アイリス・グローベルクについて
アイリス・グローベルクの学校生活はかなり個性的なものだ。
まず学生の基本である勉強は、余り好きではないようだ。授業中に居眠りしていたり、ボーッと頬杖をついていたりする姿が目立つ。ノート類は取っているのか、いないのか。ペンを動かしているようすはない。授業中に当てられたときは、「わかりません」と即答するなど、ある意味豪胆ではある。ただし目上の人には礼儀正しくするようで、教師たちからの印象は悪くないようだ。しかし同級生、とくに無礼を働いた者に対しては容赦ない鉄槌を下す。今日、廊下で彼女にぶつかったC組のワイルズは地獄を見ることになった。ちなみにマーカスとギルバードの二人は、今日学校を欠席した。昨日どんな目に遭わされたのか考えると背筋が凍る。
休憩中は隣の席の女子と駄弁っているときもあれば、一人で本を読んですごしているときもある。手にしている文庫本のカバーには赤印が押されていることから、図書室から借りてきたものと予想される。教室で姿が見えないときなどは図書室に赴いているのかもしれない。
お昼は弁当を持参してきているようで、食堂は使用しない。教室の自分の席でハンカチを広げ弁当箱をつついている。中身は結構豪華だ。栄養バランスも考慮されているようで、肉類と野菜類が五分五分で詰められている。
「ずいぶんアイリスが気になっているようだな」
「そりゃあ同僚なわけだし、気にはなるさ」
僕は菓子パンを齧りながら、オーブリーに受け答えする。
「ああやって大人しくしていれば可愛い女子なのに。なんで必要以上の暴力を振るうのかなってさ……」
「本人に訊いてみたらいいんじゃね。同僚なんだろ?」
「できないのを知ったうえで提案すんだから性質が悪いよな。病院のベッドに寝るのはイヤだぜ」
僕は拗ねたように椅子にもたれ、パックのコーヒー牛乳を啜った。
「そう怒るなって。お詫びに、オレが彼女について知っていることを教えてやるからさ」
オーブリーは入学早々、クラスの女子全員の情報を集めた。どういった手立てを使ったのかは不明だが、各々の趣味や好み、家族構成まで調べ上げてしまったのだから驚きだ。さすが『エロフ』の異名を持つ男だ。
「まず彼女の自宅だが。驚け、リバーヒル地区だ」
リバーヒル地区、貴族たちの邸宅が並ぶ高級住宅街だ。アイリスはいいとこのお嬢さまだったのか。
「趣味は不明、好みも不明。この辺は調査できなかった。さり気なく本人に訊いてみたんだが、酷い目に遭わされた」
そういえば以前、オーブリーが包帯を巻いて登校してきたことがあった。本人は不幸な事故に遭ったと言っていたけど、あれがそうだったのだろう。
「次に家族構成だが、両親とは一緒に暮らしていない。前に三者面談があっただろ。その際、先生と話しているのを偶然耳にしたんだ。恐らく今は使用人たちが彼女の面倒を見ている。今食べている弁当はメイドが作っているんだろうな」
もう一度アイリスの方を見ると、彼女は席から消えていた。食べ終わり、教室から出て行ったようだ。
「可愛いメイドさんたちを独り占めか。羨ましいねぇ」
適当に頷きつつ、僕は空になった菓子パンの袋を丸め、ゴミ箱に放った。
※ ※ ※ ※ ※
放課後になり、バイトの時間がやってきた。少なくとも夏休みまではベケットでバイトを続ける予定だ。バイト料が入れば、充実した夏休みを送れることだろう。
今年はクラスの仲間と一緒に、他国まで足を伸ばすのもいいかもしれない。東の隣国、モーラ王国のカルイアビーチで海水浴なんか素敵だ。
気の早い夏を思い描きつつ、自転車で校門を出る。
校門を抜けてすぐのところでブレーキをかけた。馬車が止まる停留所の辺りが騒がしくなっているのが気になったのだ。
「すまないね、お嬢ちゃん。定期がないことには無料にすることはできないんだ。悪く思わんでおくれ」
御者は然も申し訳なさそうに頭を下げたのち、馬車を走らせ行ってしまった。
その場に残されたアイリスは、馬車を恨めしそうに眺めたすえ、下を向いてしまった。足元に転がる石ころを爪先で蹴ってみたり、まるで仲間外れにされた子供だ。
「なにがあったんだ、いったい?」
急に声をかけられ、アイリスは悲鳴を上げて驚きを露わにした。
「なっ、なんなわけ、心臓が止まるかと思ったわよ!」
「いや、なんか困ってたみたいだから、つい……。御者となんか揉めていたようだったけど?」
ここでアイリスはカッと顔を赤くした。
「みっ、見てたわけ! いっ、いつから」
「『定期がないから無料にはできない』とか言っている辺りからだけど……。君、定期券なくしたの?」
アイリスは下を向いた。左右の耳は赤みが増し、肩はプルプルと震えている。
彼女は「うるさい!」と叫ぶや、回れ右をして歩き始めた。
「馬車なんか必要ない! 歩いて帰ればいいんでしょ!」
彼女の家はリバーヒル地区にある。ここからは相当な距離だ。徒歩では日が暮れてしまう。
「よかったら送って行こうか?」
アイリスがピタリと歩みを止めた。
「君も今日バイトに行くんだろ。遅くなるのはまずいんじゃないかと思ってさ」
アイリスはゆっくりこちらを振り返り、ジト目で僕の顔を見る。
「なにを企んでいるわけ?」
「別になにも。オレはベケット騎士団の雑用係だからね。団員が困っていたら助けるのも仕事のうちだろ」
思案しているらしく、アイリスは腕を組み斜め上に目を向けている。そして、
「わかった。乗ってあげるわ」
僕は彼女を後ろの荷台に座らせ市内を走った。
最初は不安そうに僕の背中にしがみついていたアイリスも、走りに慣れるにつれ、楽しそうな声を出し始める。急カーブをまがるときは声をかけ合い、互いの重心を移動させる。坂を下るときは疾走感に酔い痴れ、二人で「ヤッホー」などと歓喜してみたりする。女の子を後ろに乗せて走るのは、なかなか楽しいものだ。美少女ともなればなおさらで、多少の素行の悪さには目を瞑れる気分だった。
リバーヒル地区に入り、アイリスが示す方向に自転車を走らせる。やがて一軒の屋敷の前で停止を促された。
「ここが私の家だ」
三階建ての立派な佇まいだ。池つきの広い庭に、テーブルや椅子が置かれた豪華なウッドデッキ。三階にはバルコニー、屋上にはテラスまで備わっている。高級住宅街に相応しい装いだ。
「お前は一旦家に帰るのか?」
「いや、このままバイトに向かうつもりだ」
アイリスはまた考える。
「その乗り物、自転車だったか……。なかなか気持ちがよかった。なんなら本部まで送られてやっても、いいぞ……」
それはつまり、ベケット本部まで送ってくれというわけか。
「もし承諾するのなら、昨日のワックスの件をチャラにしてあげるわ。悪い話ではないでしょう」
そもそも昨日の一件は、僕になんの責任もない気がするけれど、ここは頷くところだと判断した。
「わかった、要求を呑もう。これで昨日のことは許してくれよ」
「交渉は成立だ。私の準備ができるまで上がって待っていて」
僕はアイリスのあとに続き、門を潜る。
玄関を開けると、奥から二十代前半くらいの女の人が一人走ってきた。
「お帰りなさいませ。お嬢さま」
ゴシック風なデザインの黒服に、白色のカチューシャとカフス。スカートはフリフリで、身に着けている純白のエプロンが眩しい。これが世に聞くメイド服というやつか。
「見てのとおり今帰ったわ。それと客が一人よ」
僕はメイドさんに、「どうも」と軽く会釈をした。
「クラスメートのトモルよ。わけあって彼に送られてきたわ。お茶の一つも出してやって」
次の瞬間、メイドさんの目から大粒の涙が零れ落ちる。
「いつも仏頂面で、神経質で、暴力的で、横暴極まりないお嬢さまにも、ついにお友達ができたのですねえ~。ルーチェは感動で胸が破裂しそうですぅー!」
「大きなお世話だぁ! いいからさっさと準備しなさい!」
二人のフランクな主従関係に微笑ましさを感じつつ、僕はリビングに通された。
「どうぞトモルさん。ジーク屋のマフィンですよ」
メイドさんはとびっきりの笑顔と一緒に、僕の前に紅茶とマフィンを置いた。
彼女の名前はルーチェ・リサイアといい、一人でアイリスの面倒を見ているらしい。
「どっ、どうも」
ジロジロ見つめられ、冷や汗を掻きながら、僕はマフィンを口にした。
「トッ、トモルさんは、いつごろからお嬢さまのお友達なのですか?」
答えづらい質問だった。実のところ友達というわけではないけれど、場の空気は読めるつもりだ。
「つい昨日ですかね。ベケット騎士団に雑用係として雇われたのが縁です」
「雑用係ということは、私と似たようなものですね」
「お嬢さまのこと、よろしくお願いします」と、ルーチェさんは深々とお辞儀をしてきた。僕は「えっ、ええ」と曖昧に返す。そんな真剣に頼まれたら困ってしまう。
「用意ができた。行くわよトモル」
アイリスがリビングに入ってきた。制服から私服に着替えている。
僕はカップに残っていた紅茶を飲み干し、「ご馳走さまでした」とソファーから立つ。
「くれぐれも怪我などなさらぬよう、注意して行動してください」
「あー、もう。わかってるから」
アイリスは僕の手を引き、玄関を出た。
きたときと同じように自転車にアイリスを乗せ、ベケット本部へと走る。
「まったく、いつもうるさいのよ」
「君のことを心配しているんだろ。できた人じゃないか」
「あんたはルーチェのことをなにも知らないのよ。『できた人』なもんか、あれは究極のドジだぞ。お風呂のお湯を溢れさせて部屋を水浸しにしたり、小麦粉の袋を棚から落とし、全身真っ白になったり、冬に水抜きを忘れて水道管を破裂させたこともあったぞ」
ドジッ子メイドというわけか。オーブリーが喜びそうだ。
「君の両親はどうしたんだい。一緒に住んでいないみたいだけど?」
「……二人共遠いところにいる。それより走ることに集中して。転倒なんてしてみなさい。鼻を低くしてやるからね」
僕は転ばぬよう、細心の注意を払いながら走行した。




