第11話『穏やかな休息 -go on a dateⅠ-』
――週末が来た。
週末。それはつまり、休日。学院に通っている僕らにとっては何も無い、完全フリーな日だ。
普段ならば家で本を読んだり、リオやアンジェと外出したりするのだけど――この日だけは、違った。
「えっと、十二時に噴水前……だよね」
学院の制服ではなく、私服を着て、僕は待ち合わせの場所を目指して歩く。歩きながら、僕はどうしてこうなったのかを思い出していた。
『――今週末、わたしと一緒に出掛けましょうってこと』
『あ、あぁ……そういう』
『? 他に何があるの?』
『いえ、何でも……。――それより、なんで?』
『息抜きよ、息抜き。ここしばらく、ずっと根詰めっぱなしだったからね。気分転換でもどうかなーって』
『なるほど』
『というわけで休みの日、アルサティア中心の噴水前に十二時集合ね。あ、断るのは無しよ?』
――こんな感じで。拒否権など与えられないまま、強制的に外出の約束が取り付けられてしまった。
……いや、断る気なんて全然無かったけど。
そういうわけで、僕はいま約束の場所を目指して街道を歩いていた。
休日ゆえか、普段より人が多い気がする。ちらほら、学院生らしき人々も見受けられる。
(この人混みの中から見付けられるかな……)
そんなことを考えながら、噴水前まで辿り着く。時刻は九時四十五分。十五分前には着いておきたかったので、予定通りだ。
(さすがに、まだ来てな――って、え?)
不意に、視界が暗くなる。それが、誰かの手で目を覆われているということに気付くのに、数秒かかった。
「だーれだっ」
「……先輩、子供じゃないんですから」
その犯人が、待ち合わせていた人だということは、すぐに気付いたけど。
「まったく……先輩、いちおう王女様なんだから、そこの意識を――」
覆われていた手が退き、視界が戻ってきたところで、後方を振り向く。
「―――――――」
そして、言葉を失った。
そこに居たのは、もう見慣れつつあるシア先輩……なのだけど、その様相がいつもと違った。
まず、髪型。腰まで伸ばされた緋色の髪は、普段はそのままストレートにしているのだけど、今日の先輩は耳より低い位置で結ばれたサイドテールで、結んだ髪を肩から垂らしている。
服装は白を基調としたチュニックに、朱色のスカート。シンプルで落ち着いている感じだけど、それゆえにこの服装を着こなしているシア先輩の綺麗さが際立つ。
極めつけは、銀縁の眼鏡だ。これをつけていることにより、普段と全く違う印象を受ける。
「……、」
何というか――すごく大人っぽい感じを、醸し出していた。
もっと言うなら、お姉さんっぽいというか。
とにかく、綺麗だった。
「その……先輩。今日の服装、とても綺麗です」
思わず、そのままの印象を口に出してしまう。そのせいで、月並みな言い方になってしまった。
「……ほんと?」
「嘘じゃないです。綺麗です、可愛いです」
「………えへへ。嬉しい。ありがとう」
そう言って、にへら、と。はにかむシア先輩。
「っ――」
……ほんと、この笑顔は反則だ。
「と、ところで先輩。どうして眼鏡を? それに、髪型もいつもと違うし」
「よく聞いてくれました。――ずばり、変装です」
「変装」
「いちおうわたし、王女様だからね。『お忍び』ってやつだよ。フィリアも置いてきたしね。というかそもそも出掛けること言ってないし」
「えっ、それ駄目じゃないですか……?」
「だいじょーぶ。何かあっても、シオンくんが守ってくれるって信じてるから。今日は君が、わたしのボディガードだよ」
「……っ」
何が何でも守らないといけなくなったな、これ……。
「じゃあ、そろそろ行こっか」
「どこ行くんですか?」
「んー……実は、特に考えてないんだ。気の向くまま、シオンくんと街を見て歩こうかなって思って」
「まぁ、僕は先輩がそれでいいなら、全然構いませんけど」
「なら決まり! ほら、行こう!」
そう言うや否や、先輩は僕の手を掴むと、そのまま歩き出した。
……緊張で手汗がすごいことにならないことを祈るのみだ。
* * *
「……動きましたね。バレないように追いかけないと……」
* * *
――で、歩くこと数分。
「ねぇねぇシオンくん。これなんてどう?」
「い、良いと思います……」
僕と先輩は、服屋にいた。
周りには女の人だらけ。扱う服も、華々しく可愛らしい女性物ばかり。
……そう。僕はいま、女性物専門の洋服店にいた。
この街――アルサティアは、魔導都市であると同時、交易都市でもある。それゆえに、現代で最も栄えている国であるアゥキドンから、目新しいデザインの服だったり、かの国で人気の衣服が頻繁に輸入される。そのため、この街にはこういった専門店が多く立ち並んでいる。
まぁ、そういうのに疎い僕は、今まで全然気にもしてこなかったけど。
(………というか)
はっきりいって、すごく気まずい。周囲の奇異の視線が痛い。学院でもこの手の視線によく晒される僕ではあるけれど、アレとコレでは全然種類が違う。
「むぅ。シオンくん、さっきからそればっかり。ほんとに似合ってるって思ってる?」
「本当ですって! ……だいたい、先輩はすごく美人なんですから、何着ても似合いますよ。学院の制服ですら、先輩が着ると全く違う物に見えるくらいですから」
「……………そっ、そう?」
「そうです」
「ふっ、ふぅ~~~ん」
面と向かってそう告げると、先輩は何やら口をもごもごさせながら、再び衣服が陳列されているところへ歩いて行った。
「そっかぁ、わたし、美人かぁ……シオンくん、そう思ってるんだ………ふへへ」
「……?」
僕の名前が聞こえた気がしたけど、気のせいだろうか?
しばらくして、先輩が戻ってくる。左右の手には、先ほどの服と、別の服が持ってあった。
「――じゃあ、シオンくん。最終決を採ろうと思います。君的に、コレとコレ、どっちが良いですか?」
「先輩が好きな方を選べば――」
「シオンくんが決めてください」
「僕が決めるんですか!?」
「だってシオンくん、わたしだったら何着ても似合うって言ったよね? だったらわたしは、君の好みの服が着たいなぁ」
「なっ……」
なんてことだ。先ほどの発言がまさかこうなって僕に跳ね返ってくるとは。コレが伏線回収というやつか。
「―――――、」
先輩が左右それぞれに持っている服を注視する。
右が、灰色のタックブラウス。左が、センターリボン付きの半袖の白ワンピース。
いずれもトップスの一種であることには変わりないが、どれを着るかで雰囲気が変わるのは間違いないだろう。
先輩が何を着ても似合うというのは本音だ。それくらい、着る人間のレベルが高い。だが、強いてどちらかを上げるとすれば――
「左……です、かね」
今日の服装もそうだけど、先輩は白色の服がよく似合っている。白を着ることで、彼女の緋色の髪が目立つし、何より彼女自身へ目が行きやすい。要は、引き立て役というわけだ。
「ふ~~ん。シオンくんの好みはこんな感じなのね」
「……まぁ、否定はしませんけど」
「なるほどなるほど……うん、じゃあ、ちょっと試着してくるね」
「うぇっ!?」
「……なに、その反応」
「い、いや別に……」
自分が選んだ服を目の前で着られるとか、恥ずかしいにも程がある。だが、先輩は僕の心を知ってか知らずか、そのまま試着室へ入っていった。
不意に、衣擦れの音が耳に入る。僕はそれを聞かないようにするために、必死で別のことを考えていた。
(………そもそも、こんな状況になってること自体おかしいんだよな)
いま、僕と出掛けている相手はこの国の王女様だ。いくら僕と彼女が過去に出会っていたとは言え、こんなことになるだろうか。
(――先輩は、僕のことをどう思っているんだろう)
かつての僕が出逢ったという少女。
今の僕の背中を押してくれた少女。
その二人は同一人物ではあるけれど、僕に限って言えば厳密に同じとは言えない。
だから、今の先輩が僕をどう思っているのか、どうしても気になってしまう。それゆえに、怖いとさえも感じてしまう。
どうして、彼女が僕にここまでしてくれるのか――その疑問は、尋ねようとしても、尋ねきれないままだった。
答えを聞くのが、怖かったから。
(――今の僕は、彼女をどう思っている?)
高嶺の花である王女様? 背中を押してくれた優しい先輩? 過去に出逢った緋色の少女?
胸の裡に燻るこの感情の正体は――何だ?
――――その答えは、あの日、もう出ている。
だけど、今は。その答えを口にしない。
今の僕に、その資格はまだないから。
「シオンくーん? 着替えたから出てくるよー?」
先輩の声が聞こえてきた。どうやら、着替え終わったらしい。
(というかすごく今更なんだけど、これっていわゆるデートという奴なのでは……)
などと思いながら「いいですよー」と返事をする。
シャッ、と。心地よい音を立て、試着室のカーテンが開く。
「コレが、君の選んだ服を着たわたしです。……どうかな?」
そこには、僕の選んだ服を着たシア先輩が立っていた。
「――ええ、似合ってますよ」
その姿は、僕の予想より遙かに――綺麗だった。
「ほんと――お客様、すごくお似合いです!」
不意に、横から聞こえてくる声。そこには店員と思わしき女性が、口に手を当てながら立っていた。
「そうですか?」
「ええ、もちろん。お綺麗ですよ。彼氏さんも、こんな綺麗な彼女さんが居て鼻が高いでしょう?」
「かっ、かのっ……」
「あの、店員さん……僕と彼女はそういう関係ではなくて、ただの先輩後輩です」
「……………………むぅぅぅぅ」
「あら、そうだったんですか……申し訳ありません。ですが、似合ってることには変わりないでしょう?」
「それは、そうですけど……」
「そんな彼女にオススメの商品が他にもございましてですね……」
そのまま、逃げる間もなく、店員さんに他のおすすめ商品を紹介される。そんな会話がしばらく続くと
「では、引き続きお買い物をお楽しみくださいませ」と言って、別のところへ行ってしまった。非常に抜け目の無い店員だった。
「先輩? さっきから黙ってどうしたんですか――って」
「むぅぅぅぅ………………」
「なんで怒ってるんですか……?」
「いいもん別にっ。わたし、お会計済ませてくるから、先に外に出てていいよ!」
「えぇ……?」
そう言うと先輩は――いつの間にか服は元のモノに着替えていた――僕が選んだ服を持って会計カウンターの方まで歩いて行った。
(とりあえず、出るか……)
女心は難しい――そう思いながら、僕は入り口へ向かっていった。
「――?」
ふと、視線を感じて振り返る。だが、そこには誰も居らず、目に入ってくるのは店内に居る女性客だけだった。
気のせいと結論付け、僕はそのまま外へ出ることにした。
――視界の端に一瞬だけ映った銀髪の女の子を、気にも留めないまま、僕は外へ出た。