒めていた。努力をしていた。対して僕は、何もしようとはしてこなかった、臆病者だ。
――僕の努力は、ロートの強さの前には敵わないんじゃないか?
――また僕は、負けるんじゃないか?
それが、僕の脳内を占め、心を蝕んでいた。
「――――っ」
体が震える。敗北のイメージが、僕の脳裏に映る。
止まらない思考に溺れていく中、ふと、震える僕の手に触れる、暖かい感触があった。
「シオンくん」
「……先輩」
「……やっぱり、怖い?」
「―――、」
……ああ、やっぱり、敵わないな。このひとには。
「……はい、正直、怖いです。努力しても、僕はアイツには敵わないかもしれない。そう思ったら、どうしても、震えてしまう」
負けることが怖い。それは確かにある。
けど、本当に一番怖いことは、自分の努力が無駄だったと認めさせられることだ。
シオン・ミルファクという魔術師の限界を、思い知らされることだ。
僕はそれが――怖かった。
敗北無くして成長出来ない、とよく言うが、じゃあ敗北したら絶対に成長できるのだろうか。
敗北の先にまた敗北しか無ければ、それはもう、今自分が居る場所こそが、自分の限界なのではないだろうか。
そう、思ってしまう。
「――――、」
先輩には、今の僕がどう映っているだろうか。それを知ることすらも、今は怖い。
「……シオンくん」
数瞬の静寂の後、やがて、先輩は口を開いた。
「シオンくん――……君は今、どうしたいの?」
先輩の問いは、ただそれだけだった。
それは、いつかと同じ問い。
「僕が今、どうしたいかって……」
そんなもの、決まっている。
僕はロートの期待に応えたい。
自分の強さを、証明したい。
――アイツに、勝ちたい。
「そう、思えることが――君の成長の、証だよ」
「え……?」
「確かに、過去の君は、逃げていた。でも君は、あの日自分と向き合って、前に進むことを決めた。そして、文字通り血の滲むような努力をして、今日の君がいる。
ロート・ニヴェウスに勝ちたいって願う、君がいる」
「―――、」
「だいじょうぶだよ。わたし、いつか言ったよね。
怖くてもいい――わたしが、手を引いてあげるから。傍に、いるから、って」
優しく握る手に、力が込められる。
「だから、安心して。――君はもう、過去の君じゃない」
その、花のような笑顔と共に放たれた一言は、僕を落ち着かせるには充分だった。
「……せん、ぱい……」
――ああ、このひとには一生敵わないだろうな。
なんて、そんなことを思いながら、僕は口を開く。
「――先輩。僕、勝ちます。アイツに、絶対」
「……うん。がんばれ。きみなら出来る」
そして、胸の裡で、ある決意をする。
それは、勝利の決意とは別のモノ。勝利を果たした先に成すと決めたこと。
上を見上げる。そこに在るのは、幻想的なまでに美しい星空。
――もう、迷いは無かった。
* * *
シオンが決意を固めている頃――。
ロート・ニヴェウスは、自分の部屋で、シオンと同じように夜空を眺めていた。
「いよいよだ――」
やはり、自分の思った通りだ。シオン・ミルファクがあんなことで折れるような魔術師では無かった。
シオンは、自分の予想通り這い上がってきた。これが嬉しくないわけがない。
明日、ようやく己の認めた相手と戦える。
明日、昔日の約束を果たすことができる。その事実が、ロートを昂ぶらせていた。
「あぁ――楽しみだ」
「そんなに楽しみなのかい? グレンの息子と戦うことが」
と、不意に誰かがロートの部屋に入ってきた。
腰に届くくらい伸ばされた紅の髪。女性にしてはかなりの長身で、事実ロートよりも背は高い。
「……部屋に入る時はノックしろって言っただろ、エリザさん」
「何言ってんのさ。母親が息子の部屋に入るのに遠慮なんかいるかい?」
ロートの部屋に入ってきたのは、エリザ・ルーフス。夜天星辰王国魔導師団の元魔術師で、ロートの育ての親でもあり、第二の魔術の師匠でもある。
「他人のプライバシーくらい守ろうな。それに、俺はアンタの息子じゃない」
「あらら。昔はあんなに「おかーさん」って言ってくれてたのに、時間の流れってのは残酷だねぇ……」
「……別に、嫌いな訳じゃねぇから」
「はは。そうやって素直になれないとこも、アンタの美徳だよ、ロート」
そう言って、エリザはロートの頭を撫でる。
「ああもう! だから子供扱いするのはやめろっての!」
「お母さんからしてみたら、子供はいつまで経っても子供のままだよ」
そう言いながら、エリザはロートの頭を撫でる手を止めない。
「それで、ロート? アンタ、グレンの息子と戦って勝てるのかい?」
「……当たり前だ。そのために、俺は今日まで研鑽を積んできた」
「そうさね。確かに、アンタはそこらへんの魔術師よりかなり強い。それはアタシが保証する。けどねロート、相手はあのグレンの息子だ。没してもなお『英雄』と謳われるグレン・ミルファクの息子だ。……アタシもついぞ、アイツには敵わなかった」
「だからどうした。グレンさんはグレンさんで、アイツはアイツだ。これは、俺とシオンの戦いだ。そこにグレンさんも、もちろんエリザさんも入ってくる余地なんかねぇよ。――いいかエリザさん。俺は明日、シオン・ミルファクに勝つ」
「――よく言い切った。それでこそアタシの息子だ」
わしゃわしゃと、先程よりも強く、エリザはロートの頭を撫でる。
「だぁー! もうやめろっての!!」
「自信を持ちな、ロート。アンタは強い。アタシが十七の時とは全然比べ物にならないくらいにね。だから、明日は頑張ってきな」
「……おう。ありがとな、母さん」
「あ、アンタいまアタシのこと『母さん』って」
「気のせいだ。それより俺はもう寝るから、さっさと出て行ってくれねぇかな」
「はいはい。全く、素直じゃないんだから」
そう言いながら、エリザは部屋から出て行く。
「ったく……相変わらずうるさい人だ」
そう文句を言いながらも、ロートの顔は笑っていた。
ベッドに潜り込み、眠りにつく。
――決戦の朝は、もうすぐそこだ。




