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Wizard of Diaster  作者: 巡
第一章 運命始動
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第08話『追憶/少年と少年、天才と欠陥者 -White,Winter,Wizards.-』


『――シオン。一緒に帰ろうぜ』

『ああ。いいよ、ロート。あれ、リオは?』

『リオの奴なら、さっき急いで帰ってるのを見たぞ。なんでも、急用だとか』

『そっか。じゃあ僕らも帰ろうか』

『あ。そうだシオン。ちょっと帰り寄っていいか?』

『いいけど、どこに? 商業区?』

『まぁ、そんなとこだ』


 春の刻にロートと出会い、そろそろ一年を迎えようかという頃――相変わらず魔術は使えていない――、いつものように、僕とロートは学院から帰宅しようとしていた。

 季節は冬の刻へと移り、その冬の刻らしく、街は雪に包まれていた。


『――なあシオン。お前、あれから魔術はちゃんと使えるようになったか?』

『……ううん。まだ、使えない。こっちに来てから図書室とかにも通って色々調べたり、自分の方でも鍛錬はしたりしてるけど、やっぱり、まだ』

『そう、か』 


 沈黙が訪れる。

 これまでにもロートは幾度となく、僕の欠陥を気にかけてくれた。ともすれば、僕以上にこの欠陥を気にしていたかもしれない。

 ……もっとも、実際のところなどロート本人にしか判らないのだけど。


 雪が降り積もっている街を、二人歩く。

 変わらない光景。変わらない日常。

 ずっとこんな日々が続くのだと、そう思っていた。


 だけど――――。


『――――ッ!?』


 突如、僕らが向かう先――商業区の方から、大きな轟音が聴こえた。


『なんだ、今の音……!?』

『商業区の方だ、行くぞ!』


 突然の事態に、僕は困惑した。いや、思考が追い付かなかったというべきか。しかし、そんな状況下でもロートは慌てず、冷静に状況を判断し、行動を取った。自分で考えて行動を起こすことさえままならかった僕は、走るロートに付いて行った。

 そして――そこで目にした物は、ひどく壊れ果てた、商業区の姿だった。


『いったい……何が』


 見るも無残な、建物の残骸。物理的に壊された物もあれば、火で焼き払われた物もあり、それらは共通して、ここで何があったかを物語っていた。


『うぅ、あ……ぁ』

『! 大丈夫ですか!?』


 倒壊した建物の下敷きになっている人を発見し、僕はすぐ駆け寄る。


『シオン!』

『――――ぇ?』


 だから僕は、僕に向かって魔術を放とうとする人物に、気付くことが出来なかった。


『――【力渦巻く風の奔流ヴォルテクシア・ヴィンティ】ッ!』


 何者かが放った魔術が僕に被弾するその寸前、ロートが放った魔術がぶつかり、二つの魔術は相殺した。


『大丈夫か、シオン!』

『う、うん。ありがとう、ロート』

『気にするな。でも、気ィ抜くんじゃねぇぞ。さっきのは間違いなくお前を殺す気だったからな』

『ころっ……!?』


 殺す気だった、などと言われてもまるで実感が湧かない。けど、冷静になって考えてみると、やはりそれを認めざるを得なかった。


 ――だって、こうやって人が傷を負っているのだから。


 ゆっくりと、顔を上げる。


 そして視界に入ってきたのは、白の祭服と黒のストールを身に纏った一人の男性だった。身長は僕より高い。

 最も特徴的なのは、その顔に被った髑髏の仮面だろう。アレを被っているせいでその場に立っているだけで威圧感が増し、そして表情を読めないため、何を考えているのか全く判らない。


 その姿は、さながら死神。


 死をふりまく圧倒的存在を、想起させた。


『――ディア』

『え?』

『――アルカディア、だと』


 ロートが呟いたその一言で、あの人物が何なのか思い至った。


 非魔導宗教組織『天辰理想教アルカディア』。それはシーベール王国内において、かつて最も人々を震撼させた、宗教組織のことだ。


 その行動は千にも登る数の魔導テロや、誘拐や略奪、強盗などの犯罪。そして非人道的な、魔術を使った行い――詳しくは公開されてはいない。少なくとも、魔導テロのことではない――など、王国において最大最悪の組織として名が知れ渡っていた。


 そんな、悪の存在でありながらも、彼らの掲げる教義に心酔した信者は多い。


 しかし、十年前に、王国魔導師団による《アルカディア殲滅戦》で、かの組織は解体された筈だった。ならば、目の前にいるこの人物はアルカディアの残党というところなのか。


『なんでアルカディアの人間がここに……』

『わからない。けど、このままだと俺達二人とも殺られるぞ』


 依然として、アルカディアの人物は動かない。彼はじっと、その場に佇んでいるだけだ。

 戦う術はある。マナリングは、ポケットの中にある。

 だけど、


(怖い……っ!)


 さっきの魔術――僕を殺そうとした魔術――の恐怖が今になって蘇る。

 殺す気だった、と言われ、麻痺していた感情が僕を支配する。

 怖い。ただひたすらに、怖い。 


『戦うぞ、シオン』

『――え……?』


 だから僕は、突然そんなことを言い出す親友に、上手く言葉を返せなかった。

 隣を見る。ロートは張り詰めた表情で彼を見ている。いや、あれは親の敵でも見るような視線にも感じ取れた。

 有り体に言えば、憎しみだろうか。


『ロート……冗談、だろ? 僕達がアイツと戦っても勝てやしない。それくらい、お前だって判るはずだろ?』

『そんなことは判ってる。けど、このままアイツを放っておいていい理由にもならない』

『でも――』

『大丈夫だ。さっき呼応石で助けは呼んだ。時間さえ稼げば助けは来る。それまで――戦うぞ』

『――――、』


 助けを呼んだ。その事実は確かに心強い報せではあった。

 しかしそれ以上に、僕自身が戦うことを拒んでいた。


 それが恐怖から来たものなのか、あるいはそれ以外の何かなのか。

 どちらなのかは判らない。




 ――なぁ、ロート。




 心の中で、親友に問う。




 ――どうして、おまえはそんなに勇敢なんだ?


 ――どうして、おまえは恐れずに戦おうとする?




 どうして―――。



『っ! 構えろ、シオン! 来るぞ!』

『――え?』


 刹那、ドン、と音がした。

 それが何だったのかは判らない。ただ一つ言えることは。


『ぐあっ……!』

『シオン!!』


 僕が今、壁に体を打ち付けられたということだけだ。

 腹部に走る鈍痛。まるで鉄の球を思いっきり打ち込まれたようだった。

 頭が回らない。なんだ、何が起きた?

 痛みに耐えながら、顔を上げる。すると視界に入ってくるのは、やはり彼だった。


 男は僕から数十メートル離れたところに立っていた。止めを刺そうと思えば、すぐに刺せる距離。


 ――動け。じゃないと、殺される。


 頭ではそう判っていても、体が動いてくれない。

 ゆっくりと、彼が動き出す。何もできないまま、彼と僕の距離が縮まるだけ。


 それはまるで、死の宣告。髑髏の面を被った死神が、一歩一歩、近付いてくる。


 ――戦えよ。その為のすべはあるだろう!?


 判っている。判っているのに――

 この身体は、動かない。


『がっ……!』


 近づいてきた彼に、首を掴まれる。

 呼吸が上手く出来ない。このままじゃ――。


『――【氷槍アイスティリア】!』


 刹那、ロートが彼に向かって魔術を放った。そのおかげで、僕は彼の拘束から逃れられた。そしてそのまま、ロートの方へ走る。

氷槍アイスティリア】を受けても、彼の様子に変化はない。初級魔術だから威力は望めないが、それでも直撃したのだ。多少なりと、負傷していてもおかしくはないはず。


『大丈夫か、シオン!』

『げほっ……。なんとか』

『――興醒めだね』


 不意に、何処からか声が聞こえた。その声が彼の物だと理解するのに、数秒を要した。


『――なんだって?』

『興醒めだ、と言ったんだ。紛い物でも、歯向かう気力があるのかと思っていたのだが、どうやら本人にその気がなかったようだ。あったのは、見せかけの意志だけ。ああ、つまらん。実につまらんよ』

『……どういう意味だ』

『そのままの意味だよ。そこの貴方は、無意識の内に戦うことを放棄していた。全く、興醒めだ。魔術をマトモに使えない体でありながら、どこまで歯向かうか期待していたというのに』

『なっ……』


 ――どうして、僕の欠陥を知っている!?


 そう問いかけたかったのに、男は唐突に僕らから背を向けた。


『逃げるのか』

『用もなくなった所に何故長居せねばならない? 追ってきたいならそれでも構わないが……ただしその場合は、確実に殺すがね』

『――――』

『それでいい。どうやら貴方は愚者ではなく賢者のようだ。相手との力量差をしかと理解している……それは、賢き者しか出来ぬことだよ。もっとも、戦うことすら放棄するのは、ただの弱者だがね』

『っ……』

『では、また会おう。シオン・ミルファク。ロート・ニヴェウス。

 ――今宵の邂逅に、いずれ意味が与えられることを』



 その告げた瞬間、彼の姿が黒い靄に包まれたかと思うと、彼の姿は跡形もなく消えていた。あるのは、魔力の残滓だけ。


 僕とロートは言葉を交わすわけでもなく、その場に座り込んだ。

 なんで、あの男が僕達の名前を知っているのかとか。

 どうして、僕は戦えなかったのかとか。




 ――己の胸の裡にある、どろどろしたこの感情が何なのかとか。




 そういう疑問を全部投げ捨てて、僕とロートは背中合わせで座っていた。

 頬に当たる雪が、冷たかった。




 ――しばらくして、王国魔導師団の人達がやってきた。

 僕達はそのまま事情聴取などを受けて、帰路につく頃には既に夜になっていた。


『…………』

『――――』


 僕達の間に、会話は生まれない。先程からずっとロートは思いつめた表情をしている。

 それは、何か問おうとするのを迷っている様子にも見えて。


『――なぁシオン。おまえ、本当にそのままでいいのかよ』


 会話が生まれないまま、時間と距離だけが進み、僕の家の前まで来た時に、ロートは口を開いた。


『……? どういうことさ、ロート』

『どうもこうも、お前、そのままでいいのかって聞いてるんだ』

『そのままでいいかって……』

『欠陥を治さなくて、そして強くならなくていいのかって聞いてるんだよ』


 その言葉を聞いて、僕は首を傾げた。


『何を言ってるんだよ、ロート。僕はちゃんと修行しているじゃないか。欠陥を治す努力もしているし、それに魔術の鍛錬も怠ってなんかいない』

『じゃあ、今日のアレはなんだって言うんだ。――おまえが、戦わなかったのは』

『……アレ、は』


 言葉に、詰まる。


『どうして戦わなかった? なぜ臆した? いいや違うな――おまえは、そもそも戦う気が無かった』

『……っ』


 ……真っ黒なモノが、じわじわと、心を蝕んでいくのを感じる。


『ロート……』

『俺には、おまえがただ恐怖から戦いを拒んでいるように見えなかった。だから、それが知りたい』

『―――、』


 その黒いモノを、何とか理性で押さえ込む。

 溢れ出させては、いけないから。


『……別に、何でも無いよ。ただ、怖かっただけなんだ』


 嘘は吐いてない。恐怖したのは本当だ。


『確かにそうかもしれない。けど、それだけじゃないだろ?』


 なのに、この親友は、僕の触れて欲しくない部分まで、触れようとする。


『……本当に、何でも無いんだ。だから、もうこの話は終わりに……』


 けれど、


『そうやって――逃げようとするなよ』

『っ……!』

『違うだろう……おまえは――』


 必死に、押さえ込んでいたのに。





『――俺が知ってるシオン・ミルファクは、そんな奴じゃない』





 その言葉が、壁を壊した。











『っ……………おまえに―――』

『え……?』










『――――おまえにッ! 僕の何が判るって言うんだよッ!!』






 叫ぶ。

 喉の奥から、そして心の底から――叫ぶ。

 決壊する感情りせいの壁。抑えていた感情は、一度溢れ出すと止まらない。

 黒くて暗いモノが、僕の心を侵していく。


『シ、オン……?』

『なぁロート、教えてくれよ。

 どうして、おまえは戦える? なんで臆さない?

 ずっと隣で、おまえを見てきた。でも判らないんだ。その勇気が、その強さが――僕には、判らない』


 ああ、そうだ。判らないんだ。

 ロートの勇気が、強さが、何処から来るモノなのか。

 なんで、そんなにも――輝くように在れるのか。


『……ッ』


 そして、そんなロートの姿が、どうしても……



 ――どうしても、憧れた人(とうさん)と重なって。



 僕を、暗いところへ堕としていく。

 それは、僕が求めたつよさだったから。


『シオン……』


 ロートは、僕の感情の発露に、ひどく戸惑っている様子だった。

 何度も口を開いては、閉じて。僕にかける言葉を、選んでいるようだった。


『おまえ、だって。やろうと思えば……』

『無理、なんだよ……っ』


 けど、親友がやっとのことで紡いだ言葉でさえ、僕は一蹴してしまう。

 もう、僕は、僕自身を止められない。


『隣でオマエが輝いてるのに、どうして暗闇の中を進まなくちゃならない……っ?』


 迷いながら、悩みながら、闇の中を手探りで歩いて行って。ちょっとずつだけど、進んでいって。


 ――けど、ふとした瞬間に、隣を見れば。


 そこには、星のように輝く光が在った。

 それは、僕が目指した強さに酷く似ているモノで、だからこそ、現実を突きつけられる。

 この光のように、なれないと。そんな劣等感に、苛まれる。

 それが判っていながら、努力を続けなきゃいけないなんて……

 そんなの、拷問にも等しいじゃないか。


『それは……まだ、おまえの努力が足りてないからで、続けていれば、いつかきっと、おまえの目指した強さに辿り着けるはずだから。だから……』

『っ………おまえの一歩と、僕の一歩は全然違うんだよッ! おまえの物差しで測るな……ッ!』


 確かに歩いていれば、いつかそこに辿り着けるだろう。


 けど――それは、いつ?


 判らない。それまで、僕は耐えきれる自信がない。

 隣に在る光を見る度に、焦燥感に駆られ、精神的圧力プレッシャーに押し潰されて、壊れる未来しか見えないから。

 一瞬の静寂。ロートは何も言えないまま。


『なぁ、ロート……』


 小さく、呟くように、僕は親友の名を呼ぶ。


『おまえ……おまえ、さ……』


 それは、ずっと僕が思っていたこと。


 ――ロートの、完成された魔術の腕を見る度に、


 ――ロートの言葉に在る、正義感を感じる度に、


 ――ロートの、勇気ある英雄的な姿を見る度に、


 僕は、こう思っていたんだ。




『――――おまえ、異常だ(すごい)よ』




 そんな、普通ぼくとは違う存在に畏怖する。

 同時に、そんな異常てんさいに――どうしようもなく、憧れる。



 けど、現実は残酷で無情なモノ。

 憧れれば憧れるほど、その強さを見せつけられるほど、遠くて違う存在だって思い知らされる。

 だから……こうして、僕みたいな人間には、黒く淀んだ、醜い感情が、心に芽生える。

 相手は何も悪くないのに、ただ一方的に逆恨む。そんな醜い感情が、僕を支配する。


『そんなすごいロートだから、きっとこれから先も強くなって、高いところまで行くんだろう』


 僕の、手が届かない場所まで。


『僕には、いいや僕だからこそ、それが確信できる』


 僕の憧れた光は、ここで止まる器じゃないと信じているから。


『っ……』


 だけど――


『僕は、その先には行けない』


 彼と親友だった、歪みを抱える少年は、その光に畏敬する余り、


『僕は……止まったままでいいんだ』


 ――あまりにも愚かな答えを、導き出した。


 己を、守るために。自分の真実に気付くと同時、そこから眼を逸らした。


『僕は……前を進む人間(おまえ)とは、違うんだよ』


 僕は、前に進まない人間だから。

 まっすぐ、先を見ているのに、進み出すことはない。

 進むのが怖いから。

 隣にいて、けれどずっと前にいる親友が、眩しくて仕方ないから。


『今のままでいい。いいや、今が良いんだ』


 ――歪んだ、欠陥者の僕が求めたのは、ただ眼前の日常(コレ)だけだったから。


 ……沈黙が訪れる。

 無音の空気。無言の会話。ロートは僕をジッと視ているけれど、僕はロートの眼を視れない。


『だったら、なんで……』


 不意に、ロートが口を開いた。つられるように、僕も顔を上げる。



『――――そんな、泣きそうな顔をしてるんだよ』



 そこから漏れる声は、なぜか悲愴の色に満ちていて。

 そう言っているロート自身も、泣きそうに見えた。


『俺は……俺が見たかったのは……っ! 俺が、果たしたかったのは――!』

『……おまえが見たかった僕が、どんなモノかは判らないけど……おまえの願望エゴを、僕に押しつけないでくれ……』


 弱い僕は、きっとソレに押し潰されてしまうから。


『――……だったら』


 ザッ、と。地を蹴る音が聞こえた。気付けば、ロートが僕の方へ向かって歩き出していた。


『教えてやるよ。俺の強さを。……俺が、戦う理由を』


 その声は、先ほど悲壮に満ちた声ではなくて。

 何かを決意したような、そんな気持ちが乗っていた。

 一歩、一歩。ロートが僕との距離を詰める。


『気付かせてやる。目覚めさせてやる。

 おまえが奥底に仕舞った、お前自身の渇望ねがいを』


 そして、


『――が、っ』


 右頬に、鋭い痛みが走った。

 それが、殴られたのだと気付くのに、数秒かかった。


『な……ぇ?』

『立て。まだ目ェ覚めてないだろ』

『ロート、なに、を………』

『言葉で伝えるのは、どうやら俺には向いてないみてぇだからな……だから、コイツでお前に語りかける』

『う、ァッ!』


 再び、痛み――今度は、腹部――が走る。


『――たとえ、俺の選択が、最低な結果をもたらしたとしても。きっと、おまえの言葉は真実なんだろうけど』


 ロートが、何か言っている。けど、痛みのせいでそれどころじゃない。



『―――それでも俺は、おまえの眼を信じるから。あの日のおまえを、信じるから』



 ……ぼやけた視界の中、気のせいか、ロートが泣いているように見えた。


『だから、今は……これに、すべて乗せる』


 そして、三度みたび、拳が振るわれた。


 * * *

 


 ――――どうして、こんなことになったのだろう。



『――オ、ラァッ!!』


 向かってくる拳を、躱す。躱す。

 気付けば僕の体はボロボロで、擦り傷がいくつもできている。傷の中には殴られたことで生まれた痣もあり、青紫の色が痛々しい。

 痛みは消えず、未だ体を蝕む。気を失わないのはこの痛みゆえか。しかしそんなこと、どうでもいい。

 躱すという動作を繰り返すのはこれで何度目だろう。それに対して僕は何回、ロートに攻撃することができただろうか。


『がッ……は、っ』


 ――答えはゼロ。僕は彼に拳を振るうことはできていない――できない。


 ロートの拳が、左頬に入る。走る鈍痛。飛びかける意識。それを、何とかつなぎ止める。気を抜くことは絶対に許されない。

 魔術は使っていない。あくまで僕と彼は己の拳のみで闘っている。学院の校則違反になるというのもあるが、魔術を使わない本当の理由はそこじゃないということを、僕は理解している。

 彼は僕に合わせている(・・・・・・・・・・)。だから、魔術を使わない。それだけだ。


『う、ああああああッッッッ!!』


 だけど、このままやられっぱなしでいるわけにもいかない。体を奮い立たせて右の拳を固く握り、そして振るう。しかし僕は、あいにく喧嘩なんてしたことがなく、どうしても不格好なパンチになってしまう。当然、それは難なく躱されてしまうわけで。


『甘いんだよッ!』

『か――はっ』


 ロートが躱すと同時、振るわれる拳。容赦の無い一撃が、僕の鳩尾に突き刺さる。一瞬だけ止まる呼吸。その後すぐにやってくる痛み。痛い。とんでもなく痛い。

 あまりの痛みに立っていられず、思わず路上に前から倒れ込んでしまう。


『ぅ、あ……はッ』


 そのまま仰向けに寝転んで、呼吸を落ち着かせようとする。

 閉じていた目を開けば、空は曇天で、鉛色。

 頬に冷たい感触が伝う――雪だ。

 周りには誰も人がいない。雪が降る寒い冬空の下、閑散とした通りで、僕達は二人、殴り合っている。

 吐いた息が白い。白の息吹は、空に溶け、消えていく。

 ザッ、と。靴が擦れる音が聞こえた。


『立てよ。まだ終わってねェだろうが』


 不意に、その言葉が耳に届く。視線を声の主の方に向ければ、そこには一人の少年が立っていた。

 雪のように白い髪を、一房だけ後ろでまとめている髪型。目付きの悪い、薄い藍色をした双眸が、こちらをジッと見つめている。


 ロート・ニヴェウス――僕の、親友。


『そんなモンかよ。おまえの根性ってやつは。ああならば――おまえはその程度ってことだ』

『くっ……あああああああッッッ!!』


 簡単な挑発だということは理解している。けど、乗らずにはいられなかった。

 ここで負けたら何かが終わると――それが何かは判らないけど――確信しているから。

 未だ痛む脇腹を気力だけで押さえつけながら、再度拳を固く握る。先ほどの動作から至らない点を思い出し、修正する。

 だけど――この拳は、届かない。


『おまえを……殴れるわけ、ないだろ……っ!』


 目の前の人間を殴ることなんて、僕にはできなかった。


『ああ……優しい(あまい)な、おまえは』


 刹那、僕の顎を目がけて拳が思い切り振り上げられた。それがアッパーだということに気付いたのは殴られた後だった。


『―――――ぁ、っ』


 脳が揺さぶられたせいか、足下が覚束ない。体が上手く動かない。口の中が切れたせいか、血の味が舌を這う。

 この一撃は不味い、と本能で理解した。

 倒れる。これで二回目だ。さっきと違うのは、もう立ち上がれそうにないということ。


 ……判っていた。僕じゃロートに敵わないということくらい。


 拳と拳だからじゃない。魔術師である僕だけど、魔術で戦ってもロートには絶対勝てない。むしろ、勝算という点で見れば拳と拳のほうがまだあった。けれどそれすらも、勝てなかった。

 ならばこの戦いは、紛れもなく僕の敗北ということに他ならない。


 ……何が原因で、こうなったのだろう。


 脳裏に過ぎるのは、取り留めのないそんな思考。二度目の自問に、僕は答えを得ることはできない。

 どんなに考えても、この状況を変えることはできないというのに、頭はそればかり考えてしまう。

 その原因は己にあるということを判っていながら、僕はそこから目を逸らす。



『――止まり続けるのが、そんなにいいか。進まなきゃ変わんねぇってことくらい、判るだろ』



 だから、彼の氷のように冷たい言葉も、聞こえていても理解することはできなくて、



『じゃあな――ミルファク(・・・・・)



 だから僕は、遠ざかっていく彼の背中を、ただ見つめることしかできない。


『……ロー……ト……』


 小さく呟いた彼の名は、吹いた風にさらわれ、雪空に消えていく。


『―――、』


 肌を刺す冷たい空気。光差さぬ鉛色の曇天ソラ。そこから降り積もる雪は、あらゆるものを白に染め、覆い隠していく。


 ――僕達の、友情すらも。冷たく、隠していく。


『は、は……っ』


 乾いた笑いが、込み上げる。


『ははっ……はははは!』


 その行動に、特に意味は無かった。

 ただ、こうしていないと自分の気持ちを保てないだけで。


『はは、あはははっ…………っ、あ……ぅ』


 でも僕の心は弱いから、すぐに折れる


『ぁ、あ……っ、ううああ……っ』


 漏れる嗚咽。両の眼から溢れる雫。一度流れ出すと、もう止まらない。

 この心を占める感情はただ一つ。

 後悔という名の、後の祭りでしかない、ひどく生産性のない感情。



 ――こんなつもりじゃなかった。こうなるつもりなんて無かった。



 ちょっとした、けれどあまりにも致命的なすれ違い。

 ただ、封じていた感情がこぼれてしまったせいで、すれちがってしまった。

 望んだ選択をしたはずなのに。

 今ある日常を守ったはずなのに。

 なのに――そんな大切なモノから、大事な存在が、抜け落ちていった。

 これでは本末転倒も良いところだ。


(……いいや、違う)


 これは、報いだ。

 立ち止まった(にげだした)僕への、罰。


 停滞を望んだ。進むことを拒んだ。夢を諦めた。

 ゆえに、この日の出来事は偶然などではなく、きっと運命だったのだろう。

 僕とアイツの道は――この日を以て、ここで別れた。


『―――』


 暗闇に染まっていく視界。地の底に落ちていくような浮遊感。

 彼の言葉が脳内でぐるぐる回って、廻る。

 けれども愚かな僕は、それを理解しようとはしない。


 寒い寒い、とある冬の日。


 それは、僕と彼が離別した日だった。



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