第10話『知の宝庫、至る解。そして―― -at the library-』
ロートとの模擬魔術戦から、一週間ほど経った。
あれから、僕は少しずつ、前を向き始めた。
その一歩は、本当に小さなものだけど、以前の僕とは絶対に違うと断言できる。
前の僕は、何もしなかった。上辺だけ取り繕い、ただ流されるがまま、望んだ日常を過ごしていた。けど今は、前を向いている。
僕をそう変えさせてくれたのは他でもない――シア先輩の、おかげだ。
『――「大小宇宙照応理論」とは魔術の根幹にある理論である。
大宇宙すなわち世界と、小宇宙すなわち人は、本質的には同一のモノ。全は個であり、個は全。上と下に在るモノが互いに照応しあう。この時、主観と客観――世界と自身の間を媒介するモノ、それこそが「言葉」……つまり、アリスィア語での詠唱である。
魔術という超常現象を起こす。その根底には人間の"意志"がある。人間の意志を世界に押しつけ、叡智星魔教典――すなわち大宇宙の法則を変える手段こそが"詠唱"なのだ。魔術を起こせるのは、ひとえにこの考え方が魔術の根幹にあるためだ。
詠唱を以て、宇宙の法則に"結果"として介入する。これこそが、魔術の本質である』
ここまでの記述を読んで、顔を上げる。
現在、僕がいる場所はこの学校の図書館だ。
鼻腔に入る、図書室特有の紙の匂い。周囲を見渡せば、視界に映るのは大量の蔵書。魔術に関する、あらゆる書物が所狭しと書架の中へと収納されており、通い慣れてなければお目当ての本を見つけるのさえ一苦労する。現に、僕もこの図書室に慣れるまでかなり時間がかかった。
僕は『あること』をやるために、この場所を訪れていた。だが、約束していた人がまだ来ないため、こうして本を読んで待っているというわけだ。
「――お待たせ、シオンくん」
不意に、僕の名前を呼ぶ声が耳に届く。そちらの方を見れば、そこには――
「全然待ってませんよ。シア先輩」
「そう……? でも、待たせたことには変わりないし」
「気にしなくて良いですってば。」
待ち人――シア先輩が立っていた。
「――さてと。じゃあ本日の『修行』を始めましょうか」
「よろしくお願いします」
図書室内にある机。そこに向かい合うようにして座った僕達は、あの日から始めたことを今日も始める。
そう、『修行』――僕の欠陥を治すことを目的としたものだ。
魔術を思うように使えないという僕の欠陥は、魔術師としてあまりにも致命的。ゆえに、まずはそれをどうにかしなければ、何も始まらない。
『マナリング』という道具を使ってではなく、真に己の力で戦うようにする。そのために、欠陥を治す――そう考え、僕とシア先輩は修行を始めたのだけれど……
「と言っても、なかなか解決の糸口が見付からないのよねぇ……」
「ですね……」
ぶっちゃけた話、かなり難航していた。
この一週間、いろいろ試行錯誤を重ねながら修行――例えば、マナリングを使わずに魔術を行使したり――してきたが、そのいずれも良い結果を出すことができなかった。
元々、僕はこの欠陥を背負って十年近くになる。いくら僕自身が停滞を望んでいたとはいえその十年間、解決の糸口が見付からなかった。だからこそ、代替案として『マナリング』があるのだ。今更どうこうしたところで何も見付からないのは明白だった。
(――いや。そう考えるのは駄目だ)
決めつけていては変われない。そう自覚したばかりだ。
何も見付からないかもしれないけど、『何かあるかもしれない』という可能性にかけて、僕は頑張るしかない。
「魔術を使うと痛みが生まれる――僕の欠陥をひとことで表わすと、こういうことなんですよね」
「とすると、考えるべきは、何故痛みが生まれるのか……なんだけど」
「これが何なのかがさっぱりわからなくて、思考は堂々巡りなんですよね」
「うーーん……少し、初心に返ってみようか。ちょっと待ってて」
そう言うと、シア先輩は椅子から立ち上がり、書架の方へ向かっていった。数分もしないうちに、先輩が腕の中に数冊の本を抱え、戻ってくる。
「……何を持ってきたんですか、先輩?」
先輩が持っていた本に視線を移す。そこそこの厚さがある本。タイトルは――
「『ヒトと魔術』……?」
「初心に返ろうってことで。魔術に関する基本的な本をいくつか持ってきたの」
他の本にも目を向けると、確かに先輩の言うとおり、魔術の基本的なことが書かれている本ばかりだった。
「というわけで、まずはこれを読んでみましょう。何か思いつくかもしれないし」
「……そうですね。すごく良いアイディアです」
「じゃあさっそく、読み始めようか。何か判ったら言ってね」
「はい、わかりました」
そうして、僕とシア先輩は本を開き、視線を文字へ落とす。
『――魔術とは、かの偉大なる魔術師、ゼノ・アルフェラッツが創った、神秘の術である。ゼノは魔術の体系化に多大な努力を重ねたと言われているが、彼の功績で最も大きかったのは、魔術とヒトの肉体の関連性の発見とされている。ゼノは自身を実験体にし、魔術の完成を目指すうちに、以下の事を発見したのだ。
ヒトの肉体には、【魔力回路】と呼ばれる神経回路が存在する。魔力回路とは、魔力が流れる路であり、魔術を顕現するために不可欠なものである。魔力回路は、心臓位置を起点に全身に張り巡らされている』
(――――ゼノ・アルフェラッツ………)
本を読んでいると、不意に、その名前が目に入る。
ゼノ・アルフェラッツ――『原初の魔術師』と呼ばれる彼は、その二つ名が示すとおり、この世界で始めて魔術を使った人間であり、また魔術を創造した人間とされている。
彼が居なければ魔術はこの世界になく、転じてこの国も存在しない。ゆえに彼は二重の意味で魔導国の祖であり、彼を尊敬・崇拝する魔術師は後を絶たない。
……そういえば、かの非魔導宗教組織の教義にも、ゼノが関わっていると以前聞いたことがある。それが、どういうものなのかまでは知らないけど。
「ゼノ・アルフェラッツ、か……」
「『原初の魔術師』がどうかした?」
「いえ、別に……ただ、彼に関する記述があったもので」
「あー……まぁ、この人無くして魔術は語れないからね。ほら、あそこ見て」
シア先輩が、壁の方を指差す。つられるように、そちらの方へ視線を向ける。すると、そこには、大きなゼノの肖像画が飾ってあった。
何処か中性的な容姿に、闇色の双眸。長く伸ばされた黒髪を、後ろでひとつに結っている。肖像画であるというのに、その姿から何とも形容しがたい雰囲気を感じる。
「――、」
彼はもう死んだ人間だ。もう出逢うことは無い。
判りきったこと――――それなのに、妙な感覚があるのは何故だろうか。
「ほらシオンくん。手、止まってるよ」
「ぁ――すみません」
トントン、と。僕の肩を先輩につつかれたことで、思考が止まり、意識が現実へ戻ってくる。
(しっかりしろ……何の為に僕はこうしてるんだ。時間はあるとはいえ、無駄にしていいわけじゃない。だから、今すべきことはこの本を……って、んっ?)
と、パラパラとページを捲っていると、気になる記述が目に入った。
「これ、は……」
そのページの章題は――『魔核』。
『――「魔核」とは、人間の脳部分にある、魔術を発動させるために必要不可欠な神経細胞のことだ。その重要度は、魔力・魔力回路よりも高い。
ヒトの肉体には魔力回路があり、そこに流れる魔力を用いて魔術を使うが、そもそもこの「魔核」がないと魔術は使えない。
魔術発動のプロセスというのは、詠唱により魔術イメージを付与された魔力が魔力回路を流れ、その魔力が「魔核」を通った瞬間、そのイメージを持った魔力が"魔術"に成り、顕現するというモノだ。
謂わば、魔核とは「魔術イメージを付与された魔力」を「魔術」に翻訳するための器官というわけだ。
ゆえに、「魔核」の重要性は何よりも高く、また必要不可欠なのである』
ここまでの記述を、一息の内に読み終える。
『魔核』――本にも書かれている通り、これは魔術において絶対に欠かせないモノだ。
魔力・魔力回路は必ず、等しくどの人間にもある。だが『魔核』の有無で、魔術師かそうでないかの違いが分かれる。
この国……シーベールは魔導大国なので、殆どの人間には魔核があるが――この国の人間が『魔核』を持つのは、魔術の祖であるゼノ・アルフェラッツが魔術師だったからであろう――例えば隣国であるグランティカ帝国の人間には魔核がないらしい。『魔核』は遺伝的なモノであるため、突発的に魔核を持った人間が生まれない限り、魔術師は存在しないと言われている。
シーベール人にしか存在しない神経細胞。これが、魔術師を魔術師たらしめている要素といっても過言ではない。
これは魔術師にとって常識であることだ。復習しなくてもわかる。
だけど――。
「『魔核』………」
「シオンくんも、そこに行き着いた?」
僕の小さな呟きに、シア先輩が反応する。
「――はい。もしかすると、もしかするとだけど……」
「この『魔核』が、君の欠陥に関わっているのかも」
――――もし、『魔核』が、ふたつあるのだとしたら?
今まで気にもしなかったもの。否、そう考える発想すら出てこなかったモノ。
何故なら、『魔核』はどの魔術師にも絶対的に一つしか存在しない。ゆえに、魔術の同時発動は不可能なのだ。
だが……もし、仮にそうであるとするならば。
「この欠陥に――説明がつく」
魔術発動のプロセスは、詠唱により魔術イメージを付与された魔力が魔力回路を流れ、その魔力が『魔核』を通るというものだ。
だが――その流れるべき『魔核』が二つあったら?
「どちらの『魔核』が、イメージを持った魔力を受け取っていいかわからないから、結局その魔力が両方に流れ、二つの『魔核』間で暴走が起きる」
僕の思考をトレースしたかのように、先輩がそう告げる。
ヒトの肉体に在る魔力回路は、心臓を起点とし血管のように全身に張り巡らせている。その回路の道程に――つまりは脳部分に――『魔核』が存在する。
魔力回路は『魔核』を含めひと続きになっている。つまり、『魔核』が二つあったら、その部分だけ回路が分岐する。これにより『魔核』間での暴走が起きるというわけだ。
「まぁ、本当に魔核が二つあるのかどうかは判らないから、あくまでこれは仮定でしかないんだけどね」
「いや……だけど、こういう発想が出てきたのは大きな進歩ですよ」
常識からの脱却と棄却。それをしなければ、この発想は出てこない。
『常識に、知識に、過去の記録に囚われ過ぎたら、人はそこから成長しない。だから今の魔術はいつまで経っても進歩しねえんだ』
あの時のロートの言葉は、的を射ていたのかもしれない。
既に欠陥という異常なモノを抱えている僕は、普通じゃない発想をしなければ答えは出なかった。
(……でも、これで根本的な解決に至ったわけじゃない)
仮に、原因がコレであったとしても、どうすればこの欠陥を克服できるのか。それがまだ判らない。
「くそっ、どうしたら……」
解答の一歩手前にいる感覚。あと少し、何かがあれば判る気がするのに、それが出てこない。
それゆえの焦り。焦ることに意味は無いとわかっていても、体は焦燥感に駆られてしまう。
「――……ねぇ、シオンくん」
「……? なんですか、先輩?」
そんな僕を見かねてか、ふとシア先輩が僕に声をかける。顔を上げ、先輩の方を向く。
そして、桜色の唇が開く。
「付き合いなさい」
「…………………はえっ?」




