緊急事態発生
バイト開始から一週間経ち、迎えた日曜日。今日は学校が休みだ。普段ならのんびり一日をすごすところだけど、そうはいかない。ベケットは日曜でも休みではないのだ。
朝、いつもどおりの時間に起きた僕は朝食を食べ終え、リビングのソファーに横になっていた。
バイト開始は十時で、まだ二時間以上の猶予がある。アイリス宅へ向かうには早すぎ、手持無沙汰が否めない。もう少し寝ていてもよかった。
ふと思い立ち、ラジオのスイッチを入れてみた。暇つぶしくらいにはなるだろう。
ニュースの時刻だったようで、ラジオの向こうではアナウンサーが地域情報を淡々と読み上げている。
絶滅危惧種のインビジバードの保護基金が設立されたこと。市内在住の剣聖パッツォ・レーヴ氏が、舞台女優のエマ・イルディスとの熱愛を認めたこと。魔導協会がファキオワード支部の建物売却を検討しているなど、興味の湧かない話題ばかりだ。
今朝、デルタ高原で野生の冥精霊が目撃されたとの情報で、ニュースは終了した。
僕はラジオのスイッチを切り、再度ソファーに寝転び、テーブルに置かれていた雑誌を眺めて暇を潰した。
文字を目で追っているうちにほどよい時間となり、僕はアイリスの家に行き、二人でベケットへと出社した。
「おはようトモ君にアイちゃん。今日も仲がいいことで」
セシールさんの冷やかしに、気恥ずかしさを感じながら事務室で仕事着に着替える。
仕事着といってもエプロンをつけるだけだ。着替えですらない。
「終わったのなら早く出て行きなさいよ。あんたがいると私が着替えられないでしょ」
アイリスに追い出されるまま、事務室から出る。
アイリス、エリーさん、シャロさんの三人は、ちゃんとした仕事着が用意されている。鎧の下に着るアンダースーツがそうだ。本来は動きやすいよう肌に密着するものなのだが、ベケットのは独自仕様となっている。パーティーにでも着ていくような可愛らしいデザインで、下はミニスカートだ。この上に鎧を装着すると、なんとも扇情的な姿になり、目のやり場に困ってしまう。考案したのはセシールさんで、男性客のリピーターを増やすための営業戦略だそうだ。
「そういえば、エリーさんとシャロさんの姿が見当たらないですが。まだきていないんですか?」
箒で床を掃きながら、アヤムさんに尋ねる。
「エリーは依頼人のところへ寄ってからくるそうなので、少し遅れます。シャロ姉さまは大学の講義があるため、出社は午後からです」
なら先に事務室から清掃した方が効率がよい。自分の中の作業スケジュールを組みなおしているとき、
「今日は営業しておりますかな?」
来客ベルと共に、老人が入ってきた。お客さんのようだ。
「いらっしゃいませ。ベケット総合ライフサービスは年中無休ですよ」
セシールさんが営業スマイルで近づいて行く。
「それはよかった。実は護衛を依頼したいのですが。よろしいでしょうか?」
「ええ、なんの問題ありません。まずはおかけください。詳しい話を聞きましょう」
僕は急いでお茶を入れ、お客さんへと出した。
料金など、依頼人との契約内容の取り決めは、セシールさんの役目だ。アヤムさんが脇に座り、契約書を作成する。
「なに? お客さん」
アンダースーツに着替えたアイリスが、事務室から出てきた。
「ああ、護衛を頼みたいそうだ」
アイリスは胸の前で、右の拳を左の掌に打ちつけた。
「よーし、久々に腕が鳴るわ!」
今いる実働係はアイリスだけだ。あの老人の護衛任務は彼女が担当することになるだろう。
案の定、「アイちゃん。お仕事よ」と、セシールさんからお呼びがかかった。
「了解しました!」
アイリスは気合いじゅうぶんで歩いて行った。
僕はアイリスがいなくなった事務室の床に箒を走らせる。
向こうでは契約がまとまったらしく、アイリスが装備部屋に入っていくのが見えた。ほどなくして、軽装を装着して出てくる。
「冷たいお茶を入れて待っていなさいよ」
「オーケー。キンキンに冷えたのを準備しておいてやる」
「ホットケーキも忘れないでよね」
そう言ってアイリスは老人と一緒に外へ出て、通りを挟んだ真正面にある馬車屋に向かった。『ユーゲント レンタホース』という店で、馬や馬車のレンタルを行っている。
アイリスと老人が乗った馬車が動くと同時に、エリーさんが出社してきた。
「今、お爺さんと馬車に乗ってたのアイちゃんですよねぇ。依頼ですかぁ?」
「はい、あのお爺さんが依頼人です。風景写真を専門に撮っている方で、護衛をお願いされました」
アヤムさんが丁寧に説明する。
「ああそっか。それで郊外に撮影にいきたいから護衛を頼んできたのか」
僕も話にはまる。
「今の時期、ハンドレッド高原はサクラが満開でしょうね。アイが羨ましいです」
ハンドレッド高原は観光地として有名だ。国内外から観光客がくる。メントゥム大陸の中でも、ファキオワードにしかないサクラという樹木が群生しているのだ。春から夏にかけ、キレイな景色が広がっている。
「いいないいなぁ、あたしも行きたいなぁ、ハンドレッド高原――。そうだ、いつかみんなでお花見しようよぅ!」
エリーさんの提案に、セシールさんは満更でもないようすだった。
サクラを仰ぎながら、みんなでガヤガヤやるっている風景を想像しながら、僕は事務室の掃除を続けた。
どれくらい時間が経っただろう。床掃除、窓拭き、棚の整理を終え、腰を伸ばしていたときだ。ふとアヤムさんのデスクが目に留まった。
気になったのは、上に置かれている書類だ。先程の依頼にかんするもので、内容をまとめたもののようだ。
自分でもなにが気になっているのかわからず、数秒ほど目を凝らす。記憶の隅にある事柄と、書かれている内容が、微妙に共鳴しているのだ。
『依頼内容 護衛』『対象人物 依頼者ご本人』『料金 時間につき一〇〇〇メント(税込)』。
そして最期の備考欄に、『ハンドレッド高原および、デルタ高原』とあった。
これだ!
僕は急いでみんなの元に走った。
「アイリスが向かった場所って、ハンドレッド高原だけじゃないんですか!」
僕の只ならぬようすを察したのか、三人は微かな動揺を見せた。
「ええ、そことデルタ高原の二か所に赴くそうですが――。それがなにか?」
僕は今朝ラジオで聞いた地域情報を話した。今朝、デルタ高原で野生の冥精霊が目撃されたと言っていた。
「それが本当ならアイちゃんとお爺さんが危ないですぅ。冥精霊はBBBクラスの危険生物なんですよぅ!」
エリーさんから普段の余裕が感じられない。セシールさん、アヤムさんの二人も顔を青ざめさせている。
冥精霊。メントゥム大陸の住人ならば、その危険性は認識している。
火精霊、水精霊、木精霊などの有益な働きをしてくれる精霊とは違い、こいつは人間に害を及ぼす。全ての精霊は敵対反応という特性を持っている。特定の生物に対し、極めて攻撃的になる習性だ。火精霊ならトロールに、水精霊ならオーガに、といった具合だ。冥精霊の場合、どういったわけかこの敵対対象が人間だから迷惑極まりない。冥精霊は積極的に人間を襲う。農村部では冥精霊に襲われ大怪我を負う人間が毎年出るのだ。専門家の間では、冥精霊を精霊のカテゴリーから除外しようという動きもあるくらいだ。
「精霊には普通の武器では効果がありません! いくらアイでも、剣が通じないんじゃどうしようもありませんよ!」
アヤムさんが悲痛な声出す。
セシールさんの状況判断は早かった。
「エリーちゃん、アイちゃんの増援に向かってちょうだい。あなたの魔法なら対応できるはずよ」
「了解ですぅ!」
エリーさんはすぐに向かいの店で馬車をチャーターし、通りに消えた。
間に合うだろうか。仮にエリーさんが間に合ったとしても、冥精霊を一人で撃退するのは無謀だ。
僕にもなにかできることはないか……。友人が危険に遭遇しているのだ。ここで掃除なんかしている場合じゃない!
――閃くものがあった。そう、友人だ。
僕は身に着けていたエプロンを放り、ベケットの外へ出た。そのまま自転車に跨り、通りを全速力で駆け抜ける。
向かうはオーブリーの家だ。通りを右折し、メインストリートに出る。メインストリートを北に走っていると、『モンターギュ コンシューマーアーム』の看板が見えてきた。
僕は自転車から飛び降りると、店に滑り込んだ。
「いらっしゃい……って、トモルじゃねえか。いったいどうした。そんなにテンパって」
運のいいことに、カウンターにいたのはオーブリーだった。手伝いの最中らしい。
「オーブリー。この前言っていた最新ロングソード。なんでも切れるとかいうやつ。あれまだあるか!」
「ああ、まだ売れてないぜ。なんせ他の武器と比べて価格が一桁違うからな。一般市民が護身用に持つにはオーバースペックすぎる」
オーバースペックか、申し分ない。
「率直に言う。そいつを貸してくれ」
オーブリーがキョトンと首を横にする。
「聞き違いか? 今、うちの目玉商品を貸してくれと聞こえたんだが」
「聞き違いじゃない。オレはそいつを拝借したい」
「おいおい、こいつは売りものだぞ。オレが親父にぶん殴られちまう」
「頼む時間がないんだ。下手するとアイリスが死んじまう。助けるにはそいつが必要だ!」
オーブリーがギョッとする。
「彼女がデルタ高原で冥精霊とニアミスした可能性があるんだ。オレの思い違いならそれでいい。その剣は新品のまま返却される。もし使用することになったら……オレが買い取る。だから頼む。WP W105LAを使わせてくれ」
僕は店の中央ガラスケースに納められた、立派な装飾のロングソードを指差す。
「……購入の際は、消費税分はオレの奢りにしてやるよ」
そう言ってオーブリーはガラスケースの鍵を投げてよこした。




