意外な結末
次の日、僕はアイの家を訪れた。
「マイザさまではありませんか。いったいどうして? 退院は明日の予定と聞いておりましたが?」
「わけあって病院を抜けてきたんです」
「と……いうと?」
「いわゆる特殊な用事ってやつです。今日オレがここにくることはアイにも教えてません。……上がってもいいですね」
少々強引にアイの家に上がる。ルーチェさんは怪訝な顔をしつつ、僕をリビングに通す。
「あのー、特殊な用事と言うのはどのようなことなのでしょう? 差支えないようでしたら教えてはもらえないでしょうか? もしかしたら私でも力になれるかもしれません」
「アイにかんすることです。つけ加えるなら、今回のヤックハルス事件にかんすることでもあります。オレは今日、あなたに訊きたいことがあってきました」
「私に訊きたいことですか?」
ルーチェさんは自分を指差し、きょとんとした仕草をする。
「ええ、是非とも知りたいことがあるんです。ただ色々複雑で、どれから質問していいやら迷っているところなんですけど、とりあえずあなたの本名を教えてくれませんか」
僅かに……。極僅かにルーチェさんは眉根を寄せた。
「ルーチェ・リサイアですが、それがなにか」
「いえ、偽名でなく本当の名前です。ルーチェ・リサイアという人はあなたではなく、かつてステアー地区に住んでいた別の女性でしょ。わけあって教会の葬儀記録に目を通したとき、偶然発見しました。記録によると、八十八年に死亡とありました。あなたはこの人の経歴を利用したのでは?」
彼女の顔が険しくなる。柔和だった目元が鋭くなり、その風貌はどこか別人を匂わせた。
「わけがわかりません。マイザさまはなにをおっしゃいたいのですか?」
「気づいてしまったんですよ」
僕はポケットから銃を取り出し、銃口をルーチェさんに向ける。ルーチェさんは緊張したように一歩後ろに下がる。
「あなたはドジッ娘メイドなんかじゃない。アイと互角に戦えるくらいの実力を隠し持っている。クロドさん宅に押し入ってきたレインコートの人物はあなたでしょ!」
ルーチェさんの顔に厳しいものが走る。
「その話ならお嬢さまから聞きました。クロド氏の自宅でヤックハルスに襲われたと……。でもなぜそれが私だとおっしゃるのです。証拠はありますか」
「この状態が証拠です。あなたは今武器を突きつけられ緊張している。それはオレが持っているものが武器であることを知っているからだ」
昨日、病室でノア警部にも同じことを試した。結果として警部は疑問符を浮かべていた。当然だ。彼はこれが武器だと知らないのだから。
「あのときオレは逃げるヤックハルスに銃を向けました。するとやつは慌てて射線上から身を逃れさせた。明らかにこの武器がどういったものかを知っている行動だ。銃について知っている人間は限られている。製作した人たちを抜きにすれば、僕らベケットの人間とあなただけだ」
僕は一度ルーチェさんの前で銃を使って見せたことがある。あのとき彼女は砕けるレンガに目を丸くしていた。この武器の恐ろしさを知っている数少ない人物なのだ。
ルーチェさんは諦めたように肩を竦め、小さく溜息を吐いた。そして、
「ピアトラ……」
と一言だけ喋った。意味がわからず僕は聞き返す。
「本名が知りたかったのでしょ。ピアトラ・ヘルプストが私の本当の名前よ」
自分の胸に手を当て、丁寧に自己紹介をしたあと、彼女は挑発的な表情を浮かべる。
「職業はなんです? グローベルク家のメイドが副職だとすると、本職は?」
「公務員よ。テロール帝国の国家公務員」
「クロコですね」と僕が促し、ルーチェさんことピアトラが、「ご名答」と頷く。
自分で言い当てておきながらショックだった。微かな眩暈を感じつつ、僕は話しを続ける。
「パトリシアが持っていたナイフは今どこにあります?」
「なんで私に訊くのかしら?」
「あれを回収したのはあなただと考えたからですよ。多分、パトリシアが崖から転落したのも事故なんかじゃなく、あなたの仕業だ」
「……想像に任せるわ」
パトリシアの転落死について知っている素振りだ。これはまだ警察しか知らない事項であることを考慮するなら、正解は推して知るべしだ。
「パトリシアが言うには、ジャン・シッカートの魂がナイフに捕らわれているらしいですが、あのナイフに呪いなんてあるんですか?」
ピアトラは額を押さえた。
「そんな話は初耳だわ。想像するに、あの女はナイフの毒気に当てられちゃったのね」
ナイフの毒気、気になる単語だ。僕は詳細を尋ねる。
「冥精霊のことは知ってるわよね。人間を積極的に襲う精霊よ」
身に染みて知っている。ベケットでバイトを始めた当初に襲われたことがある。
「あのナイフの素材には冥精霊の体が使われているのよ」
衝撃的な事実だった。冥精霊の薄黒く透き通った体と、あのナイフの刀身、言われてみれば似ている。
「あのナイフは人を冷酷にする効果があるのよ。人間を襲う冥精霊の特性が、使用者の意識に影響を及ぼすせいね。このおかげで私たちは良心に阻害されることなく、非道な任務を遂行できるというわけ」
銃を向けられているにもかかわらず、彼女はリビングを歩き回り始めた。僕に発砲の意思がないと踏んだようだ。
「その効果は微弱なものだけど、極稀に強く影響を受けてしまう人もいるわ。そういった人たちは性格そのものが残忍になったり、精神に異常をきたしたりしちゃう。多分パトリシアもその口ね」
工場でのパトリシアのようすを思い返すと、それとなく納得してしまう。幼少期の虐待があったにしても、それだけで人があれほど狂ってしまうとは思えなかった。
「あのナイフが人の血液を吸うところを見ましたが?」
「あれはただの便利機能よ。暗殺のときに出血を減らしたり、血痕を消したりするの。例えるなら、消しゴムがついた鉛筆といったところかしら。原理は私もわからないわ」
僕とアイは消しゴムつき鉛筆に恐怖していたわけか。とんだお笑いだ。
「私から教えられることは以上ね。……マイザさまはそろそろ病院に戻った方がいいですよ。怪我人は安静にしていないといけません。私も午後にお嬢さまのところに着替えを届けに伺いますので、そう伝えておいていただけると幸いです」
歩き回っていた彼女は僕の前で立ち止まり、礼儀正しく一礼をする。
「アイに尽くしているのは任務ですか? それとも個人的な引け目から?」
リビングから出て行こうとしたピアトラが、ハッと足を止めた。
「三年前、トーマス氏を殺害した暗殺者。アイが見た黒ずくめの人物はあなたですね!」
背中を向けたまま、ピアトラは無言で立ち尽くしている。僕は構わず続けることにした。
「数日前、オレとあんたはこのリビングでアイから当時のことを聞かされました。オレはすっかり、トーマス氏は黒水晶のナイフで殺害されたものだとばかり思っていました。でもそれは違う。黒水晶のナイフは暗殺者が所持していただけで、実際にトーマス氏の命を奪ったのは登山ナイフだ。ここ最近アイが持って歩いていたやつですよ。オレは張り込みのときアイからそれを聞いて初めて認識の間違いに気づきました。そして昨日アイに尋ねたところ、登山ナイフのことは誰にも話していないと言っていました。あなたにもです……。でも不思議なことに、あなたはアイが持ち歩いていた登山ナイフがトーマス氏を殺めたものであることを知っていた。それを知っているのはトーマス氏殺害の場に居合わせた者だけだ」
僕はわざとスライドの音を立てた。
「どうなんですか? もし妙な真似をするなら足を撃ちます。『小僧にそんな勇気があるわけない』と思っているのなら、考えを改めた方がいいですよ。アイのためなら手を血で汚すことも厭わない気分ですから」
そう言って僕は引き金を引いた。
乾いた凶音と共に、ピアトラのカチューシャが床に落ちる。
「と、まあこんな感じで本気ですので。是非とも誠意ある返答を期待します」
ピアトラは身を竦めつつ、ゆっくりとこちらに向きなおった。
怯えるでもなく、どこか安堵の表情を浮かべていることが気にかかる。
「そうよ……。三年前、アイが見た暗殺者は私よ」
僕は銃のグリップをきつく握り締め、狙いをピアトラの胸に変更する。
「なぜです! アイのお父さんがあなた方のターゲットになった理由は!」
「当時、トーマス氏は帝国に不利益をもたらそうとしていた。帝国政府はこれを阻止しようとした。それだけの話しよ」
「トーマス氏はなにをやろうとしていたんです?」
「詳しいことは知らされなかったわ。ただ政府がクロコの派遣を決定したほどよ。帝国にとって相当不都合なことだったのは確かね」
「アイへの弁明があるなら聞きますよ」
なるべく冷たい口調になるよう心がけた。
「そうね、屋敷に不法侵入したことは謝らないとね。あと、嘘だらけの履歴書を提出したことも。ああ、あの子のお気に入りマグカップにうっかりヒビを入れちゃったことだけは秘密ね。間違いなく怒られちゃうから」
ピアトラは気まずそうに頬を掻いた。
「真面目に聞いているんですけど!」
「じゅうぶん真面目よ。それ以外にあの子に謝罪することなんてないもの」
意味深な発言に、僕は銃を握る手を緩めた。それって……。
「三年前に私が受けた命令は、トーマス氏へ脅しをかけることだったのよ。これからやろうとしていることをやめるようにね。けして暗殺ではないわ。むしろ殺害禁止の厳命を受けたくらいよ」
僕は一度固唾を呑み、全身を巡るイヤな予感に悶えた。ギブスに覆われている肩を痒きたい衝動を押さえつつ、話しに耳を傾ける。
「あの日の夜、私がこの屋敷に侵入したとき、すでにトーマス氏は何者かによって殺害されていた……」
僕は無意識に止めていた呼吸を再開させた。貪るように肺に酸素を送ったのち、ゆっくりと吐き出す。
はたして彼女は本当のことを言っているのか。嘘か誠か。真偽を見極めようとピアトラの目をジッと凝視するも、彼女の瞳に揺らいだものは見られなかった。真実を語る人のそれに違いなかった。
「アイが書斎に入ってきたのはそのすぐあとね。その後、屋敷から逃走した私はトーマス氏殺害の背後を調査すべく、グローベルク家のメイドとして屋敷に潜入したというわけ」
しばしの沈黙。リビングには柱時計の針の音だけが響く。
「では誰なんです。あなたでないとしたら、トーマス氏の命を奪った真犯人は!」
「不明よ。トーマス氏の交流関係を色々調べてみたけど、結局犯人はわからなかったわ」
トーマス氏殺害は帝国のしわざではない……。
頭の中を巡るさまざまな考えに翻弄されつつも、とりあえず銃を降ろすことにした。
「尋問は終わりみたいね」
銃口から解放され、ピアトラがホッと肩から力を抜く。
「ええ、あなたがアイに危害を加える存在でないと確証できましたので」
僕がそう言うと、ピアトラが苦笑を浮かべた。
「実はかなり前に本国への帰還命令が出ていたんだけど、適当な理由をつけて潜入期間を引き延ばしていたのよ。正体が発覚してしまったことだし、これを一つの区切りとして帰国することにするわ。心残りも消えたことだしね」
ピアトラは意地悪そうな目を向けてきた。
「さっきの質問だけど、私がアイに尽くしているのは任務でも贖罪でもなく、個人的なお節介よ。……ここに長くいたのは失敗だったわ。すっかりあの子に情が移ってしまった。だってそうでしょ、私がいなくなったらアイが独りになっちゃう。あの子が独り暮らしをしている光景を想像してみて。三食コンビニ弁当のうえ、屋敷中にゴミ袋が散乱する光景が目に浮かんでくるでしょ。放っておけるわけないじゃない」
屋敷内に満ちる生ゴミの臭い。溢れかえるハエやゴキブリ。壁を蹂躙する青カビのコロニー。脳内で再生された光景は恐怖を覚えずにはいられない。……一週間だ! 恐らく一週間でこの屋敷は現世の地獄と化すことだろう。
「というわけで、私の代わりにアイのことよろしくお願いね」
脳内の地獄映像に発狂しかけていた僕は、その言葉によって我に返る。
「アイのためならこの手を血で汚すことも厭わないのでしょ。そんなあなたならあの子を任せられるわ。今まで以上に面倒を見てあげてよね」
そう言ってピアトラは僕の肩をポンと叩いた。なにかとんでもない用事を押しつけられた気もする。
「了解です」
毒を食らわば皿まで。こうなったら最後まであの猛獣とつき合ってやる。
「じゃあ、そういうことで。あー、これで久々に本国の空気が吸えるわ」
ピアトラは大きく背伸びをした。仕事から解放された人のそれに似ている。
「そうだ、これは最後の質問なんですが。オレが森に入ったのを知っていたのはなぜです?」
もしかすると彼女は最初から森内のワイン工場が怪しいと睨んでいたのだろうか?
「ずっとあなたを尾行していたからよ」
まるで気がつかなかった。僕は自転車で移動していたのだけれど。さすがはクロコといったところか。
「なんでまた、僕のあとなんかつけていたんです?」
「あの中で最初にアイの元に辿り着くのはあなたのような気がしていたから……。あなたとアイの奇縁に賭けてみたわけよ」
奇縁か。目を瞑り、アイとの一連のできごとを思い返す。
一緒に冥精霊と格闘したり、一緒にデーモンから逃げ回ったり、一緒に聖剣を持った男と交戦したり、一緒に殺人鬼の痕跡を探したりと、短い期間ながらボリュームたっぷりのつき合いだ。最初の縁はいつなのだろう。高校で同じクラスになったときか、僕がベケットでバイトを始めたときか、それとも自転車で自宅にたときからか。
感慨を抱きながら目を開けると、ピアトラの姿はなかった。ピアトラの自室の方からガサゴソと物音がすることから、帰国のための荷物整理を始めたのだろうと思われる。
ここでの目的は果たせた。僕は屋敷をあとに、病院へと戻った。




