血のワイン工場
夕暮れどきの森は不気味な雰囲気を帯びている。聞こえる動物の声に、木の枝からこちらを伺うカラスの群れ。風で草木が揺れるたび、なにか出てくるのではないかと不安な心地にさせる。
とはいえ怖がってなどいられない。アイの命がかかっているのだから。本来ならみんなと合流してからくるべきだろうけれど、それでは時間がかかりすぎる。
怖さに耐えながら進んでいると、石畳が敷かれた区画に出た。脇には古い看板が立っており、辛うじてマリンヒャーワイナリーという文字が読み取れた。工場は近い。
看板の横には石畳の道が伸びており、工場はこの先だろう。
待っていろよ、アイ。僕が足を前に出したときだった。周りの草木がガサガサと大きく音を立てた。風は吹いていない。なにかがそこにいる。
キツネかタヌキか、もしかしてクマじゃないだろうな、と思っていると、草木の向こうから巨大なものが飛び出してきた。緑色の体と、猿を醜悪にしたような顔。コボルトだ。
銃を抜く暇はなかった。コボルトは素早くこちらに接近し、腕の一振りで僕を吹き飛ばす。
運のいいことに転がった先は柔らかい地面だった。僅かな幸運に感謝する間もなく、コボルトはゾッとする呻き声を上げながら、倒れている僕にのしかかってきた。
心の中で悲鳴を上げながら銃を抜き、コボルトの腹に銃口を当てた状態で引き金を引いた。何度も引いた。引き金を引く度に、コボルトの体が小さく痙攣し、マガジンが空になる頃には呻き声も聞こえなくなっていた。
動かなくなったコボルトを押し退け立ち上がり、息を整える。
まさかコボルトと出くわすとは。討伐のとき倒したやつ以外にもまだいたらしい。
額から滴る汗を拭ったとき、周囲の草むらや繁みがガサガサと揺れる。おいおいまさか……。
まさかは当たった。現れたのはまたもやコボルトだった。それも十匹。
冗談じゃない。僕はその場から逃走した。石畳の道を工場の方に向かって走る。
走りながら振り向くと、恐ろしい形相で追いかけてくるコボルトたちの姿が目に入った。
逃げながら銃のマガジンを交換し、追ってくるコボルト目がけて発砲を試みるも、動きながらでは狙いが定まらない。弾を無駄に消費するだけなので攻撃は諦め、逃げることに専念した。
銃をしまい、両手を振るって全速力で走っていると、前方に聳えるフェンスが見えてきた。
フェンスに飛びかかり、無我夢中でよじ登る。上部から向こう側に飛び降り、後ろを確認すると、コボルトたちがフェンスの前で立ち止まる光景を目にする。
コボルトたちはクルリと背中を向け、元きた道を帰って行ってしまった。
どういうことだ? なぜ上ってこない? なんにせよ助かった。あいつらとの鬼ごっこはじゅうぶん堪能した。
ここはどこだろうと周囲を見渡すと、木々の向こうに建物が確認できた。工場だ。
警戒しながら建物に近づき、壁に沿って歩いていると、裏口と思われる扉を発見する。ここから中に入れそうだ。
ドアハンドルをスライドさせてみるも、内側からチェーンがかけられており、数センチしか開かない。
僕は小さく舌打ちし、銃口を内側のチェーンに向ける。
ふと思い留まる。音を立てるのはまずい。どこかに別の入口はないか探しているとき、地面に落ちているペットボトルが目についた。あれが使えそうだ。
その辺の石でペットボトルの底に穴を開け、飲み口を銃口に無理やり被せる。
銃の尖端にペットボトルをつけ、再びチェーンに狙いを定める。引き金を引くと、パシュっと気の抜けた音と共に、扉にかかっていたチェーンが床に落ちる。
銃の尖端に筒状のものを被せることで、発砲音を軽減できることを最近発見した。このことは来月クロウルーフに送る書類に記載するとしよう。
首尾よく工場に侵入した僕は、足音を立てないよう静かに内部の探索を始める。
扉と繋がっていたのは廊下で、長い直線通路の要所に部屋がある作りだ。事務室、休憩室、仮眠室。各部屋の札を心の中で読み上げながら、部屋の中を覗き歩く。
シャワー室のドアを開けたとき、その異様な光景に一瞬思考が停止する。
タイル張りの室内は真っ赤に染まっていた。床、壁、天井にまで及んでいる。それが血飛沫の跡であることは容易に知れた。前にヴァクラム教会で見た作りものとは質が違う。被害者の悲鳴が今にも聞こえてきそうだ。
逃げるようにシャワー室から退出し、隣の部屋に向かう。
隣は会議室のようで、他に比べて広い作りになっている。正面には大きなホワイトボードが設置され、そこには大量の写真が貼られていた。
写されているのは被害者の女性たちだろう。アパートから見つけたものは、ここに貼られていたものの一部だと思われる。
写真は人物ごとに数種類が撮影されていた。虚ろな瞳で佇む写真に、恐怖に顔を歪めている写真、大粒の涙を流している写真。そして殺害完了後のグロテスクな写真……。
拘束してから殺害までのプロセスを記録した悪趣味なコレクションだ。人間のすることじゃない。
たくさんの写真の中にアイが写っているものを発見したとき、心臓が飛び出しそうになった。
他の女性たちと同じように、虚ろな瞳をファインダーに向ける彼女からは、いつもの荒々しさが微塵も感じられない。変な薬でも投与されたのだろうか。
アイの写真はそれ一枚だけのようで、これはまだ救出が間に合うことを示している。
僕はアイの捜索を続けた。一階は全て回り終え、階段から二階へと上がったときだった。廊下をまがったとき、そこにいたコボルトと鉢合わせになった。
コボルトもやはり生き物だ。急に現れた僕に驚いたらしく、狼狽したような素振りを見せた。
その一瞬の隙は引き金を引くのにじゅうぶんな余裕だった。消費した分の弾を銃に込めつつ、僕は倒したコボルトの脇を通りすぎる。
念のためペットボトルを銃に装着したままで正解だった。見かけはかなり格好悪いものの、隠密行動に不向きなこの武器との相性はいい。
このコボルトたちには、パトリシアが一枚噛んでいると予想する。根拠は前方の大扉だ。隣のフロアに続いていると思われるそれの前には、一匹のコボルトが佇んでいる。まるで門番でもしているかのようだ。
僕は柱に身を潜めてようすを伺い、扉前のコボルトが脇を向いたタイミングで飛び出し、間髪入れずに銃弾を浴びせる。
息絶えたコボルトが後方に倒れたのは不運だった。体の重みで扉が開かれ、向こう側にいたもう一匹のコボルトがけたたましい叫び声を上げた。
仲間を呼んだのだとすぐにわかった。たくさんの足音が近づいてくる気配がしてきたからだ。
僕はすぐさま扉の向こうにダッシュした。
バレたなら仕方がない、開きなおるまでだ。先程仲間を呼んだコボルトに銃弾を三発プレゼントしたのち、銃に取りつけていたペットボトルを捨てる。
こちらのフロアはワインの貯蔵施設のようだ。たくさんの樽が部屋の隅々まで並んでいる。
工場が全盛期の頃はさぞかし活気に満ちていただろうが、残念なことに現在満ちているのは殺気だ。
棍棒、斧、槍など、様々な凶器を携えたコボルトの群れが、一斉にこちらを威嚇してきた。
僕は逃げた。とにかく逃げた。樽の上を跳ねたり、樽の下を潜ったり、たまに発砲したり、コボルトたちを巧みに翻弄しながら自分の身を守った。
三階へと駆け上がり、脇に積まれていた樽の山を崩す戦法は効果的だった。階段から追ってきていたコボルトを全て巻き込むことに成功した。
「ざまあみやがれ!」
床で伸びているコボルトたちに勝鬨を上げたときだった。僕の頭部に衝撃が走った。
エッと思う間もなく体から力が抜け、ほどなく天井が視界に入る。
徐々にぼやけていく視界の隅に立つパトリシアは、黒水晶のナイフを手で弄びながら、不気味な笑みを僕の上に落としていた。




