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Wizard of Diaster  作者: 巡
第一章 運命始動
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Interlude_Ⅱ『緋恋情景 -Sia.-』




 ――その少年と初めて出逢ったのは、わたしが七歳の時だった。


「――――――」


 家の都合で、王都を離れざるを得なかった少女は、当時王国魔導師団の団長だった、グレン・ミルファクに連れられ、彼の自宅へ向かっていた。


 少女は、小さい頃から一人だった。

 少女の父は彼女には構ってくれず、また母も、彼女が小さい頃に死んだ。

 だから、少女はずっと独りだった。



 そのせいか――少女は、他人ひとを信じるということが出来なかった。



 複雑な家庭環境で育ったがゆえの、人間不信。少女は生まれついて、誰も人を信じたことがなかった。

 仮面を被り、本音を見せず、他者を拒み、ただ機械的に生きてきた。

 感情など無い。そんな物は知らない。ただ人形のように生きている。


 少女の眼に映る世界は、無彩色むさいしき


 ゆえに、この時の少女は、隣に居たグレンのことを、信用はしていても信頼はしていなかった。


「うちの息子……シオンっていうんだけど、君と歳が近いから、仲良くしてやってくれないかい?」

「――……はい」

「やっぱり、緊張するかい?」

「……いえを出たのは、初めてだから。知らない人と、知らない場所に行くのも、初めてですから」

「ははっ、それはそうだ」


 快活に笑うグレン。


 ………何がおかしいんだろう。わからない。


「まあ、たった少しの間だけだけど、君は今日からウチの子供だ。何かあったら遠慮無く言っていい」

「……はい」


 そう言われても、わからない。

 わからないけど、わかったように振る舞うしかない。


「さあ、着いたよ」


 気付けば、目的地へ到着していた。

 白い煉瓦の、二階建ての家。小さいけれど、どこか暖かい雰囲気を感じる。


「あれっ、父さん?」


 ――そして少女は、彼と出逢った。


「おーシオン。ただいま」

「おかえりー! ……って、うん?」


 少年の黒い瞳が、少女を捉える。夜のような深い黒、けれど星のように輝く意志を宿した瞳に映っているのは、少女だけ。

 少年が、口を開く。


「きみ、だれ?」

「……わたし、は……」

「ぼく、シオンっていうんだ。ねぇ、きみのなまえは?」


 少女は、名前を言おうとして、口を何回か開いては、閉じる。

 迷って、迷って――そして、他人を誤魔化すための仮面を被る。

 どうせこの人も、信じられない人だから。

 そうして少女は、俯いていた顔を、ゆっくりと上げ、



「……………シア」



 小さく、自らの名前を紡いだ。




 夏風が、頬を撫でる。

 平凡で、変わらない、無色の日々。

 ――少女の運命が、ゆっくり、動き出す。



 * * *



 それからのシアの日々は、特にこれといって変わりなかった。

 ただ淡々と、ミルファク家での日々を過ごしていた。


「―――――、」


 シアに与えられた部屋にて。シアは今日も、部屋の窓から見える景色を、椅子に座ってジッと眺めていた。

 夏の刻を実感させる蒸し暑い空気。深緑の木々が、風に吹かれ静かに揺れている。

 穏やかな風が、室内に入り込む。

 のどかで平穏――まさに、この言葉がしっくり来る。

 平穏を求めていたシアにとって、この空気は実に好ましいものだった。だからこそ、彼女は連日、部屋で過ごしている。


 ここにいるのは、ほんの少しの間だけ。だから、わざわざこの家の人々と仲良くなろうとは思わなかった。

 そもそも、彼女は人間を信用することを恐れ、拒んでいたのだ。ゆえに彼女がこうするのは当然なわけで――。


「ね、シア! 遊ぼ!」


 けれど、少年――シオンにとっては、彼女の心情などお構いなしだった。


「……………イヤです」

「えぇ~~なんでぇ。まだこっち来てから一回も遊んでないじゃん」

「わたし、きみと違って暇じゃないんです」

「それ、嘘でしょ。ずっと、自分の部屋でぼーっとしてるじゃん」

「…………覗き見しないでください、へんたい」

「ぼくは変態さんじゃないよ!?」


 ……こんな風に。

 シオンは、シアを外へ連れ出そうと、毎日彼女の許へ訪れていた。

 毎日、毎日――シアが断ろうと、めげずに。


「いい加減、諦めたらどうですか。わたし、外に出る気なんていっさい無いですから」

「うぅ……でも、せっかく知り合ったんだもん。……ぼく、シアと仲良くなりたい」

「っ……」


 ――ああ、なんで。

 ――わたしは触れて欲しくないのに、このひとは触れようとしてくるのだろう。

 それが、少女には判らない。


「迷惑です。やめてください」


 判らないまま、今日もシアはシオンの誘いを断る。

 それで終わり。シアはまた独り、平穏に時を過ごす――そう、思っていたのだが。


「でも……本当は、外に出てみたいんじゃないの?」


 今日のシオンは、ここで終わらなかった。


「え――?」

「だってシア……ずっと、同じ景色見てるじゃん。飽きもせず、毎日。それって、本当は触れてみたいからなんじゃないの?」

「~~~~~~っ!」


 それは何気ない問いだったのかもしれない。

 シオンはまだ幼い。シアと違い、年相応の思考しかできない。

 だが、それゆえに……純粋に、人を思いやることができる。

 純粋ゆえに――人の触れて欲しくない本心を、無自覚のまま、触れることができる。


「――、」


 それはきっと、残酷なことだろう。

 触られたくない部分を、無理矢理触れられたのだから。


「―――………、っ」


 だが……シアにとっては、これがはじめて(・・・・)だったのだ。

 触れて欲しくない、ここまで入らないで――そういって壁を作り、シアは他人を拒んできた。だから、そんな彼女に対し、今まで誰も――あの、グレンでさえも――深く関わろうとはしなかった。シアもまた、それを望んでいた。

 しかし――目の前の少年は、そんなことなど知らないまま、彼女の心に踏み込んできた。


 ……はじめて、だったのだ。


 自分に、ここまで関わろうとする人間は。


「あ、ぅぅ…………」


 だから、戸惑う。

 付けていた仮面が、剥がれそうになる。

 剥がれかけた部分から、本当のわたしが顔を覗かせてしまう。

 顔が熱い。なんで?

 心臓が早鐘を撞くように高鳴る。うるさくて仕方ない。


「………シア? だいじょうぶ? なんだか顔が赤いよ?」

「……って」

「え?」

「出てって! はやく!」


 ――だから、致命的なことになる前に、このひとを追い出さなければ。


 そう決意して、シアはシオンを部屋から追い出す。


「ちょ、シア! 待ってってばぁ!」

「い・い・か・らぁっ! はやく!」


 思わず、声を荒げてしまう。

 こんなこと、今までしたことなかったのに。

 気付けば、敬語で喋ることすらやめている。


「うー……じゃあ今日は戻るよ。またあした、来るからね!」

「来なくていいっ!」


 パタン、と。シオンが部屋から出て行き、扉が閉じる。

 一瞬にして、静寂が訪れる。

 静かな空間。求めた安寧。望んだ平穏――そのはず、なのに。


「………………」


 ちょっと、ちょっとだけ。

 この静けさが、寂しいと思ってしまうのは、なんでだろう。


「………………どうしてくれるのよぅ。ばか」



 * * *




 ――――――。

 ――――――――。

 ―――――――――……………。



 ミルファク家に来て、三ヶ月(・・・)ほど経った。


 あれからも、シオンの訪問は続いた。

 飽きもせず、シアが断ろうとも、毎日。シオンは彼女の下へ訪れていた。

 むしろ、断られてもいいという意気さえ感じた。

 目的と手段が入れ替わっているというか……『シアに会う』ということが目的になっているのではないかと、そんな風に、シアは感じた。

 勿論、口に出したりなど絶対にしないが。


 こんこん。ドアをノックする音。今日もまた、少年は訪れる。


「シアー、いるー?」

「……うん。入ってきて、いいよ」

「おじゃましまーす」


 シオンが部屋の中に入ってくる。そして、シアが座っている場所のすぐ近くにあった椅子に座った。


「で、どう? 今日は外に出る気、ある?」

「………開口一番それなの。もっとほかにあるでしょ」


 敬語で喋ることは、気付けばやめていた。

 敬語で喋らない相手ができたのも、シオンが初めてだった。



 ――それが、仮面を外しているということに、少女は気付かない。



「えー……だって、いちおうそれが目的なんだし」

「いかない」

「そっかぁ」


 シアが誘いを断っても、シオンは以前みたいに落ち込んだりしない。笑って、シアの返答を受け止めている。

 そのまま、シオンは部屋から出て行くわけでもなく、かといって積極的にシアに話しかけたりするわけでもなく、椅子に座ったまま、窓から見える景色を眺めていた。


 シアも、つられるように、視線を窓の外へ向ける。そこから見えるのは、すっかり黄金こがねと紅に染まった木々と、澄み渡った蒼穹の空。冷たく澄んだ秋の空気が体の中に入り込んでくる。

 不思議と、シアはこの雰囲気が嫌いじゃなかった。

 静かな平穏だけど、独りじゃない。変な感覚がするこの雰囲気が、シアは密かに気に入っていた。



 ――それが、己が心の変化だということに、少女は気付かない。



「…………どうして」

「うん?」

「どうして、きみはわたしにここまで関わろうとするの?」


 不意に、シアはシオンにそんな問いを投げた。

 自分から話しかけるのは、これが初めてだった。


「前にも言ったじゃん。ぼく、シアと仲良くなりたいんだ。………ううん、ちょっと違うね」


 そこで、シオンは言葉を区切って。




「――ぼくは、シアと友達になりたいんだ」




 無邪気な笑みを浮かべながら、そう言った。


「とも……だち?」

「うん。友達。ぼくは、シアと友達になりたい。だから遊びに誘ってるんだし、仲良くなりたいんだ」


 そう告げる少年の言葉から、他意は感じられない。正真正銘、これがシオンの本心なのだということが判る。

 打算も、悪意もない。それが、真にシオンが望んでいることなのだと。

 いまのシアには、判ってしまう。


「―――――――――、」


 ――判ってしまうように、なった(・・・)から。


「…………………う」

「? ごめん、何か言った?」

「………――外、行こう」


 これがはじめてだった。

 はじめて、少女は自分から何かをしようと、行動した。


「……へっ?」

「………行きたくないんなら、いいけど」

「あっ、いやっ。まって! 行く、行こう!」

「………うん」

「でも、なんで? さっき、行かないって言ってたじゃん」

「気が変わったの」

「ふーん……まぁいいや、じゃあ行こう! ぼくがこの辺りを案内してあげる!」


 そう言って、シオンは少女の手を掴む。

 ぎゅっ、と。握られる感触。暖かい。


 男の子に手を握られるのも、はじめてだった。


「母さん! シアと一緒に外で遊んでくる!」

「あらあら。ついに外へ行く気になったのねぇ」

「え……と。はい」

「ふふ、いってらっしゃい。気を付けるのよ」

「うん! 行ってきます!」

「………行って、きます」


『行ってきます』と言うのも、はじめてだった。


「――行こう、シア!」

「……うんっ」


 そして少女は――外の世界へ、一歩踏み出したのだ。


 * * *



 ――そこから先は、あらゆるものすべてが、シアにとっては『はじめて』だった。


 今まで遠目に見ているだけだった木々も。

 時折見える、木の上にいる小さな動物たちも。

 道を歩いているとき、住民と思わしき人達から挨拶されるのも。


 ――こうやって"友達"と遊ぶのも。


 全部、全部――『はじめて』だった。




「ね、ねぇ……まだ、なの?」

「もうちょっとだから。あと少しだけ、我慢して!」


 木々で埋め尽くされた薄暗い山の中。現在、シア達はそこを歩いていた。


『最後に、案内したい場所があるんだ』


 町を案内し終わり、日が暮れ始めた頃。シオンはシアにそう言ってきた。

 シアも、断る理由がなかったため、頷いたのだが――


「もう結構歩いたのに……まだ着かないの?」


 ミルファク家の裏手にある山。そこに出来ていた獣道から山中へ入り、シオン達はかれこれ三十分以上歩いていた。


「そろそろだよ、ほんと」

「ウソだったら怒る」

「うぇえ!?」


 ――冗談を言ったのも、はじめてだ。


 こんな風に。

 いろんな『はじめて』を得ながら、少年と少女は傾斜のある獣道を歩いて行く。

 日が暮れ、辺りは暗いけど、恐怖はなかった。


「着いたよ、シア」


 やがて、シオンの言う目的地へ、到着した。


「……何も、ないよ?」


 森を抜け、辿り着いた場所は、ただの開けた空間だった。


「そこからじゃ見えないよ。こっちこっち」

「? こっち、って。いったい何が……」


 言われるがまま、シオンが手招きする方へ近付く。

 そして――――。












「――――――――――――――………………………、ぁ」









 それは、アカだった。


 すべてが緋に染まった世界が、広がっていた。




「どう? ここ、ぼくが一番好きな場所なんだ。だから、シアにもこの場所を知ってもらいたくて」


 先ほど居た場所。その先は、崖となっており、そこから町を一望することができた。


「―――………、っ」


 沈む夕陽。照らす陽光。染まる世界。あと数刻で、その色は緋から紺へと変わると判っているのに、この景色が永遠に続けばいいと思った。

 たった数刻。刹那の間に見ることができる光景。


「………っ、ぁ……」


 ――少女は、ずっと独りだった。


 誰も、人を信じることができなかった。

 だから、この世界はずっと、醜くて汚くて、誰も信じられないモノだと、ずっとそう思っていた。


 そう(・・)思わざるを得ない(・・・・・・・・)過去を背負って、生きてきた。

 だけど、だけど――


「うぁ、ぁぁ………」


 いま、眼前に広がるこの景色が――有彩色ゆうさいしきに映る世界が、とても綺麗で、神秘的で。


「ひっく……っ、うぁ、ああぁぁ…………っ!」




 はじめて、世界を――――美しいと、思えた。




「ちょ……シア?」

「あぁ、っ……ひっく……うっ、あぁぁぁぁ………ぁぁああっ!!!」


 溢れる。

 ぼろぼろと、両の眼から雫が流れ落ちていく。

 止まらない――止められない。

 衝動に任せるように、ただ涙を流す。


「ど、どうしよう……シア、どこか痛いの? ぼくが何かした?」

「ちがっ、ちがうの……ただ、これは……っ」


 突然シアが泣き出したことに動揺しつつも、シオンは彼女を気遣おうとする。

 その優しさが、今の彼女にとっては嬉しくて。

 余計に、涙が止まらなくなる。

 その優しさすら――否、優しさだと実感できるのが、彼女にとっては、はじめてだから。


「―――だいじょうぶだよ」


 不意に。

 そっと、右手を握られる感触。

 泣き腫らした眼で、己の右手を見る。涙でぼやけた視界に映るのは、自分の右手を握る、少年の手。


「ぼくには、シアが泣いてる理由はわからないけど……でも、泣いてる女の子を、友達を放っておくわけにはいかないから、ぼくが傍に居る。だから、安心して? 絶対に、離れたりしないから」


 まだ、出逢って間もないはずだった少年は、優しく、そう告げた。


「うぁ、ぁ……ぅ、ああああぁぁぁぁぁぁっっっっ!!!!」


 感情に身を任せ、少女は泣く。

 そんな中、シアは想う。

 シオン・ミルファクという、少年のことを。



 ――わたしは、今まで、誰も信じることはできなかった。信じようともしなかった。



 誰も、シアに触れようとしなかった。誰も、シアを知ろうとしなかった。

 けど、このひとは――このひとだけが、はじめてシアに触れた。

 だから、恐る恐るだけど……このひとだけは、信じてみようって、そう思えた。

 優しい言葉を聴いた。暖かい温もりがあった。純粋な想いがあった。

 ぜんぶ、はじめてだった。



 ――このひとは、出逢った時から、わたしに色んな『はじめて』を与えてくれた。



 一歩。踏み出す勇気をくれた。

 その一歩を踏み出すのは、ひどく怖くて、とても勇気が要るけど。

 たった一歩、踏み出すだけで――そこには未知の世界が在った。


 はじめてだらけの世界が、在った。

 そのはじめてが、無彩色の心に、色を与えてくれた。


 未だ、他の人を信じることはできない。まだ、全部を信じられはしない。

 もしかするとそれは、今後何も変わらないかもしれない。

 けど、ひとつだけ。確信して言えることがある。


 ――絶対に、何があっても、このひとだけは信じられると。


 理屈じゃない。そんなのどうでもいい。

 そう、このこころが言っているから。わたしはそれを信じる。


(だって――このひとは)


 まだ幼いけど。普通のひとからしてみたら、ほんの些細なことかもしれないけど。


 ――紛れもなく、わたしを救ってくれたひとなのだから。

 


 ……しばらくして、シアは泣きやむ。

 緋の世界は徐々に終わりへ近づき、辺りは夜の帳が落ちかかっていた。

 呼吸を整え、シオンの方を向く。彼は何も言わず、ただジッと傍にいて、シアの手を握っていた。

 少年の手を、ぎゅっと、握り返す。

 そして、口を開く。




「ねぇ…………シオンくん(・・・・・)




 あぁ――また、はじめてだ。



 はじめて、彼の名を呼んだ。


「なに?」

「……お願いが、あるんだけど……」

「うん。言ってみて」 

「――わたしと、友達になって、くれませんか……?」

「………何言ってるのさ。ぼくとシアは、もう友達に決まってるじゃん」

「~~っ」

「だから、これからもよろしくね、シア」

「――うんっ、シオンくん!」


 心に暖かな灯がともる。

 あの情景けしきを忘れない。この感情おもいを忘れない。


 この一歩を踏み出せたのは、他でもない。隣に居る、少年のおかげだ。


 だから――もし、もし彼が、この先何かあって、立ち止まってしまったら、今度は自分が、彼の助けになりたい。


 いまのシアは、そう思う。


 ――何があっても、絶対に、シオンを裏切らない。

 絶対に、シオンだけは信じる。


 

 秋風が、頬を撫でる。

 平凡で、変わらない、無色の日々――それはもう終わり。

 これからは、新しい日々が待っている。



 ――少女の運命は、この日から、真に動き出した。




 * * *



「―――、」


 閉じていた目を、開ける。

 真っ先に目に入るのは、一台のベッドと、そこに横たわる、黒髪の少年。

 少女が生涯で唯一、心の底から信じられるひと。最も大事なひと。


 ある記憶を、思い出していた。

 それは、少女にとって最も大事で大切な記憶。少女が新生するに至った宝石の記憶。

 少女の、宝物。


 彼女は確かに変わった。他人を信用するし、信頼もするようになった。

 だが、少女が真の意味で信じている人間はただひとり。彼女の前で眠る少年だけだ。

 そこだけは、変わらなかった。

 後にも先にも、彼以上に信じられる人間は現れないと、少女は思っている。


「ね……シオンくん」


 ぽつり。小さく、呟く。


「いまの君は、記憶を無くしてて……あの頃の君じゃないから、止まっているのかもしれないけど………それでもわたしは、やっぱり君の背中を押すよ。

 昔の恩返しってわけじゃないけどね。君の真の願いは停滞じゃないって、わたしでも判るから。だからわたしは、あなたの背中をバシっと叩こうと思います。

 きっと、その一歩は怖いと思う。でもね、安心して。あの時、君がわたしの傍に居てくれたように、今度はわたしが君の傍に居るから。

 ううん、お姉さんらしく手を引いてあげる。――だから、大丈夫だよ」


 まだ、少年は目覚めない。そっと、少年の頭を撫でる。




「ようやく再会であえたんだもん………………もう絶対に、離れないからね」




 優しく、穏やかに。

 王女である緋の少女は、そう告げた。



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